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東カナンへ行こう! 4

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東カナンへ行こう! 4
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リアクション

 セテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)は面食らっていた。
 突然銀色の長い髪のちまっとした少女が目の前に現れたと思ったら強引に腕を取られて引っ張られ、「まあいいからいいから」と連れて来られた先にシャムス・ニヌア(しゃむす・にぬあ)がいたのだ。
 表情を見る限り、シャムスも彼を見て驚いているようだった。砂浜に広げられたビニールシートに横座りし、食事の支度をするだぼだぼの黒服姿の少年『ブラックボックス』 アンノーン(ぶらっくぼっくす・あんのーん)から受け取ったらしい飲み物の入ったグラスを手に固まっている。セテカが来るとは聞かされていなかったのだろう。
 周囲に目を走らせたがエンヘドゥの姿はなく、バァルたちもいない。自分たちだけだ。
 振り返ると、少女が「計画どおり」と言わんばかりの目をしてにやつきながらこちらを見ていた。
「きみは?」
「セテカさん、初めまして! オルフェは、オルフェリア・アリス(おるふぇりあ・ありす)っていうのですよ〜♪ 」
「アリス?」
 つぶやいたセテカが何を思ったか見抜いて、オルフェリアは大きくうなずく。
「はい。オルフェは、セルマさんの奥さんなのですっ」
「そうか、きみはセルマの。おれはセテカ・タイフォンだ。よろしく。
 しかしこれは――」
「ああっ、何もおっしゃらなくていいのです! オルフェはちゃーんと分かっているのですっ! ですから口にしづらいことは、何も口にしなくてもいいのですよー」
 現状を問おうとするセテカの前、オルフェリアは突然声を張り上げた。ほおに手をあて、いやいやと首を振ると口早にへらぺらしゃべりだす。その様子は、自分の言葉をセテカが本当に聞いているかどうか気にしているかもあやしいように見えた。
 というより、セテカが今言わんとしていることを勝手に理解した気になって、是が非でも話させないようにしようとしてるふうに見える。
「いや、しかし――」
「いいのですったらいいのです!」
 セテカが何か口にしようとするたびこれである。腕をぶんぶん振り回して……絶対阻止しようと決めているらしい。それがセテカにも分かって、とりあえず口をつぐむことにした。しゃべりたいことをしゃべり終えれば黙るに違いないから、そのときあらためて質問しようと。
 だが直後オルフェリアが口にしたことは、セテカにもシャムスにも全く想定外の内容だった。
「今日お2人のところに来たのは他でもありません! お2人がお付き合いしてるというのを風の噂で聞いたからなのでーす♪ 」

 まさに爆弾発言。

 黙っていようと決めたセテカだったが、反射的、口を開いてしまう。が、あまりの衝撃に言葉が出なかった。
 彼らに自分がシャムスに片想いしているのは知られていた。しかし両想いになって交際を始めたことは、だれにも知られていなかったはずだ。
 シャムスは南カナン領主だ。黒騎士と呼ばれた彼女が実は女性であると発覚したとき、それだけで裏切られたと反発が起きた。若い世代は柔軟な考えを持つが、年配者のなかにはまだ割り切れずにいる者も多いだろう。そんな状態だから、スキャンダルに発展しないよう彼女の立場を尊重してささいなことまで気を配り、隠しとおしてきただけに他国人のオルフェリアが知っていたという事実は衝撃的だった。
 一体どこから漏れたのか――セテカとシャムスは同時にその考えに行き当たり、視線をかわす。
 しかしそんな2人の胸中などおかまいなしに、オルフェリアは今まさに自分は長らく妄想してきた計画を実行しているのだという興奮に心躍らせ、舞い上がり、ますます饒舌になっていた。
「オルフェは、お2人がどんな経緯を経て想いを通じ合わせ、今どんなお気持ちなのかまでは見通せません。でもでも、きっとお互い強く想いあってるんだと信じてるのです♪
 だから、オルフェはそんなお2人に、魔法をかけに来ました♪」
 じゃーん、とばかりに後ろに回していた手をさっと前へ突き出す。そこには、銀色のお玉――にしか見えないが、これでも立派なオルフェリアの光条兵器である――が握られている。
 ちなみに、なぜこの場で光条兵器が必要なのかは全く分からないので、おそらく「お玉」という外見が見る者に与える効果を狙ったのだろう。
「ふふふふふ。お2人には、時間の魔法をかけてあげるのです♪ ゆっくり、ゆーっくりこれを食べてくださいなのですよー♪ 」
 オルフェリアの言葉に合わせて無言で荷物のなかからケーキを取り出したのはまたもやアンノーンだった。
 スライスされたレモンの蜂蜜漬けが乗った、見た目にも美しく、さわやかな香りの漂うチーズスフレだ。それに、スッとナイフを入れ、慣れた動きで切り分けていく。
「生地にレモンピールを混ぜてある。……レモンは平気だったか?」
 2人分のケーキ皿とフォークを用意しながら、ぼそっとつぶやいた。
「あ、ああ……大丈夫だ。ありがとう」
 まだ少し動揺をにじませた声で、シャムスは切り分けられたケーキの乗った皿をアンノーンから受け取る。
「甘味は抑えてある。あと、飲み物だが――」
「お茶は、えーと……ニルギリ? アールグレイ? でしたっけ?」
 先を奪ってオルフェリアが言う。
「それで作ったアイスレモンティなんだそうですよ♪ アンノーンの入れるお茶は、すっごくすっごくおいしいのです!」
 にこっとオルフェリアに笑いかけられ、アンノーンは荷物から紅茶の入ったボトルを取り出そうと背中を向けることで、ひそかに赤くなったほおを隠した。
「氷も、紅茶でできているのですっ」えっへん、と胸を張る。「氷は味が薄まる元なのです。でもこうしておけば、時間が経って氷が溶けても味が薄まらないのです〜♪
 ささっ。どうか『2人で』食べてくださいなのでーす♪ 」
 まるで「じゃあ、あとは若い2人にお任せしましょうかね?」と言う見合いの席での仲人さながら、オルフェリアは1歩2歩と後退する。そして
「オルフェの魔法は以上なのです!
 そしてオルフェたちは、これにてドロンなのですっ♪」
 と宣言するや空飛ぶ箒ファルケで颯爽と空へ舞い上がった。風術まで用いて加速し、セテカたちが何言う暇もなくあっという間に視界から消える。振り返ったが、当然アンノーンもいなくなっていた。
 この場にいるのは自分たち――シャムスと2人だけだ。
 もう、何が何やら。セテカはとまどい、少々途方に暮れた。ああいう女性は初めてだ。
「まいったな……」
 2人は同時に苦笑した。


「さあ、アンノーン。いよいよなのですよ〜」
 2人を残し、遠くへ飛び去ったかに見えたオルフェリアだったが。当然というか案の定というか、しっかり戻ってきて、草葉の陰に身をかがめる。微妙な表情をしているアンノーンのとなりから、ワクワクしながら茂みを掻き分けて覗けるぐらいの穴をつくっていると。
「何がいよいよなの?」
 後ろから、耳元でささやかれた。
 どきーん、としたものの、すぐにそれが夫のセルマだと分かってオルフェリアは胸をなでおろす。そしてその手を握って、グッと親指を突き出した。会心の笑みが浮かんでいる。
「ここはうまくいったのです!」
「うまくって、だから何が?」
 まったく意味が分からない、とセルマは首を傾げる。箒で飛んでいるのを見かけて、着地したと思ったら今来た方向へ走り出したのでそれを追ってきただけだ。
「いいから、ここに座るのです。静かにしてるのですよ〜」
「うん……?」
 わけが分からないまま、セルマはとにかくオルフェリアの言うとおりその場にしゃがみ込んだ。そしてオルフェリアが先から覗き込んでいる草葉の穴を覗く。
(あれは……セテカさんとシャムスさん?)


 2人はビニールシートに座っていた。2人だけだが、公衆の場でもある。だれの目に触れてもおかしくないよう適切な距離をとって向かい合い、せっかく用意してくれているんだからと、ケーキとアイスティを食べていた。
 どこから漏れたか気にはなったが、現状どうすることもできないのでこの場は脇へ置いておくことで一致する。
「……それで」と、シャムスが遠慮がちに話しだした。「もう終わったのか?」
「何が?」
「前に会ったとき、しばらく会えないと言っていただろう。用事があると」
「ああ。済んだ」
「そうか」
「すぐに報告できなくてすまなかった。少し後処理でごたごたしていた」
 そういったことはシャムスにも身に覚えがあった。何かが起きると、それが深刻であるだけ後処理には時間がかかる。特に自分たちのような立場の者は。
「もう聞いているかもしれないが、父の跡を継ぐことになった。来月、公式に発表する。そのあと顔見せとして数か所領地を回ることになっている。その準備に加え軍での引継ぎもあって、毎日忙殺されている」
 つまりはさらに数カ月会えないということだ。
 セテカがネイトの跡を継いでタイフォン家の騎士になるというのはシャムスの耳にも入ってきていた。まだ内々の情報だが、確実だと。今セテカが口にしたのは、うすうすシャムスにも予測できていたことだった。それを聞いただけにすぎない。とはいえ、そうは思っても、やっぱりセテカから聞かされると胸にずしりとくる。
 それを振り払うように、シャムスはつとめて声を明るく保ち、言った。
「じゃあここで会えてよかったな。体も休めるし」
「そうだな」
 セテカは何か考え込むような間をあけたあと、おもむろに持ち上げていたフォークを皿に戻し、ズボンのポケットを探った。
「次におまえに会えたら、これを渡そうと思っていた」
 セテカが差し出してきたのは、やわらかなスウェード革でできた小さな茶巾袋だった。口を開くと、中から細い銀色の指輪が転がり出てくる。
「これをオレに?」
「母の物だ。生前、おれに大切な人ができたら渡せと言っていた。父が贈った婚約指輪や結婚指輪じゃない。母の一族に伝わる物だそうだ」シャムスが何を懸念しているか先読みして言う。「おまえの指には小さいだろう。小柄な人だったから。はめてほしいとかいうんじゃなく、ただ、おまえに持っていてほしいと思ったんだ」
 シャムスはあらためて指輪を見た。細い銀線で異国風の飾りがついている、とても美しく繊細なつくりの物だった。セテカの言うとおりで、シャムスの指にははまりそうにない径だ。これをするとしたら、切って銀を継ぎ足さなくてはならないだろう。それはしたくなかった。
「大切にする」
 指輪を握り込み、真摯な目と声で告げるシャムスを見て、セテカはほほ笑んだ。
「ありがとう」


「もう十分だろ? さあ行こう」
 草葉の陰で、セルマはオルフェリアを追い立てた。オルフェリアはちょっぴり不満そうに口先をとがらせる。
「でもー」
「今の聞いただろう? 久しぶりに会って、またしばらく会えなくなるんだ。2人だけにしてあげよう。ほら」
 セテカのことだ、絶対覗かれていることに気づいているだろう。そう考えて、セルマはオルフェリアの手を取り、少々強引にその場を去った。アンノーンもこのことに特に異議はないようで、黙って2人のあとをついてくる。
(セテカさん、シャムスさん。どうかお幸せに)
 最後に見た、2人が互いを見つめる姿を胸に思い起こし、セルマは心から祝福を祈った。