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月下の無人茶寮

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思い出と、わいわいと(後編)


「あーあこっちのも、聞いてるこちらが暑くなる話で御座いやがりましたね!」
 太壱とセシリアの話を聞いて、暑い暑い、とジーナは、ハリセンを扇代わりに煽いでみせた。
「テイラ様、ウェルナート様、トワイニング様。
 そちらの食事は、何で御座いやがりますでしょうか?」


(……まさか、俺にも料理が出てくるとはな)
 ベルクはやや戸惑いと疑問の入り混じる目で、目の前にある皿を見つめていた。
 出てきた皿の上に載っている料理は、ベルクの記憶にはないものだった。
 ジャガイモや玉ねぎや肉を賽の目に切って炒めた上に目玉焼きを乗せたもの――『ピッティパンナ』という料理だ。
 ベルクとしては、この施設に今夜やって来たのは、施設とそこに働く魔法の術の仕組みがどんなものなのか、解析できるものなら知りたかったからだった。
 それ以前にまず、来客の記憶から引き出されるという料理が、自分の分も出て来たのが何より意外だった。
 ベルクには記憶の欠落がある。
 フレンディスによって封印を解かれた彼には、その何者かによって封印される以前の対人記憶がない。
 何もかも忘れているというわけではない。覚えていることはあるが、それに関わった人間のことを思い出そうとすると、途端に輪郭がぼやけて曖昧になり、分からなくなる。

(少なくとも目覚めて以来、食った覚えが無い料理だが……)
 何度記憶を探っても、それらしきものは浮かばない。

 ――その横で。
(ふむ。やはり此れであったか……)
 レティシアは、目の前に出てきた『ビフストロガノフ』を見て、表情を変えはしなかったが納得したように頷いていた。
 大好物で、今は亡き家族が作ってくれた得意料理――もう食べられない味、だ。
(……この味。精巧に再現されておる。思い出の料理、か……なるほどな)
 一口食べて、口の中に広がる味わいに充足したように再び、一人頷く。と、顔を上げ、
「ところでベルクよ。
 早く食わぬなら、我がお主を斬り棄てた後に貰い受けるぞ?」
 いきなり物騒な言葉を突きつけられ、ベルクは鼻白む。
 しかし、やはり応戦したところで無駄なことだと分かっているので、素直に料理に手を伸ばすことにした。

 彼女の自分に対する理不尽で攻撃的な言動は普段からのもので、ベルクはすでに慣れている。
 しかし、自分の欠落した記憶のことを思う時、彼女をそれに絡めて考えると、何とも言えない感覚があるのだった。
 ベルクは、自分の記憶の欠落が、何者かによる精神操作系の術を施された結果だと推測していた。
 一方でレティシアは、最初からベルクが何者であるかを認識したうえで、敵意を隠さない態度を取っているので、自分が失った「自分」に関して何か知っているのではないかと睨んでいた。
 しかしそれを彼女から聞き出すことは不可能であろう。
 また、推察通り記憶の欠落が他者の術によるものであるならば、解除するにも術者が判明しない限りどうしようもない。
 自身で術解除を施す行為は、自我精神崩壊のリスクが高いと認識している。
 結果、
(思い出した所で過去は過去)
 というスタンスを取っていた。
 フレンディスとの関係を含めて今を満喫しており、日常生活にも支障がない。
 なので、敢えて探ろうという気はなかった。

 しかし、この料理を食して、
(……記憶はないのに、何だか懐かしい……)
 そう感じた時にはさすがに、探る探らないは別として、失われた記憶に思いを馳せずにはいられなかった。
(俺は作り方を知ってるのは確かだ。
 つーても、何時何処でっつーのは解らねぇけどな)

 料理は、そもそも誰でも最初は、誰かが作ってくれたものを口にするものだろう。
 対人の記憶がない以上、これを誰が作ってくれたのか、思い出すすべがない。
 ベルクは、自分の皿を黙々と平らげるレティシアを見た。
 どこか、出てきた料理の傾向が似ている気がする。


「何を見ている。やらぬぞ」
 例によってレティシアの、冷たい言葉が飛んでくる。
「……あの、さ」
 いつもならここで黙って引っ込むところだが、
(まぁ、ダメもとで試しに)
 思い切って、訊ねてみることにした。
 ――自分の記憶の事ではなくて。
「何用だ。ようやく我の剣の錆となる覚悟が固まったか」
「…………じゃなくて。その料理、あの、どんな思い出があるのかな、っとかちょっと、聞いてもいいもんだったら」
 緒方家の面々がその話で盛り上がっているのを横目に見、試みに話題を出して……はみたのだが。
「冥土の土産にしたいのなら聞かせてやってもよいが」
 その言葉と語調に、敢えてチャレンジを選んだ自分の愚を悟り、ベルクは退散した。



「はあぁっ! 此は、もしやあの日の“こんびに”肉まんではありませぬか!?」
 フレンディスの頓狂な声が響き渡り、ベルクの中の緊張感を強制解除する。
 確かに彼女の前の皿の上には『肉まん』と『ピザまん』が重なり合って載っている。
 幼き日に、黙って里を抜け出した際に、空腹と好奇心で立ち寄ったコンビニで買って食べた物だった。
 人生初の一人で買物&異国(?)食であり、確かにその時味わった、世の中をよく知らない子供の「初めての冒険」のわくわく感を思い出せる。
 けれど。
「……えぇと……皆様方は一体、いかような思い出料理なのでしょう?」
 様々な料理の皿が並ぶ中、丸々した中華饅頭がでん、でんと飾り気なく乗っかった自分の皿の地味さシンプルさが何となく気恥ずかしい。
 しかし、他の人たちの皿の内容が気になるらしくきょろきょろしているのだった。
「おぉっ、霊峰のようなくりーむそーだでありますねっ。えぇと、セシリアさんのお皿は……?」
「あー、せしるんのはお相伴は駄目だぜ、2人の愛の証だかんな」
「ああああ愛でございますかっ」
「……フレイ、ちょっと落ち着け」
「あっ、マスター! マスターのこのお皿はどんな料理なのでしょう?(興味津々)」



 フレンディスに話しかけられてベルクの注意が完全にそちらに移ったのを、目の端で確認しながら、レティシアは黙々と食事を続けた。
 ベルクが食べた料理の味付けも、レティシアには分かっている。
 それは自分が食べているビフストロガノフ同様、亡き妹アリシアの手によるものであるはずだ。
 封印前のベルクにとって、術の師匠であり、育ての母であり、恋人的存在でもあった人物。
 呪術の病に蝕まれ、死亡する前に、彼の幸せを願い、最期の術で彼の記憶を抹消し、封印した張本人。

 忘れ去られることで永遠の愛情を示した人。

 彼女の遺志が破られることを恐れ、封印を解かれたベルクの傍で、レティシアは、彼が記憶を取り戻したりすることがないか、密かに危惧しつつ見守っている。
 亡き妹の忘れ形見であり、自分にとっても『愚弟』である彼を。


 どうやら、ピッティパンナに懐かしさを覚えつつも、記憶に変調はなかったようだ、とレティシアは安堵した。
 しかし。
 彼に過去を取り戻すような刺激が与えられることに危惧を抱く一方で、妹が残した愛情の欠片が、彼の意識の届かぬ深淵に残っているらしいことを、レティシアは、不快には思えなかった。
 矛盾しているかも知れない、と、覚えず己に微苦笑しつつ。
 妹の味を食し終わり、レティシアは心の中で手を合わせる。妹の笑顔を思い出しながら。
(相変わらずの愚弟だが、少なくとも過去に囚われて未来を前に足踏みするような腑抜けにはなっていないぞ……アリシアよ)


(――俺に無い記憶情報引き出した原理も謎だが、昔の俺には懐かしい料理らしいな。
 ま、今は情報を得られただけでよしとしようか)
 結局、ベルクはそういう結論に至った。
「肉まん美味しいのです! ほかほかなのですっ」
 真ん中で割ると湯気が建つのですほらマスター! と見せながら、幸せそうにほふっとかぶりつき頬張るフレンディスの笑顔に、心がほぐれる。
 思い出そうが出せまいが、過去は戻らない。
 それでも未来を見てるいていくことで、思い出はいくらでも作ることができる。
 
 今度フレンディスに料理を振る舞おうか。そうすることで、それが優しい幸せな思い出へと昇華するように。
 フレンディスを見つめながら、ベルクはそんなことを目論んでいた。