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第14章 少女の死の果てに失ったもの

 ツァンダの街中を、1台の軍用バイクが走っていた。チェリー・メーヴィス(ちぇりー・めーう゛ぃす)は最近、休日になるとバイクでシャンバラの各地を回っている。その土地ごとに違う空気、人々の交流、文化、名産品や名店にある美味しいもの――それを、肌で感じる為に。
 パラミタから出たことはなくても、知らない土地へ来るというのは、充分にパラミタ観光と呼べる。
 ジャケットとセーターの間にパラミタキバタンのブロッサムを入れて、彼女は走る。
 街を歩くラス・リージュン(らす・りーじゅん)を見かけたのは、そんな折のことだった。いつも以上に浮かない顔をしているのが何となく気になり、話しかける。以前はかなり苦手意識が強かったのだが、夏祭り以来、抵抗感は随分と減っていた。意外と普通に話せると分かったからだろうか。
「ラス、久しぶりだな」
「……? ああ、お前か。真面目なんだな、そんなもん被ってるなんて」
 怪訝そうな表情が、ヘルメットを脱いで顔を見せると少し和らぐ。その彼に、チェリーは真顔で「防寒だ」と答えた。ヘルメットが無いと、犬耳が寒い。
「ああ、そう……」
 なんつー理由だ、とラスは半眼になった。それから、チェリーの胸元に収まっているブロッサムに目を向ける。服の間から、頭だけがぴょこんと出ていた。
「それも防寒か?」
「これは、ブロッサムの防寒だ。……『羨ましいか?』……だそうだ」
「別に……」
 実を言えば羨ましいが、それを馬鹿正直に告白する必要は全く無い。にしてもこの鳥、ぴよっ、とか鳴いたと思ったらそんな事を言っていたのか。エロ鳥め。
「これからどこか行くのか? 何だか、もの凄く辛気臭い顔をしていたぞ」
 チェリーの胸元から鳥を引っこ抜いてやりたい衝動に駆られていたらそんな事を言われた。はた、と一瞬忘れかけていた事を思い出す。自然と、苦々しい表情になった。
「……ちょっと、飛空艇の発着場までな」
 ピノと別れた公園から発着場までは歩くと遠い。自前の小型飛空艇を使うと寒いので、タクシーでも使おうかと思っていたところだ。
「……飛空艇の?」
 チェリーはきょとんとして、数秒の間を空けてから彼に言う。
「私も立ち寄ろうと思ってたんだ、雲海を見にな。……乗っていくか?」

「……母親が来るのか」
「余計なことをしたがる男の所為でな」
 バイクには屋根が無いわけで。つまり、寒いわけで。だからチェリーは防寒していたわけで。やっぱりタクシーにすれば良かったと後悔しながら、ラスは何となく彼女に言った。根掘り葉掘り聞かれたわけではないが、もしかしたらトーテムポールにでも話したい気分だったのかもしれない。
「会いたくないのか? 実の母親なんだろう」
 チェリーには、よく分からなかった。彼女は、母というものを知らない。父というものも、知らない。アレは多分、父ではなかった。だから、母が欲しい、誰か温かい女性に頭を撫でてほしい。そう思ったことはあるが、会いたくない、いなくてよかったと思ったことは一度も無かった。
 どんな性格であっても、多少の問題があっても、親が存命しているというだけで幸せなんじゃないか。彼女は、そう考えてしまう。
「……お前には悪いけどな、気は進まない。リンは……」
「ラスくん!」
 その時、発着場の出入り口に立つ男女の内の1人――女性の方が彼の名を呼んだ。漆黒の髪を長く伸ばした、明るい印象を持つ女性だった。どうしたら彼女からこんな無愛想な男が生まれるのかと首を傾げてしまう。ラスというよりも、ピノの方に似ている気がする。
 軍用バイクを止めた2人の前に、彼女――リン・リージュンと電話をかけてきたシグ・シアルが近付いてくる。
 特に仲が悪そうでもないし何が嫌なのかとチェリーが思っていると、ラスが小声で言ってきた。
「……いいか、リンの前で絶対にピノの名前を出すなよ」
「出したらどうなるんだ?」
「……豹変する」
「? 豹変?」
 そんな話をしている間に、リン達は間近にまで迫ってきていた。
「随分と久しぶりね、ラスくん。この前はびっくりしたわ。泊まっていくっていう話だったのに、1日経たないで帰っちゃうんだもの。でも、今日はゆっくりできるんでしょ? あ、その子は彼女?」
「……違います。ただのタクシー代わりです」
 彼女の目に何か怪しい光を見た気がして、最後の部分を即否定する。
「今日も忙しいんで、あまり長くはいられないんですよ。せいぜい数時間位かと。その後は、シグの家でのんびりしていってください」
「あらそうなの? でも、こうして小型結界装置も手に入ったし、これからはいつでも来られるわね」
 とんでもない事を言われて、ぴくっ、と作り笑いが引きつった。結界装置をこの場でスってやろうかと思っていたら、隣からチェリーが声をひそめて話しかけてくる。
「豹変って……何だ? お前が豹変するってことか?」
「……うるさい。ちょっと黙ってろ」
 言ってから、携帯を出してメール画面を表示させる。そこに素早く、彼は一文を打ち込んだ。
『リンは俺の記憶を失ってる。親父の甥だと思ってるんだ』