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ナラカの黒き太陽 第三回 終焉

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ナラカの黒き太陽 第三回 終焉

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5.避難


「落ち着いて、どうぞこちらに」
 タシガン港には、大勢の市民たちがいた。
 避難先は、大きく別れて二つ。解放した薔薇の学舎の敷地内と、こうして港から船でタシガン空峡を越えてツァンダに向かうものだ。
 そのための船は、ルドルフの手配で続々と集まりつつある。港では、避難のために集まってきた人々を、いかにスムーズに乗船させるかが問題だった。
 不安と混雑に殺気立つ人々を、冷静になだめながら、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は、薔薇の学舎から送られてきたリストにのっとって、案内を続けていた。
「大丈夫ですか?」
 不安に調子を崩したらしい女性に声をかけ、教導団の士官服姿のセレアナは膝をついて顔を覗き込む。連れらしき子供が、不安げに彼女に寄り添っていた。おそらくは親子なのだろう。
「すみません、気分が……」
「無理もありません。お名前は?」
 親子の名前を確認すると、セレアナは手を貸して、一端救護室へと案内する。
「大丈夫なんでしょうか。乗り遅れたら、この子が……」
「大丈夫です。必ず、ご案内しますから」
 力強く、かつ冷静にそう答えて、「さぁ」とセレアナは彼女と連れ立っていく。その道すがら、
「どうなってんだまったく!! タシガンはずっと静かな地域だったっていうのに、地球人たちが来てからろくな事がない!!」
 一人の男がそう怒鳴り散らしている。まわりにはおつきのものらしき男達が控え、彼らの手にはなにやら大きな荷物が抱えられていた。タシガンの貴族の一人かもしれないが、それにしては行動が粗野だ。
「お前らだってそう思うだろう。そもそも、あの研究所とやらが元凶だというじゃないか。そこで解決をせずに私たちにまで危険が及ぶとは、無能も甚だしいというものだ!」
 男の言葉に、同調して声をあげる者もいる。
「いや、もしかしたら、この黒い靄こそ地球人たちの仕業かもしれないぞ。俺たちをタシガンから追い出そうとしてるんだ!」
「なんだって、本当か?」
「いや、きっとそうに違いない!」
 混乱のなか、飛び交う流言飛語はあっという間に「真実」にすり替えられていくものだ。
(まずいわね……)
 やり場の無い不満を一時的に地球人に押しつけることで解消しようとしているのだろうが、このままでは下手をすればパニックになりかねない。
 セレアナの腕に縋った親子も、よりいっそう不安げな表情になっている。
 すると。
「どうかしましたか」
 セレアナと同じく、教導団の制服姿のセレンフィリティが、凜々しい表情で尋ねた。
「どうしたもこうしたもあるか! お前らは一体、何を企んでいるんだ!」
「そうだそうだ!」
「俺たちの土地を返せ!!」
 ほとんどヒステリーに近い騒ぎに対し、セレンフィリティは一歩も引かず、冷静な口調で返す。
「静かにしてください。この場には、お年寄りや子供もいるんです」
「はぁ? だからどうした!」
 興奮した男の一人が、セレンフィリティの胸ぐらを掴みあげた。
「……!」
 恋人の危険に、見守っていたセレアナの眉がぴくりと動く。だが、しかし。
「…………」
「どうか、落ち着いてください。我々……薔薇の学舎と国軍は、ただ、皆様の安全を確保したいだけです。この騒動がおさまれば、必ず、タシガンの地にお送りします。ご協力ください」
 凜としたセレンフィリティの言葉に、突然毒気を抜かれたように、男は「……ああ」と力なく頷くと、よろよろと彼女から離れる。
「あとほんの少し、ご辛抱ください。大丈夫です」
 セレンフィリティは明るい笑顔でそう言い切ってみせた。
 最後までたじろぎ一つ見せないセレンフィリティの態度に、一度は激昂しかけた空気が落ち着きを取り戻していく。
 親子を救護室に送り届けてから、セレアナはセレンフィリティの元に急いで戻った。
「危ないところだったわね」
 小声でそう囁くと、セレンフィリティは軽く肩をすくめて、
「そう?」
「そうよ。セレンが傷つけられなくてよかった」
 軍隊に属している以上、ある程度は覚悟はしている。だが、やはりできれば、恋人の傷つく姿は見たくないというのも、偽らざる本音だ。
「それにしても、ずいぶん大人しくなったものね」
 訝るセレアナに、セレンフィリティはイタズラっぽく笑うと、声をひそめて答えた。
「ちょっとだけ、幻覚を見てもらっただけよ」
 非常手段として、『その身を蝕む妄執』で軽く幻覚を見てもらったのだ。これ以上恐慌状態になっては困るから、あくまでほんの少し、だが。
「なるほどね」
 セレアナは微苦笑を浮かべた。セレンフィリティにしては、かなり穏やかな手段といえるだろう。
 随時状況を薔薇の学舎の避難対策本部に報告しつつ、その後も二人は誘導を続けた。


 一方、市街では。
「どなたか、まだ残っている方はいますか?」
「こっちはもう全員避難したようだ」
「あとは向こうの通りかな」
 報告を受け、トマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)は頷いた。
 トマスは、市街でまだ避難していない人がいないかを確認して回っていた。協力してくれているのは、志願した一般市民だ。
 状況が状況であり、また、ただ契約者たちが解決してしまうだけでは、市民たちとの溝は埋まらないだろう。トマスはそう提案し、ルドルフの許可を得て、こうして協力者たちと動いていた。
 そこに住む人々や、詳細については、そこにいる人々に聞くのがなによりも早い。また、避難を嫌がる人に対しての説得にも、彼らは役だってくれた。
「みなさんの勇気に感謝します。ただ、本当に危険な状況になったら、必ず逃げてください。必ず助けに参ります。契約者でない方々には、手に余る相手ですから」
 信頼をこめて、トマスは彼らに語りかける。
「しかし、これはいつまでかかるんだい?」
「本当に無事に帰れるのか?」
「大丈夫です。いつまで、とはお約束できかねますが、……必ず、この異変をおさめると、約束します」
 トマスはそう力強く言い切り、彼らを力づけた。
(坊っちゃま、ご立派ですよ)
 魯粛 子敬(ろしゅく・しけい)は、うんうんと深く頷き、頼もしいトマスの後ろ姿を見守っている。
 しかし、ある男の姿に、子敬の目がくわっと開いた。
「トマスくん、だっけー?」
「あ……」
 研究員のアステラが、何故か有志のなかに交じっていたのだ。トマスの姿を見つけると、へらへらと笑いながら近づき、いきなり抱き締めた。
「やー、よかったぁ! 知り合いがいて。いやぁ、研究所からおつかいで市街に出てきたら、この騒ぎだろ? 怖くて怖くて、震えてたんだよねぇ」
「それは、お大変でしたね」
 指揮を執る立場として、丁寧な言葉使いのまま、トマスはきまじめに答えた。正直、アステラの様子は、とても怖がっているようには思えないが。
「薔薇の学舎か、ツァンダ行きの船が避難場所として用意されています。どちらに向かいますか?」
「え? いいよ。トマスくんの傍にいるのが、一番心強そうだし。頼りにしていいんだよね?」
「それは、もちろん!」
 トマスは胸をはるが、背後で見ている子敬としては気が気ではない。どう考えても、絶対、アステラの狙いは違うところにあるとしか思えないのだ(そして正解である)。
「ところでトマスくん、この間はどうして来てくれなかったの? 待ってたんだよ?」
 アステラはトマスの耳元に唇を寄せ、ぎりぎりで囁く。
「それは、任務がありまして……。申し訳ない」
 アステラの下心に気づかないまま受け答えをするトマスに、ついに堪忍袋の緒が切れたのか、子敬はぐいっと間に入ると、アステラをトマスから引きはがした。
「失礼。こちらで、お話が」
 そのまま、ずるずるとアステラを腕に抱き、物陰に引きずり込む。
「……あなたは、この非常時に何考えてるんですか!!」
「え? なんのことかなぁ。 僕はただ、助けを求めてるだけなんだけど」
 アステラはとぼけるが、ごまかされる子敬ではない。
「とにかく、トマス坊ちゃんには金輪際近づかないでいただきたい!」
 頑としていいきる子敬に、アステラは「ああ」と得心がいったように頷くと、
「あんた、トマスくんのことが……」
「何故そうなりますか!!! そのようなことは一切ありません! ……とにかく、私をあまり怒らせないでください」
 ごほんと咳払いをして、どうにか落ち着きを取り戻すと、子敬はそう言い置いて立ち去った。ひとまずは、毒牙からトマスを守ることができたようだ。
 
 ――もっともこの後、タシガンで、「あのオッサンはアステラと……なんだ」というさらに明後日な噂がたったのは、子敬にとって気の毒としか言いようが無い。
 「わたしは、ノーマルだあぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!」



 黒い靄とモンスターに対する避難に関しては、今のところ遅れをとってはいなかった。すでに一度対処したことのある相手に、そうそう遅れをとる薔薇の学舎ではない。タシガン駐留武官の叶 白竜(よう・ぱいろん)以下、教導団も徹底してルドルフの指揮に従うことで、より避難はスムーズなものになっていた。
 次は、その先の対処だ。
 無人になりつつある市街地の上空を、一匹のドラゴンが滑空していた。小型飛空艇より遙かに早いスピードで空を駆けるブレードドラゴン。それを操るクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)の金色の髪が、風に激しく揺れていた。
「あそこにあるかな……」
 呟くと、クリストファーはその高度をさげた。先にあるのは、黒い靄の塊だ。鷹のような鋭い眼差しが地上を見渡す。逃げ遅れた者がいないか、負傷者はいないか。そしてなによりも、ゲートの存在を確かめるためだ。
 黒い靄が、ドラゴンの翼が巻き起こす風によってまきあがる。その向こうに見えたのは、たしかにぽっかりと開いた穴だった。
「こちら、市街地。西の住宅地にゲート発見だ」
 銃型HCにて報告をすると、さらに風でもって靄を吹き飛ばし、クリストファーは要救助者がいないかを注意深く観察した。
 その間に、二台の小型飛空艇ヘリファルテが現場に到着した。すぐさま、中から{SFM0039453#叶 白竜}と世 羅儀(せい・らぎ)が飛び降りてくる。
「処置は頼めるかな」
「了解しました」
 クリストファーに白竜が応じる間にも、羅儀はブリザードショットガンを構えていた。これで、ゲートを氷結して封じるのが目的だ。
 だが、次の瞬間、突如ゲートが震えだす。身も氷るような咆哮とともに、黒い靄を纏い、ついに幽鬼たちが地上へと這い上がってきた。
「ちっ」
 羅儀が舌打ちする。だが、白竜は「氷結が先です」とあくまで冷静に告げた。
 一端は外した銃口を、再びゲートへと狙いを定め、羅儀は引き金を引く。
 激しい音とともに散弾が放たれ、ゲートの周辺へと着弾するなり、みるみるうちに白く凍り付いていった。
 だが、さすがに一度では無理だ。羅儀もまた冷静さを取り戻し、再び指先に力を込める。
「目を閉じてください」
 その間に、生あるものをねたむようにまとわりついてくる幽鬼にむかって、白竜はその手をふりかざした。目を閉じるように羅儀に指示したのは、一瞬でも目が眩むのを避けるためだ。
 鋭い閃光は一瞬だったが、『光術』で呼び出された光は、幽鬼たちをちりぢりに退散させる。そして、さらに。
 グオオォォ……!
 ブレードドラゴンの雄叫びとともに、雷撃が空を切り、幽鬼やモンスターを貫いた。火花が散り、大地が揺れる。
「……これで、最後だぜ」
 羅儀のショットガンが冷たい弾丸を放ち、いよいよゲートは完全に凍り付き、沈黙した。後には、まだ残る黒い靄が、残留思念のように漂っているばかりだ。
「助けてくださって、ありがとうございます。実体のない相手は、不得手でして」
 白竜は、きまじめにクリストファーに礼を言う。
「助け合うのは、お互い様だぜ。じゃあ、俺は次のゲートを探しに行くから」
 ブレードドラゴンが、再びその翼に力をこめる。上昇していくドラゴンライダーを見送り、白竜はふうと息をつくと、まずはルドルフにゲートの氷結が済んだことなどをHCで報告した。
 その間、羅儀はポケットのガラムスーリヤに手を伸ばそうとしたが、未だ作戦中であることを思い出し、それはやめておいた。かわりに、足先で砂を蹴りながら呟く。
「最近こういう連中と戦うのが多いね。ナラカで何か起こっているのやら……」
 タシガンは、パラミタの中でも一番ナラカに近い場所、というイメージが羅儀にはある。長い間、霧に閉ざされた島で、他者を寄せ付けずに生きてきた土地だからかもしれない。また、そこに住む吸血鬼とウゲンとの因縁もあるからだろう。
 とはいえ、それが故に、なにかと窓口になってしまうのかもしれない。
「緩衝地帯と言ったらあれだけど、……タシガンで食い止めないといけないことは多そうだな」
「たしかに、そうです。タシガンにあの力がある限り、たとえ今回襲撃者を退けたとしても今後も狙ってくる者が出て来たり、テロリスト等に狙われる可能性は大きい……」
 白竜もそう答え、目を伏せた。
 レモとカルマは、だからこそ、その力を『無くそう』としたのだろう。
 その件については、白竜はとくに意見を寄せることはしなかった。その判断については、彼らを仲間とする薔薇の学舎の方々に全面的に任せる。ただ、自分は任務として、タシガン市街地の防衛に努めるだけだ。
「行きましょう」
 軍帽を改めて正し、白竜は踵を返す。その後に、羅儀も続いた。