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8


 ベッドの上には、仏頂面のホープ・アトマイス(ほーぷ・あとまいす)
「も〜。そろそろ機嫌直してよ〜」
 ベッド脇のパイプ椅子に座り、師王 アスカ(しおう・あすか)は呆れ声を出した。途端、睨まれる。
「喧嘩でスキル使う奴がいる!?」
「だってぇ。私にも譲れないものはあるわけでぇ……」
「確かに言い過ぎたかもしれないけどさ。でも俺はお前と違って戦い慣れてもいないんだぞ!」
「ごめんってばぁ〜」
 つい数時間前。
 アスカは、ホープを説得しようとしていた。
 ルーツ・アトマイス(るーつ・あとまいす)と会ってみたら。話してみたら。
「俺のことなんて放っておいてさっさと子供のお絵かきでも始めれば?」
 虫の居所が悪かったのか、敵意剥き出しで言い放たれた。
 もちろん、特別視している絵のことを貶めるように言われて黙っていられるはずがなく口喧嘩へと発展。最終的に、
「もう! 頭きたぁ〜!」
 頭に血が上ってしまい、つい『ファイナルレジェンド』を打ち放ったというわけだ。
 結果、全身打撲で全治二週間。
「悪いと思ってるなら、もう俺と兄さんのことは放っておいてよ。お願いだから」
「でも……」
 アスカが食い下がろうとしたとき、病室のドアがばんっと音を立てて開け放たれた。
「おいホープ! アスカと喧嘩だと!? 人の女に何手ぇ上げて、」
 靴音を響かせ大股で近寄る蒼灯 鴉(そうひ・からす)は、しかしベッドに横たわるホープを見て表情を変えた。
「……これどう見てもホープが被害者だろ。つうか、悲惨すぎる」
「手綱、きちんと握っておいてくれる? 凶悪すぎるんだけど」
「アスカが容赦なかったのは見りゃわかるんだが。お前もお前で防御の仕様もあっただろ」
「はぁ? 責任転嫁かよ……」
「いやはっきりいってホープは弱すぎる。情けねえ……ラルムの次に弱いんじゃねえか?」
 散々な言い草にアスカが苦笑していると、くるりと鴉が振り返った。アスカを見て、笑う。どきりとした。
「さすがだな、アスカ」
「ふぇ?」
「この手加減もない無情な仕打ち。惚れ直す……プリン食うか?」
 惚れ直す、というところで照れていたら、すい、と箱が差し出された。『Sweet Illsuion』のロゴが入った白い箱。照れも吹っ飛び、アスカは文字通り飛び跳ねて喜んだ。
「わ〜、フィルさんのお店のプリンだぁ! 鴉大好き〜♪」
「アスカが喜ぶならなんだって」
 抱きつかんばかりに近付いて会話していると、ベッドから舌打ちが聞こえた。次いで、「バカップル滅んでしまえ。爆発しろ」と呪詛のような低い呟きも。
「はっ……僻みかホープ」
 鴉がすっとぼけたことを言った。たまに出る、こういった天然なところも大好きだ。可愛かったので、抱きつく。再び舌打ちが聞こえた。
「あ」
 プリンの蓋を開けたとき、不意に鴉が声を上げた。
「何〜?」
「そういえば今日、ルーツが輸血でここに来てるぞ」
「へぇ? 奇遇だねぇ」
 食べながら頷く。ホープの反応は、と彼を見てみると、硬直していた。
「来る……」
「え?」
「兄さんが来る。気配がする。ど、どうしよう……」
 そして先ほどまでのつんとした態度はどこへやら、の狼狽っぷり。
「早く魔鎧化、」
「そうそう。お医者さんが言っていたんだけど、その怪我で魔鎧になっちゃだめって」
 だから協力できないわよ? と言うと、絶望したような表情になった。ちょっと面白い。
「何か。何か隠れるもの……」
 でもあまりに可哀想なので何か手助けをしよう。
「隠れるものって、これとか〜?」
 すい、と出したのは目の位置に二つの穴が開いた紙袋。
 どっから出した、と鴉が突っ込んでくれた。お約束にも反応してくれる鴉が大好きだ。「秘密〜♪」と答えてにこにこしていると、アスカの手にあった紙袋が奪い取られる。
「あ、」
 と思う間もなく、ホープは紙袋をかぶった。
「ええーっ!?」
 本気でかぶった。冗談だったのに。
「あほだこいつ……っ!」
 鴉は鴉で爆笑している。そんな二人の反応に、ホープは肩を震わせていた。ああ、恥ずかしがってる恥ずかしがってる。穴があったら飛び込んでいるだろうなぁ。他人事のように、アスカは思う。
 ――でも、もういいと思うのよねぇ。
 会って、話をしても。
 タイミングを見計らったかのように、病室のドアが開いた。
「アスカ、大丈夫か? ……って、誰?」
 期待を裏切ることなく、そこに立っていたのはルーツだった。


「もしかして……アスカの魔鎧君か?」
「…………」
 ルーツの言葉に、ホープは答えられないでいた。幸いにも気配でバレてはいないようだが、声を出したらさすがにバレるだろう。
 何て答えようか。ああでも、もう誤魔化しきれない気がする。意を決して、頷いた。
「そうか、君が。……どうして紙袋を?」
 まだ問うか。紙袋をかぶって入院しているような奴、どう考えたって不審者なんだから関わらないでもらいたい。泣きそうだ。いろんな意味で。
 ホープは、そばにあったメモ帳とペンを掴み取った。さらさらと書き入れる。
『顔を見られたくない』
「声は?」
『出せない』
「大変なのだな……」
 ――兄さん、信じてる。信じてるよ……いや嘘は言ってないんだけどさ。言ってないけどさ。
 あまりの素直ぶりに、罪悪感を覚え始めた。とはいえ紙袋とメモ帳を離すことはできないけれど。
 ――とにかく、ジェスチャーと筆談で乗り切れ、俺。
 今が終われば、これ以上のピンチはないだろう。たぶん。
 そんな二人のやり取りの傍で、アスカも鴉も笑っていた。鴉に至ってはツボに入ったのか堪えきれないといった様子で壁を叩いている。
「鴉? 壁を叩いたら他の人に迷惑だぞ?」
「わ、わりい……」
「ちょ、ちょっと二人きりにさせたげよっか〜。鴉もなんか、笑っちゃってるし。お邪魔になるし〜」
 なんてアスカが言い出したので、慌てて睨みつける。
 ――どこかに行ったら末代まで呪うぞ……。
「ひっ」
「っっ」
 眼力が効いたのか、二人の笑いが一瞬止まった。出て行こうとした足も、止まる。よし、成功。ルーツだけが疑問符を浮かべて二人を見ていた。
 ……さて、どうしようか。話すことなんて思いつかない。が、ずっと黙っているのも心臓に悪い。
 ――紙袋越しとはいえ……こうやって向かい合うの、久しぶりだなあ……。
 昔はいつも、一緒だったのに。
 ――兄さんは、もし自分の弟に会えたらどういった反応するんだろ。
 不意に、気になってしまった。
 怒るのか。赦すのか。それとも、あの日の延長線上のように、続いたかもしれない『日常』を続けるのか。あるいは軽蔑か。もっと別の感情か。
 ――……訊いてしまおうか。
 今の自分は、ホープ・アトマイスではない。アスカの魔鎧。名乗りもしていない、謎の紙袋男。
『お前は、弟に会ったらどうする』
 気付いたときには、手が動いていた。
「弟……アスカに訊いたのか?」
 頷く。
「そうか。アスカと仲が良いのだな」
 その彼女と喧嘩した結果、ここに居るとは言えない。
「会えたら、か」
 ルーツはしばし考え込んで、
「まずは殴るかな」
 と笑って言った。
「…………」
 固まる。血の気が引いていく気がした。同時に、やっぱりな、とも思った。
 ――ああ、やっぱり赦してはもらえないよな。そうだよな。
「人の話聞かないわ、勝手に自己完結するわ」
 見透かしたように、ルーツが言葉を続ける。図星すぎて紙袋の下の表情が引きつった。
「挙句に罪を押し付けて逃亡……あー、思い出したら腹立ってきた」
 はっ、と鼻で笑う。
「…………」
「……なんてな? 嘘だよ」
「……?」
 嘘?
「本当は、そんなのどうでもいいんだ」
 どうでもいい、だって?
「会いたいよ。奇跡があるなら……もう一度だけ、会いたい」
「…………」
「それで……我が作った料理を一緒に食べて、一緒に笑い合いたいな……」
 ルーツは、笑っていた。ひどく寂しそうな笑みで。
「もう、叶わない願いだけどな」
 自分がこんな顔をさせているのだ。
「気にしないでくれ」
 ああ、でも、やっぱり。それでも。
 『疲れた、寝る』。端的にメモ帳に書き、布団をかぶった。
 ――いまさら、どんな顔して会えばいいんだ。
 わからなくて、苦しかった。


*...***...*


 学校も休みということで。
 テレジア・ユスティナ・ベルクホーフェン(てれじあゆすてぃな・べるくほーふぇん)は、空京にある聖アトラーテ病院に来ていた。患者として、ではない。看護士として、だ。
 目的は、ここで特定看護士としてさらなる技術・能力を身につけること。そのための研修だった。
「元々、パラミタへは特定看護士として来ました。普段は海京にある病院に勤めています。これらの経験が活かせれば、と思っています。よろしくお願いします」
 挨拶をして、早速仕事に移る。
 医師の指示を仰ぎつつ動き、手が足りなければ採血等の簡単な医療行為を行い。
 その一方で、患者さんに付き添い、話を聞き、きめ細やかな看護を心がける。
「さすがですね」
「いえ。まだまだです」
 医師の一人に話しかけられた。謙遜しつつ、医師の動きを見る。
 ――さすがだわ。
 医師は、注射をしただけだった。それだけだったが、打ち方ひとつ取っても見事な手際だった。
 この医師だけではない。他の医師も、看護士に至るまで教育は徹底されているようだ。
 ――やっぱり空京が一番進んでいるようね。
「私も頑張らなくっちゃ」
 奮起させるように独り言を零し、歩き出す。
 不意に、足に痛みが走った。「つ、」呻き、立ち止まる。
「どうかなさいましたか?」
 テレジアの様子を見て、看護士が声をかけてきた。痛みに歪んだ表情を消し、代わりに笑顔を浮かべる。
「いえ。何でもありませんわ」
 こんな風に、いつまでも消えない痛みで苦しむ人を一人でも減らすために。
 ――立ち止まってなんか、いられないの。


 テレジアが働いているその最中。
 瀬名 千鶴(せな・ちづる)は、医師のもとを尋ねていた。
「それで――テレサちゃんの具合はどうなのかしら?」
 問うは、先日行われたテレジアの健診結果。
 さらに言うなら、彼女が脚に負った古傷の具合。
 もっと突き詰めるなら、もう一度彼女が銀盤に立てるかどうか。
 テレジアがパラミタに渡る前。
 全寮制のシスター養成学校に入学させられたテレジアは、息の詰まる生活の中ダンスを心の拠り所としていた。
 最初は単なる趣味だった。
 けれど、深くダンスに没頭するようになって、秘められた才能が開花した。
 やがて舞台はダンスホールから銀盤の上へと移り、テレジアはフィギュアスケートの選手として活躍する。
 しかし、オリンピックを直前にして怪我を負ってしまい――引退。
 千鶴は知っている。
 テレジアが、まだ銀盤に立とうとしていることも。
 けれども、彼女の足の具合は歩行に支障をきたす寸前だということも。
 だから遠まわしに手を講じて、健診を受けさせた。
「……大丈夫よね?」
 声は、いつの間にか縋るようなものになっていた。
 しかし、医師は首を振る。横に。静かに。
「……残念ですが」
 なにやら詳しい説明を受けたが、脳が理解を拒否していた。
 だって、こんなの。
「残酷だわ。余りに」
「…………」
「ねえ。何とか治せないの、お医者様。お願いよ」
 私に出来ることはなんでもするから。
 どうか、彼女の足を治してください。
 どうか――。