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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放

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【過去からの結末――繋がる悲しみ その因果】



「…………ッ!!」

 一日目。
 帝国魔導研究所湾岸治療院の一室。

 弾かれるようにして瞼を開き、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は見知らぬ天井に目を瞬かせた。
 遺跡で邪龍と戦った後、長丁場を戦い抜いたこともあって、自体の終了が訪れた途端、緊張の糸と共に意識が途絶え、この治療院まで運ばれてきたのだ。既に危ないところは超えてはいたものの、感知しない身体は痛み、痛み止めや抜けない疲労のおかげで、頭に霞がかかったようにはっきりしない。
 そんな中で、当然のように浮かんできたのは、恋人のことだ。
 彼女は別件中で、今回の調査団とは同行していない。彼女はどうしているのだろうか、と、セレンフィリティの意識はパートナーへの思いと心配で一杯になってきた。
 自分よりしっかりものの彼女のことだ。心配することは無いと思いたかったが、思いのほか長くなってしまった今回の件のせいで、随分寂しい思いをさせているのではないか、という不安。恋人の欲目だけでなく、魅力的な女性である彼女が、その寂しさの余りに自分では無い誰かを一時でも求めてやいまいか。
 ただの勝手な妄想ではあったが、一人でベッドに横たわっていると、そんな不安が際限なく押し寄せてくる。寂しいのは自分の方だ、と気付かないまま、あれこれと思いをぐるぐると巡らせていた――その時だ。
 「それ」は突然、意識に滑り込んできた。

 それは、絶望という言葉ですら優しく響くような。
 虚無や暗闇よりも尚、暗く深く冷たいものをもたらす感情――それは喪失だ。
 アンリリューズは全てを終えたと実感した瞬間、どっと襲ってきたその感覚にぎゅうっと身体を抱きしめた。だが、どれだけそうしても、何が慰められるわけでもない。形を失ってしまったその身体を、心を、抱きしめてくれ相手はもういない。喪ってしまったものは取り戻すことは出来ないと、戦士である自分は知っていた。愛する人の子供を失った時に、痛いほどそれを味わったというのに、繰り返された悲劇。
 守れなかった、奪われた、失った――……
 何一つも手に残らずに終わったその虚しさがを埋めるものは何もなく、しがみつくように魂が残っていたのも、ただただ無念が形をとっていただけのようなものだ。都市が全てを留めようとしたから、留まってしまっただけに過ぎなかった。
 故に、残された無念が、邪龍という存在への復讐が叶った今、それらの全てに飲み込まれるようにして、アンリリューズの魂は悲しみのままにその輪郭を失ったのだった。

 その――消滅の瞬間を感じ取って、気がつけばセレンフィリティの瞳からは涙が零れ落ちていた。
 愛しい人、何より大切だったものを失って訪れた、彼女の「絶対の喪失」。
 胸を苦しくさせるその思いが、報われぬまま終わってしまって事が悲しかった。無念を晴らしても、目的を叶えても、彼女の心は最初からもうからっぽで、涙すら流しつくした、悲しみとすら呼べないものしか残されていなかったことが、辛かった。
 自分のものでは無いのに、まるで自分のことのように押し寄せてくる激情に、セレンフィリティは思わず自分の体を抱きしめると、先ほどまで抱いていた不安とは全く違う、身を切るような切望に、恋人の名を呼んだのだった。

「……逢いたい……はやく、逢いたい……」






 消え入りそうなか細い声が漏らされていたのと同じ頃。
 別の一室では、違った意味で冷たい空気が流れていた。

「お引き取り下さい」

 ドアの外まで聞こえた、鋭い声に、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)は顔を見合わせた。クローディス・ルレンシア(くろーでぃす・るれんしあ)の病室の中から聞こえたのは彼女のパートナーであるツライッツ・ディクス(つらいっつ・でぃくす)のものだろうが、それにしても珍しい強い声が、室内の来訪者に向けて続く。
「今、クローディスさんは眠ったばかりなんです。遠慮してください」
 その言葉に、ルカルカとダリルはもう一度顔を見合わせると、どうやら間が悪かったらしいと肩を竦めると、踵を返したのだった。


 二人が通り過ぎて行った後、その室内では氏無 春臣が困った顔でツライッツに向き合っていた。
「もう……限界です。これ以上何をさせるつもりなんですか?」
 その言葉に、氏無は一瞬眉を寄せつつ、眠るクローディスの顔を眺めて溜め息のように吐き出した。
「今回は不測の事態だった。でも……これから先に起こりえる事態への備えは、彼女にしか頼めない性質のものだ。機密の問題で関係者を増やすわけには行かないし、危険もある。ボクにはお願いする他無いし……」
 一度言い淀みながらも、氏無は普段よりずっと固い声で続ける。
「決めるのは彼女だよ」
「クローディスさんが断らないのを知っていて、その言い方をするのは卑怯です」
 切り返された言葉に容赦はなく、氏無の顔が軽く歪む。
「そうだね……ごめんよ」
 謝罪にも、心苦しげな様子も嘘はなく、けれども撤回をするつもりもない様子に、ツライッツは息を吐き出して僅かに表情を緩めた。
「……あなたには、ひとかたならぬ恩があります。立場も事情も理解しているつもりですし、信頼はしています。が、俺は彼女の機晶姫ですから」
 彼女の害になることは、否定しなければならないと立場を明らかにするツライッツに、氏無は心なしか眩しげに目を細めると「判っているよ」 と頷いた。
「何があっても、キミの主人は無事に返す。それだけは……約束する」
 その言葉に、ツライッツは頷くしかなく、氏無は深々と頭を下げて部屋を後にしたのだった。

 そうして、氏無が言いたいことだけ言って去って行った後、残されたツライッツは、ベッドに横たわった自らのパートナーを見下ろした。味気ないベッド、繋がれた医療機器。危険な遺跡ばかり選ぶかのようにして仕事をしてきたため、今までにも何度か目にした光景だ。だが、身体でなく魂が喪われようとするなどということは想定外で、ツライッツはまだ契約したばかりの頃の、少女だった頃のクローディスを思い出していた。
 脚を、腕を、家族を、未来を。全てを喪い尽くした少女が、何を望んで手を伸ばし、契約者の道を選んだのか、生きたいと言ったのか、今もツライッツは本当の所は理解できないでいる。だから、アジエスタがクローディスを選んだ理由も、邪龍の残した呪いの言葉の意味も判らない。
 後悔ばかりがぐるぐると回って、機械らしくないと自嘲しながらも、不安はじりじりとその意識を削る。今回は助かった。けれどこの先に保障があるわけではないことが、今更ながらに足元を危うくさせる。
「…………俺は、どうしたら」
 こんな時にどうしていいのか、判らない自分の役立たずぶりに、どこかが軋むような感覚がある。呟いたツライッツは、戦いのどさくさで壊れていた端末を縋るような心地で見やった。恋人に帰ると伝えた日を過ぎたまま、連絡の出来なくなってから暫く経つ。頼りたい気持ちと、頼ってはいけないと思う気持ちがせめぎあう中で、無意識のうちに伸ばした手が、端末をぎゅうと握り締めた。




 そしてまた、同じ頃。
 シリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)の病室には、少々賑やかな光景が広がっていた。

「別に大怪我したわけでもないのに、オレがなんで治療院送りなんだよ!?」
「そこでボクに怒鳴られてもねぇ」
 シリウスが声を荒げるのに、サビク・オルタナティヴ(さびく・おるたなてぃぶ)は肩を竦めたが、納得いかない様子でベッドに腰掛けて、憤慨露に顔を膨らませて、シリウスは文句を続ける。
「そりゃ、最初はちょっと調子悪かったけど……ありゃ過去との共振のせいだし、クローディスほど酷くもないぞ?」
 少なくとも、身体に影響が出るほどの侵食もなければ、害意や悪意が襲ってきたわけでもない。思いの奔流の強さと情報量に、咄嗟に体がついていかなかったというだけのことだ。
「だってのに、魔導師やら医者やらよってたかって「精密な調査が必要だ」だの、「安静にしていろ」だの喧しいったら……」
 ぶつぶつと続けるその様子に、サビクはこっそり首をかしげた。
(帝国の医者がヤブって可能性は否定しないけど)
 ひっきりなしに襲っていた頭痛らしきものも、今は無いようだし、夢をみることもなくなったためか、確かにあの時のような可笑しさは見受けられないし、普段となんら変わりが無いように見える。戦闘時に負った怪我も順調に回復しているし、別に安静にしているべき理由を感じないが、魔道研究所としての側面もあるこの治療院の導師が「精密な検査が必要」だと判断した理由には、その出自からエリュシオンに対してまだ完全な信用を持たないサビクにしても、引っ掛かりを感じなくも無い。
 だが思案しているサビクと裏腹に、シリウスの方は「時間もないってのに」とぶつくさと呟きを続けながら憤然と着替えを済ませると、相棒を振り返ってにっと不敵に笑った。
「こうなったら脱走だ! いくぜ、サビク!」
 その言葉はおおよそ予想通りだったのか、はあ、とサビクは軽いため息は漏らしたが、諦めたように自身も椅子から腰を上げた。
「まぁ、そこまで元気なら大丈夫かな」
 そう言うと、サビクはシリウスを抱え上げ、そのまま監視の目が無いところを見計らって飛び出し、他の退院患者たちに紛れて逃げていくシリウスを見送ったのだった。

 その後、医者たちを誤魔化すために部屋に戻ったサビクが、シリウスの診断結果を目にして、その新しい能力の目覚めの兆しに衝撃を受けることになるのだが、それはまた別の話だ。