シャンバラ教導団へ

百合園女学院

校長室

薔薇の学舎へ

人形師×魂×古代兵器の三重奏~白兎は紅に染まる~

リアクション公開中!

人形師×魂×古代兵器の三重奏~白兎は紅に染まる~
人形師×魂×古代兵器の三重奏~白兎は紅に染まる~ 人形師×魂×古代兵器の三重奏~白兎は紅に染まる~

リアクション

 
 8 罪無き罪有る者達へ。――幸せな、夢を。

 捕獲した兎は、眠りから覚める前に処分された。“彼”が本能のままに感じていたように、もう、助からないのだろう。助かっても――もう、元のような生活には戻れない。不自由な体と不自由な心で、おいしいものの味も解らずに。それでもきっと、兎の体細胞は生きることにしがみつくのだろう。兎を生かそうとするのだろう。
 生きる為に生まれてきたから。誰にどんな思惑があろうと、兎は、幸せに生きる為だけにこの世に誕生したのだから。
 しかし、そんな生は兎にとって――地獄でしかないだろう。
「あ、あの……」
 休んでいた重傷者の中の一人が起き上がる。それは、十代後半に見える少女だった。声を出すのも辛そうだったが、それでも必死に説明する。
「私が、兎を逃がしたんです。置きっ放しになっていた大量のダンボールが動いているのが気になって、開けてみたら、注射された兎が……でも、その時は真っ白くて……私、追いかけて捕まえなきゃって……」
 沈痛な空気の中に流れていく言葉は、兎の記憶から見えなかったものを補完し、その後の流れを容易に想像させるものだった。少女が白兎を逃がしたすぐ後、兎達は変異し、ダンボールから飛び出していったのだ。千二百羽が一斉に変異を起こした訳ではないだろう。注射を打たれた順番に、兎達は自我を失くしていった。だが、人々がパニックに陥るのは、その速度でも充分だった。たった一羽、ほんの数羽の襲撃で恐怖の引き金は引けるのだ。
「兎が来るわ……!」
 医学知識を元に、少女に命のうねりをかけていたルシェンが鋭い声で皆に言う。兎を警戒するためにかけていたディテクトエビルが、複数の敵意を感じ取ったのだ。彼女の視線を追った先では、治療スペースの外で気持ち良さそうに眠っていた兎が目覚め、結界にぶつかり始めていた。
「もう、起きたのね。ううん、こんなに騒がしいんじゃ仕方ないか」
 フロアの遠くまで見るように目を細めて、ルシェンは言う。兎が眠っていたのは治療スペース周辺だけで、それ以外では相変わらず戦いと混乱が続いているのだ。あまり良い睡眠環境とはいえないだろう。
 ――彼等は、最後に幸せな夢を見られたのだろうか。こんなことになるとは想像もしていなかった、幸せだった頃の、暖かい夢を。
「……全部、殺すしかないって事だな」
 ラスは立ち上がり、結界の外に出ようと歩きかける。袖の端が引っ張られたのは、その直後だ。
「待って」
 頼りなさ気な表情で、ファーシーが見上げてくる。揺れる瞳の中には、確かな迷いが見て取れた。他に方法は無いのか。一部でもいい。兎達を助ける方法は無いのかと。
「本当に……?」
「今更、何言ってんだ? こいつを殺る時、お前も同意しただろ」
「…………」
 胸部から血を流して絶命した兎を示すと、彼女もその骸を見下ろした。「でも……」と呟く声には、消えない躊躇が感じられる。たとえそれが人でなくとも、皆殺しという行為に踏み切れないのは理解出来た。
「ファーシー……お前は幸せだったんだ。周りの人間に恵まれて、失った体を取り戻して、子供まで作って……悪と呼べる悪には出会わずに、どんな事でも全て『何とか』なってきた。確かに人は、意志の力で事態を好転させることも出来る。でも、それだけじゃない。そんなのは……稀なんだよ。お前は運が良かっただけだ。どうにもならない事も、この世界にはある。それを知る……良い機会だろ」
「殺す事が……それが、一つしかない答えだっていうの? ……もう、助けられないの?」
「殺さないと救えないんだって言ったら、納得するか?」
「…………」
 少しの間の後に、袖を掴む力が緩んでいく。
 ファーシーも解っているのだ。兎達にもう、未来など無い事を。来世にしか、希望が存在しない事を。それでも――それでも、こんな事、初めてだから。千二百の命の死を許容するなんて、信条から外れる事だから。それを許したら自分が捻じ曲がってしまうような、そんな気がして。
「わたし……わたし、は……無力なのね、まだ……」
「……五体満足な奴が、何でも出来る訳じゃない。車椅子の奴に出来ない事が在るのと、同じように」
「え……」
 驚きを瞳に宿した彼女から、距離を取る。隣に立った大地が「行くんですか?」と訊いてくる。
「ああ……まあ」
 短くラスが肯定すると、彼はやれやれというように笑みを浮かべた。既に心は決まっているらしい。
「しょうがないから付き合ってあげますよラスさん。……つきあうってそういう意味じゃないですよシーラさん」
「ふふ、わかってますよ〜。私も手伝いますね〜」
 至近距離で話す二人につい身を乗り出しかけるシーラに大地は一応念押しする。外に出ようとする三人の後を、諒も慌ててついてきた。
「ぼ、僕もやります! それしかないなら……」
「わたくしも行きますわ。千以上も居るのなら、手はいくらあっても足りないでしょうし。それに……」
 エリシアも魔剣『青龍』と妖刀【時雨】を両の手に持ち、フロアに出る傍らで避難者達を振り返る。
「どちらにしろ、ここを守る為には斬り伏せ続けるしかないのでしょう?」

 言葉の通り、エリシアは容赦なく兎を斬りまくっていた。無頼の気構えで、何があっても引かないという覚悟と共に刃を振るう。兎の行動を予測して受太刀で防御し、時雨で一気に斬り払う。サイコメトリでも薬の正体は判らなかったが、危険な特性を持っているということは嫌という程に理解出来た。兎の肉体のみならず、精神構造そのものにまでドーピングを施す薬だ。それが未だ流れている血液が飛び散るのは不衛生だし、万一感染でも起こしたら大変だ。
 そう思って、彼女は倒した兎を適度に凍りつかせていく。時雨を振るう度にデパートの中に雪が舞い、氷が散る。その戦いぶりは、見ていて決して不快になるものではなかった。また、青龍に支配されることなく戦い続けている彼女は、真空斬りで兎だけを倒すように配慮もしていて、間違って味方を傷つけることもない。
 消えていく命の割に、あまり血を見ない。
 そんな戦いは、恐怖している避難者達に少しの希望を与えるものだった。
 そして、シーラもパイルバンカーを使って兎達を次々と倒していた。野生の勘で攻撃を回避し、なるべく一撃で葬り去れるように気をつけながら。時にはやはり適者生存も使ったが、それでももう、一緒に戦う諒は怖気づいたりはしなかった。いや、多少怖気づいてはいたが彼も刀を以って兎に攻撃を繰り出していた。
 どこかの甘酒を飲んだわけではないが、一羽一羽、確実に仕留めていく様はもう『つよくなりそう』ではなくて『つよい(確信』といえるだろう。
 罪悪感はある。それを抱かずに兎を殺すことは出来なかった。千の命が、その数を減らしていく度に罪悪感は増していく。けれど、諒も――大地から話を聞いた時、獣の本能から理解してしまった。
 この兎達の未来が、見えてしまった。
 それなら、倒すしかない。
 せめて、楽に眠れるように。もう、人を襲わなくて良いように。
 大地が刀を振るい、ルシェンがヴァイパーウィップで兎を鞭打っていく中、諒はひたすらに兎を倒した。ピノの笑顔を、時に脳裏に浮かべながら。

「こんなに数が多いのに、結界の外に居る人達は大丈夫なのかな……」
「にゃーにゃー!」
 眠りから覚めた兎だけではない。次々と襲い掛かってくる兎達を見て心配そうに言う避難者に、『朝斗達がいるからきっと大丈夫!』という気持ちを込めてちびあさにゃんは言う。そう、朝斗とアイン、ケイラもこの危地の中で未だ怪我人を運び続けている。他にも、動けない人々を安全な場所へ移動させようと奮闘する契約者達は存在した。彼等がいれば、きっと、皆助かる筈だ。
 そう信じて、ちびあさにゃんはぽいぽいカプセルから出したパワードバックパックの中に入っていた医療品を使って応急手当を進めていく。ナーシングと歴戦の回復術で処置のやり方も心得ているため、必要な時間だけを使って的確に治療を施していった。勿論、それだけではない。耐久力の弱ってきた結界が破られるのを警戒して、爆砕槌も、相変わらず傍に置いていた。白花も禁猟区で危険に備え、護国の聖域で皆の魔法防御力を高めていた。兎の攻撃をどの程度防げるのかは未知だったが、何もしないよりも有効であることは確かである。
「ファーシーさん、この人……」
「うん……すぐに治療しなきゃ」
 兎の件が尾を引いているのか、沈み気味の表情ながら、ファーシーは答える。新たに運ばれてきた怪我人を二人で奥に運びつつ、白花は戦いの続く結界の外に目を遣った。凶暴さを剥き出しにした兎達を見ていると、樹月 刀真(きづき・とうま)漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)と別れた時の事を思い出す。白花は今日、一人ではなかった。彼女は刀真と月夜と三人でデパートを訪れ――そこで、兎に襲われたのだ。
 蒼い鳥が急に騒ぎ始め、どうしたの? と聞く間も無かった。
 噛まれる直前、刀真が守ってくれたけれど――
 その時の事を考えると。
 驚きで息が詰まり、逃げる暇も無かったことを考えると。
 今こうして、怪我をして苦しんでいる人達の恐怖が痛いほどに解った。刀真が居なければ、自分も無傷ではいられなかっただろう。
(刀真さん、月夜さん、がんばってください……)
 ここから見える範囲には居なかったが、白花は心の中で刀真達にエールを送る。そして、これから怪我人に対峙する自分には、気合いを入れた。命の息吹を使い、意識を失っている重傷者を回復させていく。
 目が覚めた時には、痛みを感じずにいられるように。
 無事に家に戻って、日常を送れるように。
「うう、怖い……」
「デパートになんか、来るんじゃなかった……」
 恐怖と後悔の気が、周囲の避難者達から届いてくる。声こそ小さいものの、彼等の心の声は、フロアで悲鳴を上げていた人達と何ら変わらないだろう。
 自然と、口から幸せの歌が流れ出ていた。彼等の恐怖を和らげようと、白花は歌を口ずさみ続けた。
「大丈夫。大丈夫だからね……」
 彼女の歌が聞こえてくる中、アイビスは泣き声を上げる子供や赤ん坊、そしてユノを宥めていた。少しでも、怖い気持ちが薄らぐように。彼女の母親である朱里は、再び恐慌を来しつつある避難者達に声を掛け続けていた。
(皆、突然の恐怖と怪我の苦痛で怯えきっている……)
 契約者はまだしも――否、契約者だって余裕があるわけではないのだから、それは当然のことでもあった。でも――
「大丈夫。必ず助けは来るわ。誰ひとりとして、絶対に死なせない」
 強い心を保ち、外で活動する契約者の皆を信じ、朱里は人々が気をしっかり持つように、彼等を支えようと決意と共に話し続ける。
 その中で、朱里は大切な愛娘を振り返った。皆にも聞こえるように、彼女に言う。
「ユノにも見ていてほしいの。どんな状況でも決して希望を失わず、諦めない人々の姿を。
同じ思いを持つ人が多いほど、“トランスシンパシー”が増幅する力は、より強くなってゆくのだから」