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【DarkAge】エデンの贄

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【DarkAge】エデンの贄
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リアクション


●Wanderers (3)

 囚人が集められた監房でも、エデン内で騒ぎが発生していることはすぐに理解できた。
「レジスタンスか……!?」
 いち早くグラキエス・エンドロアは身を起こした。
「体の具合はいいのか」
 同房のゴルガイス・アラバンディットも、すでに目を覚ましている。まだ未明ではあるが、いつでもこうした状況に対応できるよう、英気を養ってきた。
「体調か。悪くない」
 答えるグラキエスの声には生気がある。偽りではないだろう。
 エデンでの収監生活は彼にとって、逆説的だが静養になったのである。普通の人間であれば、尋問を受け、常に処刑の怖れのあるこの場所で体が休まるはずもないのだが、グラキエスにとっては逃亡生活と暴走の不安がつきまとうこれまでの生活よりはずっとましだったというわけだ。
「今なら、鉄格子くらい曲げて出ることができそうだ」
 などと無邪気にグラキエスは言う。彼はおそらく、エデンの生活を楽しんでいるほぼ唯一の囚人だろう。
「能力制御プレートをつけた状態で、か? やめとけ」
 ゴルガイスは止めたが、グラキエスはなかばふざけて鉄格子に手をかけた。
 そして力を込める……なんと、鉄格子が曲がった!
「なんだと!」
 驚いた拍子にゴルガイスの首枷が外れた。能力制御プレートが落ちたのだ。
「そう。もうプレートに悩まされる必要はありません。鍵もピッキングで開けてさしあげてもいいのですけど……その腕力なら自力で出られますね」
 檻の外から声がする。そこにいたのは、風森望だ。
 望の隣にはノート・シュヴェルトライテもいた。
「色々ありまして、現在レジスタンスがこちらに突入しているようですわ。わたくしたちはレジスタンスとは違いますけれど……便乗して潜入させていただいたといった次第で」
「アーデルハイト様がどこにいるかご存じではありませんか?」
 望が問うも、グラキエスは首を振った。
「……いや、悪いが」
「そうですか……。私たちは捜索を続けるので行きます。力があり余っているのであれば、ひと暴れして時間稼ぎ……いえ、混乱を引き起こしていただけると助かるのですが」
 軽く告げて、彼女たちは他の囚人の解放へ向かった。去り際、望が、
「すぐ捕まられては、元も子もないですからね」
 と呟くように言っていたのは、どういう意味なのか。

 同様に風森望によって解放されると、
「山葉さん……!」
 セリオス・ヒューレーはいち早く山葉涼司の監房を目指した。
 残念ながらクローラ・テレスコピウムの房はわからない。そもそも、尋問のために彼が連れて行かれてからまったく姿を見ていないのだ。しかしパートナーロストの障害はまだ発生していないので、クローラが生きているという自信はあった。便りのないのはよい便り、ということになろうか。
 一方でセリオスは、山葉涼司と接近することに成功していた。彼の房ならば知っている。ルカルカからのテレパシーはエデンでは通じが悪く、彼女からの通信をセリオスはほぼ聞くだけの状態ではあったものの、その内容は逐一、涼司にだけは空かしてきた。
 エデン陥落の日は近い、そう伝えてきた。
 ――今日が『その日』だ!
 胸が熱くなる。今日まで耐えに耐え、忍ぶに忍んできた日々がついに終わるのだ。山葉涼司が帰還すれば、レジスタンス側の意気は一気に上昇するに違いない。
 まだ戻ってきた実感はないものの、スキルも使用可能な状態だ。涼司がまだ囚われているのであれば救い出してみせよう。
 強制労働と栄養不足がたたり、セリオスの足取りは決して軽やかではなかった。それでも精一杯の速さで彼は、山葉涼司の房に到達していた。
「山葉さん! ここにいた!」
 牢獄まで行く必要はなかった。無人の廊下に一人、山葉涼司は立ちつくしていた。
 その顔は濃い髭に覆われ頭は蓬髪、目は暗く澱んでいるが、それでも彼はセリオスに気がついたようだ。
「さあ脱出しよう、山葉さん。その日が来たんだ!」
「そうか、ご苦労」
 妙な口調であり、やけに生気に満ちた言葉だったが、それを不審に思うより先に、セリオスは左胸にダガーナイフの冷たい感触を味わっていた。ずぶりと突き刺さった音も聞いた。
 つづく痛みは……訪れなかった。
 即死だったからだ。
 セリオスからダガーを引き抜いた少女は、その刃を死体の服で拭った。
 ほの明るいだけの灯火しかなかったが、彼女のつける黄金の仮面は鈍い輝きを放っている。仮面の下には、赤みを帯びた両眼が宿っていた。そこに立っていた山葉涼司はもういない。姿を変えてしまっている。
「さて……」
 と、ダガーを構え直してクランジκ(カッパ)は言った。
「契約者とパートナーは呼び合うという……そういうことか」
 彼女の眼前には、クローラ・テレスコピウムの姿があった。
 まだ信じられない、といった顔で、クローラは立ちつくしている。今見たものが、κの足元に転がっている死体が。
「う……あ……」
 言葉が洩れそうになる口を、必死で左手で押さえた。
 クローラは軍人だ。
 軍人はいつでも、死に直面するものである。死に、ショックを受けてはならない。
 それがたとえ肉親のように親しいパートナーの死であれ、例外ではない!
 ――泣くのは、後だ!
 クローラは軍隊式格闘術の構えを取った。かつての上官、リュシュトマ少佐に仕込まれたものだ。考えるより先に体が動いた。
 黄金の仮面をつけた少女はまるで黒豹、瞬間敵に距離を詰めると、ダガーで次々と鋭い突きを放ってきた。そのうちいくつかは真っ直ぐに心臓を狙ってきている。
 クローラは逆襲することができない。彼女の技量が高いと言うこともあった。拷問をうけつづけた自分の体がボロボロということもあった。
 しかし一方で、クローラが倒されることもなかった。すべての攻撃を紙一重でかわし、受け流し、フェイントを読み切った。
 ――呼吸を整えろ。格闘術の究極的に行き着く先は呼吸だ。呼吸を乱すな。敵の乱れを突け!
 クローラは己を叱咤した。一瞬でも気を緩めれば、そこに待つのは速やかな死だ。
 ――こいつ……!
 契約者とはいえただの人間だ。それも、弱っている人間だ。それを相手に……κは焦りはじめていた。
「自分はクランジだぞっ!」
 たまらなくなって言葉が飛び出していた。
 それが彼女の呼吸を、乱した。
「なら俺は軍人だ!」
 カウンター気味に正拳が、κの顔面にめり込んだ。
 めきっ、という音を確実に、κもクローラも、聞いた。
「ガハッ……!」
 κは喘ぐように上半身を泳がせた。蜂鳥のようにバックステップし距離を開けるも、まだ呼吸が乱れたままだ。
 一対一、しかも正面からの戦闘で、契約者がクランジに先制攻撃を決めたのは史上希有な事例である。ましてやクランジは武器を持ち、クローラは素手なのだ。
 ありえない――とκが思ったとして不思議はない。
「自分は……このような屈辱を舐めさせられたことはない……!」
 カラン、と音が鳴った。クランジがつけていた仮面が中央から真二つに割れ、床に転がり落ちたのだ。彼女は鼻血を流している。出血がなければ、しかも目を怒りに燃やしていなければ、はっとなるほどの美少女といえようか。
「任務は既に終わっているが、貴様だけは……仕留める!」
 だがそれこそ彼女の油断、宣言している間があれば攻撃しておくべきだったのだ。
 床を蹴ったクローラがほとんど本能的な襲撃を見舞う。パンと乾いた音。κは横面を蹴り飛ばされ錐揉み回転して肘を床にぶつけた。無論そのまま倒れたきりということはなく、転がって距離を開け、殺意に満ちた目で立ち上がった。
「そこまで!」
 このとき両者の間に割って入った姿があった。
 白い手を立て、掌をクローラに向けている。
「やめてください! 長引けばクローラ・テレスコピウム、あなたが死ぬことになります」
「ユマ……ユウヅキ」
「クランジυ(ユプシロン)です!」
 ユマの口調は毅然としたものだったが、クローラに向ける目は、懇願するような色を見せていた。彼女はこの争乱を察知すると、クローラが心配になって追ってきたのだった。もちろんそのことは、κにもクローラにも明かさなかったが。
「ユプシロン、場所を空けろ」
 κが言った。ユマの体は、彼女がクローラに向かうのを遮る位置にあった。
「…………」
 ユマはκに答えない。しかし、
 ――早く逃げて。
 瞳でクローラにそう告げていた。必死に。
「駄目だ。俺は……」
「ユプシロン、聞こえていないのか。『ユマ』だと? その男に暗示でもかけられたか。もう一度言う、そこを……」
「俺はユマが好きだ!」
 κは、絶句した。
 ユマも言葉を失った。
 クローラは全身の力を、振り絞るようにして想いを吐き出していた。
「任務じゃなく好きだ! ユマを死なせたくない。俺と一緒にきてくれ!」
「世迷い言を……!」
 κはユマを突き飛ばすと、ナイフを握ってクローラに迫った。
 しかし進むことはできなかった。ユマに左腕を取られていたから。
「貴様! 血迷ったか! 催眠術でもかけられたか……!」
「催眠術なんかじゃありません! 私は、正気です」
 ユマは右脇でκの腕を挟み込み、左腕を伸ばして彼女の後頭部に突きつけていた。
 クランジυの武器は内蔵された鉄串だ。いま、彼女の右腕の先からその尖端がのぞいている。いつでも発射できるように。
「シスター、ごめんなさい。私は決めました。私は、彼と一緒にここを出ます。……ただ、あなたを殺したくはない……黙って身を引けば、見逃します」
「自分がそのような取引に応じると思うか?」
「κ、あなたはとても義理堅い人です。ここで私が攻撃しないことを『貸し』としましょう。あなたが黙って立ち去るのならば、貸し借りなしとなりますね」
 ユマの顔色は白い。腕も声も震えている。κのほうが戦闘能力は数段上、ここで虚を突けば、ユマを取り押さえクローラを討つこともできようか。
 しかし、κはその賭けに出なかった。
「貴様は、馬鹿だ」
 κは力を緩めると、ユマからするりと身を離した。
「いいか、あの男……確かクローラと言ったな。パートナーを殺され、我らクランジへの恨みは骨髄に達しているだろう。その負の感情がユプシロン、貴様に降りかかってこないとでも思うのか?」
「そんなことは、ありません」
「言ったな。ユプシロン……いや、ユマ・ユウヅキか。軟弱な名だ。今の貴様によく似合う」
 κは割れた仮面を拾うと、廊下を走り去っていった。
 脱出用に用意した小型艇のところへ行くのだ。まだ騒ぎは小さい。今のうちなら人知れず脱することもできよう。
 ――自分には理解できない感情だ。
 κは一度も振り返らなかったが、クローラとユマが寄り添っているところは想像できた。