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曲水の宴とひいなの祭り

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曲水の宴とひいなの祭り

リアクション

 
 
 
   牛車牽きのお内裏さま
 
 
 
 お内裏様とお雛様と言えば、ひな人形の中でも特別な存在。
 ……のはずなのに。
「……牛車を牽くお内裏様って、なんか違うだろう」
 お内裏様の衣装をつけているにも関わらず、四谷 大助(しや・だいすけ)に割り当てられたのは牛車を牽く係。
 どうも腑に落ちないと足を止めれば、即座に牛車の中から小声の文句が富んでくる。
「こら大助! 牛車が止まってちゃ意味が無いでしょ! まだホテルを3周しかしてないじゃない!」
 周囲の客に聞こえないようにと声を潜め、グリムゲーテ・ブラックワンス(ぐりむげーて・ぶらっくわんす)が大助に囁く。声こそ囁きだが、口調も内容も容赦は無い。
 何かおかしい。そう思いながらも大助は再び小型の牛車を牽いてホテルの庭を回り始めた。
 牛車の中に座っているのは、お雛様役のグリムゲーテ、そしてちっちゃいお雛様『小ひなさま』になった四谷 七乃(しや・ななの)の2人だ。
「少々乗り心地に難はあれど、風情のある乗り物じゃな」
 客の目がないところではそんな事を言いつつ大助の牽く牛車を楽しんでいるグリムゲーテだが、客の前に出れば姫様ばりの優雅な仕草と口調で接客する。
「ようこそ当ホテルへいらっしゃいました。ごゆるりと、おくつろぎ下さいませ」
「白酒、のみますですか? 甘酒もありますよ〜」
 心をこめておもてなしするようにとグリムゲーテに言い含められている七乃も、にこにこと健気に小ひなさまとして客に笑顔をふりまいた。
 その様子はとても優雅かつ、愛らしい風情を牛車の中に繰り広げている。
「……確かに雛飾りには牛車もあるが、お内裏様は乗る方だろ、乗る方」
 こっそりぶつぶつ言っている大助も、客の前では接待役として柔和な口調で応対しようと努力する。
「あ、はい。トイレはあっちを右に曲がってですね……ってうわちょっと! 牛車には上らないで! これはアトラクションじゃないですから!」
 時折、庭の移動手段と間違われて牛車に乗り込まれたりもしながら、大助はパートナーと3人で客の案内や説明をして回った。
「このような趣向も面白いわね」
 上品に扇を構えて笑うグリムゲーテは実に堂に入っている。
「……なんていうか、お前がお嬢様なんだってことを改めて実感したよ」
「あらそう? 似合ってるかしら?」
「七乃もにあってますか〜?」
 お雛様然とグリムゲーテがポーズを取れば、七乃も負けじと小さな扇を構え、小ひなさまするのだった。
 
 お内裏様兼牛役の大助がぐったりと疲れるまで、お雛様の牛車巡りは続けられた。
「もうそろそろいいんじゃないか?」
「そうね。さすがにこの中にいるのも窮屈になってきたわ」
 案内係を他の生徒に代わって貰い、3人の本日の仕事は終了。
「七乃、がんばったのです〜!」
「そうだな、お疲れ。ほらあっちで雛あられ貰えるらしいぞ。ごほうびにあれ貰ってきたらどうだ?」
「わ〜い、雛あられです〜! 七乃にもください!」
 カラフルな雛あられに惹かれて、七乃がそちらへ走って行くと。
「……よし、行ったな。グリム、ちょっと着いて来い」
「着いて、って大助、七乃はどうするのよ」
「グリムに見せたいものがあるんだ。七乃が戻って来ないうちに、早く」
 大助はグリムゲーテを連れ、急ぎ足に庭に歩いていった。目指す先は梅林だ。大助は牛車で巡っていた時、特に綺麗に梅が咲いているところを見繕っておいたのだった。
「わぁ……綺麗ね……大助の見せたかったものって、これなの?」
 満開の白梅紅梅に迎えられ、グリムゲーテは目を見張る。その髪に大助はそっと紅梅を挿した。
「お前には白梅より紅梅が似合うな。見た目だけだけど、上品な所とか。紅梅の花言葉は、『上品・忠実・忍耐』らしいから」
 紅梅にはもう1つ、『隠れた恋心』という花言葉もあるのだけれど、大助はそれを知らない。
 けれどやはり、エレガントな紅梅はグリムゲーテに似合いの花だと感じる。
「じゃあ貴方には白梅が似合うわね。白梅の花言葉は何かしら?」
「高潔・上品・厳しい美しさ……だったかな」
「高潔、上品……っ……!」
 身体を折って笑い出すグリムゲーテに、笑うくらいなら聞くなよと言いつつ、大助は頭上で笑うように揺れている紅梅に目をやった。
 
 
 
   五人囃子の笛太鼓
 
 
 
 中庭の一角。
 日当たりの良く梅もよく見える位置には、庭を散策する客がひと休憩するための縁台が置かれていた。
「いらっしゃい。甘酒はどうかな?」
 五人囃子の童子に扮した本郷 翔(ほんごう・かける)は、子供らしい仕草を心がけて、休憩にやってくる客に挨拶する。
 うっかり普段のような執事の丁寧な言葉遣いが出てしまわぬよう、子供っぽく喋るようにしているのだが、慣れない所為でどきどきしてしまう。
 といっても実際の翔は10代前半。本来なら、こんな風に子供らしく毎日をふるまっていても良い年頃なのだけれど、それがあまりにいつもの自分と違う為にやりにくい。
 お客様にこんな言葉遣いを……と思いかけては、これも演技なのだと自分に言い聞かせる。
 最優先すべきはお客様の満足。となればそれは、丁寧な言葉遣いで応対することに固執すべきではないのだろう。
「はい、こぼさないようにね」
 笑顔で手渡しながらも、その注ぎ方も渡し方も危なげなく安定している。
 着慣れない衣装にも妨げられず、翔はなめらかに接待を行った。
 咲夜由宇は五人囃子の格好だけれど、持つ楽器は使い慣れたフルートだ。これも一応横笛だからと、細かいことは無しでと和風の雰囲気にあう曲を演奏する。
 そしてミーナが吹く笛は、なんとアルトリコーダーだったりする。
 五人囃子になってはみたものの、いきなり横笛なんて吹けやしない。
 気分だけはそれっぽく、ぴーひょろろ〜、と由宇の曲にあわせて吹き鳴らす。
「み〜な〜。ふらんかもごにんばやしなのに、なんでおひなさまのかっこうしてるのですか?」
 皆で一緒に五人囃子をしようとやってきて、楽しく笛を吹いてはいるのだけれど何故かフランカの衣装はお雛様。
 ちょこんと座っている姿は可愛いのだけれど、どう見ても五人囃子には見えない。
「いいのいいの。ほら、お客さんも喜んでるし」
 実はフランカのお雛様姿がどうしても見たくなって、衣装変更を申し出たのはミーナだ。きっと五人囃子の格好をしてもフランカは可愛いだろうけれど、やっぱりどうせならお雛様の衣装を着たところを見たいというのが親馬鹿ならぬパートナー馬鹿。
「よろこんでくれてるならいいです〜。おきゃくさま、おかしどーぞ」
 重い衣装に手こずりながら、フランカは笛の合間に客に菓子を配る。フランカと一緒に写真に収まるミーナの表情はとてつもなく満足そうだ。
 そんな3人の笛……見事に誰も和楽器の笛を使っていないのはご愛敬だけれど……にあわせ、瑠璃は難しい……と苦心して太鼓を叩いた。
「なんだか良い音が出ないのだわ」
 目の前の太鼓の楽譜に書いてあるのは、テケ テン ツク ステ ツク テン ツク ツ……という言葉で、音符等の表記はない。
 それでもリズムを外さないようにと、懸命に由宇のフルートに合わせて叩くのだけれど、なかなか良い音が出てくれない。
 けれど、この仕事を手伝わないと由宇は色々なイベントに連れて行ってはくれないだろう。
(あ、ちょっとずれてるみたいなのだわ。ええっと……どうやって戻せば良いのだったかしら?)
 由宇のフルートの邪魔になってしまってはと重うと、瑠璃の手は止まってしまう。
 と、横で翔が耳で覚えて自分の太鼓をあわせ叩いた。
「ありがとうなのだわ!」
「ううん、あんまり楽しそうな笛だから私……僕もいっしょに叩きたくなったんだ。ちょっと弾く、っていうか、逆に太鼓にバチが弾かれるような気持ちで叩くと良い音が出るよ」
「弾く……ああ、こんな感じなのだわ!」
 ポンと良い音が響いて瑠璃はなるほどと頷いた。
 早春の風景に響く笛太鼓の音。
 笛の音は軽やかに、太鼓の音は祭り気分を引き立てて。
「日本古来の行事に遠く離れた土地で出会うというのも良いものだな」
 お内裏様の衣装を身につけた高月 芳樹(たかつき・よしき)は、茶を点てる手を止めて懐かしいような気分でその光景に目をやった。
 芳樹の家はこうした伝統行事を重んじる為、芳樹自身日本にいる時には様々な行事に関わってきた。パラミタに来てからは行事に関わることは難しくなってしまったけれど、こうして皆に日本の伝統行事を知ってもらえる機会がもてるのは、日本人として嬉しいことだと思う。
「着物が気になるのかえ?」
 しきりに衣装に触れるマリルに金烏玉兎集が尋ねた。
「ええ。こうした着物を着る機会というのはなかなかないものですから」
 衣装を着た方が雛行事を見に来る客に喜ばれるのではないかと、マリルも雛衣装に挑戦したのだが着慣れない為にどうもしっくりこない。
「現代の日本で暮らす者とて、その衣装を着る機会はなかなかないじゃろう」
 金烏玉兎集は十二単の袖を口元にあてて笑った。
「もう随分と昔の衣装じゃ。今の日本で着ている服は空京辺りで見かけるものとほぼ同じじゃ。ひな人形はまだ飾られておるじゃろうが、曲水の宴が執り行われることも少なくなりましたからのう」
 だからこそ、風情あるその行事をこうしてこの地に伝える人が居るのを喜び、金烏玉兎集は手伝いをすることに決めたのだ。
「慣れない衣装は勝手が分からないわね。これでちゃんとお雛様らしく見えているかしら?」
 アメリアはお内裏様役の芳樹にあわせ、お雛様の衣装を身に纏っている。
 この衣装を着たからには、と金烏玉兎集の指導を仰ぎながらお雛様らしくふるまおうと努力していた。気恥ずかしさもあるけれど、なによりも来た人に喜んでもらいたい。
「そうしてしとやかにしておれば、まさしく日本古来の姫じゃ」
 金烏玉兎集はアメリアの衣装の流れを整えながら答えた。
 その間に芳樹は茶を点て終えた。
 白酒も甘酒も良いけど、こんな日本庭園の中でならば抹茶もふさわしい。
 本式に茶会をするのではないから野点ほど雰囲気は出せないけれど、梅の花を眺めつつ、毛氈の上で茶を楽しむ風流を味わってもらえればと考えた趣向だ。
 濃茶は初めての人には難しいだろうから希望者だけ。それ以外は薄茶をふるまうことにして、芳樹は茶を点ててゆく。
 その様子をマリルは興味深げに見た。
「お茶1つ取ってもパラミタとは違いますね。日本という国に伝わるこうした行事の中には、パラミタに住む人たちにはまだまだ知られていない文化も多いのでしょうね」
「知られてない方が多いじゃろうな。けれどこうして紹介した文化に触れた皆が満足して下されば、それがまた次に繋がり、その積み重ねが伝統の引き継ぎとなってゆくのじゃろう」
 日本とは違う、けれど同じように見事な梅林を眺め、金烏玉兎集はゆったりと微笑んだ。
 そこに、演奏を終えた由宇が皆に呼びかける。
「あ……皆さん、ちょっと耳を澄ませてくださいー」
 静かにと口元に指を立て、もう一方の指で示す枝に緑色の鳥が留まっている。
「あの綺麗な緑色をした子はウグイスですよー。ホーホケキョと鳴くことで有名なのですが、さえずり方によって意味が違ってくるのが面白い所だとおもうのですぅ。あ、あっちにはヒバリさんもいますねー。スズメそっくりな鳥さんがいるの、見えますかー? 春に飛んでるのをよく見かけますですが、ほんとは1年中いる鳥さんなのですよー。きっと鳴き声は聞き覚えがあるはずなのですが、鳴いてくれませんかねぇ……」
 澄ます耳には鳥のさえずり。
 吹く風にはさやけき梅の香。
 緋毛氈の上には動くひな人形。
 弥生三日のひとときは、静かに穏やかに流れてゆくのだった――。