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バレンタインは誰が為に

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バレンタインは誰が為に
バレンタインは誰が為に バレンタインは誰が為に

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 そんな頃の、遙か遠くの空の下。
 一部の地球贔屓な地方を除けば、シャンバラ程にはバレンタインの文化が入って来ていないエリュシオン帝国では、比較的穏やかな日……かと言えば、そんなことは無かった。


「ふふふ〜ん……いいもーん。チョコなんてもらえなくても」

 鼻歌を歌っているのはスープ・ストーン(すーぷ・すとーん)だ。チョコレートを渡したい相手がいるとかで、エリュシオンへ来ていたティー・ティー(てぃー・てぃー)イコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)について来たのだが、こちらに知り合いと呼べる相手など殆どいないも同然である。忘れられている、というわけではないだろうが、厨房にこもりがちな二人に置いてけぼりにされたスープの心中たるや、推して知るべしである。拗ねるのも仕方がないのである。
「そうとも、せっしゃにはプリンが、ぷりんが……って」
 自分を誤魔化すようにしながら、それでも実際心浮きたてさせながら、冷蔵庫を開いたスープは、そこで硬直した。

「ぷりんがないでござるぅうううう!」

 そこには、ダース単位でストックしておいた筈のプリンが、影も形もなく消滅していたのである。
「こんなの……こんなのおかしいでござる……」
 スープはわなわなと肩を震わせた。
「今年は辰年だと言うのに、一向に拙者をちやほやしてくる気配もなし……いつも出汁になることを強いられ犠牲の犠牲でござる……スープだけに」
 最後は自虐なのかなんなのかは判らなかったが、兎も角、余りバレンタインに関係ないように思えなくも無いが、チョコレートをもらえないというのもその内のひとつちゃんと(?)混ざっているようなので、ぶらっくの放ったヘイトの光は、正しく反応してスープはその目を怪しく据わらせた。
「いりこだ……もういりこしかない!」
 そうして、さっぱり意味がわからない妙な言葉を最後に、背中から翼を生やすと、スープはその場を飛び去ったのだった。



 その数分後。

「すぷーが……すぷーがぐれたのですわ!」
「そうか」
 スープの飛び出す現場をたまたま目撃したらしいイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)が、必死の形相で源 鉄心(みなもと・てっしん)の袖をぐいぐい引っ張っていた。
「そう……アレは言うなればブラックすぷー……いえ、暗黒すぷーですの!」
「……そうか」
 色々とあれやこれや説明をしてはみているが、どれもが要領を得ず、鉄心の反応は至ってフラットだ。しまいには何か闇鍋みたいだな、などと考える始末で、心底どうでも良さそうに話を聞いてると、その態度はきっちり伝わってしまったらしい。
「そういう無関心で冷たい態度が、すぷーを非行に追い込んだのですわー!」
 イコナの怒りは爆発し、その後も「冷血漢」だのなんだのと散々になじられたあと、半ば追い出される形で部屋を出てスープを探しに出た鉄心は、直前に会った気まずそうなティーの顔や、ミニうさティーとミニいこにゃの会話……
『し…知らないうさ……! プリンなんて食べてないうさ!』
『うそにゃ! ぜんぶうさぎが悪いにゃ!』
 ……という寸劇で凡そ事情を悟って、はあ、と小さく溜息を吐き出した。

「仕方ない……特効薬でも買って来るか」


  そしてその更に数分後。
 スープのことは全て鉄心に一任、と押し付けたイコナとティーは、荒野の王 ヴァジラの元へと、出来たばかりのデザート達を運び込んだ所だった。
 スフレにケーキ、プリンと豪華なチョコレートメニューをお茶のセットとともにワゴンに乗せ、入ってきた二人の姿にヴァジラは「また貴様等か」と息を付いたが、その反応ももう慣れたもので、二人は気にすることもなかったし、ヴァジラの方もまた好きにさせると、従者に椅子を用意させるぐらいの気配りは見せるようになっていた。元々、横柄で傲慢な所と同時にそんな部分はあったのだが、今は何となく迎えてくれようとしている意味にも取れて、そんな僅かな変化にイコナとティーの表情を緩ませる。
「それで…最近の様子は、どうですか?」
 従者に任せず、手ずからお茶の用意をしながら、ティーはさりげなくその顔を伺った。以前は寝台から降りて来れないほどだったが、先日の晩餐会には出て来ていたし、こうして今も椅子に座って会話できるぐらいには回復した様子だ。だが、表情は相変わらず伺いづらい相手なので、実際どこまで調子を戻したのかは判らないが、ヴァジラはほんの少し面白がっている様子で「問題ない」と頬杖をついた。
「帝国もいよいよ、厄介者の処分に乗り出すつもりになったようだからな。面白くなってきたところだ」
 皮肉と自嘲が混ざってはいるが、声音は実際楽しげだ。だが、少々聞き捨てならない言葉を聞いた気がして、ティーがそれは、と口を開きかけたがそれを遮るようにヴァジラは「それで」とその指をワゴンへ向けた。
「それは何だ?」
 その問いに、小さく胸を張ったのはイコナだ。
「チョコレートスフレに、チョコレートケーキに、チョコレートプリンですわ。バレンタインデーですから、チョコレートでそろえてみたんですの」
「……バレンタインデー」
 その言葉に、僅かにヴァジラは首を傾げた。その単語そのものは、カンテミール選帝神のティアラ・ティアラがご丁寧に帝都にまで宣伝しに来たため、何となく耳にした記憶はあるのだが、当然余り興味がなかったために記憶に乏しいようだ。それも想定の範囲だとばかり、イコナは「地球って言うか、日本の習慣で製菓メーカーの陰謀らしいですけれど……」と補足しつつ、にこりと微笑んだ。
「チョコレートはおいしいし、別にこういう日があっても良いのですわ?」
 その言葉に、ヴァジラは矢張り良く判らないという顔はしたが、それよりは目の前のチョコレートたちに興味があるのだろう。イコナにとってもチョコ味のお菓子は何度か作ったこともあるので、安心と自信を持って出せるものらしく、皿によそる手つきはうきうきとしている。やがて、傍目には無関心そうにしながらその実好奇心は強いらしいヴァジラのフォークが、ケーキを切って口に運んでいった。固唾を呑んで見守る二人に半ば気圧されながら、ヴァジラは二口、三口と黙々と口に入れると、あっという間に平らげて息をついた。
「いつかのケーキも悪くなかったが……これも、美味い」
 それを嬉しそうに言わないあたりは相変わらずで、美味い以外具体的には口にすることはないが、それでもどれも言葉の通り黙々とフォークが進んでいるあたり、嘘を言っているのでもないようだ。実際、本当にその気がなければ手をつけないようで、だいぶ前に侍従が置いていっていたらしいクッキーは放置されたままだ。
「成る程、確かに……悪くはないかもしれないな」
 こんな日があるのも、と、恐らくバレンタインデーの何を理解したのでもないのだろうが、チョコレートに満足だったのだと理解できるその返答にはイコナは満足げに頬を緩ませたが、放っておくと緩みそうなのでその頬をぱちんとやると、誤魔化すように「全く、鉄心にも見習って欲しいものですわ……」と眉を寄せて難しい顔をしたりなどしていた。その時だ。
「入るよ……って、あれ、元気そうじゃん?」
 ドアが開くのと同時に明るい声がして、ヴァジラはその顔を露骨に顰めた。
 小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)を連れて部屋に入ってきたのは、新皇帝のセルウスだ。
「こんにちは、お邪魔するね」
 美羽とコハクは、どうやらセルウスとヴァジラにチョコレートを届けに来たらしい。二人の存在については余り苛立ちもないヴァジラではあるようだが、セルウス相手には当然その目線も冷たさを増していく。セルウスのほうが全く構う様子もなく自分たちの椅子を用意させて、さっさとイコナたちのチョコパーティに混ざってきたのだから尚更だ。チッとあからさまな舌打ちをしつつも、追い払わないところはまだ進歩なのだろうか。
「……何故余がこんな茶番に付き合わねばならんのだ」
「もー、せっかく訪ねて来てくれたんだから、もっと嬉しそうにしろってば」
 その言葉に、ヴァジラはその口角を上げて皮肉な眼差しでセルウスを睨むように見やった。
「貴様が居なくなれば少しはそのような顔もしようがな」
「まーたそういう事を言う」
 勿論セルウスのほうも、何度か見舞いには来たらしく、渋面にはなったものの慣れたものといった様子だ。
「随分仲良くなったんだね?」
 そんな二人の様子を交互に眺めながら、美羽は若干のからかいも含めてくすりと笑った。
「誰がだ」
「なってないよ」
 その瞬間の二人の反応は同時で、それが更に美羽とコハクの笑みを深めた。だが約一名、ティーだけが笑顔の意味が若干違っているようだが。
「…………」
「腐った目をするのはやめるのですわ」
 イコナが肘でつついたが、その意味を当の二人は全く判っていないようだった。

 そうして、暫くは割合に平和に(?)チョコレートパーティが繰り広げられていたのだが「あ、そうだ」と美羽が口を開いた段で、事件は起こった。
「これ、渡しに来たんだった。はい、ハッピーバレンタイ――……」
 そう言って、美羽がかわいいリボンでラッピングしたチョコを渡そうとした、その瞬間。

「そこまでだ!」

 突然どこからか声が鳴り響いた瞬間。ガッキとそのチョコレート目掛けて、ペルセポネのチョコビームサーベルが突き出された。 攻撃力こそ殆ど失っていても、効果は覿面。折角可愛く仕上がっていたラッピングは、無残なチョコレートにまみれてデロデロとなってしまった。チョコがチョコに包まれるというのも中々にシュールな光景である。
「フハハハ! エリュシオン帝国であるから大丈夫と安心したか? 残念だったな!」
「せっしゃたちのヘイト、しかと受け取るでござるよ!」
 そこには、飛び出していったはずのスープの姿もある。どうやら、ヘイトの光に導かれるようにして合流したようだ。先程までハデスは空京にいた筈で、距離はどうなった、警備はどうした? とツッコミを受けそうであるが、バレンタインデーのみ最強となる精霊かつ、ハデスの援助を受けパワーアップしたぶらっくに不可能はないのだよ!  といことらしい。らしいったららしいのである。
「我等オリュンポスにかかれば、帝国も物の数ではおぶゥブシャァ!」
 口上もそこそこに、そのど頭へと、バーストダッシュにより急接近した美羽の膝がめっこりとめり込んだ。そのまま、着地の足を軸に回転した足が胴に目掛けて繰り出されると、その勢いで白衣が宙を舞い、ペルセポネが唖然とする間に、接近を終えた美羽の腕が、がっちりと倒れたハデスの足を捕らえていた。
「な、ん、て、こ、と、す、る、か、な……ッ!」
 言葉が切れる音と同時に、うつ伏せになった体の、掴んだ足をぐっと自分の脇に挟んでそのまま背中側に腰を落としていく。所謂逆エビ固めである。その名の通り、エビとは逆側に身体が無理矢理反らされていくわけである。その痛みたるやいかばかりか、ご想像するのはあまりお勧めできませんのでやめておいたほうが良いかと思われる。
「ギャアアアアア……!!」
 色々な所がぎっしぎっし嫌な音を立てて鳴り、ハデスの断末魔が宮殿に響き渡ったのだった。合唱。
「………………で?」
 そして、屍のごとくべしゃりと潰れたハデスをペルセポネが連れて逃げる中、取り残されたのはスープ一人である。ぎろり、と愛と殺気の満ちた美羽の視線を受けて、先程までの勢いはどこへやら、あっという間にスープの顔は真っ白になっていた。
「あばばばばばば」
 逃げろ、逃げなければ死ぬ、と本能が言っていたが、足は震えて動こうとしない。
「…………何やってるんだ?」
 そんな中、その空気を払拭したのは鉄心だ。どうやら、暴走したスープを止めるためにプリンを買いにわざわざ帝都まで行って来たらしい。それがありがたいとうか、今は命が助かりそうでありがたいというか、今までのヘイトオーラをきれいさっぱり洗い流して、スープはあっさりと手の平を返して降伏したのだった。
「これで一件落着、かな?」
 その間、コハクは何をしていたかと言うと、セルウスやヴァジラと一緒に、イコナやティーも交えてチョコレートドーナツを仲良く(?)食べていたようだ。何のかんのと一同大変マイペースである。
「美羽、かっこいいー!」
 セルウスに至っては殆ど観客のノリで拍手まで送る始末である。
「解決したみたいでよかったね」
「ふん、くだらん」
 セルウスが言えば、ヴァジラは鼻を鳴らして相変わらずイコナの作ったケーキを頬張っている。そんな光景に今度こそ和やかな空気の中で、美羽がドーナツを口にしながら溜息を吐き出した。
「けど、エリュシオンまで影響が出るとはね……」
「ティアラがすごく広めてったみたいだよ。オケアノスなんかも結構盛り上がってるって言ってた」
 セルウスもドーナツを頬張りながら、思い出すように口にする。確かに地球の文化へのリスペクトのあるカンテミールは影響が強いだろうし、文化交流に余念のないオケアノスが商売っ気の強いこういったイベントを見逃すとも思えない。
「交易の盛んな所だから、広まるのも早いのかな」
 そうコハクは言ったが、どちらかというと商魂のたくましさが広まる原因であろうと思われた。そんな中、はた、と思い出して美羽は「もしかして」と口を開いた。
「他の人達も危ないんじゃ……」
 一番影響の無さそうな帝国、それも宮殿でこの騒ぎである。他に被害が出ていないとも限らない、と、キリアナ達エリュシオンの面々を思い出したが、セルウスのほうは違う意味で首を捻っていた。
「うーん、どっちの意味で危ないんだろう……」


 尚後日、ティーから別れ際、チョコレートと共に手渡されたCDの内容に、ヴァジラがかなり珍しく動揺を見せたらしいというのは、また別の話である。