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年の初めの『……』(カギカッコ)

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年の初めの『……』(カギカッコ)
年の初めの『……』(カギカッコ) 年の初めの『……』(カギカッコ)

リアクション


●初売り、恐るべし!

 やっぱりというかなんというか、
「ショッピングモールは恐ろしいほどに混んでいやがる」
 匿名 某(とくな・なにがし)は唸った。ひとつの国くらい人口がいるのではないか、今、この場所は。これは綾耶とはぐれないように注意しなければ、と彼は思う。
 結崎 綾耶(ゆうざき・あや)は現在、身体の調子がすぐれない。断続的な痛みは不定期にあり、この状態は、昨年の今ごろからさして改善していないのだった。それなのに、いや、それだからこそ、彼女は某と共にあることを願った。置いて行かれたら、ある日、急に自分が死に、それっきり某と別れることになるかもしれないと、危惧していたからかもしれない。
 そんな綾耶を気遣いながら、フェイ・カーライズ(ふぇい・かーらいど)はいつものように不平を口にしていた。
「初売りだかなんだか知らないが、どうしてこうも人が群がってるんだろうか。そしてこうなるとわかっていながらやってくる奴らの思考回路もさっぱりわからん」
 人は、人のいるところに集まるものだということをフェイは理解できない。
「それにしても、こうなるとわかってたなら初詣を先に済ませるべきだったかな?」
 某が何気なく言うと、
「その計画性のなさ! サイコロ振って出た目に従うような生き様はちっとも進歩しておらんな!」
 フェイが食ってかかった。
「いや、これでもちゃんと考えてるんだ。色々と……」
「バカの考え休むに似たり、だな」
 そう言われても、反論できないところがある――某はそう思い、口を閉ざした。
 苛立たしい、と某は思った。こんな自分に苛立たしい。ゆえに、フェイが感じている苛立ちも判る。
(「……初詣、といえば去年はフェイにえらい剣幕で迫られたっけか」)
 あのとき、某はフェイの言葉に反発を覚えたはずだ。「弱虫」とフェイに言われ、違うことを証明しようと思った。
 しかし、何が証明できたというのか。
 あれから一年、綾耶の身体の解決方法に関して色々探ってはいるのだが、成果はなしだからまるで格好がつかない。情報通のミスター ジョーカー(みすたー・じょーかー)によれば、耶の身体を作り変えたという組織もとっくに壊滅しているらしく、その方面での情報収集は行き詰まってしまった。
(「ああ嫌だ。俺、あの髭野郎(ジョーカーのこと)に惑わされてるな。あいつの言うことだから信用できねえってのに……」)
 自分のパートナーとはいえ、どうも後ろ暗いところのあるジョーカーを、全面的には信頼できない某なのだ。この点に関してのみはフェイとも意見は一致している。今日だって、ジョーカーは同行しているはずなのだが、いつの間にか姿をくらませていた。
 やっぱり自分は弱虫なのか。
 認めよう。
(「ざまぁない、ホント弱虫なことだ」)
 けど、今度は違う、と彼は思うのだ。 
(「今度こそ綾耶の支えとなる……俺だけじゃない、みんなで、な。何より綾耶が痛みで苦しむ姿は見たくない。根本的な治療方法がなくても緩和できる手段があれば講じたい」)
 想いばかり先走りすぎていたようだ。
「……?」
 いつの間にか某は、仲間たちからはぐれてしまっていた。
 慌てて引き返す。綾耶のことを思い悩むあまり、その綾耶から離れてしまうとはなんという失態だ。
「おい! 黴々菌! おまえ!」
 怒りの形相とともにフェイが走って来るのが見えた。怒られはするだろうが安堵もした。綾耶は、フェイと一緒にいるはずだから。
 しかし、それはフェイの大声を聞くまでの、かりそめの安堵でしかなかった。
「綾耶がいないぞ! おまえが綾耶を連れているんであろうな!」

 その頃綾耶は人混みに流されるようにして、地下街にまで移動していた。
 なんとか、休息できる一角を見つけて腰を下ろす。
「みんなとはぐれちゃった……」
 全身に痛みが走った。こんなときに。
 原因のわかる痛みなら耐えられもする。しかし、原因不明のこれは……何だ?
 声が漏れそうになるのを必死で堪えた。騒ぎになるのは良くない。綾耶はそれを望まない。
 両腕で自分を抱きしめるようにして十数秒、ゆっくり深呼吸して、痛みが去ったのを彼女は知った。
 そのタイミングで、
「迷子の子羊あるところに紳士参上」
 奇妙な言い回しとともに、サングラスをかけたスーツ、シルクハットの初老の男が姿を見せた。黒ずくめの服装のせいで、影そのもののようにも見える。
「おっと失礼。痛みでそれどころではないようだね」
 紳士……彼こそがジョーカーである。髪はほぼ銀一色に枯れており、口髭もまた同じ色だ。
「大丈夫です……痛みは、去りました」
 綾耶は顔を上げずに返答した。
「ほほう。それはそれは」
 ジョーカーは彼女を助けるでもなく、芝居がかった動作で隣に腰掛けた。
「しかし君も無用心というものだ。この辺りにはクランジなる人を象った殺戮兵器が現れたという。その時は我等が学園の長があしらったと聞くが、今度もそのような幸運が続くとも限らないからねぇ。まあそのクランジ自体が長の側近と酷似してるという噂まであるが、そこは置いておこう」
「あの……」
 綾耶は特に感情を込めずに言った。
「皆さんを呼んできてもらえますか……?」
「クランジの皆さんというのならさしもの小生にも呼ぶのは難しいねえ」おどけた口調でジョーカーは言う。「なにしろ、ユプシロンことユマ・ユウヅキは教導団だし、ビーフジャーキー好きのパイは行方不明だ。今頃食肉倉庫にでもいるのではないかな? サディストのラムダは鬼籍に入ったし、そういう意味ならクシー、オミクロン、ファイも同様……せいぜいオメガくらいかな、簡単に連れてこれそうなのは」
「そういう意味で言ったんじゃありません」
 綾耶は言った。
「私と一緒にここに来た皆さんです」
「ああ、そういう意味だったか。しばし待つといい。来年の正月までにはなんとかするよ」
 煙に巻くようにそう告げて、風のように怪紳士は立ち去ったのである。
 コツコツと靴音立てて歩きつつ、ジョーカーは奇妙な薄笑みを浮かべながら呟いている。
「……なるほど、着実に変革は行われているようで何より。新たな手も施されているようだが、所詮は時間稼ぎ程度であったか。このままいけば近々彼女は痛みから解放されるだろう」
 彼のサングラスの下の目が、半月型に歪んだ。
「凡庸な幸福か、突如牙剥く残酷か。できれば後者を期待したいねぇ……」

 ジョーカーの言葉は、綾耶の心に波紋を起こしていた。
(「クランジ……噂程度なら知ってるし、疑惑のある山葉さんの秘書さんも何度か目にしてます。でも、話ではクランジというのは冷徹な殺人マシーンだとか聞いているし、ローラさんというのはそういうのと全然違うタイプだから、やっぱりデタラメなんだろうなぁ」)
 綾耶の隣の席はしばらく空白だったが、いつの間にかそこに、郵便配達人が座っていた。年賀状の配達の途中だろうか。大きな鞄を肩から下げ、濃い緑色の服に袖を通している。
 それにしても、郵便配達にしては背が低すぎるように思う。正直言って、子どもだ。服だって体のサイズに合っていないような気がする。ぼさぼさの銀髪が帽子の下から見えていた。郵便配達風の衣装を着た少年なのだろうか。それとも、幼いアルバイトか。
 どう見積もっても十歳に満たない程度の少年は、しきりと帽子の位置を気にしていた。脱いでは被り、鍔を指で微調整している。それが終わると、ぱっと脱いで被り直し、また位置を確かめていた。きっちり決めた位置で被れないと気分が悪いらしい。帽子を脱いでみると睫毛の長い、はっとするほどの美少年だけに、その動作の奇妙さは際だっている。
 されど綾耶はそれほど少年に注意を払わなかった。自分の考えに埋没していた。
(「それともローラさんはやっぱりクランジで、私の知らないところで他の契約者さんと触れ合って性格が変わったのかな? 同じようにして改心したクランジがいる、って聞いたことがある。それがファイ(Φ)なんだっけ……?」)
 変わる、というキーワードが、妙に心に引っかかった。
(「……じゃあ、ある意味作られた存在の私はどう変わるのかな? ……どうしてかな? 身体の痛みは和らいだのに、胸の奥が、冷たくて、痛い……」)
 きゅっ、と膝を立て、抱きかかえるようにして綾耶は小さくなった。
 すぐ隣に数分間、クランジΙ(イオタ)が座っていたということはついぞ気づかなかった。
 ジョーカーの案内で某とフェイが来たときには、郵便配達の少年……実は少女……は姿を消していた。