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始まりの日に

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始まりの日に
始まりの日に 始まりの日に

リアクション

 皆それぞれ挨拶を終え、昼食や歓談と昼のパーティーは間もなく終わる時間だ。
 大分緊張が解れたらしいオフホワイトのタキシードの背中に手を置いて、ハインリヒが何かを合図した。
「ツライッツ、そろそろじゃなかったかな?」
「そうですね」
 その言葉の意味にツライッツが気付いて、二人が動き始めた時、「なーご両人」と声が掛けられる。
 それは衛だったのだが、ハインリヒとツライッツは彼と面識が無い為、揃って笑顔を浮かべて次の言葉を待った。
「どーも、新谷衛です……パイ喰わねぇか?」
「パイ? 要りません」
 ハインリヒに真っ直ぐに即答されて、衛はずこっとコケるようなアクションをする。衛の言葉の意図は『パイ投げをしないか』というものだったのだ。『ガーデンパーティーだし、お祝いに』と考えたようだが、生憎ハインリヒとツライッツの知る結婚式に、そのイベントは無かった。
「そうじゃなくてこれをこう……!」
 衛が振りかぶって投げたパイだったが、宙を飛んで着地したのはハインリヒの掌だ。
「もしかしてパイ投げですか?」
 真白いクリームが乗ったパイを見つめ、ハインリヒが言ったを聞いて、ツライッツは首を傾げている。彼はパイ投げ自体知らなかったらしい。
 お客様が恥をかかないように「ハインツ」と小さな声をかけた。
「それはその……パイを投げてキャッチする、パフォーマンス……なんですか?」」
 そこでやり取りが込み入りそうになってきたのを見つけたアレクが、三人の間に入った。
「衛お前、此処の客のクリーニング代出せるのか?」
 アレクの指摘にテーブルの周囲に居る客を見てみれば、皆それぞれドレスアップしてきているのが改めて分かった。
 皆服の一着くらい汚したところで笑ってくれそうな人物ばかりだが、事前にパイ投げをすると連絡をしていないのだから、そうなった場合責任をとるのは発案者の衛だ。
「仮に……お前の投げたパイが」アレクはツライッツを示し続ける。
「あの白い生地に擦りでもしたとしよう。パラミタに戻る頃にはこの腕は無くなってるな」
 そう言って、衛が今さっきパイを投げたばかりの腕をぱんっと叩く。予想だにしなかった展開に衛が固まっていると、パイ投げの意味を知ったらしいツライッツが柔らかい笑みを向けて来る。
「盛り上げようとしてくださったのは大変嬉しいのですが、皆様の替えのお召し物を用意していませんので……すいません、お気持ちだけ頂きます」
 さて。仮にアレクの言う事が正しかった場合――服に当てただけで腕が飛ぶのなら――あの優しげな笑顔に当ててしまうような展開の瞬間、黒い軍服に身を包んだ煌めくように美しい顔がどう歪んでどんな制裁が下るのか。
 ハインリヒがにこっと笑った瞬間に野生のカンに似た何かで危険を悟った衛は、先程のアレクの言っている事がジョークではないと理解して、そのままお茶を濁すように後ろへ下がった。


 衛が理解を示してくれたと思い、ハインリヒはまた話を元に戻そうとツライッツへ向き直る。
「さあ君は準備に。手伝いはいる? フランツィスカを呼んで来た方が良いかな?」
「はい、よろしくお願いします」
「分かった、それじゃあ――」
 と、此処でハインリヒの手がツライッツから離れた。式が始まり、互いに隣に立った時からはワンセットだったから、これが数時間振りの別離のタイミングである。
 それを狙い、見計らっていた人物が、ここで高らかに名乗りを上げながら登場した。
「フハハハ!
 我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクター・ハデス(どくたー・はです)
 ククク、ハインリヒよ!
 お前の花嫁(?)は、我らオリュンポスがいただいていくぞっ!」
「花嫁?」
 一瞬自分のことだと理解したようなしなかったような、微妙な間が、ツライッツに隙を作った。その間で、正装をの上に着込んだ白衣を翻し、それを合図に彼の配下達がざっと集合する。
「そうです! ミリツァさんの言うように、婚姻関係よりも血のつながりの方が強固なのです!」
 咲耶もそんなハデスに付き従い、フォーマルなドレスを翻す。高らかに言い上げたのは、先ほど盛り上がっていた話題の一つらしい。皆が僅かに首を傾げる中で咲耶は続ける。
「よって、私も兄さんの世界征服に協力することに決めました!」
 何故そうなった、と方々から心の声が聞こえてきそうだが、本人はいたって真面目かつ深刻な“あなたのためなら死ねる”状態である。どうやら更生させるよりも、研究を一刻も早く完成させる方を選んだようだ。
「というわけで、ご命令を、兄さん……いえ、ドクターハデス様!」
「我が部下達よ!ツライッツを誘拐するのだ!
 なぜなら……花嫁の誘拐こそ、悪の秘密結社の使命だからだっ!」
 その命令を合図に、全身黒タイツという戦闘員正装な特選隊達が、咲耶と共にツライッツに襲い掛かった。相手が女性であることや、正装を汚しては、という妙な律儀さを発揮して動きの鈍るツライッツはあっさりその手の内である。戦闘員の腕がその腕を取り、軽く捻り上げたが、痛みが無いあたり『花嫁』として気を使われているらしいのを感じてツライッツの表情は複雑そうだ。
 契約者達の何人かは顔色を変えたが、意外にも参列者達、特にハインリヒの親族サイドの方は驚いて見せてはいるものの、どこか大げさで、それどころか楽しんでいる節がある。
 というのも、ハインリヒの一族の系譜であるドイツの一部地方の式では、新郎の友人達が花嫁を誘拐するパフォーマンスが存在するためだ。当然、アレクたちも「大変だー」と棒読み全開で慌てふためいて見せているが、ハデスの方も残念ながらそれに気付くというより調子を上げていくタイプである。
「ククク、アレクよ。
 パラミアンで『アレクサンダル四世を触手の餌食にした』時の映像をこの場で公開されたくなければ、おとなしくしているのだな!」
 勿論ハッタリである。ぴくりとアレクが僅かに反応を示したが、それより早く、ハデスはくるりと新郎――これは二人居る新郎の内、より『新郎』らしい一人だ――の方を向いた。
「そして、ハインツよ。『ハインツとキスしてしまった』ときの事を、ツライッツに話されたくなければ、お前も黙って見ていることだ」
 ハインリヒにしか聞こえないように、彼なりに気を使って(?)小声で言ったが、残念ながら、聴覚、というより集音機能は人間より優れた機晶姫ツライッツである。当然その一言は、その耳がしっかりと捉えていた。
 かつてのツライッツであれば「そうなんですか」で流しただろう。あるいは女性であれば「スキンシップ」とでも理解しただろう。が、ハデスにとっては不幸にも、ツライッツの情緒は「愛情」を理解するまでに到ったばかりなのだ。
「………………キス」
 瞬間、ツライッツからぽつりと漏らされた声に、一同が硬直した。ツライッツの表情は、普段通りの笑みの形をしている。だがこの状況では寧ろそれが恐ろしい。
「……一体、どういった理由か存じ上げませんが……したんですね?」
 気のせいか妙に機械的な音なその声音に、流石にハデスも顔色を変えた。ハインリヒより前に、踏んだら不味いほうの地雷を先に踏んだようだ。
「待て落ち着け、先ずは一旦事情の説明をさせ……」
「…………」
 にっこり。と、笑った擬音が聞こえてきそうな笑みの、目が赤く光を点す。あ、とその意味を知っている者が呟いた時には遅かった。
 細身であり、控えめなタイプであるため忘れられがちであるが、ツライッツは機晶姫と言う兵器である。それが自身のリミッターを切ってその出力をフル活用しているのだ。自分を捕らえていた戦闘員の腕を取って逆に捻り上げると、可哀想になるような悲鳴が響いた。
「うわあ……」
 ツライッツを助けようとしていた一同は完全に出遅れて、上げた手を何時降ろそうかと非常に気まずい心地でいる中、ツライッツの契約相手であるクローディス・ルレンシア(くろーでぃす・るれんしあ)だけが妙にしみじみとしていた。
「……あいつが嫉妬かぁ……本当に人間らしくなったなぁ」
 それは確かに彼女からすれば微笑ましくなるところもあろうが、状況は全くの真逆だ。戦闘員の悲鳴を聞ききながら、ベルクがばっと動いてハインリヒを見るが、彼は彼の方で明後日の方向だった。歪んだ唇がぶつぶつと早口で何かを言ったのに、ベルクが何かを言う前にアレクが口を開いた。
「今のは『キスぐらいでリミッター解除しちゃうなんて僕のツライッツは本当にお茶目で可愛らしい兎ちゃん』と――」
「訳さんでいいッ!!」
「ツライッツ、自力で何とかしそうだな」
「Da」
「ってクローディスもアレクも何言ってんだ! そりゃそうかもしれねえけど、ツライッツは今日の主役なんだから……」
「だが、あれに手が出せるか?」
 ディミトリアスのツッコミに、ベルクは詰まった。彼の周囲は既に、アブソリュート・ゼロでも発動しそうな零下の空気に満ちている。
「ぺ、ペルセポネよ! 不甲斐無い者どもに代わってツライッツを確保するのだ!」
「了解しました、ハデス先生!」
 応じて飛び出したのはペルセポネ・エレウシス(ぺるせぽね・えれうしす)だ。先ほどのハデスの口上で、花嫁誘拐がすっかり使命だと思い込んだらしい。やる気満々のペルセポネは、高らかに手を掲げた。
「機晶変身っ!」
 瞬間、身を包んでいたドレスは光の粒子となって消えて、そこにいつものパワードスーツが装着……されてはいなかった。魔法世界での戦いの一件で、もふもふにされてしまったままのパワードスーツなのだ。
「……! も、もふもふ……!」
 勿論すぐにそれに反応を示したのは、その「もふもふ化」の犯人であるミリアだ。もふもふ姿に目を輝かせると、もふらねばならないという使命感に突き動かされるようにして、ミリアはペルセポネにガッと抱きついたのだ。突然のことに反応の遅れたペルセポネに「もふもふ〜」と抱きついてミリアは思うまま絶妙なもふもふ加減を味わう。予想外に身動きを封じられたペルセポネは「はわわっ!」と慌てた。
「これじゃ戦えません〜。と、とにかく、変身の解除を……」
 少なくともスーツさえなければミリアの拘束は解けるはず、と。変身を解除したのだが、それは悪手だった。なんとなれば、そのスーツの下は当然……。
「き、きゃああ、わ、忘れてましたぁあ……っ!」
 何も着てないというのがお約束である。柔らかそうで、女性らしい丸みを供えた少女の裸体が露になる。慌てて前を押さえて、ペルセポネが叫んだが、次の瞬間。そうなることを半ば予測していたツライッツは、余興などでよく見かけるそれ――テーブルクロスを、ワイングラスの一本、飲み物の一滴もこぼさず器用に引き抜いて、そのままの流れでふわりとペルセポネの体を包み込んだ。
「寒いですから、直ぐに暖かいものを着たほうが良いですよ」
 そう言ってにこりと微笑むツライッツの顔からは、先程までの冷たさは少し薄れている。同じ機晶姫として、何がしか同情するところがあったのかもしれない。涙目になりながら駆け出したペルセポネに、再び冷気を纏い始めたツライッツを敵に回すのは不味いと察してか、ハデスたちの背中は既に遠かった。去り際に「覚えていろ!」と捨て台詞を残すのは忘れていなかったが。ちなみに、ツライッツが振りかぶって投げられた足元の石が、遠ざかるハデスの頭に綺麗にヒットしていたのはまた別の話である。
「……………………さて」
 数秒の間を空けて、ツライッツはやはり、いつもの様な――だが、ほんの少し「すっきりした」と顔に書いてある――笑みで、一同へ「それでは」と振り返った。
「ブーケ・トスに移りましょうか」
 その一言に逆らおうとする者は、とりあえずその場には誰も居ないようだった。




 そうして――……
 フランツィスカの手伝いを受けて準備を整えたようで、花の香りを纏いながら、ツライッツが戻ってきた。
 柔らかな色に纏められたブーケは、その大人しそうな容姿に映えているが、先の彼の冷気を垣間見た後では、何となくそのことを口には出し辛い男子数名の焦点のぼやけた感嘆の声が漏れる。恐れ気なくきゃあきゃあと華やかに声を上げているのは女性と子供ぐらいのものだ。
 ともあれ、そんなわけで、ブーケ・トスである。
 ハインリヒの親族や姪子達、ジーナやミリアたち未婚の女性たちが、幾らか場の流れといった様子で前へ出た中で、ユピリアだけはその目が狩人のように真剣だった。(ちなみに、本気と書いてマジと読むタイプのである)
 何しろ、ジゼル達の時はチャンスを逃してしまって、本当に悔しい思いをしたのだ。今度こそは、とかける情熱は並々ならぬものである。一緒に参加しているティエンは、早々に敵前逃亡を決め「万が一受け取ってもユピリアおねえちゃんに渡そう」と別の意味で強い決意にぐっと拳を握る。渡さなかったらどんな怖いことが待っているか、余り想像したくない、とその顔には書いてある。
 一方で、やたらと異様な雰囲気を醸しているのはハーティオンである。それはもう、色々な意味で浮いていたが、彼は彼でとても真剣な思い出ブーケトスに臨んでいるのだ。
 と言うのも、遡ること数十秒前のこと。
「ブーケ・トスの意味? キャッチした女性が次に結婚するもの、と認識しているが……」
 首を傾げたハーティオンに、ラブはちっちと指を振った。
「それは男女の場合よ。男の人同士で結婚した時に意味が変わるってのは知らないでしょ〜!」
「そうなのか?」
 あっさりと信じて首を傾げたハーティオンに、ラブがにんまりという笑顔吹き込んだのはこうだ。「男性同士が結婚する場合は『ブーケが大地につくと幸せに土がつく』という意味になる」……ハーティオンはそれを素直に信じ込んで「むむむ……それはいかん!」と唸ったかと思うと、ぐっと拳を握り締めて闘志を燃やし始めた。
「彼らの友人としてブーケをしっかりとキャッチせねば! 蒼空戦士ハーティオン! 参る!」
 そんな熱い思いの入り乱れる、戦闘開始前のような張りつめた空気の中。
 ツライッツはすうはあと軽く呼吸を整えると、抱えていたブーケを宙へ舞わせた。ただし。花が崩れないように気を使ってはみたらしいが、妙な気合いと緊張に力加減をどうやら見誤ったらしく、頭一つ以上飛び抜けているはずのハーティオンの上まで飛び越して、ブーケは冷たい空に舞う。
「……む、いかん!」
 ハーティオンが慌てて身を翻して、頭上を通り過ぎたブーケを追って手を伸ばすが、それより早く飛び込む影一つ。ゴッドスピードで駆け出し、競技選手の如きハイジャンプを決めたユピリアが、胸に抱え込むようにブーケを受け止めると素晴らしい着地と共に、ブーケを高らかに掲げた。
「貰ったわ!」
 その、やり遂げた、と言わんばかりのきらきらとした笑みに、寸でで取り損ねたハーティオンも、ある意味目的を果たせたので、ジーナやティエンと共に拍手を贈る。思いっきり笑ってやろうと思っていたラブだけがちょっとばかり惜しいと顔が言っていたが。
 ともあれ、こうしてブーケ争奪戦勝者はユピリアに決定した。その光景に、ツライッツは率直な喜びに微笑んで小さく拍手を贈った。何しろ、彼女がいなければこうして二人、結婚に漕ぎ着けていたか怪しいのだ。ユピリアに強い恩義を感じていた彼が(勿論狙って投じた訳ではないが)幾らか贔屓目に見るのも仕方がないだろう。
 唇が音無く「ありがとうございます」と形作ったのに、気付いたかどうかは当人のみの知る所である。