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続・夢幻図書館のお仕事

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第3章 書と語る


 空中庭園。
 古びた敷石の上に、巨大な円、そしてその中に複雑な紋様のようなものが描かれていた。
 心なしか、その中からは何か、香りの強い草を燻したような、独特な匂いが微かに立っていた。

「『蟲』が嫌がる匂いだよ。秘密のハーブの一種なんだ」
 ゼンは事もなげに言う。
 結界の力と共にこの匂いで蟲を燻り出すのだという。
 書庫から運び込まれてきた書物は、その縁の中に運び込まれた簀子のような台の上に並べられる。ある程度時間を置いて、異常がないと分かると円の外に運び出される。あとは順次書庫に返していけばいいのだが、
「虫干ししてるついでに、蔵書の整理や本の回復もしておこうと思うんだけど、どうかな」
 千返 かつみ(ちがえ・かつみ)が、司書室からこちらを見にやってきたクラヴァートにそう切り出した。
 以前かつみとパートナーたちはこの図書館で、蔵書を整理したり傷みの酷いものを回復させたり、目録を作って分類したりしている。その続きを、ということであった。エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)も隣りで頷いて言葉を添える。
「まだ整理の終わっていない分も、目録を作って分類しておけば、戻す時に役に立つだろうから」
 結界で異常なしと分かった書物を、書棚に戻す前に一旦その傍らにでも場所を設けて整理して目録を纏め、それから書庫に帰す。という風にしたい。そう話す2人に、クラヴァートは頷いた。
「そうですね、お願いしてよろしいでしょうか」
「もちろん」
 そして、エドゥアルトは結界での燻り出しを済ませた書物の山の方へ向かい、かつみはクラヴァートから借りた台車を持って、新たな書物を運んでくるべく書庫の方へと向かった。


 イルミンスールのはぐれ魔道書達もまた、虫干し会場(?)で立ち働いていた。
「こうも異常がないとちょっと張り合いがないかも」
 「ヴァニ」こと画集『ヴァニタスの世界』が、結界の中でも何の変わりもない書物たちを見て呟く。
「不謹慎なことを言うな、ヴァニ」
 ちくりと釘を刺したのは、生真面目な性格の「ネミ」こと『森の祭祀録 ネミ』
「そうよー、沢山の本が無事だってのははいいことじゃないのー」
 異常なしと判断された書物の山を抱えて結界の内から運び出しながら、「キカミ」こと『奇木紙見本 草子』が乗っかる。少女の細腕でびっくりする程の量を抱えているが、何時もの通り腰に巻き付いている彼女の魔力の具現化・蔦の「つーたん」が、後ろから嵩高く積まれた書物が崩れないよう支えている。
「リシ……どうしたの?」
 結界の脇で、一冊のぼろぼろの書物を見ている「リシ」ことリシ著『劫の断章』に、「お嬢」こと極意書『太虚論』が声をかける。
「この本だけどね……挿絵がおかしいんじゃないかな」
 兵法書らしく、陣営の図が描かれた頁だった。その陣営の並びが、何だか人の顔に見える……
「!」
 薄気味悪さに、ちょっと後ずさったお嬢は、下がった拍子に何かにぶつかった。
「あっ……ごめんなさい」
「いや、」
 お嬢が背中をぶつけた相手はアルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)だった。彼もまた、大判の事典らしき書を積んで腕に抱えて虫干し会場へと運びこんでいるところだった。
 そしてアルツールとしては、話したいことがあって、はぐれ魔道書達の中からお嬢を捜してもいたのでちょうどよかったのだが、
「……なるほど、これは注意した方がよさそうだな」
 取り敢えず、リシが開いて見せている書物の方に、急いで何とかするべき問題がありそうだったのでそちらに目を向けた。
 リシは気付いていなかったが、挿絵脇の添え書きの文体もちぐはぐである。アルツールがそのことを指摘すると、リシはハッと気づいたように本を見て、むむ、と小さく唸った。
「やっぱり、変だね、この本」
「そうだな。彼らを呼んで確認した方がいいだろう」
 蟲の扱いについてよく分かっているのは、この場を指揮する双子の魔道書だという。蟲には危険な力があるらしいので、万が一を思ってアルツールは本を閉じるようリシに指示し、その間に声をかけて双子を呼んだ。
 すぐにゼンが、少し遅れてコウが駆けつける。
 両方とも子供の姿なので、お嬢とリシも含め、いきおいアルツールの周りは子供だらけという風景になる。
「あっ、これは……まずいね」
 一目見て何か感じたらしく、ゼンはすぐにその書をリシから取り上げるように自分の手に持ち、眉を顰めた。
「強力な蟲だということか?」
 アルツールが訊くと、ゼンは首を振り、
「力そのものは大したことないと思うけど……人の意識が引き込まれてから長い時間立ってるみたい。
 意識が書物と大分一体化してて、蟲はその後ろに隠れてるから……引き剥がすの時間かかりそ〜」
 困った、という表情だが、深刻な困りようというよりは『面倒だな〜』とぼやいている風情だ。
「兄ちゃん、これ」
 コウがそっと、小さな巾着袋を差し出す。それを受け取ったゼンは頷き、
「みんなちょっと離れて」
 その言葉でコウも少し彼から離れ、アルツールとお嬢とリシは彼の離れ具合に倣って適当に距離を置いた。
 巾着袋に手を突っ込み、ゼンは何やら粉状のものをその手に握り締めたらしかった。そして、手品師のような鮮やかな手つきで、ぱらぱらとページを高速でめくりながら、その間に一気に粉をばら撒いた。ページの捲れる風で粉は舞い上がったがゼンは気にしない。本が背表紙まで粉まみれになったところで、ゼンは本をやたらぐりぐりとこねまわすように両手で弄んだかと思うと、背表紙を両手でつかんで一度、ぶんっ! と大きく振った。

「!」
「きゃあっ!」

 本の間から、ぼろん、と黒い影が飛び出して床に転がり落ちた。
 リシとお嬢は声を上げて飛びのいた。それは、話に聞いていたよりずっと大きいものだった。正直、お嬢の背の半分くらいはありそうだった。
 ハッとしたように身を乗り出した双子より早く、アルツールはさっと2人の魔道書を背後に庇うと、
「ウェンディゴ!」
 と、『召喚獣:ウェンディゴ』を呼び出した。現れたウェンディゴは、すぐに氷結攻撃を大きな蟲に対して放った。蟲は敏捷だが、大きなウェンディゴの攻撃範囲は広く、逃れられなかった。
 凍結した瞬間、蟲は突然に、小さくなっていた。掌に乗るくらいの大きさに。
 そして、蟲を直撃した瞬間、その冷気に押し出されるようにして、蟲から飛び出した何かがあった。それは精気のような気配で、吹き飛ばされながら人の形を取った。中年男性のようなそれは、驚いたような表情できょろきょろと周りを見たが、地に足を付ける前にふっと姿をかき消した。
「解放されたみたいだね。よかったー」
 ゼンがほうっと息を吐いて呟いた。それからウェンディゴを見て、
「まさか、氷結の衝撃で分離するとはねぇ」
「蟲が人の意識と一体化していたのか?」
「一体化というか、本から剥がされないようにあの人の意識にしがみついてたんだ。一瞬大きく見えたのは、そのせいだよ。
 体を大きくして、ぎゅうっと踏ん張ってたんだこいつ」
 アルツールの問いにゼンはそう答えた。それから、手の中の本を見て、少ししおらしい声を出した。
「ごめんなさいおじいさん、ちょっと乱暴なことしちゃって」
「……しょうがないのう……」
 本が答える。少しくたびれたような声だ。仕方がない、蟲に取り憑かれ人の意識を吸い込んで、丸一昼夜以上は経過していたと思うから疲れ切っているんだ、というゼンの説明を脇から聞いて、
「じゃあ、私が回復させるよ」
 やってきたエドゥアルトがその年季の入った兵法書を引き取り、検査済みの本の置き場に持っていきながら【命のうねり】をかけた。
 凍りついた蟲は敷石の上に転がり、アルツールの後ろからお嬢が怖々それを覗いている。
「ウェンディゴ、始末してくれ」
 その蟲を指しながらアルツールが言うと、ウェンディゴは拳を振り上げたが、「あっ、駄目」といきなりゼンが割って入った。
「こいつ、捕まえてコレクションにするんだ」
 どこかウキウキとゼンが言うと、その後ろからコウが小さなガラス瓶を持って現れ、小さなトングのようなもので凍りついた蟲をひょいっと拾い上げると、瓶の中に放り込んだ。
 その引っ込み思案なおどおどした表情の中に、ほんの少し嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
 蟲に詳しく、また「本の虫」採集が好きでもある、魔道書兄弟なのだった。



「蟲が本から出てきた時の為に虫取り網とかご持ってきました!」
 意気揚々と(?)それらをかざす千返 ナオ(ちがえ・なお)に、かつみは思わず横を向いて綻びかけた口元を隠した。まるっきり昆虫採集の少年、といった風情だが、ここは図書館なのだ。そのミスマッチがちょっとおかしかった。
 書庫から空中庭園に運んできた書物を、ノーン・ノート(のーん・のーと)も入れて3人で、結界に運んで並べる。特に様子がおかしな本を見つけたら優先で対処しようと、決めてはいるが、その他にも注意は必要だ。蟲に憑かれた書物に自覚症状はないというのだから。
 そして、問題がないと判断された分は、書庫に返す前に目録作りの方に回す。
「ノーンも念のため気をつけとけよ。
 外見がノートの姿なんだから、本と間違えられて蟲にとりつかれるかもしれないぞ」
 かつみは笑いながら、運んでいる本の中身をこっそり覗いている(本読むのは虫干しが終わってからだぞ! とかつみにしっかり釘を刺されているのに)ノーンに声をかける。ギクッとして慌てて振り返ったノーンは、
「……ははは、まさか」
 ややひきつった笑みを浮かべた。
「いくら私が一見本の姿をしてるからって……
 ……ははは」
 しかし、空になった台車を押しながらかつみが向こうの方へ行ってしまうと、
「ははははは〜
 …………ナオ、その網ちょっと貸しといてくれ」



「君に言っておかなくてはいけないと思っていたことがあったんだ」
 アルツールは、先程の一件で蟲に竦みあがってしまったらしいお嬢を安心させるためにも、【ディテクトエビル】を施してその効果を説明してやった後、そう切り出した。
「言っておかなくては……?」
「そうだ。以前、君と初めて会った時に、君が私に訊いてきたことだ。その答えをまだ言っていない」
 そして、身をかがめてお嬢と真っ直ぐ向き合った。
「覚えているかい?」
 アルツールの視線を受け、お嬢はしばし黙った後、こくっと頷いた。
 ――初めて会った時、お嬢は人間に怯え、己の白紙の頁の裏に姿を隠そうとする書だった。それは、彼女に書かれた主旨である『太虚』という概念を伝えていたのが「白紙」であり、白紙によって伝えようとしたその極意を理解できない人間が、腹を立てて彼女を破るなど邪険な扱いをしたからだ。一言の言葉もないそのやり方で伝えようとした、その極意。
 それでも私の白紙の中から、読める人には太虚が読み取れる。傷つけられても彼女は、その信念だけは抱きしめていた。

 タイキョが、分かる?

 それが、彼女――極意書『太虚論』からのアルツールへの問いだった。
(太虚を真に理解できる人なら、私を破らないから)


「太虚の理論は、完全に理解はできないが、概念としては面白いと思う。
 白紙以上にその実像を伝える文言はない、という理屈も納得はできる。
 ……だが、これは秘奥の類で、君の不幸は物事の表面しか見る事のできなかった、作者から見た場合の未熟者の手に渡った事だ。
 本来ならば、君を見て己の力で悟ることができる、そんな人物の手に渡るべきだった。
 口で言うは易いが、君に『書かれた』真理に至ることのできる人物は本当に極少数だろうな」
 アルツールは話し、お嬢は耳を傾ける。静かに、気迫はなくとも、全身全霊をかけて耳を傾けている。
「……だが長い人生――だと思うのだが、君はね――いつか、私の様な凡才じゃない君を理解できる賢者が、きっと現れるさ」
 アルツールが口を閉ざした時、お嬢は大きく目を瞠って真剣な表情で彼を見ていた。
 伝えておかなくては、と思っていたことを伝え終えて、アルツールはようやく少し表情を崩した。
「さて、無駄話はこれくらいにして――虫干しを頑張るとしようか」
 そう言って体を起こしたアルツールに、それでもまだしばらく黙っていたお嬢だったが。
「っ……あのっ」
「ん?」
「……。ありがとう」
「……」
「考えて、答えてくれて、ありがとう」
 ――提示された「白紙の頁」を前に、十二分に考えて考え抜くということをしなかった人間が、その“真理を記した”白紙を乱暴に破った。
 だから、きちんと考えて言葉を貰えたことが、もうすでにそれだけで嬉しかったのだ。

 大したことではないさ、とアルツールはやや苦笑に似た表情を浮かべ、行こうと促すように彼女の方に手を差し伸べた。