シャンバラ教導団へ

百合園女学院

校長室

薔薇の学舎へ

狼の試練

リアクション公開中!

狼の試練

リアクション


プロローグ 試練は爆発だ

 ツァンダ東の森に位置するクオルヴェルの集落では、なにやら賑やかな空気が広がっていた。
 それは、集落の長であるアールド・クオルヴェルの娘、リーズ・クオルヴェル(りーず・くおるう゛ぇる)が、ついに集落に古くから伝わる戦士の通過儀礼――狼の試練を受けることになったからである。
 リーズはすでに仲間たちとその試練のある洞窟へと赴いたが、残された集落では彼女の帰りを待つ友人たちが集まっていたのだった。
 自発的にリーズのことを調べた者。風の噂を聞きつけてやってきた者。呼びかけに応じたが、距離と時間の関係から間に合わなかった者。都合は様々だが、いずれにしても共通しているのは、彼らが、リーズが無事に試練を突破することを信じていたことだった。そうでなくては、こうして集まることなどしなかっただろう。
(あいつも、良き者たちに恵まれたものだ……)
 長であるとともに、リーズの父でもあるアールドは、彼女が旅の間に培ってきた人間関係の様相rを見て、誇らしげにそう思った。
 こうでなくては、次なる集落の長など務まらない。昨今では地球の契約者たちとパートナー契約を交わす獣人も多いが、どの選択を選ぶにせよ、いずれこの集落を背負って立つという責務は変わらないのだ。この狼の試練にせよ、これまでの旅にせよ、振り返ってみればそのための良い経験だったかもしれないと、アールドは思うのだった。
 ……と、まあ感傷に浸るのはともかく。
「リベラさーん、これってもう混ぜてしまっていいんですか?」
「あ、ちょっと待ってください。この“クロジュナの樹”から採れた樹液を入れて……っと。はい、これで大丈夫です」
「あっ、生地が焼けたみたいですよ!」
「あらあらっ」
 背後では、二人の女性が台所で慌ただしく動き回っていた。
 一人は言うまでもない。アールドの妻、リベラ・クオルヴェルである。いつもニコニコとした穏やかな笑みを崩さないが、それ故に、憤怒や冷笑の感傷が表に出た際には、恐ろしく怖い女性だ。アールドは自分の妻をこう言うのもなんであるが、ある意味で、実はこの村で一番強いのは彼女ではないかと思っていた。
 そんなリベラの隣で、ボールの中に入っているクリーム生地を混ぜあわせているのは、杜守 柚(ともり・ゆず)
 なんでもリーズの帰りを待っている間に、彼女の好きだというケーキを作る算段を計画しているらしい。
 リーズの好みはリベラが把握しているし、かくして、二人のお料理教室が始まっていたのだった。
 そんな彼女たちを見ながら、部屋の隅で黙々とくす玉作りをしていたのが杜守 三月(ともり・みつき)である。柚に変わって、リーズが無事に試練を終えて帰ってきた時のための祝いのくす玉をせっせと作っていた彼は、賑やかな台所の様子に苦笑していた。
 そして、
「僕たちには出る幕がありませんね」
 そんな風にアールドに声をかける。
「まったくだ」
 アールドは心からそう思っているようにうなずいた。
 男二人、出る幕なし。男女の隔たりをよく感じさせる光景だった。
「ところで、君は何を作っているんだ?」
「リーズさんが帰ってきたときのためのくす玉ですよ。ここに祝いの言葉を書いて、入れておくんです」
「ふむ、なるほど……」
 くす玉のような文化がないわけではないだろうが、アールドは見た目からも分かるように謹厳な男である。
 そういった催しには疎いらしく、感心した様子を見せていた。
「文字は僕じゃなくて柚が書くことになってるんですけど…………柚、ちゃんと覚えてる?」
「はい、バッチリです!」
 柚はクリーム生地を混ぜる手を止めて、ビシッと手をあげた。
「はい、じゃあ確認。教えてくれる?」
「えーっと、試験突破?」
「惜しいけど違うよ」
「じゃあ、危険突破?」
「危険なところを突破? 間違ってはいないけど、そういうことじゃないよ」
「あ、分かりました! 試練突飛!」
「突飛な試練だなんて、怒られるよ。何で自信持って言うかなー……」
「あはは……」
 柚は自分の間違いを誤魔化すように笑った。
「正解は『試練突破』。ちゃんと間違えないようにね。あと、『おめでとう』って言葉もちゃんと入れておいてよ」
「はい、分かりました!」
 笑顔で答えるが、本当に分かっているか怪しいものだった。
 一生懸命だが、なにかとドジが多いのが、柚である。それはもちろん長所でもあるのだが、ときにはややこしいことを招くこともあるため、三月は注意が必要だと常々思っていた。
(まあ、柚が楽しんでくれれば、それでいいんだけど……)
 そんな風に結論づけて、彼は穏やかな笑みを浮かべたまま作業を再開した。


「ほう……こりゃあなかなかよく出来た工芸品だ」
「毛束をこう使うか……面白いもんだねぇ」
 そんな声があがっているのは、集落の中心部にある広場であった。
 その広場は、クオルヴェルの集落に住む者たちにとって憩いの場であり、時には長からの重大な話や命令が下される、集落全体の連絡網の中心とも言うべき場所だった。
 そんな広場の中心に集まっているのは、集落に住む獣人たち。
 子供から大人まで、ある一箇所を中心に人垣を作っている。
 そしてその一箇所では、
「はいはい、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。珍しい雑貨がたくさん売ってますよー!」
 ハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)が威勢のいい声を発して客寄せをしているところだった。
 彼が売っているのはその名のとおり雑貨である。といっても、既存の商品を仕入れて売買しているわけではない。彼が売っているのはオリジナルの商品がほとんどだ。もちろんそれ以外にも、ひいきの職人から頼まれている商品などを置いてはいるが、メインは自分のオリジナル商品。
 狼のメタルチャームや兎の毛を束ねたキーホルダーなど、この世界では一風変わった雑貨が売られていた。
 もちろん、全ては集落の長に許可を取ってのことである。いつの世も、商売にはそれなりの手続きが必要なのだ。逆に言えばそれを無視して商売をするのは、、卑怯なことだとハイコドは思っていた。
「兄ちゃん、この“きーほるだー”っつーの? 一個売ってくれないか」
「おっ、お父さんお目が高いですね。娘さんへのプレゼント?」
「へへっ、まあそんなところだ」
 お金を払ってキーホルダーを受け取った獣人の男は、恥ずかしそうにそう言って笑った。
 その姿を見ていると、自然とハイコドも嬉しくなる。超感覚で生えていたエゾオオカミの耳と尻尾が、思わずパタパタと揺れていた。これだから雑貨屋は止められない。自分の商品を買ってくれる人がいると、その度に嬉しくなるのだった。
「これからも、雑貨屋『いさり火』をよろしく」
「ああ。ところで――」
 ハイコドにうなずいてみせると、男は怪訝そうに横に視線を動かした。
「その雑貨屋『いさり火』じゃあ、刀まで売ってんのかい?」
「ああー…………そっちはうちのもんじゃないです」
 ハイコドは苦笑しながら、自分のとなりにで売られている物、そしてそれを売っている刀鍛冶の娘を見た。
 笑顔で一長一短ある様々な刀を売っているのはソラン・ジーバルス(そらん・じーばるす)――つまりハイコドのパートナーだった。
「お姉ちゃん、はやく〜」
「はいはい、ちょっと待ってね」
「うーん、次、あたしっ、あたしっー!」
「順番よ。良い子だから並んでね」
 ソランは刀を目の前に並べながらも、なぜかその膝の上に獣人の子どもを乗せていた。
 狼姿になっている子どもに、ブラッシングをしているらしい。そのほかの子どもたちもそれを羨ましそうに見ながら、ソランの横に集まっていた。
「きゃははははっ! くすぐったいよぉ!」
「きゅうっ」「ぷもっ」
 そしてそんな子どもたちの一部とじゃれ合っているのが、わたげうさぎたち。
 その中に混じって、アンゴラ兎の獣人である白銀 風花(しろがね・ふうか)が、兎姿で獣人の子どもたちとじゃれまくっていた。どうやらわたげうさぎにしかり、風花にしかり、獣人の尻尾にしがみつくのが大好きらしい。
 子狼と兎が、ごろごろとそこら中を動き回っていた。
「んで、なんでそのお嬢ちゃんは刀なんて売ってるんだい?」
「おじさん、それは愚問よ。もちろん、刀鍛冶だからに決まってるじゃない!」
「いや、そうじゃなくてだよ……」
「あはは……。おじさん、実はこの娘……ソラは、このクオルヴェルの集落と少しだけ関わりがあるみたいなんだ」
「ほう?」
 ハイコドが言うと、男は興味深そうに目を大きくした。
「ソラのお祖父ちゃんは、父方も母方もどちらも刀鍛冶だったんだけど。昔、その母方のお祖父ちゃんが、この村に刀を渡したことがあるんだって」
「…………」
「だから、ソランもクオルヴェルの名前に聞き覚えがあったみたいでね。今日はその思い出巡りじゃないけど、ソラがどうしても行きたいってことだったから、僕もついてきたんだ」
 ハイコドが話していると、男はなぜか黙り込んでしまっていた。
「そーゆーこと! だから、お祖父ちゃんの刀に負けないよう! 私もここで刀を売ってみようって思ったのよ!」
 ふんぞり返るように決意を声にするソラン。
 すると、男は、
「あのよ……その祖父が渡した刀ってもしかして、こういう形か?」
「…………っ!」
 男が差し出した刀は、長くもなければ短くもない小刀だった。
 見た目は古い。いかにも古びた形だ。長い年月によってその鞘は薄汚れ、持ち手の部分も縄に手汗が滲んでしまい、変色していた。
 男は鞘から刀を抜く。
 しかし、どれだけ見た目が古びてしまっても、その刀身だけは、はっきりと陽光を反射する煌めきを放ち、刃こぼれひとつない刃を見せつけていた。
「なんでも、俺の親父が若い頃にもらったものらしいんだ。どこぞとも知れない刀鍛冶だって言ってたが……」
「…………」
 ソランは驚きを隠せないように、その刀をじっと見つめていた。
 男が彼女に刀を手渡す。ソランはその曇りなき刀身を太陽にかかげ、反射する光を全身に感じた。
「親父が言ってたぜ。『こいつがなけりゃ、俺は今ごろ死んでた』ってな。それだけ……あんたの祖父さんの刀はすごかったってことだ」
「……そう」
 ソランはかすかにそう答えただけだった。
 ただ、その顔は、少し誇らしげに、静かな笑みを浮かべていた。
「はい」
「お? そりゃ、あんたが持っていっていいんだぜ? 祖父さんのもんだろ?」
「いいの。これはもう、あなたのものなんだから。それに、刀は誰かが使わないと意味がないわ」
 ソランはそう言って、男に刀を渡した。
「あなた、戦士なんでしょ? 家族を守るために、村を守るために、戦ってる」
「……ああ」
「お祖父ちゃんの刀もきっとそのために力を貸すわ。だから――頑張って」
 それは男に言ったものか、自分に言ったものか、彼女自身にもハイコドにも分からなかった。
 ただ、男が力強く頷いて去って行ったその背中を見ている彼女を見つめていると、ハイコドは、それがきっと彼女が、彼女自身に向けても言った言葉なのだろうと思った。
「おねえちゃ〜ん……ブラッシングぅ……」
「ああ、はいはいっ。ごめんね」
 子どもたちに急かされて、再び彼女たちのブラッシングに戻るソラン。
 ハイコドも商売に戻り、兎姿の風花は二人のやり取りを見ていたのか、ちょこんと座りながらくすっと笑ってた。
 そんな、時間。
 カッ――!
「へ?」
 森の奥の方から眩しい光のようなものが放たれたのは、その時だった。


 どおおぉんっ!
「な、なんだ……っ!?」
 閃光のような光が森の奥から放たれたと思った次の瞬間、盛大な爆発音とともに地面が揺れた。
 足下が少しふらついたアールドはしかし、長年は戦士として生きてきたさすがの足腰で、その場に踏みとどまり、そしてその音の聞こえた方角を見やった。
 森の奥――『狼の試練』の洞窟がある方角だった。
「あらあら、あの娘ったら……派手にやってるわね」
 アールドの背後から、リベラが感心を半分含んだ声で言う。
「まったく、何をしているのか……」
 集落の長は、我が娘の試練が無事に済むことを願うばかりだった。