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リアクション
居城から去った竜造は、その足で高台へ向かっていた。アガデが一望できるその場所で、吹き上がる風に髪をなびかせる。
以前、彼はここから美しいアガデの姿を見下ろしたことがあった。その夜、彼の行った無差別爆破によってアガデは炎上し、今の瓦礫の山と化したわけだが。
(あの女の痕跡が次々と消えていくな…)
柵にほおづえをつき、復興に精を出す軍兵たちの姿をぼんやり見下ろしていた竜造の中に、ふとそんな感傷めいた考えが浮かぶ。
「ケッ、らしくもねェ」
「……竜造さん…」
広場の端からその背中を見守りながら、アユナ・レッケス(あゆな・れっけす)が不安げにつぶやいた。
まさかあのバルバトスがいなくなったぐらいで、こんなに竜造が意気消沈するとは思ってもみなかったのだ。なにしろ、バルバトスには殺されそうになった記憶しかない。優しい言葉ひとつかけられたこともなく。はっきり言えば、歯牙にすらかけられていなかった。そんな相手が死んだからといって、どうしてそんなに落ち込まなければならないのか。アユナには理解できなかった。
(うーん…)
アユナのとなりで壁に背中をもたせて、徹雄はぽりぽり鼻の頭を掻く。
(いやまぁ、あの竜造が恋文なんぞ書いたぐらいだし? かなりご執心だったのは分かってたんだけどねぇ)
よもやここまでとは。
徹雄は最後に竜造がした質問を思い出し、うーんとなる。
(まさか竜造のやつ、ナラカまで会いに行こうなんて考えてたりは……いや、まさかねぇ)
そんな徹雄の表情が、にわかに険しさを増した。
自分たちに近付く者がいる。あるかなきかの希薄な気配だが、明確にこちらを意識して近付いてきている。
反射的にブラックコートの下のさざれ石の短刀に触れ――だが次の瞬間、肩の力を抜くように大きく息を吐くと腕を組んだ。
「徹雄さん?」
「ほっとこう。殺気はないみたいだからねぇ」
おろおろするアユナの視界に、やがてメンターローブ姿の者が入った。フードの下は暗く、男か女かも分からない。金の髪がひと房見えるだけだ。歩き方は女性のものだが…。
竜造が気付いた。
「なんだ? てめぇ」
「さっきの、見せてもらったわ。ずい分とバルバトス様にご執心みたいじゃない。……あなた、あの方の何なの?」
横に並んだ女に、うさんくさがる目を向けたものの、竜造は気が乗らないというふうにすぐ視線を街へ戻した。
「どうでもいいだろ。俺があいつの何か、なんてーのはてめぇにゃ一切関係ねえ」
「……そうね」
カグラはローブの下で肩をすくめた。
「聞き方がおかしかったわね。単純に、私が興味があるのよ。かつてバルバトス様に魂を捧げてお仕えした身としてね」
街の方を向いたまま、竜造の目が、ちらと向く。
「俺ァべつに仕えてたってワケじゃねえ。言ってみりゃ、悪意の協力者ってやつだ。アイツが「俺」を知ってたかどうかも知らねぇよ」
「そう」
けれどカグラは知っていた。常にそばにいることが重要なわけではない。生涯理解し合えずに終わる者もいれば、ただ一度、一瞬の邂逅で通じ合う者もいる。実際、彼はそんなことを気にしているふうには全く見えない。
カグラはフードを下ろし、髪を風になびくままにさせた。
渡る風は少し冷たく、少しほこりっぽい。距離があるというのに、魔族を拒絶する人々の上げる怒りの声がかすかに聞こえる。
(ああ、なんて深い傷。そして、なんて深い憎悪かしら)
「私はザナドゥでの事しか関与してないから、確かめておきたかったの。癒えてしまう前に……あの方が刻み、遺した地上の傷痕を」
でも、それは間違っていた。
表面上はたしかに彼女が来る前に戻るかもしれない。見た目には美しい、光り輝く都になる。しかし彼女がこの地に残した傷跡は、完全に癒えることは二度とない。
この先何年も……おそらくは何十年、何百年も。バルバトスはさまざまに形を変え、アガデの中に残り続けるのだろう。
(薄れることはあったとしても、決して消えることのない怨嗟。人心へと振り撒かれた呪い……まさにあの方そのものね)
胸をかすかに温めたこのぬくもりは、安堵であったのか…。
「あなた、バルバトス様のことを知りたがっていたわね。私の知るあの方を話してあげてもいいわ。だからあなたの話も聞かせてちょうだいな」
カグラの提案に、竜造は肩をすくめただけだった。それは応というふうにも、否というふうにもとれる。
応ととったことにして、カグラは続けた。
「あの方は、氷のように冷たかったわ。諸刃の剣のように鋭くて、圧倒的で…。きっとあの方の御心が、穢れなく美しかったからだと思うわ。だれひとり立ち入れない憎悪と、そのもっと奥深くにある何か。混じりけのない純粋な想い。
それが……私にはとても美しく、不可侵のものに見えた」
「――へっ。くだらねぇ」
竜造は手を伸ばし、柵から身を引きはがすと歩き出した。ポケットに手を突っ込み、アユナや徹雄と視線も合わさず通り過ぎると坂をのぼって行く。
「カグラ」
雲雀が横についた。どう言葉をかけるべきか、あぐねているうちに、近付く2つの人影が視界に入る。
「あの…っ、あの……ごめんなさい…」
おずおずとアユナが謝罪した。
「竜造さん……そのぅ……バルバトス様のことについては、ちょっと、おかしくて…」
「おかしい?」
くすっとカグラは失笑した。男として、あれほど分かりやすい態度はないのに。
だがカグラの見せた反応にすっかりまごついてしまっているアユナに、彼女が本気で分かっていないのだと悟って、薄く笑みを刷く。
「マスターが大事なのね、可愛い魔鎧さん」
「えっ? そんなこと……ないです…。ただ…」
「振り向いてもくれない相手に、魂を取られたわけでもないのに執着するのって、そんなにおかしなこと?
魂を取られているかどうかなんて些細な問題よ。そもそもあの方には『使い捨てられる駒』以上の『特別』は不要だったのではないかしら。いつどこで気まぐれに捨てられても不思議じゃなかったわ」
「じゃあなぜ……カグラ、さんは…」
「魂を捧げたのか? ――そうね。それでもあの方に魂を捧げたのは……あの方の『美しさ』に少しでも触れたかったから、じゃないかしらね」
たとえ何千年経ようとも、決して触れられる日は来ないのだと知っていても。
それでも、そうせずにはいられなかった―――
『とても愛情深い方だったわ。一途で、思いやり深く、寛容だった』
『あの方は、氷のように冷たかったわ。諸刃の剣のように鋭くて、圧倒的で』
「……ち。どいつもこいつも。あれがそんなタマかよ」
イライラと言葉を吐き出す。胸に根を下ろしかけたそれを――納得してしまいそうになるのを、拒否するように。
このアガデで一番空に近い場所、頂上で、竜造は足を止めた。
「なぁ、バルバトス。俺は、強者と殺し合えればそのまま野垂れ死んでもいいと思ってた。どうにもならねェ圧倒的な力ってやつで一発でぶっ飛ばされて、ボロきれのように転がって、あっけなくそこでオワリっていうのも面白いだろうと。
だが、もう簡単に死ぬわけにいかなくなった。てめぇを知っちまったからな。
今の生き方は変えねぇが、強者と殺し合いながらも生きて、生きて、だれが相手だろうがしまいまで立ち続けて、この世の全ての憎悪を奪い取る。そして、今度こそてめぇの憎悪を全て奪う!
だから、それまで待ってろ。どれだけ時間がかかろうとも、必ずてめぇの前に現れてやるから」
ヴァルザドーンをかまえ、おもむろにレーザーキャノンを発射する。1発はナラカを思い地面に、1発はベルゼビュートの存在するイルミンスールの方角へ向けて。
「バルバトス。てめぇに比べりゃずい分とショボイが、今の俺にはこれが精一杯だ」
雲を散らし、空を貫いた白光を、5人は黙して見送った。
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