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春もうららの閑話休題

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第14章


 美しい月夜だった。


「綺麗……」
 綾原 さゆみは呟いた。

 温泉の前に散々雪遊びを楽しんださゆみの身体は冷え切っていた。
 二人で雪だるまを作ったり、雪うさぎや雪像を作ったりして遊んだ。
 誰かが作った変な形の滑り台があったので、それも滑ってみた。
 アデリーヌ・シャントルイユはいい歳して滑り台なんて、と戸惑っていたが、少し強引に誘うと一緒に滑ってくれた。

 それでも、なんだかんだ言って楽しんでいたように見える。

 やはり、恋人といる時の雪は特別なのだ。

「ふぅ……」
 そして今、二人は家族用のかまくら風呂に浸かっていた。
 冷え切った身体を温めるべく、ゆっくりとお湯を楽しむ。

 もちろん、無粋なタオルなど巻くはずもない。わざわざ恋人同士で家族風呂、つまり二人っきりの空間を用意したというのに、そんなもので互いの魅力的な肢体を覆い隠す理由などどこにもなかった。

「ああ……気持ちいい……疲れが取れるぅ〜……」
 思わずさゆみの口からこぼれ出た声が、アデリーヌの耳に静かに響いた。
 外界からの音を遮断してくれるかまくらの中は本当に静かだ。どこからかひらひらと舞う雪もあいまって、二人が立てる音以外は何も聞こえてこない。
 二人のかまくらはウィンターの魔法で、マジックミラーのようになっていた。つまり、内側からは外の景色を楽しむことができるが、逆に外からは一切中を見ることが出来ない。
 それにより素晴らしい解放感と共に安全な露天風呂を楽しめるという、ウィンター渾身の一作であった。

「ふふ……よほど疲れていたのね」
 蕩ける様にゆるむさゆみを眺めて、アデリーヌは微笑を浮かべた。
「だって……ここんとこ本当に忙しかったじゃない……」
 もはや寝言のようにすら聞こえるさゆみのゆるみっぷり。こんな姿も自分の前だからこそ見せられるのだと思えば、暖かい心持ちになるアデリーヌだった。

「……」
 ところで、さゆみもただゆるんでばかりいるわけではない。
 とりあえず湯船に浸りながら、横目でアデリーヌの姿を盗み見ることも忘れない。

 月灯りで照らされた、アデリーヌの白磁器のような白い肌が無防備に晒されている。
 そして、艶やかに輝く黒髪がある種の非日常的な美しさを演出していた。
 もとより整った目鼻立ちも相まって、その美しさはため息が漏れる程のものだった。

「……」
 その一方、アデリーヌとてただのんびりとさゆみのゆるみっぷりを堪能していたわけではない。
 それと同時に、しっかりと恋人の肢体を愛でることを忘れはしない。

 花びらの浮かぶ温泉の中で伸びる、しなやかで健康的な脚。
 所作の端々で目に映る形のいい指先が、今日はやたらと目に付いた。
 普段はツインテールに纏めた髪をお湯に浸ることも気にせずに流したその姿は、よく手入れをされた調度品のように惹きつけられる。


 互いの姿に見惚れるそんな二人の視線がひとつに出会うことは、当然の帰結であった。


「……」
「……」
 なんとなく流れる沈黙。

「……アディ、キスして」
 口火を切ったのはさゆみだった。
 その要求に従って、まるで引力に引き寄せられるように、アデリーヌの唇がさゆみに近づいてゆく。
 その距離はすぐにゼロになり、互いの唇にかすかな感触が届く。

「……ん……」

 軽いバードキスで触れる唇に、幸せな柔らかさが響いた。
 回数を重ねるたびに、二人の距離が縮まっていく。
「ん……あん……」
 触れるだけの口づけから、やがて唇同士が絡み合うように動き、二人の身体が密着していった。
 意識するまでもなく、お互いに引き寄せられていく。恋人同士としては、ごく自然なことだった。

「あん……アディ……んむ……」
 アデリーヌとてただされているばかりではない。さゆみの唇に深く口付けをして、徐々に気分を盛り上げていく。
 身体を引き寄せると、互いの手が背中をまさぐるように動き、心地よい暖かさが広がった。

「あ! ……いぅ……」
 ふと、さゆみの片手が弱いところに触れたのか、アデリーヌの口から少し荒い吐息が漏れた。
「……♪」
 その反応に気を良くしたさゆみが、少しずつポイントをずらしてアデリーヌの弱点を探っていく。
「やぁ……そんな……」
 もとより自分達以外には誰もいない家族風呂の中だ。声を殺すことも忘れ、誰に遠慮することなく二人は絡み合う。

 いつのまにか互いの舌が深く絡み合い、すっかり遠慮を忘れたさゆみはアデリーヌを徐々に追い詰めていく。
「……!!」
 アデリーヌも反撃を試みるが、一度握られたイニシアチブはそうそう覆るものではない。やがて優勢に立つことを諦めたアデリーヌの濡れた唇から、懇願にも似た呟きが漏れた。

「……あ……この、ままじゃ……。ん、一緒に……」

 さゆみは少し身体をずらして、ともすればのぼせそうな互いの身体を温泉から少し引き上げる。


「うん……アディ……ひとつに……」


 さゆみの声がアデリーヌの耳元で囁かれたその時。


 突然、夜空が割れた。


                    ☆


「あにゃあああぁぁぁっ!?」


「なにっ!?」
「えぇっ!?」
 さゆみとアデリーヌの二人が、何が起こったのかを理解するまでに数秒を要した。

 そしてその数秒で、全てが終わった。


 ナン・アルグラードに放り投げられてから色々あって、結果として素晴らしいスピードと威力を蓄えた獣人 山田がさゆみとアデリーヌのかまくらを直撃したのだ。
 防御力については考慮されていなかったかまくらの外側は氷漬けになった猫型ミサイルの侵入をたやすく許し、魔法でコーティングされたかまくらの内側は、辛うじて一度の突貫で威力を殺された山田の衝撃を弾いてしまった。

「あにゃにゃにゃにゃっ!!?」

 その結果として、一度かまくらに侵入した山田は奇跡的な確率でかまくらの内部を乱反射し、洗い場も脱衣所も温泉施設もめちゃくちゃのぐちゃぐちゃに破壊したのだ。
 二人が叫び声を上げる間も与えずに二人のラブラブ空間までを台無しにした山田は、やがて大きく穴の開いたかまくらの上部に一度弾んだ。

 そこで山田が蓄えたエネルギーはほぼ消滅し、あとは自然落下を待つだけと思われた。

 しかし、その下にはようやく事態を理解したさゆみとアデリーヌがいる。
「……!!!」
 恋人との楽しい時間を台無しにされた怒りは大きい。
 まるでバレーボールのように高く弾んだ山田は、なすすべもなく二人の裁きを待つだけとなってしまった。

 不幸なわが身を嘆いてもどうすることもできない。かまくらの上空から真っ直ぐに自分が空けた穴へと落下する山田の気持ちは察するに余りある。


「なに……するのよーーーっ!!!」


 さゆみとアデリーヌの合体ビンタが狙いも正確に山田を捉えた。
「あにゃーっ!!」
 もはや叫び声も空しく、それこそバレーボールのように山田は一直線に飛んでいく。まるで温泉のお湯の上を水切り石のように飛んで行き、かまくらの入口から器用に飛んで出て行った。


「もう……何なのよ一体……台無しじゃないのーっ!!」

 さゆみの叫び声が、すっかり大穴の開いたかまくらから外まで響いていた。


                    ☆


「なぁ、何か騒がしいと思わないか?」
 未来からの使者 フューチャーXは呑気に呟いた。
「……言ってる場合かよっ!!」
 ブレイズ・ブラスは辛うじて応えた。

 場所は男湯。
 両者の決闘は続いていた。
 温泉の中だというのに、二人のタイマンは延々と続いている。

「わっ、こらちょっと危ない、外でやれ外でっ!!」
 と、その二人の間をちょろちょろと動き回るのが、テディ・アルタヴィスタである。
 というのも、ブレイズとフューチャーXが殴り合うたびに発生する衝撃でかまくらが徐々に振動を強めている。そのついでに洗面器や石鹸、誰が持ち込んだのかお風呂用おもちゃなどが次々と飛んでくるのだ。

 もちろん、そんなものをかわせないテディではない。学内でも有数の腕利きである彼にとっては、目をつぶっていても処理できる程度のものだ。

 だが、その場に肉眼で状況を把握できないパートナーがいたとしたらどうだろう。

「? なんか騒がしいけど、何かあったのか?」
 もちろん、それは皆川 陽のことである。
「陽、危ないっ!!」

 フューチャーXの拳がブレイズにヒットし、弾き飛ばされたその巨体が陽を襲う。

「てぇいっ!!」
 それを庇うように立ちはだかったテディにヒット!!
「ぎゃーっ!!」

「え、どうしたテディ?」
 もちろん、陽にだって周囲が騒がしいことは判っている。
 が、なにぶんメガネをかけていない上に、もくもくと立ち昇る湯気で視界を奪われた陽は、飛来する物体までを認識することはできない。

 まぁ、仮に飛来物に当たったとしても、陽本人もそれなりに冒険を経験している身だ。怪我も治すことは比較的容易にできるだろうが、しかしテディにとってはそれとこれとは話が違うのだった。

「でやあっ!!」
「ぬぅっ!!」
 今度はブレイズのパンチがフューチャーXを岩場に叩きつける。
 岩が壊れ、その破片が陽の方向に飛んできた。

「とりゃっ!!」
 当然のように陽を庇ったテディの背中にヒット!!
「ぎゃーっ!!」

 かつて陽を主とした騎士を自認していたテディである。色々あってお互いを対等とした関係となった今となっても、こんなつまらないことで陽に怪我をさせるわけにはいかないのだ。

「つうか決闘なら表でやれっつってんだろ!! もう頭きたぞ!!!」
 テディとてただやられているわけにはいかない。その辺の岩の塊を手にブレイズとフューチャーXを止めようとした時、視界の端に映るものがあった。

「? なんか騒がしいけど、何かあったのか?」
 もう一人のパートナー、ユウ・アルタヴィスタである。
 当然のようにメガネをかけていないユウにも、陽と全く同様の危険が迫っている。

「でりゃあっ!」
 もうこうなっては決闘を止めるどころではない。身体を張って二人を庇い続ける不憫なテディであった。


 願わくは、陽とユウの二人が早くメガネをかけてくれますように――。