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彼と彼の事情

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彼と彼の事情

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 今でもその瞬間を覚えている。

 たくさん聞こえた銃声と怒声と、あいつの声と、視界を遮った大きな影と、頬についた赤いペンキ、吐きそうな何かの匂い。
 あまりにもたくさんの情報が頭に流れ込み、どれから処理すべきなのか。
 脳は迷った末に、すべてを放棄した。

『――!』

 ドブーツが、何かの名前を叫びながら、目の前の大きな影に駆け寄るのを見つめる。時折こちらを見て何か言っている。
 何を叫んだのか。なぜ泣いているのか。何を言っているのか。何にしがみついているのか。

 おかしなことに、あの瞬間の光景や音や匂いは覚えているのに、他のことはあいまいだ。
 まるで雲の中にいるかのような、浮遊感。

 いや……あの時自分は地面に立っていたのか? もしかしたら横になっていたかもしれないし、尻餅をついていたかもしれない。
 頭がぼうっとして、駆け寄ってきたプレジがひどく慌てた様子で声をかけてきていた。
 なんとなく名前を呼ばれている気がして答えようと思ったら……ああ、そうだ。口が開かなかったんだ。

 不思議だと思ったけど、まあいいかとまたプレジを見る。プレジは、本当に焦っていた。何を焦っているのか。
 何かを言っている。何だ。何を言っていたのか。
 焦っている。あのプレジが泣きそうになるほど……ああ。なんだか胸が苦しい。

『――様。お願……すから……どうか――』

 あ、思い出した。あの時、俺は

『息をしてください!』

 呼吸することすら、放棄してたんだった。




 今でもその瞬間を覚えている。

 何度も通った友の部屋。そこのベッドの上から、こちらを見つめてきた青い瞳。自分の名を呼んだ友の声。

『よっ! 元気か』

 愕然とした。
 真っ青を通り越して、怖いほどの顔色になっていたのが嘘のように元気な姿が、そこにあった。――誰だ、あれは。
 笑顔を見せて、いつも通りの友の姿に、表現しがたい何かが全身を巡り、一歩も動かなくなった。――決まっている。ジヴォートだ。
 元気であってくれるなら、それにこしたことはない。
 だが、友のそれはオカシイ。

『ジヴォート君? その……なにがあったか覚えてる?』
 もしかしたら忘れているのか。そう思った。ならばそれでいい。

『? あ、もしかして――が死んだことか?』

 ジヴォートは覚えていた。覚えていて、いつもと同じ笑顔を見せている。
 目には泣いた形跡もない。
 どういうことだ。なにが起きている。

『なんだ。お前、あいつが死んで泣いてたのか?』
『だ、だって……僕のせいで』
『違う。俺のせいだ。俺が……だから、だけど大丈夫だ! 俺があいつを連れ戻すから』

 けらけらと笑う友。何を言っている。
 友は語る。
 ピンチを救うのはヒーローで。いつも自分達のピンチを救ってくれるあいつはヒーローで。だから

『俺たちがピンチになれば、絶対来てくれる!』

 あの時、俺は、僕は、どんな言葉をかければよかったのだろう。
 正解が何なのか。そもそれ正解があったのか。未だによく分からない。
 だけど少なくとも

『……うん、そうだね』

 同意することが正解でなかったのは、たしかだ。