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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

リアクション

 石原肥満たちが訪れたのはちょうど警察署の裏手である。
 本来ならば一等地だろうに、戦争は容赦なくこの地点も破壊し尽くしており、焼け野原の中に、まばらに建物が姿を見せているという状況だ。警察署が残ったほうがむしろ幸運といってよかった。
 赤茶けた建物の入口には十字架がかけられ、『戦災孤児救護院』と書かれた手書きの垂れ幕が下がっている。キリスト教系のボランティア施設らしかった。
「よっ」
 と片手を挙げて、肥満はどんどん入っていく。
「最近はここに出資してるんだ。やっぱガキどもには、ある程度清潔な環境が必要だからな」
 同行の者たちに肥満はそう言った。2022年の基準で考えれば清潔というのは苦しいが、それでも、薄汚れた建物ばかりある中で、少なくともこの場所は掃除が行き届いているようである。
「ひーマン!」
 まっさきに肥満に気づいたのはフィーア・レーヴェンツァーンだ。彼女はすっかり孤児院の子どもたちともうちとけて、一人金髪ながらもう彼らの一員として遊んでいる。新風燕馬も来ており、今は子どもたちの健康診断を行っているようだ。
「ほら、終わったら遊びに行っていいが、先にちゃんと聴診器を当てさせるんだ……ほら、フィーアも一緒に遊んでいないで手伝ってくれ」
 燕馬の診断では、子どもたちの栄養状態は決して万全ではない。しかし、大きな病気が出ていないのは幸いであった。
 孤児院では、日本人アメリカ人問わずシスターが働いていたが、その中で一人、とりわけ忙しく立ち働いている人物があった。服装からすれば宣教師だが、彼はこの時代の人間ではない。数日前に訪れ、いつの間にやらここでの活動に加わったという。
「あんたに渡したらいいのかな? ほら、土産だ。ガキどもに食わせてやってくれ」
 りんご飴の箱を受け取ると、若い宣教師は穏やかに微笑した。
「おおこれは、なんと素晴らしいおくりもの。神もあなたの善行に小躍りしていると思うね!」
「小躍り?」
 肥満が妙な顔をしたので、宣教師セブンソーズ・キリエル(こと七刀 切(しちとう・きり))は十字を切った。
「ゲフンゲフン……おう、言い間違えた? ともかくありがとうございますというコトヨ。ワイ、こう見えて日本語勉強中なんだなぁ。うい」
 無理矢理カタコト風に言って笑ってみたりする。そんな切に、ボロボロのオーバーオールを着た子どもが話しかけた。
「せっちゃん、なにもらったの?」
 もう『せっちゃん』と呼ばれる程度に打ち解けているらしい。
「おっ、これはな」
 けろっと流暢な言葉に戻って、
「ホラ見ろ、りんご飴だよ」
 振り向くと、孤児院の子どもたちがワッと集まってきた。三十人から四十人はあるだろう。いずれもいいものは着ていない。何年も着ているようなモンペや、つぎはぎだらけのシャツのものも少なくなかった。
「こら、こちらの人……ええと、石原さんに『ありがとう』はどうした?」
 切が言ったので子どもたちは「ありがと」と「ありがとー!」と形式的にこそ言えど、もう群がって奪い合うような事態になっている。「みんな、一人一本ずつだぞ」と切は注意して回った。
 忙しく働きつつも、孤児たちを見ていると切は、色々なことを考えてしまう。
 塵殺寺院の『クランジ』と呼ばれる機晶姫は皆、元は孤児だったり売られた子どもだったと聞いたことがある。
 パラミタも繋がってない時代の日本の孤児院は無関係だとは思うのだが、子どもたちを見ているとつい、そこにある少女……クランジΠ(パイ)、いや、パティ・ブラゥの姿を重ねてしまうのだ。パティも、こんな幼年時代を過ごしたのだろうか。どんなに怒っていても笑っていても、パティの目には拭いきれぬ哀しみの色があったように切は思う。それは、孤児出身という境遇のせいだろうか。
 だから守る、自分のできる範囲とはいえ、ここの孤児たちは守ってみせると切は思った。この子たちは大人の始めた戦争で親を失い、家も失った。これ以上彼らに犠牲を強いてたまるか。
 石原肥満(それにしても彼が全然『肥満』体型でないのはちょっとした驚きだった!)が孤児たちの面倒を見ているということを考えても、また、孤児院の立地を考慮しても、いざとなれば新宿の悪党どもがここを攻撃してくる可能性は高い。できれば渋谷抗争の当日までどこかに子どもたち全員を避難させたいくらいなのだが、この孤児院は外に開かれており、住む場所が別にある子が通っている場合もあり、また、週の半分はここで寝泊まりし、残りは親戚の家で世話になっているような変則的な子、気が向いたときだけ戻ってくるような放浪癖のある子もあってそれは難しい。
 しかも最近、姿が見えない子も何人かいるらしい。
 姿が見えない中には、桜井チヨが入っているのは言うまでもないだろう(※)。だが、困ったことにどうやら、エリザベート・ワルプルギス(この時代では孤児の『エツコ』と名乗っている)も失踪した者に含まれているらしいのだ……。切はこの孤児院に一切のコネはなかったものの、持ち前の大胆さを活かし、いかにも当然という顔をしてボランティアとして居座ることができた。その後、顔見知りの榊朝斗らも手伝いたいと言って訪ねてきたので迎え入れている。
 しかし肝心の、エリザベートをどうしたものか。
「あれ……」
 切はふと気づいた。肥満の姿が消えている。
 振り向くと肥満は外に出ていた。入口のそばで六〜七歳くらいの少年を見つけ、声をかけているようだ。


※なお、肥満は動揺を招かないよう、チヨが誘拐されたことは孤児院や外部には伏せている。