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【原色の海】アスクレピオスの蛇(第3回/全4回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(第3回/全4回)

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第5章 上手なカツ丼の食べさせ方


 住民の避難が進みつつある中、ヴォルロス議会場にある小部屋の中央には長机が置かれ、中年の執事と傭兵とが座っていた。
 一晩の尋問はこたえたのか両肘を机に預けている。顔は俯け、視線は机の木目の上を行ったり来たりしていた。
 もはや逃げようとも思えなかったのだろう。
 扉を挟んで前後には議会の屈強な傭兵が立ちふさがっていたし、そこを抜けても議会場の中にも入り口にも、警備の傭兵が立っている。
 雇われ傭兵の青年はもちろん、一介の、せいぜいワインの飲み頃を見定めるくらいしかできない執事の彼には、突破できそうもなかった。
 おまけに目の前には、契約者が揃って彼に視線を注いでいる。
 ……が。
「うわっ!?」
 “照明係”だった、樹上都市の族長補佐の数多いる息子のうちの一人である(という微妙な位置の)守護天使の青年が突然大声を出したので、一瞬、皆の視線が彼に集まった。
 思わず、扉の外の傭兵が、小窓から中を覗いたくらいだ。
 それから、驚かせた張本人――桐生 円(きりゅう・まどか)本人がその隣で背伸びして赤い目をのぞかせると、すぐに引っ込んだ。
(うわっ、じゃないよ、テレパシーだよ)
「な、なんだ、驚かせないで下さいよ」
(しゃべらなくていいから。なんか琴理くんは来てるし、しかも怒ってるし! これ以上めんどくさいのはごめんだよ)
 村上 琴理(むらかみ・ことり)は、普段感情を人前で露わにしない分、あれだけ怒っていると何を言い出すか分からない。尋問には向かないだろう。
 頭に直接響くその声に、守護天使は納得したのか、周囲に向かって頭を軽く下げた。
「すみません、クシャミが出るとき、時々うわっていう癖があるんですよねー」
「へーそうなんだ」
 誰も疑問に思わずに納得してしまうので、彼はちょっと悲しい気分になったが、とりあえず円のテレパシーに返してみる。
(す、すみません。テレパシーって慣れてないんですよ。受信音とかあったらいいと思いませんか? やっぱりリンリンでしょうかねぇ……えーと、聞こえますか?)
(オーケー、ボブ、聞こえてるよ。よし、これから言うことをそこの執事に確認して)
 円は、先ほど“ホークアイ”でちらっと確認した、執事の手を思い出す。先日“サイコメトリ”で見た、中年男の手と重ね合わせてみる。ヴォルロスの傭兵詰所で見た、水死体の男。彼を突き落したのも中年男だったのだ。
(見たのはちらっとだから、断定はできないんだけどなぁ……ちょっと違う感じ。となると……?)
 円はその中年男を呼び出した、嘘の仕事募集のチラシのことをボブ(仮)に伝えた。
 それを聞き、扉の中でボブ(仮)が、その死亡時刻ごろ、何をしていたか尋ねる。
「その日は、わたしは仕事を……ジルド様はお出かけに……」
「えー、ジシス商会って知ってますか?」
 執事の肩がびくり、と大きく震えた。
「何でその名前を……」
「あなた方が、彼を――」
 意図を理解した琴理が激昂しそうになる、それをまずいと見て、円が扉開け入ってきた。
「こんちはー」
 あえて普段の調子で入るなり、携帯からソートグラフィーで空中にチラシの画像を浮かび上がらせた。
「ヴォルロスで一人の男性が、海に落とされて死んだって話なんですけどねー。この男性、高給の人足募集に応募してるんですよね。
 しかも募集先の商会は存在しなくって……募集チラシをまいたのはあなた方……違うかな?」
「……そこまで分かっているとは……」
 執事は持ち上げた肩を今度は落とした。まるで体が萎んだようだ。
「そうです、ジルド様がよからぬことを……人殺しを行っていることは直接は聞いていませんでしたが、薄々感づいていました」
 この執事、頼りなく見えるが実際、ヴォルロスでただの別荘管理者として雇われていたらしい。三年前ほど前からジルドの滞在が長くなり、執事の仕事をすることになったという。
「殺人だって? そんなの聞いてない……そんなヤバい仕事だったら断ってる」
 一方、傭兵は執事による苗木の奪取だけが依頼だったらしく、何が何だかわからない、という顔をしていた。
「……んで、レベッカさんがどうかしたのかな? それと、魔術って自己流なの? そこらは何か知ってる? 誰かにそそのかされたりしてない?」
 円の立て続けの質問に、執事は、参ったように顔を両手の間に埋める。
「いえ、フェルナン様のパートナーがこちらにおられるということは、フェルナン様は一人、そこをレベッカ様が何かしようとするのでは、と」
「その辺はボクの友達が何とかしてくれたよ」
 円は情報局の局長のような物言いでぴしっと言ってから、
「……あと、ジェラルディ家に議会の傭兵が入ったって。もうジェラルディ家は犯罪者なんだよ」
「そうですか。……ジルド様はとある神への儀式のために、ヴォルロスで殺人を犯し、生贄をを海に捧げているようでした」
 だから水死体だったのだ、と円は納得する。
 その何かを、神と呼ぶか悪魔と呼ぶかは人次第ですね、と琴理が厳しく言い放つのを聞きながら、円は質問を続けた。
「儀式っていうのは?」
「生贄を捧げて、神に力を与え、交信するためです。……そして神から万能の薬を授かるのだと……そうすれば過ちを取り返せるのだと……」
「万能薬……パナケイア……アスクレピオスの娘の名前だ。全てを癒す意味を持つ……?」
 守護天使が眉を顰める。
「ところで、話は元に戻るんだけど――」
 と、口にしたのはアルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)だった。
「なぜ苗木を盗んだの?」
 執事の答えの前に、シルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)が優しく口を挟む。
「まあでも、雰囲気的にあれよね。魔術に使うし、何だってするっていってて。娘さんが病気とかじゃないかしら?」
 シルフィアは胸の前で腕を組んだ。
「アル君の両親は早くに亡くなったって言うからピンと来ないかもしれないけど、やっぱり子供のことを思う親の心ってとんでもないものがあるのよね。
 ここの主みたいに力がある人だとなおさら。何をしても、って言って出来る事が多いんだもの。その結果大事になっちゃったりしてね」
 一般人であれば、逆に大事にならなかったんだろうけれど、とも思う――それが幸せとは限らないけれど。
「多分今回もそういうことなんだろうけど……難しいよね。何に代えても、って言っても、本当に代えられるものなんてあるのかしら。自分がその立場になったら、どうなるのかしら」
 しんみりするシルフィアに、アルクラントは感心したように、
「ふぅむ、シルフィアも意外と深く考えてたんだな」
「なに? 普段何も考えてないように見えるの?」
「あ、いや、馬鹿にしてるわけじゃなくて……そんな事いったら私はもっと考えが浅いわけだし」
 慌ててアルクラントは手を振る。
「シルフィアの言うとおり、私は親のことをほとんど覚えていないからなぁ。爺様……曽祖父は厳しくも優しい人だったが。あ、過去形だけどまだ生きてるからね。この間も実家に帰ったし」
「うん」
「多分爺様も私のことになればそれなりの事はしたんじゃないかと思う。今はこの通りいい大人だから多分自分で何とかしろって言うけどね」
「でも人を殺してまでなんて言わないと思うわ」
「ま、結局何が正しいかなんて人それぞれだから、自分の信じることをするしかないわけだ。
 苗木をどこかに持って行かせて、そいつを正しくないことのために使おうって言うんならそれを食い止め、あるべき場所に戻す。今はそういうこと。
 この先どうなるかはわからないけれどね」
「アル君……」
 そんな二人のやり取りは、何故かほんわかしていて、世界が出来上がっているようだった。守護天使は、
「なんか見せつけられてるような気がそこはかとなくするんですが……」
 と、何となく抵抗してみたが、特に気分を害した様子もなく、ああ、と、軽くアルクラントは言って、
「……そういうわけで、殺人までしてるっていうなら、苗木はどんな事情があっても元の所に戻そうと思うんだけどね。
 それと、病気だのなんだのの事情に、別に解決策があるかは別の話だしね。だれの命が危ないのかな?」
 尤も、命が危ないというのは、カンだけれど。何をしたかったのか、そこが重要だと思った。
「妹のレジーナ様のご病気が原因ではないでしょうか……詳しくは知らないのですが」
「だって、えー、そこの守護天使さん。意見は?」
 ――と。
 すかさず突っ込んだ人がいた。
「守護天使じゃなくて、アルカ<ピー>アさんですよ、きっとフルネームは忘却するのでメモでも取ってあげてください」
 執事の話を聞きつつ、ノートパソコンであれこれ検索していた笠置 生駒(かさぎ・いこま)は――といっても、パソコンで検索できるような一般的な知識の話は、彼はほとんどしなかったのだが――、きりっと顔を上げた。
「ですよね、アルカ<ピー>アさん」
「……なんか、<ピー>音を発音してませんか?」
「気のせいですよ」


 こうして再び取り調べが続けられようとした時のこと。
「ちょっと待って、もう長丁場だし、食べ物とか差し入れしてもいいんじゃないか?」
 匿名 某(とくな・なにがし)が手を上げて、尋問を中断させた。
 尋問される方もだが、する方も根を詰めていたために、ピリピリとしていた空気が、緩む。
「日本の警察じゃ取り調べしてる間も飯は食わせていいことになってるらしいけど……ここはどうなんだ?」
「いいですよ」
 議会の傭兵の許可が出たので、某は椅子から腰を上げた。長時間座っていたせいで筋肉がこわばっている感じがする。
「お、それなら早速調達に行ってくるよ。カツ丼ってあるかな? ねえよな」
「じゃあ、私は飲み物を、コーヒーか紅茶、ノンアルコールのお酒とかもどうでしょうね? あ、私もカツ丼に賛成です」
 パートナーの結崎 綾耶(ゆうざき・あや)がにこにこと手を合わせて頷いている。
「……カツ丼ですか?」
 頭の上に疑問符を浮かべている守護天使に、
「ああ、守護天使さんも知らないですか?」
「アルカ<ピー>アさんですよ」
「……アルカ<ピー>アさんも知らないですか? 取り調べといえばカツ丼。日本ではそういうルールみたいです!」
「これ食べながらだと取り調べが進むんだよなー」
 うんうん、と某は自分で納得するように言っていたが、彼も別に警官だったわけでもなく、勿論犯罪者だったわけでもなく。刑事ドラマの影響である。
「……もしかしてそのカツ丼というのは、新手の自白剤ですか?」
「いや違うけど。だけど影響はすげぇんだぜ?」
「分かりました。そんな日本式尋問にカツ丼が必須ということであれば、腕によりをかけて作ってきます。協力いただいた皆さんへのお礼です!」
 こうして何故か綾耶を連れて出て言った守護天使は、たっぷり一時間後に、我流でカツ丼を作ってきた。
 豚カツの元となったイタリア料理のコトレット、というカツを、日本っぽい粘り気のあるお米に乗せて卵でとじた見様見真似の料理だった。ノンアルコールのお酒が添えられている。
 ――食事が揃うと、執事の前に不良っぽくナナメに座って、やっと某の尋問が始まった。
「さあ食っちまいな、腹が空いているだろう?」
「は、はい……済いません」
「いいんだ、そんなガツガツすることはねぇ、時間はたっぷりあるんだからな」
 何だか口調も変わっている。
 わー、これが日本式なんですね、っと綾耶が内心わくわくしながら、机の隅っこで供述調書なるものを書いていた。
「執事さんよ、お前さん、薄々気づいていて手を貸していたんだろう?
 隠したってお天道様が見てるんだ、そんなことをしても罪が重くなるだけだ、もうそろそろ吐いてもいい頃合いじゃないかい?
 ……ほら、草葉の陰でお袋さんが泣いてるよ。
 俺はジルドという人も、その娘さんのレベッカという女性を全く知らないが、それでも、たかが娘が海で溺れただけで魔術に没頭するかい?
 それとも、溺れた時に何かあったのかい? その奇妙な魔術に没頭しなきゃならないような、出来事が……」
「……レジーナ様は、最初、こちらにいらっしゃらなかったんです。
 レベッカ様が溺れて、その後、三年後、ジルド様がヴァイシャリーから連れて来たのが、レジーナ様でした」
「ほう」
「ですがお二人はとても良く似ていたんです。魔術というのは錬金術で、元々お好きで研究のために別荘をこちらに作られてました。
 ですが……そう……死者を蘇らせる研究をしていました」
「……」
「レベッカ様も人が変わられてしまったようでした、だから、私は実はもうレベッカ様は……死んでいるのではないかと……思って……」
 そして契約者たちは、聞いたのだ。
「ジルド様は、儀式の仕上げのために、残骸の島へ向かわれました」
 ――と。