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東カナンへ行こう! 4

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東カナンへ行こう! 4
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リアクション

 スパン、と小気味いい音がした。手を伝ってくる感触、そして音。下からのぼってくる甘くさわやかなかおり。ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)は振り下ろした木刀が目標物を捉えたことを確信した。
 目を覆った布を押し上げるようにしてほどく。捉えただけではない、スイカは中央から2つに割れている。しかも切れ目を合わせればまた1つに戻りそうな切れ具合だ。
「ラリウ、ふごーい!」
 ぱちぱちぱち。
 横手から軽い拍手とともに、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)の感心しきった声が起きる。
「まっふはふひゃない。ふぇんふぇんゆうほうもひらなふへ」
 聞き取りづらいふがふが語になっているのは、口いっぱいに食べ物をほおばっているからだ。リスのほお袋のように丸くふくらんだほっぺ。完全に入り切れなかったイカの足がちょろっと口端から飛び出している。
「……言いたいことは分かった。とりあえず、しゃべるか食べるか、どちらかにしたらどうだ」
 ダリルに言われて、ルカルカは思わず口元に手をあてた。
 隠した手の裏でもぐもぐ動かして、口のなかをカラにする。そしてあらためてダリルを仰いだ。
「すごいわ、ダリル! まるで目隠しなんかないみたいだった! ためらいなく歩いて、スイカの真芯を捉えて!」
 ダリルを見上げるルカルカの目には、純粋な称賛が浮かんでいた。面は彼を誇りに思う気持ちで輝いている。
 ダリルにしてみれば、たかだか歩いてスイカを割っただけのことだ。なんだか落ち着かない。どう返せばいいのかためらっていると、ルカルカは威勢よくくるっと首を回して、となりに座っているバァル・ハダド(ばぁる・はだど)の方を向いた。
「ねっ? バァル!」
「あ? ああ……」
 同意を求められたバァルはかき氷を食べる手を止めて、あいまいにうなずく。
 彼は18歳で領主の座につく前、それなりに学友たちと遊びを経験していたが、このスイカ割りというのは初めてだった。なにしろ東カナンには川はあるが海はない。もしかしたら川辺で目隠しをした者を言葉巧みに誘導し、棒で何かを割るという遊びもあるかもしれなかったが、バァルは知らなかった。
 だが知らないなりにも、先のダリルのすごさは分かる。目隠しをして歩いただけではなく、その前に10回ほど回転をしていた。あれでよく方向を見失わないものだ。
 率直にそれを伝えると、ダリルはてらいもなく淡々と答えた。
「2歩で180度回るようにする。4歩で360度だ。それを繰り返せばいい。あとは布を巻く前に目測してあった場所を頭中で展開し、イメージした通りに進むだけだ」
「そうか」
 その「だけ」が、そうそう他者になし得ることでないことは明白である。しかしそれを誇示しようともしないダリルの受け答えを好ましく思い、微笑を浮かべながらバァルもそう応じるにとどめた。
「ねえバァル、スイカは食べたことある? 真っ赤に熟れててすっごくおいしそうでしょ! 今から切り分けるから、みんなで一緒に――」
「まだ食べるのか」
 ルカルカの言葉をさえぎってダリルが少々あきれ声で言った。見下ろす視線はじろじろと奇譚なくルカルカの手元へ向けられている。
 横座わりしたルカルカのひざの上には、さっきまでもぐもぐしていたイカ焼きの串が乗った皿が乗っており、周囲には、やはり同じく串のまとめられた皿が数枚積まれている。その横には、これまたカラとなった容器。こちらはヤキソバだろう。これも数パック重ねられていて、さらにその横には、底に少し色水の溜まった青い波模様の発砲スチロール製容器が……。
「せっかくオアシスへレジャーに来て、おまえは食ってるだけか」
「しっ、失礼ねっ!」
 見るからにとがめる様子のダリルに、ルカルカは真っ赤になって反ばくする。
「ちゃんと泳いでたわよ! ねっ? バァル、あなた一緒に泳いでたから知ってるわよね!」
「しかしそれだけ食べればもとのもくあみだな」
 勢いに押されたバァルが口を開いて何事か答えるより早く、ダリルが妙に納得顔でうなずきながら言う。
「消費量より摂取量が多ければ、すぐに肉がつくぞ。そういえば腹回りが最近どことなく――」
「やめてーーーーーっ!!!」
 ルカルカは、彼女にしてはめずらしく、声に恐怖をにじませながら絶叫した。
「セテカ、今すぐ手合わせしましょう!」
 うら若き女性に「肉がつく」は最大の禁句である。
 ルカルカはすっくと立ち上がった。
「んん?」
 ルカルカをはさんでバァルとは反対側で、これまたかき氷をシャクシャク食べていたセテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)は、名前を呼ばれて初めて湖から目を放す。
 一体何のことやら? まるで話を聞いておらず、きょとっているセテカの腕を掴み、ルカルカは強引に引っ張り立たせた。
「はい、これ持って」
 押しつけるようにして渡したのは魔剣『朱雀』だ。
「おい、それは俺の――」
 という少しあわて気味のダリルの言葉は
「私も同じ剣を使うから。スキルも使わない。条件は同等ね」
 という言葉で黙殺された。
「…………」
 さっぱり経緯を理解できなかったものの、大体状況が飲み込めたセテカは、渡された剣に目を落とす。
 ひと目でそれと分かる、異国の剣だった。レイピアほどではないが刀身が細く、背側にわずかに反りがある。普段愛用しているバスタードソードに比べてかなり軽い。
 しかし、どこか違和感があった。
 それは何なのか。おもむろに鞘と鍔を結んでいる組紐をほどき、鞘から抜こうとするセテカをルカルカが止める。
「待って! その剣、魔剣なの。抜くと危険だから、鞘付きのままでやりましょ」
 なるほど、そのため縛ってあるのか。
 納得したセテカは鍔にかけていた手を放す。組紐をあらためて結び、そうしてバランスを量るように2〜3度手のなかで回し、振って、後ろに控えているバァルを振り返った。バァルは小さくうなずく。
 主君バァルから許可を得たセテカは、ルカルカに応じる視線を返した。その意はすぐに伝わり、ルカルカはぱっと笑顔になると、同じように剣を持つ手首を回し始める。肩を回したりなど簡単にウォーミングアップをすると、肩幅の広さで足を開き、かまえをとった。
「じゃあ、始めましょ」
「ああ」
 向かい合って立った2人は、まずカン、カン、カン、と数度軽く打ち合わせる。上段、中段、下段。速さもさほどなく、これもまだウォーミングアップの一環だ。そうして互いの間合い、癖などを探り合う。体が温まり、こなれていくにつれて徐々にスピードが上がり、打撃音も重く、鋭くなっていく。双方真剣だが殺意はなく、セテカは東カナン特有の円を描くような剣技を用いているため、その様子はまさに剣舞を見るかのように美しい。
 鞘を打ち合う音は高く、よく響いて、やがてそれを聞きつけた見物人たちがこの場に集まり始めた。すぐに2人が何をしているか悟り、邪魔にならないよう距離を保った上で、ときには双方をはやしたり、アドバイスを飛ばしたりしながら笑顔で見守っている。
 そのなかには、ダリルとバァルもいた。もっとも、彼らは周囲の者たちにのように特に言葉を発したりはせず、黙って見守っているだけだったが。
「いい動きをしている」
「そうだな。だが」
 バァルは少し不思議に思った。ルカルカとは幾度となくともに戦場で戦ってきた。彼女は女性の身でありながらその小さな体からは想像もつかない大剣を武器としていた。不釣り合いと、ひと目見るだけで一笑に伏す者が多いだろう。しかし彼女はそれを難なく操った。いや、難なくという言葉ではすまない。その剣技は周囲のだれよりも飛び抜けており、ザナドゥではまさに鬼神のごとき働きを見せた。彼女が剣をふるえば旋風が沸き起こり、ひと振りで軽く数人の敵魔族兵が吹き飛んだ。
 その目を瞠るほどの雄姿は、あれから1年半を経てもまだ記憶に新しい。
 それを思えば、今の動きは少しばかり精彩を欠いているように見えた。
「もちろん、それでも並の者より十二分に強いが」
 バァルの疑問に、ダリルはスキルを使っていないからだと答えた。
「我が軍も大半はコントラクターではない。だから軍務での指揮にコントラクターのスキルはあまり使わんな。
 もちろん自らが先頭切って戦うときは別だ。とは言え、最近は大規模な作戦行動では直接最前線で戦う事は減った。あいつの指揮官という立場がそれを許さない。もっとも、あいつはそれが不満でならんようだ」
 そして「いつもいつも、文句や愚痴を聞かされるのは俺さ」と独り言のようにつぶやき、苦笑した。
 その、困っていると言いながらも誇らしさを隠しきれない声、端々で愛情を感じさせる言葉や今の彼女を見守る視線の温かさに、いつしかバァルの口元には微笑みが浮かぶ。
 この2人もまた、ある意味、互いが半身なのだ。自分とセテカのように。
「そうか」
 そして再び戦いへと見入る。
 2人の前、いつしかセテカとルカルカの手合わせは格闘も交えたものになっていた。相手の隙を狙い、足払いや剣を持つ手を取って返したりといった攻撃がはさまり始めたことで、さらに技は多彩になっている。
 ダリルはちらちらとバァルを盗み見た。目を伏せ、逡巡するようなためらうような複雑な表情で悩んだのち、こほ、と空咳をして、思い切ったように口を開く。
「……そういえば、セテカはシャムスとはどう……なんだ?」
 その質問が意外で。2人から目を放し、バァルはダリルの方を向いた。
「どうとは?」
 問いに問いで返されて、ダリルはうっと詰まってしまう。
 素で見返してくるその表情から、バァルがいまだに2人のことに気づいていないことはあきらかだった。
 セテカ当人が話していないことを、自分の口から知らせていいものだろうか。
 そもそもダリルもセテカがシャムスに告白したことしか知らない。あれから2年近くを経た。隣国の要人同士として、それなりに交流もあっただろう。まだ何の進展もないとは思えなかったが、それとバァルに悟らせずに聞き出せるほどに、残念ながらダリルはそちら方面の話術に長けていなかった。
 考えあぐねたのち。
「……いや。何でもない」
 降参と、白旗を上げる。一方で、ダリルの様子を不審に思ったバァルが踏み込んで訊こうとする。
「一体何を――」
 そのとき、わあっと歓声が上がって、手合わせが終了したことを伝えた。
 残念ながら決着を見逃してしまった2人の元へ、それぞれ汗を振り飛ばしながらセテカとルカルカが戻ってくる。「お疲れ」と、ダリルはルカルカへ、バァルはセテカへ、それぞれタオルを差し出した。
「いい試合だった」
 セテカは朱雀をルカルカへ返そうとしたが、それをルカルカは遮り、そっと押し戻した。
「受け取って」
「え?」
 思いもよらなかった言葉を聞いて、セテカはとまどう。驚いたのはダリルもだ。当然だろう、セテカが手にしているのは彼の剣なのだから。とっさに口を開いたが、ルカルカの視線を受けてすぐに閉じ、おおった手の下でふうとため息をついた。
 ルカルカはあらためてセテカへと視線を戻し、軽く言う。
「12騎士への昇格、おめでとう。
 家柄だけじゃなく、努力の賜物よ。セテカはなるべくしてなった。認められるべき者が認められて嬉しいわ」
 にこ、と微笑するルカルカ。向けられたセテカは、彼女の言葉に少しとまどうような素振りを見せた。
「ああルカ。12騎士というのはだな――」
 再びダリルが何か言おうとしたのをセテカが視線で制した。分かっていると視線で告げ、首を振り、退ける。そしてルカルカには感謝の微笑みを向けた。
「ありがとう。
 だが、これは受け取れない」
「え? どうして?」
 思いもよらなかった返答に、ルカルカは目をぱちぱちさせる。
「この剣のすごさは鞘ごしにも分かる。俺には到底扱いきれない剣だ。そんなすばらしい物を贈ってくれようとした、きみの気持ちには感謝する。俺にはきみがそうしようとしてくれたということだけで十分だ。ありがとう」
 返された剣を見てルカルカは少し消沈を見せたものの、セテカの心のこもった礼の言葉を聞いて、すぐに笑顔を取り戻した。
「分かったわ。
 じゃあもしまた何かあったら、すぐに知らせて。2人のためなら何を置いても駆けつけるから」
 それが友というものだ。
「ありがとう」
 バァルとセテカはルカルカを見つめ、感謝するように笑みを返した。