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始まりの日に

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始まりの日に
始まりの日に 始まりの日に

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 笑い声が途切れない会場の隅で、コンラートとカイのもとへフランツィスカが戻って来る。
「皆寝たわよ」
 皆とは彼等の子供達の事だ。使用人と年長の子の手を借りても10人以上をひとまとめに扱うのは骨が折れたらしく、流石の彼女もどっと疲れたように席につく。
「子供が居なくなった後は私も飲もうかしらね!」
 きょろきょろとウェイターを探して声を掛けようとすると、代わりにグラスを取って渡してくれる紳士が居た。
「まあ、ありがとうハスミさん」
 名前をしっかり覚えられて居た事に若干驚きつつ、羽純はフランツィスカに連れられるようにカイとコンラートの前に顔を出す。丁度舞花も挨拶にきていたところだった。
 まずは祝いの言葉から、そして話しは少し時間を遡った話題に代わった。
「――あの時は、色々申し訳無かった」
「私達こそ申し訳なかったよ」
「それにフランツィスカとルカスを助けてくれた事には、この上なく感謝してるんだ」
 カイが心からと言うよう笑みをみせた。
「あんな出会いになってしまったが、これからは弟共々友人として仲良くしてくれると嬉しい」
 一風変わった初対面の出来事は笑い話と水に流して、近況などを話し出す。
 舞花は兄姉がローゼマリーの事を気にしているかも知れないと気を遣うつもりでいたが、彼等は大人だった為、そのような心配をする必要もなく上手に話をリードしてくれた。
「そういえば羽純、君の可憐な奥様は?」
 カイに話を振られ、羽純は把握していた場所を振り返った。
「アレク達のところだ」
「じゃあオレ挨拶行かない」
 ぷいっと拗ねた様子のカイに、コンラートが溜め息をつく。彼等はハインリヒと同じようにジゼルを妹として迎え入れた。愛らしい妹が出来た事をカイも手放しで喜んだというのに、そのジゼルの夫だとしても、アレクに笑顔を向ける事は難しいのだ。
「アレクは生意気だ」
「アレクは良い子よ。生意気というのならハインツの方が生意気だわ」
「ルカスはいいの! あれはそう…………天使なんだよ! 名前の通りキラキラ輝いて、星のように気高く、美しい……
 オレの作品の中でも最高の値がついたのは彼がモデルなんだ!」
「『放蕩息子の微睡み』でしょ。あんな酔っぱらって朝帰りしたハインツのだらし無い姿を横から描いた下品な作品どうでもいいわ。
 ね、皆」
 次兄の話をさらっと流して、フランツィスカは友人達へ向き直った。舞花もノーンも羽純も苦笑するしか無く、兎に角次の話題へ移る。 
「ジゼルとフレンディスと随分泣いていたな。アレクも泣くなら、その瞬間を撮影出来ないものか……」
 羽純が悪戯心を覗かせたのに、カイは機嫌を取り直してポケットから端末を取り出した。
「羽純、一緒に――」
「カイ、アレクをからかおうとするのはもう諦めなさい。
 お前は彼が小さな子供だった頃にも一切勝てた試しがなかったじゃないか」
「そういうの日本語でダサイって言うのよ」
 兄と妹に釘を刺されて、カイが上げかけた尻をまた椅子に戻したのに、舞花からくすくすと笑い声が漏れる。


「ハーティオン、ブーケ取れなくて残念だったな」
 アレクが無表情のままハーティオンの背を叩く。掌を包む手袋が濡れていないのは、真が用意していた真新しいものを貸してくれたからだ。
 式の時にジゼルが泣いている事に気付いていたカガチや縁も心配していてくれたようで、彼等を会った時に同時に手袋とハンカチとティッシュが差し出されたのだ。
「アレクさんも泣きそうだったんだって?」
 聞いたのは託だ。アレクがハインリヒに「俺も泣くかと思った」と吐いた冗談を小耳に挟んだらしい。
「今泣いてもいいよ? あ、もしかしてもう泣いたのかなぁ」
「そんな事ない、全く無い」
 断言するアレクの顔をじっと見て、託は眉を上げる。
 言い方はあれだが、あながちからかうつもりだけでもなかったのだ。
 普通に泣いても良い場で、泣いても良い間柄なのだと思ったからだ。
(もしかしたらここにいる誰よりも思うところはあるだろうしねぇ)
「いいと思うよ、本当に泣いても」
「俺さ、子供の頃ハインツと俺は同じだと思ってたんだよ」
 突然昔話が始まったのに、皆は驚きながらも彼の話しを聞いている。
「ハインツの名前って正式にはハインリヒ・ルカス・ユリアン・アレクサンダーって言うんだ。
 ハインリヒはお爺様がつけた名前、ルカスはカイがつけた。
 ユリアンはハインツのお爺様の名前。アレキサンダーは俺と同じ、俺の祖父から取ってる。
 顔は昔から似てないけど名前が同じだし、性格も行動もどこか似てたからかな。理由は良く分からないけど……良く分からないからそう思ってたのかもな」
 言葉を一度途切れさせて、アレクは続ける。
「今でもどうしても自分と同じだと……、そういう甘えがあったから、突き放しても平気だと思ってたし。
 ハインツだから大丈夫だって思って何もしなかったんだ。予兆には気付いてた癖に」
 丁度兄タロウが空京大学を襲った頃、ハインリヒが青い顔で卒倒した件を、アレクは注意するに留めていたのだ。あの時自分がもっと真剣に向き合っていれば、一連の事件の発端を見逃さずに居られたのではとアレクは考えている。
「……皆が助けてくれなかったら、ハインツは此処に居ないんだよな」
 ふっと息を吐いて、アレクは俯いている。やっぱり泣いたのかと託が顔を覗き込むと、アレクは反対に顔を上げた。どこか照れたような顔だ。 
「泣かないよ。泣かないけど、本当に嬉しいんだ。ハインツが幸せで居てくれるのが」
「良かったの。ハインツが、ツライッツと一緒に幸せで、アレクも幸せで私も幸せ」
 話の途中からだばだばと盛大に涙を流していたジゼルが、最早語彙まで決壊したように言う。アレクが幼い子でもあやすように抱き寄せると、幾らか落ち着くのを待って、ベルテハイトが口を開いた。
「ジゼル嬢、あまり泣き続けていると折角の兄君の結婚式がぼやけた景色になってしまう。
 さあ甘い物でも食べて、一息ついたら一曲頼めないかな。
 いつもは愛しい弟のために演奏をするのだが、今日はジゼル嬢の兄君とその伴侶を祝福するために来たんだ。
 是非一緒に祝福の音色を贈りたい」
「うん。でももうちょっと待って……」
「ああ、涙で枯れた声が元通りになる迄待っていよう」
「そうじゃなくて……、うぇへ」
 ジゼルの声は、同じ歌う者のラブの耳にも分かる通りすっかり元通りになっていた。
 では何を待って欲しいのかというと、
「貴重な軍服の正装……うぇへへへへ」と言う事らしい。皆が笑顔のまま「は?」と時を止めるのに、ジゼルはアレクにむぎゅっとくっついたままぐるりと顔だけ皆へ振り返った。いつになく真剣な表情だ。
「だって翠とサリアが寝る迄くっつけなかったんだもん! 今この軍服はジゼルさんだけの物うぇへへへへ」 
 夫に甘える妻と言えば聞こえが良いが、蓋を開けてみるとセイレーンの美貌を忘れさせる程強烈な性癖に皆が閉口する中、ジゼルの怪しい笑い声だけが一角に響いている。
「……ジゼル、俺結構良い事言ってたんだよ?」
「うん、飾緒が髪にひっかかるよぅうえへへへ」
「割とこう……良い場面だったよ?」
「はう、勲章が、目に眩しい!」
「君、夫の話聞く気ないね」
「ああ! 黒良い! 黒い生地に金のボタン、溜まらないのぉッ!」
 感動は台無しだった。