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東カナンへ行こう! 4

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東カナンへ行こう! 4
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リアクション

 エメラルドグリーンの背びれを出して水面すれすれを疾走するイルカたち。その先頭を行くイルカには、背中にまたがったセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の姿があった。
 ハリ・ツヤ・弾力と、申し分ない美しい胸を形ばかりの慎みで隠しているのはいつもの藍色のトライアングルビキニではなく、紐タイプのカラフルなボーダービキニである。そして今日ばかりは普段はツインテールにしてある長い髪をほどき、自然な状態で風になびくままにさせていた。
「すごいわ!! 超速い!!」
 背びれに添えていた片手を上にすべらせ、立ち上がると、ビーチにいる恋人のセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)に向かってぶんぶん手を振って見せる。
「やっほーーー! セレアナー! 見てるーーー!?」
「はいはい。ちゃんと見てるわよ」
 白砂に立てたパラソルの下でゆったりと横座わりをして、セレアナはつぶやきで答えた。彼女もまた、いつものレオタードは脱ぎ捨てて、花柄のビキニを着ている。といっても、蛍光オレンジや黄色といった派手なものではなく、もっとシックでスタイリッシュな大人の色香漂う水着だ。
 セレアナのつぶやきは、当然セレンフィリティには届いていない。しかし、セレンフィリティも気にしている様子はなかった。イルカとたわむれることに夢中で、もう目の色が変わっている。イルカがジャンプしたときも、きれいにバランスをとってその背中から落ちることはなかった。むしろ、一体化しているように見える。
「きゃーーーーーあっ☆」
 着水したとき、派手な水しぶきをかぶってセレンフィリティはひときわ小気味よい笑声を響かせた。
「すっかり野生児ね」
 ほうっとため息を吐くセレアナの口元には、愛しい者を見つめる優しい笑みが浮かんでいる。
 一方でその目には、はしゃぎすぎているようにも見えた。いくら少尉に任官したがゆえの激務でここ数日私的な時間まで浸食されて、研修やその準備、山ほどのレポートや増加した訓練への対応に追われていたとはいえ、これは舞い上がりすぎではないかと。
 ハイテンションになりすぎて、後先が全く見えていない。
「全然セーブしてないわね。あれは、そのうち電池切れを起こすわよ」
 電池切れ――つまり、ぷつんっと突然動力が通わなくなった機械のように脱力して、その場から一歩も動けなくなるような状態だ。体力残値ゼロ。
 そうなったセレンフィリティの姿が今から目に見えるようだった。そうしたら、しわ寄せは全部セレアナにくるだろう。
 だけど――……。
「しかたないわね。あんなにがんばっていたんだから」
 肩をすくめる。
 今日ぐらいは大目にみて、好きなようにさせてあげよう。そう思ったときだった。
「セーーレーーアーーナっ!!」
 砂をもてあそんでいた手を冷たい手で握り取られたと思うや、突然ぐいと引っ張られた。
「セレン!? あなた――」
「いいから! こっちこっち! はや――っとっとっと!」
 セレアナを強引に立たせてそのままイルカたちの元へ引っ張って行こうとしたセレンフィリティだったが、後ろ向きに走るのは少し無理がありすぎた。あるいは、無自覚の疲れが足に出たか。砂をひっかけ後ろにつんのめった結果、バランスを崩してお尻から水面へじゃぼんする。手首を掴まれていたためセレアナもどうすることもできず、あとを追うようにセレンフィリティの前へダイブすることになってしまった。
「あいたたた……」
「もう! セレン、あなた少し――」
 調子に乗りすぎよ、そう叱りつけようとしたセレアナだったが、すぐにセレンフィリティの意識が自分に向いていないことに気づいて言葉を止めた。
 セレンフィリティはおへその辺りで揺れている水面をじっと見つめている。
「セレン?」
「ね? 不思議だと思わない? こんな色の水、あたし初めて見た」
 おわんにした手のひらですくう。
 エメラルドグリーンの海は地球でも何度か目にしたことがある。映像だったり、実物だったり。でもここの水はそのどれもと違っていた。ひと口にエメラルドグリーンと言ってしまえば同じだが、ここはもっと明るく、きらきらと輝いていて、その輝きがどこか非現実的な感じがする。
「何百年も昔に魔法で作られたオアシスだっていうふれこみも、あながち嘘じゃないかもしれない。だってこれ、凍らせたらそのままエメラルドになりそうだもの」
「……ええ、そうね。永久に凍らせておければね」
「そうしたらあたしたち、億万長者ね? これってさっそく竜見物のご利益が出たってことかな?」
 おどけたようにそう言って。見つめ合った2人は、どちらからともなくプッと吹き出した。
「ばかね」
 笑っている顔に、ぴしゃりとセレアナが水をかける。
「やったわね!」
 セレンフィリティもまた、お返しとばかりに水を飛ばす。
 水をかけあっていた2人の体は少しずつ距離を縮め、セレアナがセレンフィリティの上にかぶさるようなかたちで手足を絡めて、やがて唇を触れ合わせた。
 軽い、たわむれのようなキス。ゆらゆらと、セレンフィリティのこげ茶の髪が水面に広がって揺れる。
 セレンフィリティの体は長時間水のなかにいたせいでひんやりと冷たく、セレアナは対照的に太陽の光で温かくほてっている。互いの肌の冷たさ、ぬくもりがとても刺激的で、2人は無言でいつしか互いに肌を押しつけあい、指を絡ませ、唇を求め合っていた。
「――――っ」
 ぷは! と完全に水没していたセレンフィリティが水面を顔を出し、身を起こす。
「駄目ね、ここは愛し合うには向いてないわ」
「水のなかでも呼吸できるようにならない限りね」
 頭をふるって水滴を飛ばすセレンフィリティを見て、くすくすセレアナが笑う。
「愛し合うのは日が落ちてから。ベッドでしましょう」
「そうね」
 でも今はまだその時ではないから。この奇跡の楽園のような場所を、心から楽しもう。
 2人は仰向けになって、水面に浮かんだ。水の奏でる不思議な音楽に耳をすまし、目を閉じる。
 どちらからともなく手をつないで。
 エメラルドはいらない、億万長者になれなくてもいい、いつまでもこうして2人寄り添っていられるのならと思った。




「イコナちゃん、ほらほらイルカさんですよ!」
 水面近くにいる数頭の群れを指さしながら、ティー・ティー(てぃー・てぃー)が振り返った。
 しかしイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)の反応は薄い。
「そう」
 とだけ答えて、ぎゅうぎゅうに砂を詰めたバケツをひっくり返して作った砂の山を城へ変えることに没頭している。
「スープ、上が落ちてこないよう、気をつけて削るのです。あと、サラダ。もう少し砂を濡らしてきてください」
 砂が乾いて崩れないよう適度に湿らせつつ、城の外壁を作りながら、水竜の幼生型ギフトのスープ・ストーン(すーぷ・すとーん)やサラマンダーのサラダに指示を出す。スープは器用に前ヒレを使って砂を少しずつ掻き出して、外壁に門を作ろうとしていた。
 イコナの指示に従いつつもティーが気になっているようで、チラチラと視線を向けてくる。背中を向けっぱなしのイコナとは対照的だ。だが全くの無関心というわけではなく、ただの見せかけ、ポーズだけ。むしろ気になって気になってしようがなく、全神経が背中に集中しているのもティーには察することができた。
 ただ、どうしてそういう態度をとるのかも理解できているから、それ以上言葉を重ねることもできなくて、ティーはふうと息を吐く。
(ここに鉄心がいてくれたら、少し強引でも抱き上げて連れて入ってもらうのですが……)
 しかし源 鉄心(みなもと・てっしん)はここへ到着するなり釣り竿片手に釣りへ行ってしまった。今は沖の小島近くで、タケシとともにボートから釣り糸を垂らしている。ひんぱんに動いて糸を巻き上げている動作からして、釣果がないわけではなさそうなので、きっと岸まで戻ってくるのはまだ先のことだろう。
 鉄心はいない。自分ではいやがるイコナを抱き上げて強引に連れ込むこともできそうにない。かといって、ここにイコナやスープたちを残して自分だけ泳ぐなんてできないし。
 どうしよう? と考えあぐねていると、向こうからハリールがやってきた。
「イコナちゃん。イコナちゃんたちも来てたのね! 何作ってるの?」
「お城ですわ」
「へえー」
 イコナとスープの中間の位置に座って、まじまじと砂でできた城に顔を近づける。
「すごい。細かいのね。前に写真で見た、お姫さまの住んでるお城みたい。優雅できれいだわ。
 完成?」
「あとここにスープが門を開通させれば完成なのです」
 ハリールに手放しで絶賛され、尊敬の眼差しで見つめられて、イコナは少し鼻高々だ。うれしい気持ちを押し殺して普段の態度を装っているが、ほおがほんのりピンク色に染まっている。
 スープを手伝い、反対側から掘っていると、間もなく城の門が開通した。
「これで完成ね! すごいわ!」
「すごいです、イコナちゃん、スープくん。本物そっくりです」
 ティーもやってきて、すぐさまイコナとスープを交互にほめる。スープは水竜である上、もともと全身で喜びを表したりなど派手に感情表現をする方ではないので反応は薄かったが、それでもぱたぱたと左の前ヒレを動かしてティーに応える。
 つくづくと眺めていたハリールだったが、パシャッという水音を聞いてそちらへと顔を向けると、ちょうどイルカがジャンプしているところだった。
「わあ! イルカ! イルカよ、イコナちゃん!
 ねえイコナちゃん、泳がないの?」
「……ハリールさんこそ、泳がないんですの?」
 ちょっとためらったあと、イコナは質問に対し質問で返す。
「あたし? 泳いでたんだけど、ちょっとばかやっちゃって。浮き輪、かじって穴あけちゃったの」
 あははっと照れ笑うハリールを見て、ティーとイコナはそろって小首を傾げた。
「浮き輪を、かじる…?」
 何をどうしたらそんなふうになるか、ティーは不思議に思ったが、訊くのも悪い気がしてそこで言葉を止める。
 イコナは興味津々だ。
「浮き輪がないと泳げないんですの?」
「舞香たちに教わったから、そんなことはないけど……でも、やっぱりないと、まだちょっと不安かな」
 その言葉に、こほ、と空咳をした。
「し、しかたありませんわね。わたくしの浮き輪を貸してさしあげますわ」
「え? でもそうするとイコナちゃんが……」
「ふふ……わたくしは、浮き輪がなくても大丈夫なのですわ」
 なぜか得意げに胸を張って、イコナはサラダに指示を出して、自分の浮き輪を取ってこさせる。そしてそれをハリールに手渡した。
「さあこれでハリールさんも泳げますわね」
「イコナちゃんも? 一緒に泳いでくれるのよね?」
「もちろんですわ」
 と、スープをしっかり両手で抱き込んでうなずいた。
「あ、紹介が遅くなりましたが、この子はスープですの。わたくしの子分ですの」
「ハリールよ。よろしく、スープくん」
 前ヒレを上げてくるスープの手にハリールは握手をしつつ、ティーを見た。
「くん、でいいのよね?」
「ええ。スープは男の子ですから」
「さあハリールさん、行きますわよ」
 先までの消極的な態度はどこへやら。スープを抱いたまま、ハリールを従え先頭に立ってイコナは湖へ入って行く。ハリールに格好悪いところは見せられないと、一生懸命気を張っているのだろう。その姿がかわいくてかわいくて、ティーは気付かれないよう必死に声を殺してくすくす笑う。
 イコナにはティーを気にする余裕がなかった。まさしくティーの思ったとおりで、みっともない姿は絶対に見せられないと、空威張りでイルカのいる沖へと向かう。直後、ざぶんとモロに波をかぶってしまった。
(一体何なんですの? この湖にあるまじき波…っ)
 造波装置の作り出す波を乗り越えるべく、必死に足をバシャバシャ動かす。だが一番必死になっているのはイコナではなく、ビートバンがわりにされているスープだろう。
(く、首が絞まるでござるっ。イコナ殿、も、もう少し手を緩めてくださらぬか…っ)
 口に出したいながらも喉への圧迫がすごくて声にならない。
 ぎゅむっと掴まれ後ろへ引っ張られて。体半分沈んだまま、そっくり返りそうになりながらも決死の覚悟でヒレを動かして前へと進む。
 その横を、平泳ぎでティーが軽々追い抜いて行った。
(イルカさんイルカさん、私たちと遊びましょう)
 沖にいるイルカと視線を合わせ、インファントプレイヤーを用いて意思の疎通を図る。
(ですが、イコナちゃんはあまり泳ぎが得意ではありませんから、優しくしてあげてくださいね)
 じっと動かず待ってくれているイルカにそっと手で触れ、イコナを指さすと、イルカはキュイッキュイッと鳴いて答えた。そして同じように周囲のイルカたちがキュキュッと鳴き、水に潜る。次に姿を現したとき、イルカたちはイコナの面前で水しぶきを撥ね上げながら思い思いの方向へ一斉にジャンプした。
 イルカと触れ合っていたティーをうらやましく見ていたイコナは、突然の出来事に驚く。
 きらきら光を弾く水滴に囲まれたイルカのジャンプに見とれた直後、波立った水面がイコナを翻弄した。
「うぷぷぷぷぷぷっ」
「イコナちゃん、大丈夫!?」
 後ろにいたハリールは少し離れていたおかげで巻き込まれずにすんだものの、イコナはクルクルと、周囲をグルグル回るイルカが作り出した渦の中央で回転している。スープから手がはずれ、軽いスープはポーンと放り出された。
「スープ…っ! さ、サラ、ダ……うぷぷぷっ」
 助けてくださいませーーーーっ
「イコナちゃん!? イルカさん、これは――」
 渦に飲み込まれるように沈み始めたイコナの姿に、ティーがさすがにあせって触れたイルカに訊く。「いいから見てて」というふうにキュイッと鳴くイルカから、イコナへ視線を戻したティーが次に見たのは、渦の中央から盛り上がってくる水面だった。
 イコナをポーンとビーチボールのように宙へ放り出して、イルカがジャンプする。着水したとき、イコナはイルカの背に貼りつくようにして乗っていた。
「イコナちゃん、すごい!」
 ぱちぱちハリールが手をたたく音でぎゅっとつぶっていた目を開いて今いる状況を察したイコナは、イルカの上で身を起こし、ふふんと強がる。
「こ、これくらい、どうってことないですわ」
 それを聞いたイルカが、キュイッキュイッと鳴いた。グンッと加速をつけて、突然走り出し、小さなジャンプを繰り返す。イコナは必死に背びれにしがみつき「きゃあっ、助けてくださいませっ」と今度こそ悲鳴をあげたが、周囲で同じくジャンプをするイルカたちの水音にかき消されて、ティーやハリールの耳には届かなかった。ティーとハリールはイコナが楽しんでいると思って、くすくす笑っている。
 楽しげな笑い声やバシャバシャとイルカのたてる水音が響くなか、だれからも忘れ去られたスープがひっそりとビーチに打ち上げられ、目を回して伸びていた。