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ナラカの黒き太陽 第三回 終焉

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ナラカの黒き太陽 第三回 終焉

リアクション

8.戦闘

 タシガンの北市街。
 避難はほぼ済んでおり、人影はないものの、狭い路地にまで黒い靄が入り込んでいる。
「やりにくいなぁ」
 思わず、といったようにリン・リーファ(りん・りーふぁ)が呟く。
「仕方ないでしょ、リン。建物を壊しちゃだめよ」
「はぁーい」
 関谷 未憂(せきや・みゆう)がたしなめるが、たしかにやりづらいのは確かだ。建物が密集している地帯のため、ただでさえ黒い靄に阻まれた視界はさらに悪い。ゲートの存在も、まだ掴めてはいないくらいだ。
 プリム・フラアリー(ぷりむ・ふらありー)が未憂たちの背後で、柔らかな歌声を響かせている。いつもは無口で声も小さい彼女だが、歌う声は澄んで力強い。
 響き渡る『幸せの歌』が、逆境を跳ね返す強さを聞く者の心に宿らせる。
「まぁ、やるしかないよね」
「そうね」
「未憂さん、僕たちが先に出るから、ゲートの封印を優先してね」
 合流した三井 静(みつい・せい)は、未憂に頼むと武器を構える。
「わかりました。お気をつけて」
「うん。未憂さんたちもね」
 お互いにそう声をかけ、うなずき合う。ひときわ黒い影が濃く交じる路地を見やる静に、プリムはそっと歌声で祝福を授けた。
 メロディが変わる。『熱狂』を呼び覚まし、その声を聞く者すべて、目に見えぬ力が漲っていくようだった。
 先陣を切ったのは、三井 藍(みつい・あお)三井 白(みつい・しろ)の二人だ。
「まったく……タシガンは静かでないと困るんですよ」
 霊断・黒ノ水を手に、白は小さくぼやいた。
 基本的にひきこもりの白がここまで出てきたのには、理由はある。もちろん、こんな状況では、悠長に閉じこもっていられないというのもあるが、なによりも。
「はぁっ!」
 気合とともに黒曜石で飾られた杖を振りかざし、不気味に揺らめくアンデットを打ち砕く藍は、どこか鬼気迫る迫力だ。まるで、アンデッドそのものではなく、なにか違う恐れと闘っているようでもある。
 そんな藍に、幽鬼が襲いかかる。殴ったところで効果は薄い相手を、しかし藍はただ闇雲に蹴散らそうとした。
「藍!」
 その瞬間、後方から炎の飛沫が浴びせられ、幽鬼が燃え上がる。静が放った炎だ。だが、そのことに、藍の眉寝が密かに寄せられた。
「俺は大丈夫だ」
「藍……」
(……どこがですか)
 自分に降りかかる火の粉は払う、とばかりに、寄ってくる幽鬼に対しては無造作に切り払いながら、内心で白はため息をついた。
 そう、このせいだ。二人の様子が、どうもおかしいように感じられる。
 お互いに必死なくせに、それがかみあわない。ボタンをかけちがえたように、ねじれてしまっている。
 こんな状況では、大けがをしてもおかしくはないし、それはそれで白は寝覚めが悪い。眠ってばかりのひきこもりにとって、寝覚めが悪いくらいキツイことはないではないか。 とりあえず、白は一歩引き、静の傍までモンスターが近づけないようにしながら、着実に一体づつ、敵を仕留めていくのだった。
 後方から藍と白の援護を懸命に静は努めていた。なにより、うかつに建物に炎が燃え移らないよう、炎の弾道には神経を使う。
 けれども、どこか静の心は穏やかだった。ディーヴァの歌声の力もあるかもしれない。ただ、目の前の難事を、精一杯解決することに手中していた。
 先ほど、未憂に声をかけたとき。静にとっては、それは勇気を出しての行動だった。そしてそれに、彼女は微笑んで頷いてくれた。
 自分の意見を表に出すことは苦手だったけれども、でも、そうしなければ伝わらないのだろう。
 まだ、大勢にむかって意思表示するようなことは難しいけれども、……でも、なによりもまず。
(藍……)
 黒い靄のなか、一心不乱に闘う藍の姿を、じっと静は見つめる。
 藍に、わかってほしい。今度は、もっとちゃんと、伝わるように頑張るから。この戦いが無事に終わったら、そうしたら。
 静がそう思うようになった理由の一端には、レモとカールハインツのこともあった。かつては、カールハインツがレモを庇護していたけれども、今はレモのほうが、カールハインツを護っているように見える。
 お互いを思い合っていても、関係は変化する。
 それならば今、藍を護りたいと焦る必要はないのかもしれない……。
 そんな決意を、静は胸に秘めていた。
「――!」
 その矢先だった。
 『ダークビジョン』で黒い靄の向こうまでも目をこらしていた静は、ある一軒の小屋の中に、ゲートを見つけた。
 内側にあったため、人目につきにくかったに違いない。また、未憂も『ディテクトエビル』で周囲をさぐっていたものの、邪霊だらけで判別がつかずにいたのだ。
「未憂さん、たぶん、あの中だよ!」
「はい!」
 静が必死に伝えると、未憂はリンとともに走り出し、小屋の周囲を『バニッシュ』で呼び出した光で浄化する。
 眩しい光が収まった後には、小屋の中にぱっくりと口をあけた黒い渦がたしかに見えていた。
「見つけちゃえば、こっちのもんだもんねー!」
 未憂とリンは、半ば転がるようにして小屋の入り口から中に飛び込んだ。
 リンが念のため、背後からの敵を遮断する目的で、炎の壁を小屋の入り口に呼び出す。
「家は燃やさないようにね」
「わかってるよー」
 未憂はそう釘を刺してから、立ち上がり、あらためてゲートにむきなおる。新たな敵が沸いてくるまえに、これを封じてしまわねばならない。
「この世界には、立ち入らせませんよ!」
 レモさんたちのためにも。彼らに悲しい思いをさせる相手には、退いてもらう。
 その決意をこめ、未憂は翡翠の瞳を光らせ、両手を前に突き出してありったけの力で呼び出した氷の壁をゲートの前に出現させる。
 リンも未憂の隣にならび、同じくその手から魔法の力を注ぎ込んだ。
 ガキィ!!!
 轟音とともに、分厚い氷の壁がゲートの前に立ちふさがる。しゅるしゅると黒い靄が微かに漏れ出てはいたが、それもやがて凍り付いてしまうだろう。
「三井さん! ゲートは封印しました!」
(よかった……)
 聞こえてきた未憂の声に、静は安心する。
 後は、この場に残る幽鬼たちの始末だった。

 あたりが静まる頃には、徐々に空気も清浄さを取り戻していた。
「はぁ……」
 ほっと静は両手を降ろす。緊張と疲労で、四肢がじっとりと重たかった。
「大丈夫ですか? 少し休みましょう」
 未憂にすすめられ、静は広場にあったベンチに腰をかけた。白が隣に腰掛け、藍も戻ってくる。
「藍! 怪我してる。大丈夫?」
 無茶な戦い方をしたせいだろう。藍の服は肩のあたりからやぶけ、白い肌のあちこちには血が滲んでいた。
「これくらい、なんともない。……静が無事でよかった」
「ごめんね、援護しきれなくて」
 静は俯く。できる限り、背後から炎で打ち落としたつもりだったが、藍の動きについていけなかった部分もあったのだ。
「言っておくきますが、藍が悪いですよ」
 白がぽつりと、辛辣なことを口にする。
「怪我、治療しますね」
 まぁまぁ、とわってはいるようにして、未憂が傷口に手のひらをかざす。『リカバリー』の魔法で、藍の傷口から血が止まる。
「それと、これ! みんな、どうぞ♪」
「……どうぞ」
 リンとプリムがさしだしたのは、未憂が作った『ギャザリングヘクス』だった。見た目はどろりと青黒く、あまり美味しそうではないものの、効果はある。
「腹が減っては戦もできぬ、からねー」
 リンもあいていたベンチに座り、用意したカップを両手で持って笑った。
「一理あります」
 頷いて、白もスープに口をつけている。
 一方、藍は少し離れた場所であぐらをかいて座り込んだ。もしまだ残党がいれば、いつでも反応できるように、という思いだったが……どこか、静の近くにいられない気持ちもあった。
 白の指摘は、否定できない。藍は、白と静と共闘するという意識ではなかった。
 ただ、静を守りたかった。
 その実績さえあれば、また、静が、彼を守ることを許してくれる気がして。
 どれだけ頼ってくれたっていい。それに、必ず答えてみせるから。
 許してくれなければ、望まれなければ、傍にはいられない。
 ――だって、自分はそのためだけの存在だから。
 守るために、いるから。
「藍りんは?」
「え?」
 考え込んでいた藍は、唐突なリンからの問いかけ(と、勝手につけられたあだ名)に、一瞬反応ができなかった。
「あ、聞いてなかったなー。まぁいいけど」
「今、レモさんはどうなさってるかなって、お話してたんですよ」
 未憂が苦笑しながら藍に解説する。
「ああ……すまない。ぼうっとしていて」
「それで、あたしはこれが終わったら、レモっちたちと薔薇学の喫茶室でぱーっとパーティしたいなって! レモっちには、手紙で書きそびれちゃったけど」
 リンは肩をすくめて、空をみやる。その向こうにいる、レモのことを考えているのだろう。
「大切なのは、これから先ですもからね」
 未憂が穏やかに言った。
「うん。僕も、そう思う……」
 同意したのは、静だった。そのことに、藍はやや驚く。
 これが終わったら。静もなにか、したいことがあるのだろうか? いや、たとえそれがなんであろうと、守り続けるけれども。ただ。
 ただ、……もう、藍の庇護はいらないと、そう告げることだったとしたら……。
「……藍?」
 俯いた藍に、静は自ら近寄ると、そっとその手で藍の肩に触れた。
「まだ、痛みますか?」
 未憂も不安げに尋ねる。
「いや。大丈夫だ」
「そう?」
 ぺたりと、静が藍の隣に膝をつく。その体温が、藍にはどこか熱いほどに感じられた。 いつも、同じものを見ているつもりだった。
 けれども、いつの間にか。ずれてしまった。
 ――この戦いが、終わったら……。
(終わらなければ、いいんだ)
 ふと、藍の脳裏に、そんな言葉がよぎる。そしてそんな自分に、ますます、嫌気がさす。喉の奥が、熱い鉄を飲み込んだように重苦しかった。
「もう少し、自立が必要そうですね」
 やれやれ、と白が呟く。だが、そんな白の言葉も、静の思いやりをこめた眼差しも、今の藍の耳には届かなかった。

 プリムが、静かに歌い出す。
 遠くで闘う人のため、そして傷ついた人のため、……あるいは、幽鬼たちへの鎮魂歌。
 その澄んだ歌声は、タシガンの空へと響いていくようだった。