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そんな、一日。~夏の日の場合~

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そんな、一日。~夏の日の場合~
そんな、一日。~夏の日の場合~ そんな、一日。~夏の日の場合~

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7


 クーラーをつけたって、扇風機を回したって、アイスを食べたって、暑いものは暑い。
 雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)はまだ、「あつーいー」と文句を言う元気があったが、
南西風 こち(やまじ・こち)に至っては口を開く余力もないらしい。溶けかねんばかりで床に伏している。それも仕方ないとリナリエッタは思った。だってこちの服は、この暑いのにフリルを
重ねた厚いものだ。夏向けの生地でもないし熱もこもるだろうし、ぐったりするのも当然だった。
「こちー。大丈夫?」
「うー……」
 声をかけても返事は呻くような声ひとつ。いよいよまずいかな、と対策を講じようとしたところでアドラマリア・ジャバウォック(あどらまりあ・じゃばうぉっく)が部屋に駆け込んできた。視線を巡らせ、倒れているこちを見つけて「はわわっ」と素っ頓狂な声を出す。こち様、と名前を呼んで駆け寄って、こちの身体を抱き起こした。
「朝よりも酷い状態になって……! わ、私がこれを作るのに時間がかかったばかりに……!」
「え、マリア、何か作ってきたの?」
「はい……こち様のお召し物では暑かろうと、こちらを」
 こちを抱いたまま器用に広げて見せたのは、日本にある伝統的な夏の衣装。
「浴衣?」
 で、あった。
「浴衣なんて作れたの、貴方」
「は、はい。初めてでしたが、なんとか……」
「すごいじゃない。こち、こち起きて! マリアが新しいお洋服を作ってくれたわよ!」
 呼びかけに、こちの瞼がぴくりと動いた。目を開ける。視線はのろのろと彷徨い、ゆるやかな時間をかけてアドラマリアの持つ浴衣へとたどり着いた。
「マリア、これはいったい……」
「浴衣、です。こち様に着てもらおうと思って……」
「綺麗、なのです。着替えます……」
 こちの声に力はなかったが、先ほどまでよりずっといい。その上、よろめきながらもすぐさま立ち上がった。アドラマリアも続いて立ち、こちの手を取り微笑みかける。
「初めては慣れないでしょうから、手を貸しましょう」
「お願いします」
 そうして部屋を出、十五分ほどが経ち。
「ふふ」
 ドアの向こうから、こちの笑い声が聞こえてきた。着替えは終わったのだろうか。リナリエッタがドアの方へと目を向けると、丁度いいタイミングでドアが開かれた。華麗な浴衣を身に纏ったこちが、涼しい顔をして立っている。
「マスター、ご心配おかけしてすみません」
「いいのよ。もう随分元気そうね」
「はい。マリアの力でこちは復活を遂げました。もう大丈夫です」
 その言葉を裏付けるよう、部屋へ入ってくるこちの足取りは軽い。浴衣も気に入っているようで、袖をつまんで微笑んでみたりと可愛らしい仕草を見せた。またアドラマリアも、こちが元気になっただけでなくそんな反応を見せてくれるものだから嬉しそうに笑う。作り手冥利に尽きないのだろうな、と推測していると、いつの間にか傍に来ていたこちがリナリエッタの手を引いた。
「? どうしたの?」
「マスター。工房にいる妹や弟たちも涼しくさせてください」
 一拍置いてから、こちの言いたいことがわかった。
 工房の人形たちは、多くが中世的な服やロリータ系統の装いだ。そしてそれらは、先ほどまでこちがダウンしていたように、風を通さず夏を過ごすのに向かない。
「こちは優しいお姉さんね」
 クロエが暑い思いをしていないのか、と心配しているのだろう。リナリエッタが頭を撫でると、こちはきゅっと目を瞑った。
 でも、アドラマリアはクロエや他の人形たちの分の浴衣を用意しているのだろうか。どうなの? と視線を向けると、自信たっぷりの明るい表情でアドラマリアはびらりと服を広げた。クロエが着るに丁度良さそうなサイズの浴衣だった。準備万端だったというのか。
 やるじゃない、と思っていたら、アドラマリアはもう一着を広げてみせた。
「って、それ。甚平?」
「リンス様に……。に、似合うかなーと……思って」
「相変わらず、服に対する情熱はすごいわね……」
 この短時間で何着も作るなんて、正直恐ろしい。が、同時に頼もしい。
「よし。みんなで工房に行って、何か涼しくさせてあげましょ!」
 丁度いいことに、冷蔵庫にはおやつにと用意しておいたアイスクッキーとアイスティーがある。
 これを持って工房へ行って、みんなでティータイムにしよう。


「フリルとレースの世界に生きるどーほーたちよ。夏を乗り切るますとあいてむを渡します」
 と、ドアのところに立ったままこちは言った。クロエは、こちの格好をじっと見つめる。浴衣だ。こちは浴衣を着ている。
「かわいい! こちおねぇちゃん、フリルもいいけどわふくもすてきよ」
「きっとクロエにも似合います。さあ、これを」
 こちの言葉に、アドラマリアがクロエに目線を合わせて服を手向けた。
「きていいの?」
「は、はい。これは、クロエ様用にと作ったものですから。よろしければ……」
 着てみせてください、とアドラマリアは言う。受け取って、クロエは笑った。着付けを手伝いましょうか、という申し出を丁重に断って、着替える。
「やっぱり、クロエも似合います」
「ほんとう?」
「はい。マリアの仕立てに狂いはないのです」
「そ、そんな。私……」
 こちの褒め言葉にアドラマリアは顔を赤くしていたが、クロエもその通りだと思う。だってこちの着ている浴衣は、本当にこちのためだけに作られたのだな、と一目見てわかるくらい彼女に似合いだった。クロエの着る浴衣も、他の人から見たらそう見えるのだろうか。だとしたら、それほどわかってもらえて嬉しく思う。
「ありがとう、マリアおねぇちゃん」
 クロエが笑顔で礼を告げると、アドラマリアは顔を伏せて離れて行ってしまった。
「マリアは恥ずかしがりなのです」
「かわいいのね」
「なのです」
「ゆかたもかわいい。わたし、ゆかたひさしぶりだわ」
「こちは初めてです」
「そうなの? どう?」
「すごいと思います」
「すごい」
「はい。浴衣には、スカートとまた違う可愛さが溢れています。しかも涼しい。だから、すごい、のです」
 言い切って、こちはえへんと胸を張った。その仕草が、年上のお姉さんなのに可愛く思える。そうね、と同意するとなお得意げにしたので、クロエは微笑んだ。


 ベファーナは、クロエに浴衣を着せたあと、リンスにもあっさりと甚平を着せてしまった。本当に、彼女の服に対する情熱はすごい。いつもは引っ込み思案で、ふたりきりで話すのもままならないというのに。
 さてリナリエッタはというと、少し離れた場所にいた。まだ、近付くとはしゃいでしまいそうなのだ。だってみんな、可愛いから。
 こちやクロエの浴衣姿はもちろん、甚平姿のリンスもいい。普段と違う装いは、なんというか、滾る。
 ひとりはしゃいでいると、視界で黒いものが動いた。ベファーナ・ディ・カルボーネ(べふぁーな・でぃかるぼーね)だった。ふらついているようだ。
「だからそんな格好やめなさいって言ったのに」
 ベファーナは、この暑い季節に黒スーツといういでたちだった。太陽光を吸収する黒は、いったいどれほどの熱を孕んだのか。想像もしたくない。
 馬鹿ねぇ、と思っていたところ、急にベファーナが膝をついた。そのまま地面に崩れ落ちる。
「ちょ、ちょっと!」
 さすがに慌てて傍に屈んだ。ベファーナは気を失っているらしく、ぐったりとしている。
「大丈夫?」
 声をかけられて、顔を上げるとリンスがいた。はい、と頷き身体を起こす。
「少し休めば、たぶん。だからあの、ごめんなさい。どこか、彼を横にできる場所を貸していただけますか?」


 目を開けると、見覚えのない天井があった。誰かの部屋のようだった。ぼやけた頭で、記憶を探って思い出す。
 そうだ、ここは、工房で。
 暑さに喘いで無様に倒れた。
 今いる部屋は、リンスの部屋だろうか。
「迂闊だったな」
 ぼそりと呟く。声は掠れていて、それもまた腹立たしい。愛用のシルクハットが枕元に置かれていることに気付き、ベファーナはそれを顔にかぶせた。
 こんな顔を誰に見せられようか。
 帽子の下で、自嘲する。自嘲した後、見られたいのか、と自問した。
 誰に? 馬鹿な。
 彼は、こんなところに現れない。
 現れたとして。会ったとして。言葉を交わしたとしても、彼と自分には永遠に隔たりがあるのだと、ベファーナにはわかっていた。
 だから会わない方がいい。会えば余計に辛くなるだけだ。それも、知っている。現に今まで、辛かった。
 ああ、どうして、こんな取りとめのないことばかり考えてしまうのだろう。ベファーナは自問する。答えは恐らく、身体が弱っているからだ。弱いときは、過剰に不安になる。不安な心が、拠り所を求める。
 なんて情けないのだろう。こんな姿では、誰にも会いたくない。会えない。
 そう思っていたのに、部屋の扉がノックされた。タイミングが良すぎて一瞬期待した。彼だったらいいのに、と。会いたくないと思った矢先にこれだ。女々しい。
 どうせリナリエッタかリンスだろう。ベッドに身体を起こし、「大丈夫だよ」と声をかけた。そう、大丈夫。大丈夫だから、帰ろう。
 帰って、いずれ、落ち着いた頃。
 改めて、彼に会いに行こう。
 会って、今までの非礼を詫びて――
 思案の最中、ドアが開く。
 ドアの向こうには、紺侍がいた。
「……人の決意を簡単に壊してくれるなよ」
「え、オレなんかした?」
「重罪だよ。やれやれ」
 できる限り、今までと同じような態度を取った。尊大な態度と人をなめた口調。紺侍は苦笑するような表情を浮かべていた。
「どうしてここに?」
「偶然工房来たら、ベファーナさんが倒れたって聞いたから。大丈夫かなァと」
「優しいね」
 吐いた言葉は、皮肉のような色をまとっていた。
 ああ、違う。こんな風に言いたいわけじゃあないのに。こんなことを言いたいわけじゃ、ないのに。
 言いたいことは、
「紺侍」
 言えば、終わりになってしまう言葉。
「今まで、すまなかった」
「何が」
「うん。まあ、色々だよ」
 これ以上を言えるはずがない。ばっさりと切り捨てて、ベファーナは笑う。
「悪いけど、もう少し休みたいんだ」
「あ。はい。……お大事に」
「ありがとう」
 立ち入らせない壁を作って、ドアを閉めさせて。
 ひとりきりになった部屋で、祈る。
 あの優しい男が、幸せになれますように。