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【蒼空に架ける橋】幕間 願いは星降る夜に

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【蒼空に架ける橋】幕間 願いは星降る夜に

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●天燈づくり教室


 外はすっかり真っ暗だったが、まだ夜としては浅い時刻。弐ノ島太守の屋敷は煌々としたあかりに包まれていた。
 そのなかで最も明るく盛況なのは裏庭に面した奥の広間だろう。そこでは今、野外パーティーの最後に天燈(あまつひ)流しがあると聞いて、参加したいと表明した地上人たちのために急きょサク・ヤが先生となって用意された『天燈づくり教室』が開かれようとしていた。
 古風なロウソク製シャンデリアの照る下にまるで工作実習室を思わせるような等間隔に並べた机があり、約20人ほどの生徒がそれぞれ数人のグループに分かれてついていた。各机の中央には横一列に、すでに材料の竹と紙束、耐水性カラーペン、クレヨン、短冊、ノリ、油を入れるための皿などが用意されており、上座の机には成功例である、高さ40センチほどの円筒型の紙細工が乗っている。
 それらを前に、各人の様子はさまざまだ。ある者は、うまく作れるかどうかとはたからも分かるほど緊張をまとい、またある者は手に取るのが待ちきれないといった様子でわくわくしながら材料を見つめている。
 彼らを見渡して、弐ノ島太守の娘サク・ヤは元気づけるように――あるいは、気持ちは分かると言うように――にっこり笑った。
「皆さん、お待たせしました。それでは天燈をつくっていきましょう」


「まず、机に用意してあります長方形の紙に願い事を書いてください。文字でも絵でもかまいません。紙の色もお好きな色をご使用ください」
 というサク・ヤの言葉に、待ってましたとばかりに手が一斉に紙とペンに伸びる。
「どれにする? 深優」
 クコ・赤嶺(くこ・あかみね)は、どれも大人用椅子のためにサイズが合わず――残念ながらこの屋敷には子ども用椅子がなかった――父親の赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)のひざに座っている赤嶺 深優(あかみね・みゆ)のため、紙束を立てて全色見せながら訊く。
「んーと……」母の言葉に深優は少し考えこんだあと「それ!」と真ん中の1枚を指さした。
「これね。はい」
 紙を渡したクコは、次にクレヨンを渡そうとする。こちらは白・青・緑・赤の4種類しかない紙と違って36色と豊富なため、少し考えたあと、箱ごと深優が手にとりやすい場所に置くことにした。
「何を描くか決めましたか?」
 黒いクレヨンを握った深優に、後ろから霜月が優しく問う。深優は肩越しに振り返って父親を見上げると、にっこり笑って
「ひみつー」
 と答えた。
 ふんふん鼻歌を歌いながら、上機嫌で思い切りよく線を引き始める。しかしすぐ父親の視線に気づいて、がっちり両腕で隠した。
「みちゃだめっ」
 そしてふと、何か思いついたような顔でクコと霜月を交互に見る。
「なに?」
「どうかしましたか?」
「おとーさんとおかーさんは、かかないの?」
 素朴な質問に、クコと霜月は互いを見て、同時にほほ笑む。
「いいのよ。お母さんたちの願い事はすべて叶ったから、これ以上願うことはないの」
 自身の命より大切と思える相手と巡りあい、その人からも同じ愛を返されて、結ばれて。家庭を持ち、愛しい子どもも得られ、家族ができた。命を賭けるに値する、信頼する仲間もいる。これ以上の幸福はあるだろうか? 十分すぎて、もはや願うことはなかった。
 もしあるとすれば、この愛するわが子にも、同じように生きて、見つけてほしいということ。でもそればかりは深優次第だから……。
 じっと見つめてくる父母に、深優は「ふーん」と分かったような分からないような返事をすると、くるっと机に向き直って、中断していた絵を描き始めた。
 以後、クレヨンの色を変えるとき以外はずっと手を休めず一心不乱に描く姿に、何を描いているのかクコはやっぱり好奇心を捨てきれず、なんとか覗けないかうろうろする。そんな母の気配に深優も気づき「だめっ!」と再度叱られてしまった。そのやりとりに、霜月はこらえきれずくすくすと笑う。そんな霜月に肩を竦めて見せると、クコは木枠づくりの方にとりかかることにしたのだった。
「できたー!」
 やがて、深優は満面の笑顔を起こして叫ぶ。そのきらきらした笑顔を見れば、自信作ができたのは間違いない。隠そうとしていたのも忘れて背筋を伸ばし、自分の絵を見下ろしている深優の脇から、そっと霜月は紙を覗き込む。
 そこに描かれていたのは、家を背景に立つ霜月やクコ、深優自身、そしてパートナーたちらしい人物絵だった。
 幼い子どもの描いた絵によくあるように人物の区別はつきづらいが、特徴をよく捉えていて、どれがだれだか霜月たちにはひと目で分かる。
「よかったわね。じゃあそれを貼ってあげるから、深優は短冊を書きなさい」
「うんっ」
 クコと霜月が天燈を仕上げるそばで、深優は短冊に大きな文字で書く。
  『おとーさん、おかーさんみたいな、だれかを助けるヒーローになりたい』
 そしてそれを見て、満足げに息を吸い込み「うん」とうなずいた。


 となりのテーブルでは、及川 翠(おいかわ・みどり)がせっせせっせと木枠を組んで、ハケでぺたぺたノリをつけ、紙を貼っている。
「……翠、本当に分かってるの?」
 懐疑的な声で見つめるミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)に、及川 翠(おいかわ・みどり)は元気よく
「うんっ!」
 と満面の笑顔で答える。
 自信満々である。
 紙を貼る手に迷いはなく、ピシッと貼っていて、その思い切りの良さがプラスに作用してか、木枠のところでシワになったりよれたりすることもなく貼れている。しるし合わせもピッタリだ。
 翠もその美しさに満足そうに持ち上げて、シャンデリアの光に透かし見る。
「できたのー」
 しかしミリアの頭のなかの疑問符は消えず、どちらかというとますます濃さを増していた。
 そして完成した天燈を横に下ろして、次の天燈づくりにとりかかる翠に、「いやいや、ちょっと待ってっ」とあわててストップをかける。
「翠、これ、まっさらじゃない。何か書かないの?」
 円筒型に紐で結ぶ手を止めて、きょとんとミリアを見上げる。
「書く?」
「だから、絵を描いたりとか、文字を書いたりとか。とにかく何か願い事をするの!
 あなた、やっぱり分かってな――」
「あ〜、本当、きれいにできてますねぇ〜」
 ミリアが言い終わるのを待たないどころか自分の言葉で掻き消すように、スノゥ・ホワイトノート(すのぅ・ほわいとのーと)が間に入って声を上げた。
 さっき出来上がったばかりの天燈に顔を近づけて、にっこり笑う。
「翠ちゃんは器用なのですねぇ〜。上手なのですぅ〜」
「……えへへっ」
 褒められて、翠はうれしそうにほおを染めると、また手を動かし始めた。組んだ木枠に紙を合わせ、サイズの微調整で端の方をハサミで切ると、目立たないところにしるしを入れて、ノリをつけ、また紙を貼る。
「できたのー」
「だからぁ」
 これは絶対理解してない。材料があるだけつくる気だ。
 ミリアが止めようとしたとき、後ろからサク・ヤが声をかけた。
「ほかの方の分もつくってくださるんですか。ありがとうございます」
「え?」
「パーティーの準備で天燈づくりまで手が回らない人や遠方から参加される方のために、完成品を屋台で配ることになっているんです。それは今ス・セリが村の女性たちと別室でやっているんですが、前もって用意していた物ではないですから、数に不安があって……。
 作成していただけると助かります。翠さんはきれいにつくられていますし」
「そうですか」
 それなら話は別だ。
 くるっと向き直り、翠のとなりへ座る。
「じゃんっじゃんつくるわよ、翠! 私も手伝うわ!
 あ、でも、ちゃんと本当の天燈流しのことも知ってもらうわよ? 伝統行事に参加するからには、きちんと理解しておかなくちゃ」
「 ? でんとうぎょーじ?」
 答えたのは反対側に腰かけたスノゥだった。
「イベントってことですぅ〜。翠ちゃん、天燈にはですねぇ〜、お願いすることを書くんですよぉ。浮遊島に昔から伝わってるイベントで、雲海を越えて飛べば、その願い事は叶うって言い伝えられてるんだそうですぅ〜」
「えー。じゃあもしかしたら、シャンバラから見えるの? 向こうにも届くの?」
「届くかもしれませんねぇ〜」
「ふわーっ。この天燈さんが、シャンバラに〜?」
「届くように、気持ちを込めてつくりましょうね〜」
「うんっ!」
 もしかしたら、シャンバラにいる友達が空を見上げたときに目に入ったりして、見つけてくれるかもしれない。もしかしたら、シャンバラに舞い降りるかも。
 そんなことを空想して、輝いた表情で翠は元気よく答える。
「がんばるのー!」
 楽しそうな3人の様子をほほ笑んで見守る。
 お誘いして、本当によかった。そんなことを思いながら、邪魔をしないよう、そっとその場をあとにしたサク・ヤが次に向かったのは、一番目立たない、左奥の机の角席に座ったティアン・メイ(てぃあん・めい)の元だった。
 互いの天燈を品評したり、願い事を知って冷やかしたり。和気あいあいとした声が飛びかう広間で、1人黙々と天燈をつくっている。
 天燈の組み立ては単純作業だ。
 別行動しているパートナーの玄秀のことを思い、どこかぼんやりと心ここにあらずといった表情で、ティアンは機械的に手を動かして木枠に紙を貼りつけていく。
「どうですか? できました?」
 突然そんな言葉が後ろから聞こえてきて、はっと我に返り振り向くと、サク・ヤだった。
「あ、はい」
 ティアンは椅子の上で少し身をずらし、サク・ヤに見えるようにした。組み立てられた天燈は、あとはノリの乾燥を待つだけの状態になっている。
「とてもお上手なんですね。これならきっと高く飛ぶでしょう」
「……その後、お父さまはどうですか?」
 訊いてもいいものか、ためらいがちに口にしたティアンに、サク・ヤはにこっとほほ笑む。
「はい。おかげさまでとても順調に回復しています。意識ははっきりしているし、食欲も増えて、2時間くらいなら1人で椅子に腰かけていられるようになったんですよ。すべてあなたや高月さんのおかげです。本当にありがとうございます」
 心からそう思っているのだというように、深々と頭を下げた。
「そうですか。お父さま、お元気になられて良かったですね。――私は、早くに父を亡くしているので……」
 ティアンの言葉に「まあ」とサク・ヤが同情を示したとき。
 後ろの方でガチャン! と何か固い物が床に落ちる音がした。バラバラとこぼれる音からして、ペン立てが転がったのではないだろうか。続くように「ボクは最初っからこんな所、来る気なんかなかったんだ!」という叫び声がした。
 何かトラブルが発生したらしい。
「あ……」
「どうぞ、行ってあげてください」
「すみません」
 短い逡巡の後、サク・ヤは申し訳なさそうに謝ると、人が集まっているそちらへ向けて去って行く。それを見送って、ティアンは天燈が乾くまでの間、油を燃やすための短冊を用いたこよりづくりにとりかかったのだった。