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悪魔の鏡

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その5:金ちゃんと愉快な仲間たち 


「うわぁ……、街中がお巡りさんでいっぱいじゃないですか。凶悪犯罪者でも潜んでいるみたいな警備です……」
 イルミンスールからやってきていたリース・エンデルフィア(りーす・えんでるふぃあ)は、特に何も悪い事をしていないのに緊張の面持ちで警官たちを見つめていた。
 悪魔の鏡によるコピー増殖の事件の話しは聞いている。そのために、空京へと出向いてきていたのだから。金鋭峰のニセモノまで出現したためこのような物々しさなのだろう。これは大変なことになった、と辺りを見渡しながらゴクリと唾を飲み込んだ。
 金鋭峰のドッペルゲンガーの暴挙を引き止めたいのだが、この様子では、ニセモノも警戒して容易には人前に姿を現さないのではなかろうかと思われた。
 昨日は、あれほど目撃証言があったというのに、今日はぱったりと彼の足取りは途絶えている。どこでなにをしているのだろう……。心細くはないだろうか……。自分ごとのように心配になってくる。
 リースは小さくため息をついた。先ほどからドッペルゲンガーを探し続けていたのだが、一向に見つかる気配はない。
「早く出てくればいいのに……」
 一見、何事もないかのような街並み。ふと、通りかかった公園に目をやると群がる鳩に餌をやっている人や、スケボーで遊んでいる若者たちがいる。何も知らない人たちは気楽なものだ。
「……」
 そのまま通り過ぎかけて……、リースは足を止めて公園に視線を戻した。よく知った顔が紛れ込んでいるのに気づいたのだ。何をしているのだろう……、ちょっと首を傾げながら、公園へ入っていく。
 餌に群がる鳩の中に、彼女のパートナーのアガレス・アンドレアルフス(あがれす・あんどれあるふす)と思しき存在が紛れ込んでいたのだ。
 アレガスは、大昔に悪魔の呪いで白い鳩に姿を変えられた大英雄様の英霊なんだそうだ。だが、こうして野生の鳩に混ざって餌をついばんでいるところを見ると、どうもそんな風には見えなかった。
「……あ、あの……お師匠様……、来ているとは知りませんでした。……お食事ですか……?」
 リースはアレガスをお師匠様と呼び、慕っていた。少々様子がおかしくても無視して通り過ぎるわけにはいかない。
「……」
 アレガスに見える大きな鳩は、首をもたげリースを見る。そして、すぐに興味を失ったように、すぐに餌をつつき始めた。
「……」
 リースは、困惑の笑みを浮かべながらその様子を見つめていた。何だかいつもの彼とは違い、雰囲気がふわっとしてると言うか、周りを見る時の動作とかが野生の鳩らしく見えるのだが、それは気のせいだろう。
「あの、お師匠様……?」
 鳩の輪に踏み入り、リースはもう一度呼びかける。鳩の群れは、逃げることはなかった。餌ほしそうに、リースに近寄ってくる。が、返事はない。
「あんた……、餌も持たずに鳩と仲良くしようとしても無意味なことだ。あんたのお師匠様とやらも、すでにワタシの餌付けによってこの通りよ。……ふふふ」
 先ほどから、公園に集まっていた鳩たちに餌をやっていた女の子が、リースを見てニヤリと笑った。自分で摘みつつも、鳩に与えていた大量のポップコーンをビシリと突き出しドヤ顔で聞いてくる。
「あんたも食べるか……? 祭り見物には、お菓子を食べながらが最適だ。アンタの探し人も食べ物に釣られて出てくるだろう!」
「ええっっ!?」
 リースは驚いて、鳩に餌をやっている人物を見た。何を言っているのだろう、この娘は。おかしな様子はなかった。言ってしまってから、女の子は居心地悪そうに照れ交じりの表情でリースを見つめ返す。
「いや、すまない。あまりにも暇だったもので、つい……」
 彼女は、空京での噂を聞きつけて、様子を見にきた笠置 生駒(かさぎ・いこま)だった。一緒に来ていたパートナーたちともはぐれ、とりあえず具体的な事件が起こるまで暇つぶしがてらに鳩と遊んでいたのだ。
「さあ、いつまでもこんな所で餌もらってないで、一緒に金総司令官さんを探しにいきましょうね。……餌をもらったのでしたら、お礼は言わなければなりませんよ」
 リースは気を取り直して、お師匠様に話しかける。強引に連れて行こうとすると、思い切りつつかれた。
「くるっぽ!?」
「……痛っ! な、何をするんですか、お師匠様!?」
「……すごい怒っているな」
 と生駒。リースは首をかしげて。
「おかしいです。どうしたのでしょうか?」
「まあ、空京ならよくあることだろう」
「いや、そうなんでしょうけど。今何か、膨れ上がる怒気を感じたんですけど」
 リースは辺りを見回すが、特に何も目に付かなかった。公園の木々が怪しくざわめいているだけだ。
 生駒は、スケボーで遊んでいる若者がいる辺りを眺めながら言った。
「……ところで……。あんたは金ちゃん君を探しているのか? 彼なら、先ほどここを通り過ぎるのを見たんだけどさ……」
「ええっ!?」
 リースはもう一度驚きの声を上げた。そんな重要なことをさらりと言ってもらっては困るのである。
「……ど、どこへ行ったのですか? どうして引き止めておいてくれなかったんですか?」
「いや、声かけようとしたらめちゃ睨まれたし。……別に怖かったわけじゃないんだけど、どこからともなく勇者が現れないかな、と……」
 公園の片隅にちらちらと視線をやりながら、生駒は言い募る。なにやらもどかしげな様子に、リースもそちらに視線をやって……。
「!?」
 突如、公園の彼方から、耳障りな爆音が聞こえてきて、リースはハッと全身を硬直させた。探している金鋭峰のドッペルゲンガーは、バイクに乗って空京の町中を爆走中だという。彼ではなかろうか……。なんと言うベストタイミングだろう。まさか、こんなにうまい具合に遭遇の機会に恵まれるとは思ってもみなかった。
「……来ました!?」
 爆走音は、公園の前の通りへと近づいてくるのがわかった。同時にそれを追いかけるサイレンの音と、魔法や攻撃、怒号が響き渡る。あれだけ検問が敷かれている中、強引に突破してきたのだろうか? だとしたら、周囲にも大きな被害が出ていることになる。もっとひどい事態になる前に、なんとしてでも止めないと。
 リースは切羽詰った表情でアレガスらしき鳩を捕まえ、がくがくと揺すった。くるっぽっぽ〜! と鳩はじたばた暴れ始める。
「……お師匠様! お師匠様、本当にどうしてしまったんですか!? いつまでも呆けていないで、手伝ってください! 大変なことに……」
「あの……ちょっと待て……。見ていると、あんたは大きな誤解をしているように思えてならない。そもそも……」
 生駒がたしなめようとするが、リースは聞いてはいなかった。どんなに話しかけても反応のないお師匠様に痺れを切らして、抱きかかえたまま走り出した。
 真っ黒なバイクが、もうもうと黒煙を吐きながら公園前の通りを派手な走行で通過しようとする。その背後から、無数の追跡者。もう猶予はなかった。
「あわわわわ……! そんなことをしている間に、もうバイクがすぐそばまで迫って……」
 リースは必死になって、アレガス鳩を投げつけるように空へと放った。せめて……、暴走者の視界を遮ってくれれば、その間にスキルを使うことが……。
「ええええっっ……!?」
 リースは、その場に唖然と立ち尽くす。アレガス鳩は、彼女の手から離れると、いずこかへ飛び去っていってしまった。全く役立たずだ……。
「ふっ……、この愚か者が! 見ておられんわ!」
 そんな彼女に上空から救いの手(?)が差し伸べられた。静かに揺れる公園の茂みから急旋回しつつ飛行してきたのは、なんとリースの捜し求めていたお師匠様だった! 本物の、アガレス・アンドレアルフスであり、リースのパートナーである。
 つまり、たった今までリースが相手をしていたのは、どこから現れたのかわからないニセモノらしき鳩で、反応がないのは当然のことだったのだ。
「えっ……、あれ……? お師匠様……? よくわからないですけど、もう一羽、いました……!」
「全く……、我輩と我輩の偽者の区別が出来とらん不甲斐ない弟子を持つと、苦労するわい! 手助けをしてやるから、見直すがいいぞ!」
 公園の木に止まり、全然気づいていなかったリースの光景をもどかしげに見つめていたアレガスは、ここが見せ場とばかりに、スキルを構成する。
 自分の名を騙り(?)可愛い愛弟子のリースを誑かした不埒なニセモノも放置しておくつもりはない。アレガスそっくりさん鳩はこちらに気づかず隙だらけだ。天誅を食らわせてやろう……!
「『神なる息吹』!」
 アレガスは、ニセモノに向かって渾身の【神降ろし】を
 ゴン! バキ、グシャ……!
 アンガスは狙い過たず、走ってくるバイクに正面から突っ込んでいた。猛烈な勢いではね飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「きゃああああああっっ!?」
 リースが悲鳴を上げる。
「うう……、おのれ、ニセモノめ……少しはやるようだな……だが」
 メリメリメリメリ……! 
 地面でもがくアンガスを、追跡者たちが踏みつけて行った。道路にひしゃげた鳩の残骸。まるで、本当に鳩が潰された後のようだった。
「お、お師匠様! お師匠様ぁぁぁぁ!?」
 リースがたまらず駆け寄る。
 更に、事態はこれだけでは終わらなかった。
 ニセモノ金が乗っていたらしいバイクは、鳩に視界を遮られた上に運転を誤ってか大きくスリップしていた。蛇行しながら、反対車線を走ってくる大型トラックと正面から衝突する。キキキキキ〜〜〜〜! と耳障りなブレーキ音が響き渡り、次の瞬間……。
 ドオオオオオンン! 
 真っ黒な大型バイクは、突っ込んだトラックもろとも炎上していた。かなり大きな爆発を引き起こし、跡形もなく無残に四散したのがわかった。追跡者たちも、あまりの出来事にその場に呆然と立ち尽くすだけだった。近づこうにも、炎の渦が大きすぎて遠巻きに見守るのがやっとらしい。彼らの元まで火の粉が飛び散るほどの大惨事だった。
「あ、あああ……な、なんてことが……」
 リースは、その場で真っ白になった。考えうる限り、最悪の事態が起こってしまったのだ。燃え上がる炎と潰されたアンガスを虚ろな目で眺めながら、小さく呟く。
「ご、ごめんなさい……。私、何もできませんでした……。どう償ったら……」
「や、やっちまったな、こりゃ……」
 生駒も事件現場を唖然と見つめる。
「やれやれ、酷い有様だ。街中で騒ぎを起こす奴って最低だろ。周囲の迷惑も考えろ」
 野次馬らしい男が、リースの背後で軽く言った。どうやら、公園でスケボーで遊んでいた若者が、面白半分に事故を見物しに来たらしい。足元でボードをがたがた揺らして弄びながら、風船ガムをぷ〜っと膨らませている。まさに痛みを知らぬゆとり世代を象徴するような、薄情な口調でふひひひ……、と笑う。
「おお、警察がたくさん来たな。こんないい天気に遊びもせず働くなんて、お勤めご苦労さん。だがもう、手遅れだぜ。ぶつかった馬鹿、もう真っ黒こげだろ、コレ! いやマジで超ウケるな〜。写真撮っておくか……くひひひひ……」
「あ、あなたは……!」
 下品な嘲笑にリースは頭を沸騰させた。こんな事態を喜ぶなんて、ゲスにもほどがある。優しくて大人しい彼女でも、許しておけない相手もいる。激怒の表情で青年に振り返りかけて……。
 ぴらり。
「白か」
「きゃあああああっっ!?」
 スケボー青年が、リースのスカートをめくって覗き込んでいた。
 反射的に攻撃を繰り出すリース。彼はするりと飛びのいてもう一度楽しそうにガムを膨らませた。
「そう怒るなよ。それほど悪い事になってはいないんだぜ」
「それ以上言うなら、ただでは済ませませんよ……!」
 リースは、相手に睨みつけた。
「……あれ?」
 すぐに違和感に気づき、声を上げる。
 銀色のサングラスにだぶついた衣装。ジーンズをだらしなくはき崩し、野球帽を後ろにかぶった、よくいるスケボー男。大きなラジカセを後ろ手に担ぎ、笑顔でパチンと指を弾いてくる。
 リースにとってあまり好きになれないタイプの男だろう。だが……。
「……あれ?」
 彼女は目を丸くする。この男、見たことがある。というか……、どうして声でわからなかったのだろう。この雰囲気……、一度出会えば忘れられない男のオーラ。
「チェケラ!」
「え、ええええええっっ!? ま、まさか……、まさかあなた……。金総司令官さん……! のニセモノ……!?」
「よ! バイクからスケボーに乗り換えたんだぜ」
 彼は、リースの言うとおり金鋭峰のドッペゲンガーだった。あまりの変貌振りに、気づくのが遅れた。いくらなんでも予想外すぎる。同じ公園にいたのに、存在すら無視していたのだ。
「だから、言ったろう。目の前を通り過ぎて行ったって……。すぐそばにいたんだけど、声をかけられずに、鳩に餌をやりながら様子を見ていたんだよ」
 生駒が、公園の片隅にちらちらと視線を投げかけていたのは、彼女なりに監視していたかららしい。
「その格好を目の当たりにしたら、どんな反応をしていいのかわからなくなる」
「なんだか知らんが、追っ手が来ることくらいはわかっていたからな。同じ格好でいるわけないだろ。一番注目されるバイクも放棄したし、当然服も着替えるさ」
 金(偽)は、サングラスを少しずらしてリースを見つめ返した。口調は笑っているが、その鋭い眼光は、あの金鋭峰そのものだった。なかなか見つからないわけだ。格好と雰囲気と、本物とはもの凄いギャップだった。教導団の信奉者には見せられない姿だろう。
 ほっとしたような、腹立たしいような複雑な気持ちになってリースは聞く。
「で、では……あの、バイクに乗っていた男の人は、誰なのですか……?」
「さあ……? なんでも、『寺院』とか言うところから来たテロリストらしい。どんないきさつか、俺をつけ狙い襲い掛かってきたので返り討ちにしてやった。散々悪事を働いてきたらしいな。お礼に、たっぷり痛めつけて脅しつけた上で、俺が乗っていたバイクをあげたってわけだ。なるべく似せて街中を走り回ってもらったわけだが、あっさり散るとは天罰覿面だな」
 金(偽)は、まだ燃え続けている事故現場にちらりと視線をやる。冷酷な口元の笑みは、本物そっくりだった。
「町中に検問が張られていて身動きが取りづらかったが、……追っ手は、俺が死んだと思うだろうか……? しばらく身を潜める時間は稼げたかな。いや、そんなに甘くないか……」
 やはり、彼はどうやって追っ手をまくかを考えていたようだった。この町から逃げ出し、新天地へと旅立つつもりなのかもしれなかった。これからどうしようか、とか考えながらも、彼は続けてくる。
「心配するな。“本物”とは出会わないようにするさ。“あいつ”の恐ろしさは、俺自身がよく知っているし、昨日対面して確信した。金鋭峰は怪物だ。怒らせるような真似も今後控えるつもりだ。シャンバラ大荒野にでも移り住み、木こりでもして大人しく暮らすかな……」
 意外と神妙な口調で金(偽)は言った。彼は、金鋭峰と深く接したことは無いが、本能的に想像はつくらしい。敵に回してはいけない、と。
 ホンモノを打ち倒し成り代わってやろうとか、ホンモノを越えて己の力と存在を証明してやろうとか、過激な考えを持っていないあたり、金鋭峰とは違い実は結構普通の一般人的な感性の持ち主なのかもしれない。
「鏡がどうこうとか騒いでいるようだが、もはや俺には関係ない。この身が消滅しない限りは、せいぜい適当に放浪してみるさ」
 金(偽)は、今目の前で起こっている事故などすっかり興味を失った様子だった。彼を生み出した悪魔の鏡のことも、その製作者のバビッチ・佐野のことも、気にかけていないようだ。探し出し、事件を収束させるつもりなど毛頭ないのはわかった。
「わかったら帰りな。俺はお前に用はない」
 パン!
 リースは金(偽)の頬を平手で叩いていた。言葉をつむごうとして、代わりに涙がぽろぽろと零れ落ちてくる。
「あ、あなたって人は……! 私が……、いいえ、みんながどんな思いであなたのことを探していると思っているんですか! どれだけ心配していると思っているんですか! ……ましてやこんな……人を愚弄するようなやり方で混乱を大きくして! だいたい……、うぇぐ……ぐすっ……」
「……鼻かむか?」
 金(偽)は表情すら変えずに、ハンカチを差し出してくる。だぶだぶの衣装でだらしない格好で変装しているのに、妙に几帳面だった。
「け、結構ですっ……! 私のこと、馬鹿にしないでください!」
 リースは泣いたまま怒った。ぐすり、とすすり上げながらも話しかける。思っていることを上手く口にすることはできず、くどくど説教となってしまった。
「面倒くさいな!」
 お断りします! とさり気なく後ずさる金(偽)。
「しかし、困ったものだね。あんたは、木こりになるとか言っているが、例の“本物”は、あんたのことを処分するつもりだよ」
 生駒のせりふに、金(偽)は皮肉げに鼻で笑う。
「案外器の小さな男だな。俺に変な真似をされると評判にかかわる、か……。保身に長けた男の思考だ」
「金総司令官さんの悪口は許しません!」
 リースはくわっと睨みつける。
「いやほんと……、面倒くさいな、お前……」
 金(偽)は、肩をすくめるとサングラスを元通りにかけ直しガムを口元で膨らませた。
「これ以上、金鋭峰の姿でパンツを見られたくなかったら黙っていることだ」
 彼は、スケボーに足を乗せたまま、もう一度リースのスカートをめくりあげた。本物の金鋭峰と同じ身体能力を持つ素晴らしい動きだった。
「きゃああああああっっ!?」
「これに懲りたら、俺の前に姿を現さないことだ。……ではさらば」
 金(偽)はとてもカッコイイ口調でキリリと言うと、スケボーを転がし颯爽と去っていく。リースは、頭が混乱しすぎて追いかける暇もなかった。
「ば、ばかああああああっ!」
 リースの叫び声が、公園に響き渡った。
「カリスマを見た……」
 生駒も金(偽)の追跡は諦め、身を翻した。さて、パートナーたちはどうしていることだろうか……。