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【DarkAge】エデンの贄

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【DarkAge】エデンの贄
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●虜囚たち (2)

 ユプシロンは最初、パイ同様に虫けらを見るような目でクローラを見おろしていたが、パイに戻ってくる様子がないのを確認すると、今にも泣き出しそうな顔でクローラのそばに膝を付いた。
「クローラさん、お気を確かに! いま手当しますから!」
 彼女は彼の頭を抱き上げ、甲斐甲斐しく世話を焼きはじめる。
「……なぜいつもそんなに、君は優しい……?」
 クローラは激しく咳き込んで、それが収まってから続けた。
「君はクランジだろう? 俺は……ご覧のように、ゴミみたいな人間だというのに……」
「違います。あなたは、高潔な方です」
「……冗談を言ってはいけない。さっきのやりとり……見ていたはずだ」
「だからこそ言うのです。高潔であると」
 ぽとりとひと雫、温かい涙がクローラの頬に落ちた。
「どんなに酷い目にあわされようと、あなたの目には高潔な魂があります。あえて下卑た態度を見せながらも、私にはあなたの信念の炎が感じられました。靴を舐めろと言われて、あなたは寸毫も迷わず応じましたね。あれは、最初からそうする覚悟でいたのでなければできない態度です」
 クローラは何も言わなかった。
「お友達を売るような発言にしたって、天の邪鬼なパイなら、そう言われれば彼に手を出さないとわかっていて言ったのでしょう?」
「……買いかぶりすぎだよ。けれど、そう言われて悪い気はしないな……ユマ・ユウヅキ」
 クローラは目を閉じていたが、ユマが小さく息を飲むのが聞こえた。
「驚かせたのならすまなかった……。四年前の蒼空学園で、君がそう名乗ったという話を聞いたんだ」
「他のクランジがいるところでは、決してその名を口にしないで下さい」
「約束する」
「けれど二人きりのときは……どうかそう呼んで下さらないでしょうか」
「……それも、約束する」
 クローラ・テレスコピウムは片眼だけ開けてかすかに微笑んだ。

 エデンの囚人ほとんどには、重労働が課せられる。
 巨大な車軸を回し発電を行うといった単調なものばかりだ。制御パネルにより常人以下の力しか出ないということもあって、この労働に体がついていかず命を落とす囚人も少なくない。
「こりゃきついや……お金もらってもしたくない仕事だね」
 汗を流す者のなかに、セリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)の姿もあった。丸太ほどもある車軸の押し棒を押すことに疲れ果て、休憩の合図とともに彼は倒れ込むようにしてその場に腰を下ろした。
「ま、捕まってからずっと尋問されてるクローラのほうがよっぽどキツいだろうけど……」
 体に浮いた塩を見て顔をしかめる。汗が乾いて塩分だけが残ったのだ。かなわぬこととはいえ風呂に入りたかった。
「おっと……!」
 セリオスは地面に平伏した。自分でも滑稽に感じるくらい素早く。額を地面にこすりつけるようにする。
「クランジ様……!」
 姿を見せたのはクランジの一族……クランジσ(シグマ)であった。
 シグマは美しい翠色の髪をポニーテールに束ね、やや小さいサイズの制服を隙一つなく着込んでいる。殺伐とした装いではあるがどこか優雅なたたずまい。しかし、その視線は氷よりも冷たい。
 平伏までしているのはセリオスだけだ。他の囚人はシグマに怖れをなして数歩下がったものの、膝を屈することなく立ったまま遠巻きに見ている。虚勢を張るように腕組する少年もいた。
 囚人のうち何名かには明らかに、セリオスに対する侮蔑の表情があった。
 ――裏切り者。
 ――機械(クランジ)の犬め。
 彼らはそう言いたげである。囚人の大半は政治犯であり、クランジに反抗してここに入れられた。だから彼らは拘束されようとも、心にクランジへの敵愾心をくすぶらせつづけている。しかし、最近収容されたセリオスはクローラともども、クランジに絶対服従の姿勢を貫いていた。まるでそれが当然であるかのように。
 シグマはセリオスの前で足を止めると、しばし彼の頭を眺めていた。
「呆れた存在……」
 彼女の声は冷めていたが、それだけに響きは鋭い。シグマは、そのままその黒いブーツでセリオスの頭を踏み砕きそうな顔をしている。
 シグマというのは、彼女の本当の名前ではない。
 クランジの一員として認められ、空いているコードネームを後からあてがわれたものだった。
 彼女の真の名はアイビス……アイビス・グラスである(※)
 アイビスにとって人間など唾棄すべき存在だ。たとえ、かつて自分がその一員だったとしても。
 彼女は、アデット・グラスの娘としてこの世に生をうけた。
 母のアデットは生物学と機械工学を組み合わせた科学分野の研究者で、さまざまな社会運動にも参加し発言するなど万能の才人と呼ばれていた。美術や音楽のセンスも卓越したものがあったらしい。若さもあって無名ではあったが、いずれ世界中に知られる存在になる……と言われていたようだ。
 アデット・グラスの人生に転機が訪れたのは、彼女がMITの研究助手に就職した直後だった。
 このときアデットは妊娠した。父親についてはわかっていない。アデットはその娘、つまりアイビスを単身で育てるつもりだったという。しかしそれは叶わなかった。
 誕生したアイビスが、先天性の難病をもっていたからだ。
 病の進行は遅いが、手を施さなければアイビスの命はローティーンに達することすらできない、そう診断された。
 アイビスを救うためにはその全身のほとんどを機械に替えるほかなく、当時の世界の技術ではそれを実現するのは困難であった。いや、ほとんど不可能であった。
 悪魔に魂を売った、という人がいるかもしれない。それでも、母親であるアデットに選択肢はなかった。強大な資金力と科学力を有する闇の組織、すなわち、塵殺寺院(正しくはその一派)の協力を求めるほかは。
 アデットは娘とともに表舞台から姿を消し、塵殺寺院に参加した。
 塵殺寺院所属の天才科学者、御桜凶平(ドクター・ミサクラ)がそのすべての叡智と情熱を傾けていた技術……それが、人間を元にして機晶姫を作り上げるという『Re-Invention of Birth』(RIB)計画だ。アデットというもう一人の天才がこれに加わることにより、計画は完成を見た。
 なお、誕生した個体に与えられた『The Crunge』という名称は、アデットの閃きに刺激を受けたミサクラが即興で思いついたもの(『Crunge』は『バシッ』というような擬音)だとも、伝説のロックバンドの楽曲に由来する戯れだとも言われており定かではない。
 アイビスは『RIB』計画における最初の被験者の一人だ。手術は成功し、エメラルド色の髪をもった機晶姫へと彼女は姿を変えた。武器が搭載されることもなく、クランジの通称も割り振られなかった。
 しかし、塵殺寺院は慈善団体ではない。
 やがてアイビスは母アデットの手から塵殺寺院に奪われることになる。
 ――私は、忘れない。
 這いつくばるセリオスを見ていても、アイビスの心が鎮まることはない。
 人間はこういうことを平気で行う。塵殺寺院がまさにそれだ。母の能力が必要なときは神のように崇めるが、やがて母が不要になりその成果物(アイビス)のほうが貴重になると平気で手のひらを返した。
 ――忘れない。機晶姫になったばかりの私を、お母さんから引き離そうとした塵殺寺院を……私の目の前でお母さんを殺したあの忌まわしき人間たちを。
 塵殺寺院はアデットを射殺した。そしてアイビスを自分たちの手駒に加えようとした。しかしアデットもこれを予期していたのである。詳細は省くが、アデットが生前に準備した仕掛けによって、アイビスは危機を脱しパラミタの『アサノファクトリー』に保護されるに至った。
「この世界は……私達機晶姫だけで十分だ。オマエたちは必要ない」
 衝動的な思考がアイビスの唇から洩れた。
 アサノファクトリーでの日々は短かった。結局、御神楽環菜の死を口火とする動乱と地球のほとんどの滅亡によって塵殺寺院が世界の覇権を握り、アイビスも塵殺寺院に鹵獲され、自意識を休眠状態にされて兵器に転用されたのだった。
 クランジが塵殺寺院に反乱を起こし、ついにこれを乗っ取ることがなければ、現在もアイビスは寺院の先兵として各所を転戦していたかもしれない。
 クランジに迎えられたアイビスは自我を取り戻し、エプシロンから『σ(シグマ)』の名称を受け取るにいたった。現在はエデンに所属している。
 以上は、アイビスが記憶と自身の調査で導きだしたアデットと自分の足跡であり、一部に間違いや、前後している部分が含まれている可能性はある。といってもおおむねはこれで正しいはずだ。
 セリオスがどういう男なのかシグマ(アイビス)は知らない。知りたいとも思わない。ただこの男には、どこか余裕があるような印象を受けた。怒りの視線を向けてくる囚人たちよりずっと、このセリオスのほうが危険という直感があった。
 されどシグマは怖れなかった。
 ――オマエたちが守ろうとするモノ、取り戻そうとするモノ、大切なモノを奪われ、壊されて、それでもなお、オマエにそんな余裕があるか?
 唇の端が歪んだ。アイビスは、この男が絶望する様を見たいと思った。
 だが今は、そのときではない。
「新入りだ」
 アイビスは軽く振り返り、後方に視線を送った。
 量産型クランジ二体に両脇を抱えられ、山葉 涼司(やまは・りょうじ)がよろめきながら姿を見せた。顎は濃い髭に覆われ、長く伸びた髪で目も半ば隠されているが、まぎれもなくそれは彼だった。
 押し出されるようにして、どさっと涼司は倒れた。セリオスは真っ先に駆け寄って彼を助け起こした。
「大丈夫かい……?」
 涼司はかなり弱っているのか、低い声で唸ることしかできなかった。
 セリオスは耳打ちした。
「大丈夫、山葉さん。希望はあるから」
 忍従の時期はもう長くない――セリオスは口早に告げる。
「ルカ少佐が奪還に来る計画があるんだ。もうじきね……」


(※)正史と異なり、アイビス・グラスは記憶を保持しているため、『アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)』を名乗っていない。