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パラミタ・イヤー・ゼロ ~愛音羽編~ 

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パラミタ・イヤー・ゼロ ~愛音羽編~ 
パラミタ・イヤー・ゼロ ~愛音羽編~  パラミタ・イヤー・ゼロ ~愛音羽編~ 

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 八階・血返(ちがえし)の間


 八階にいる敵を見て、愛音羽はまたしても言葉を失った。
 妹の花澤 愛華羽が、わずかな面影を残し蛭のようなドロドロの姿に変えられていたのだ。
 絶句する愛音羽の両隣に、富永 佐那(とみなが・さな)小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が寄り添った。
「ここは、私たちが残ります」
「みんなは先に行って、八紘零をぶっとばしてきてよ!」
 他の契約者へ向けて告げるふたり。
 彼女たちは前回の戦いにおいて、パートナーとともに愛音羽の過去を聞いている。この階を任せるのにふさわしいと判断した他のメンバーは、うねうねと蠢く愛華羽を迂回しつつ、上の階を目指す。

「こんなことをするなんて……。許せないよ」
 愛音羽の過去を知るコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)は優しき心を痛めていた。蛭と同化させられた愛華羽からは、すでに生体反応が失われている。分離に成功したとしても彼女の命を取り戻すことはできないだろう。
 コハクは改めて、八紘零の非道に対して義憤を抱いた。温厚な彼がその感情を表に出すことはないが、心のうちでは怒りの炎がふつふつと燃えている。
(どうか、安らかに眠らせてあげたい……)
 腐り果てたゼリーのような体を這いずる愛華羽に、コハクは深い憐れみの目を向けた。

「蠱毒計画では、蛭の実験体も存在すると聞かされました。あの人は、もう一人の私なのです……」
 ソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)もまた、憐憫をこめて愛華羽を見た。
 彼女は人体に蟲を移植する実験――蠱毒計画の被験者だった。同じような境遇の愛華羽に自分を重ねるソフィア。
 意識を奪われた異形の兵器にあるのは、殺戮の衝動のみだ。そこでは守るべきものさえも破壊の対象になる。
 ソフィアは幸いにして、佐那やエレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)によって救われた。一度失った家族の絆を、取り戻すことができた。
「愛華羽にはお姉さんが居るのです。どうして、殺し合おうとするのですか?」
 人の血を求めて蠢く愛華羽は、救済される前の自分だった。殺戮に身を委ねないで――。ソフィアは訴えを強くする。
「家族は、絶対に失ってはならない宝物なのです!」
 その温もりはかけがえがない。死体の冷たさに慣れてしまったソフィアだからこそ、生きて佐那やエレナに触れられること。ふたりの温かさを感じられることが、なによりも愛しかった。
「今、愛華羽の目に映るのは、本当のお姉さんなのですか? ……違うのです。もう怖がらないでください。お姉さんはあなたの事を、とても心配しているのです。……愛華羽。本当のお姉さんを、見て……!」
 ソフィアの声が届いたのか。愛華羽は煩悶するように、その身をのたうち回らせる。黒い身体の奥に沈んだ少女の面影が、わずかに濃くなったように見えた。
 しかし、浮かび上がる愛華羽の顔は恐怖で歪んでいた。身体を蠕動させてふたたび戦闘態勢をとる。ぬめぬめした上体を起こし、頭部にある大きな口を広げて、ノコギリのような歯をむき出しながら血腥い息を吐く。
 彼女はもう家族の絆を忘れてしまったのだろうか。
 妹の暴力的な態度に、愛音羽は困惑する。
「ど、どうしたんだよアゲハ……。なんで、そんなに怯えているんだ……?」

「愛音羽さんの心中は察するに有り余るものがあります。しかしながら、感傷ばかりではこの局面を打開するのは難しいでしょう。――私に考えがあります」
 熱帯の国・ブラジルで生まれた佐那は、蛭の生態を熟知していた。
 彼女の作戦を聞いたメンバーは同時に頷きあう。
 まず、ソフィアが【темная‐урания】を放つ。炎をまとった鱗翅目――波羅蜜多鳳凰毒蛾の大群は、ソフィアが克服した過去を象徴するように舞い踊った。
 炎の翅粉(しふん)が散らばるなか、更に【パイロキネシス】を次々と放射。続けざま佐那が【風術】を使って燃え広がらせた。
 部屋中が炎上し、極限の乾燥状態となる。
 そこへエレナが『リヴァイアサン』を召喚。氷結効果で瞬く間に鎮火した後、さらに美羽が【ブリザード】、コハクが【アルティマ・トゥーレ】をかけた。
 フロアの気温はマイナス10℃以下にまで急冷却される。
「蛭の弱点は、乾燥と低温――。この二つの極限状態を作り出せば、愛華羽さんの動きを止めることができます」
「いいアイディアだねっ! ……ちょっと肌寒いけど!」
 超ミニスカートの美羽が、再現された冬のなかで思わず身を震わせた。

「確かに愛音羽さんは、少し素直になれない部分があったのかも知れません」佐那が花澤姉妹を交互に見た。「しかし、決して妹のあなたを憎んでいたわけではありません。これだけは紛れもない事実です。でも、それは――これ以上、私の口から言うべき事ではないでしょう」
 そう告げた佐那は、愛音羽のほうを見やった。
 エレナもまた、彼女を後押しする。
「愛音羽さん。妹さんを救ってあげて下さい。――どんなに昏い絶望の中でも、必ず希望の光は差し込みます」
 そしてエレナは奇跡を起こす聖者の姿そのままに、愛音羽の胸へ手を当てた。
「――愛華羽さんの想いは、いつも貴方と共にあります。彼女を、貴方の言葉で解き放ち導くのです」
「で、でもよ……。なんて言ったらいいのか……」
 おろおろする愛音羽に、コハクが近づいて優しく話しかける。
「想いを伝えてあげて。愛音羽の、素直な気持ちを」
「素直な気持ち……」
「愛音羽は僕たちに話してくれたよ。妹のこと、とっても大切にしてるって」
「ああ。アゲハはあたしの大事な家族だからな」
「その想いを、ただ伝えればいいんだよ」
 コハクはそう言って、飾り気のない微笑みを浮かべた。純朴な彼の表情がなによりも物語っている。本心を伝えるのに、余計な装飾はいらないのだと。


「――なあアゲハ。お前が生きているときは、あんま優しくしてやれなくて、ごめんな」
 寒さのなかでおとなしく身を縮める妹に、愛音羽は語りかける。
「だけどさ。あたしはアゲハのことが好きだよ。こんな姿にされても、その気持は変わらねーんだ」
 愛音羽は蛭の姿になった妹を、そっと抱きしめた。
 怯えていた彼女から恐怖が消え去る。今はただ安らかに、その身を家族の温もりへと預けていた。