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「……うん。分かった。ありがとう」
 礼を言って、矢野 佑一(やの・ゆういち)は携帯を切った。

「佑一さん?」
「タケシくんたちの目撃情報が入った。この先の道を東へ走り抜けて行ったらしいよ。僕らも行こう」
「うん」
 佑一のあとに続いてミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)も走り出す。
 ミシェルはちょっと不安だった。タケシはほんの数カ月前、精神を破壊された。それを佑一たちが修復し、今の彼に戻したわけだが、またもや記憶を混乱させて暴れているという。

「……大丈夫かなあ…」
 ぽつり、つぶやいた独り言を聞き取って、佑一が振り返る。
「逃げてるだけでまだだれにもけがさせてないみたいだけど、この先もそうとは限らないし。それにタケシくん自身がけがをすることだって考えられるからね。早く保護してあげよう」
「……はい。佑一さん」



 2人が目撃情報をたどって着いた場所には、セルマ・アリス(せるま・ありす)とそのパートナー牧場の精 メリシェル(ぼくじょうのせい・めりしぇる)が先着していた。
「セルマさん」
「やあ」
「タケシくんは? この辺りにいると聞いて来たんですが」
「あそこにいるよ」
 セルマが指差す。そこは空き地で、ひざまで生えた草のなかに、タケシはカエル座りをしていた。


「ヒツジ〜〜〜俺はメエメエかわいいヒツジ〜〜〜」
 とかなんとかつぶやきながら、もっしゃもっしゃ口を動かしている。
 術にかかっている事情を知らなければかなりひいてしまう光景だ。


「もしかしてあれ、草食べてる?」
「みたい」
「暴れてないのは良かったけど、あんなことしてるとおなか壊しちゃうよ! 早くやめさせないと!」
 わたわたしつつ近付こうとしたミシェルだったが。


「うぬう! おぬしら、明智の手の者であるな!」
 剣を手にしたリーレンが立ちはだかった。


「リーレンさん」
 佑一がさりげなくミシェルより一歩前に踏み出して、自分の影にかばい込む。


「この私がいる限り、お館さまには指1本触れさせぬ! わが剣、受けてみよ!
 たあああーーーっ!!」


 ぶんぶん振り回される剣を佑一は避けた。
「セルマさん、こちらは僕たちが引き受けました。タケシくんをお願いします」
「分かった。
 行こう、メリー」
「めー!」
 セルマとメリシェルはタケシの方へ向かった。



「リーレンさん、正気に返って。……と言っても無駄かな」
 自分へ向かって剣を振り回すリーレンに、一応佑一は声がけをしてみたものの、思ったとおり反応はなかった。

「たあーっ! やあっ! てーいっ!」
 かけ声は勇ましいが、ただ大振りしているだけだ。乱心して、憎々しげな目を向けてきていても、そこに本物の殺意はない。
 戦国武士でだれの役柄をしているかともかくリーレン自身の剣の腕前はそんなでもないので、武器を持っているのが多少厄介ではあったが、それなりに場数を踏んできている佑一の相手ではなかった。
 歴戦の立ち回りでひょいひょい回避したり剣先を流したりしながら、ふむ、と考える。

 これまでに入ってきた情報では強い衝撃を与えるのが最も有効だということだったが……女性を殴ることにはちょっとかなり抵抗がある。
 武器を奪って拘束したところをミシェルに殴ってもらうという案もあるにはあったが、抵抗できない人を殴りつけてくれと頼むのもなんだかなぁ……だし。

「やっぱり拘束するまでにしておこうか」
 そうすれば、あとで占い師を見つけて説得し、解除してもらうという方法もある――そう考えてオイルヴォミッターを取り出した佑一だったが。
 ちょっとばかり時間をかけすぎたようだった。


「ゆ、佑一さんが危ないっ」
 刃物を振り回すリーレンと素手で近接戦をしている佑一を心配したミシェルが、いきなり叫んだのだ。

「殿中でござる…っ、殿中でござる…っ! おやめください!」

 何がリーレンの気をそらすのに有効か、必死に考えた末、ぽんっと口から飛び出した言葉だったが、言った直後、何か違う気がすると自分でも思う。
 案の定リーレンは何の反応も示さず、反対に佑一がこけそうになった。


「み、ミシェル…?」
 それ、時代からして違うんだけど。


 思わずミシェルを肩越しに振り返った、そこにリーレンが大上段に振りかぶる。
「佑一さん! 後ろ…!」
 ミシェルが悲鳴のように叫ぶ。が。
「おっと」
 袈裟懸けに振り下ろされた剣を、またも佑一はアッサリ避けた。

 勢いあまって地面にめり込んだ剣を足で踏んで固定する。引き抜くのをあきらめたリーレンが武器を手放して離れたところでオイルヴォミッターを発射した。
 射出されたオイルがみごと真正面に当たり、両手を胸の前で封じた、そのときである。


「ふむ。ここにも1人いたか」


 そんな声が道の方から聞こえてきて、ざくざく草を踏みしめながらまっすぐ近付いてくるだれかの気配がした。
 ほどなく黒い髪をうなじのところでシニョンにした女性が、佑一と並ぶ。
 背の高い女性だった。履物のせいもあるかもしれなかったが、佑一と数センチしか違わない。

「今日のツァンダはまたずいぶん盛況だな。いつぞやのときのようだ」
 とんとんと肩を鉄棒のようなもので軽く叩いている。

 ――あれは、本当に自分の思っているとおりのものなのだろうか?

 佑一がいやな予感を感じる暇もなく、それは起きた。


「さあ、施術開始だ。待っていろ、今楽にしてやるからな」
 そう言うなり、しゃがみ込んでどうにかして両手の拘束から逃れようとウンウン格闘しているリーレンの背中を、まるでゴルフボールでも打つような動作でぶん殴ったのだ。

 それはただの鉄棒ではなかった。

 ゆるやかなカーブを描いて曲がった先が二股に割れた、生粋のバールである。



 だれがどの角度で見ても、バール。
 バール以外の何物でもない、バール。
 大工さんが必ず1つは持っている、あのバールである。
 別名鉄挺(かなてこ)。


 そんな物でいきなり殴られて平気な人間がいるはずがない。
 いたら何か細工をしていると疑って間違いないだろう。


「きゅうっ」
 息を吐き出して、リーレンはその場にばたっと倒れた。目がぐるぐるうず巻きになっている。
「わーっ! リーレンさん!」
 あわててミシェルが駆け寄った。

「これでよし。なに、心配しなくていい。目覚めたときには彼女はすがすがしい思いで自分を取り戻しているだろう」
 確信を持ってうなずく。
 それがあながち間違っていないから困る。

 複雑な表情で佑一が見守っていると、高峰 結和(たかみね・ゆうわ)が遅れて姿を現した。
「あ、アヴドーチカさん、ここにいらしたんですね――って、またそんな、本人の了承も得ずに…!」
 もはや見慣れた光景に場の状況をひと目で読み取って、あわあわする。

 結和のパートナーで紫陽花の花妖精アヴドーチカ・ハイドランジア(あう゛どーちか・はいどらんじあ)は、自称施術師。バール1本で大抵の病気はたちどころに治せると自負している。ただ、アヴドーチカはもっぱら施術しかしないので、そのあとのケアは――周囲の者に対する説明や謝罪も含めて――全部結和任せになっていた。だから大抵結和が現場に到着するのは事後で、制止が間に合わない。

 ……まあ、たしなめようとしたところでアヴドーチカが結和の話をまともにきくかどうかははなはだ疑問なのだが。

 少なくともこのバール治療に関しては、完全に2人のコミュニケーションには妨害でむぱというか、越えられない壁というか、見えない何かが存在している。

「大丈夫だ。問題ない」
 軽くしゃくって答えると、アヴドーチカは歩き出した。
「アヴドーチカさん?」
「奥にまだもう1人いたようだ」
 ずんずん歩く、彼女の行く手には、タケシがいた。



「タケシ、落ち着いて。俺たちは何もしないから」
 セルマは内心あせり、乱れつつも、一生懸命静かに説得しようとしていた。
 だがタケシは聞く耳持たず。
「来るな! 来たらブッ飛ばすぞ!!」
 真っ青な顔して震えながらこぶしを振り上げている。

「めー! めーめー!」
 セルマの横で、メリシェルがぴょこぴょこ飛び跳ねた。
 セルマと同じく、説得しているつもりなのだろうか。しかしその小さなひづめにはさまれたポータラカの金属片が、キラッキラ光を弾いている。

「メリー、それしまって」
「めー?」
 え? どうして? とメリシェルはかわいく小首を傾げてみせた。
 後足で立って歩く、動くぬいぐるみのようなメリシェルはそういう仕草をすると抱き締めたくて両手がうずうずするほどかわいいのだが、あいにく今のタケシには天敵、最凶の生物にしか見えていないようだ。金属片が光を反射するたび、ビクついている。

 はじめはこうじゃなかった。
「草食べてるのは問題だけど、これなら楽に押さえられるかな」
 そう思っていたのだが。
 近付く彼らに気付いたタケシが振り返ってメリシェルを見た瞬間、恐怖に悲鳴を上げた。

「来るなあああああっ!!」

 メリシェルは人間の言葉を話せない。ただ「めー」「めめー」と愛らしく鳴くだけだ。
 しかし握っている金属片で何を考えているかは丸分かり。

「めー、めめー!(タケシ、タケシ、刈られるのはヒツジにとって悪いことばかりじゃないんだよ!)
 めっ! めめめめめっ(ヒツジは毛を刈られないと死んじゃうことだってあるんだ。ボクは知ってる!)
 めめー! めー! めめーめめーめめー!(だからボクが狩ってあげる! 任せて! おじさんたちがしてるのを何度も見たことあるからっ)」
「来るな! 来たらブッ飛ばすからなっ! 本気だからなっ!」


 それを聞いてアヴドーチカはあごを引く。
「む。これはかなり重症だな」


「えっ? ――って、あなたどうしてここに!?」
 かつて彼女に「施術」を受けたことのある1人、セルマはびっくり目を瞠ってしまう。
 そんなセルマをよそに彼の横を抜けたアブドーチカは、まっすぐタケシに歩み寄った。


「く、来るな! 来るなってば!!」
 タケシの威嚇もどこ吹く風だ。
 通用しないと知ったタケシが逃走に移ろうと背中を向けた瞬間、アヴドーチカのバール施術が炸裂した。

 野球のバットのように振り切られたバールを背のど真ん中で受けて、タケシは一瞬背筋をピーンと伸ばして硬直したのちバッタリ倒れる。

「ああっ! タケシ!!」
「めー!」

「これでよし」
「アヴドーチカさん、彼は被害者なんです、せめてもう少し優しく…」
 優しくしても結局はバールでぶったたくことに変わりはないのだけれども。
「なに、大丈夫だ。私の治療の腕はそこのセルマが身を持って体験している。なあ、セルマ?」
「――は。まあ、あの……そう、ですね…」
 約1年ほど前の出来事を思い出し、苦笑い半分でセルマは答えた。


「にしても、被害者だって?」
「はい」
 結和はアヴドーチカの行為を説明するかわりに、情報を仕入れていた。


「――そうか、この病がこれだけ急速に街じゅうに広まったのは、そのフードマントの占い師というやつの仕業だったのか」
「いえ、病ではないので施術の必要はないんですけれど――って、アヴドーチカさん、どこへ??」
「もちろんその占い師を捕まえにだ。病は元を絶たねば根絶しない」
 施術師として当然のことじゃないか、と言わんばかりの顔でアヴドーチカは再び歩き出す。

 やはりここでも見えない壁が立ちはだかった。

「ま、待ってください、アヴドーチカさんっ」
 アヴドーチカを1人野放しにすることはできない。
(ごめんなさい、努力はしてみたんです。でもやっぱり私じゃアヴドーチカさんを止められなくてっ)
 この場にいる全員に心のなかで平謝りしつつ、結和はあたふたとアヴドーチカを追って行った。


「……はあ。変わらないなあ、あの人も」
 いまだショックの抜けきらない状態で、なかば呆然と見送るセルマの足元。
「めめっ、めー ♪ (さあタケシ、気絶してる今のうちに毛を刈ってあげるからね! これなら怖くないよね。安心して。牧場一のヒツジになれるよう、きれいに刈ってあげるから ♪ )」

 そーれジョリっとなー ♪ とメリシェルが喜々としてさっそくポータラカ金属片でタケシの髪を刈り始める。

「わっ! メリー! だめだよそれっ! って、あーっ! もうかなり刈ってる!?」
 こんなところに500円パゲが!!



「……えーと。でもこれでリーレンさんもタケシくんも元に戻れたのかな? 佑一さん」
 ミシェルがつぶやく。
「うん、多分。
 あ、それとミシェル。帰ったら歴史の勉強をみてあげるからね」

「はい、佑一さん…」
 ミシェルは少し赤面した。