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思い出のサマー

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思い出のサマー
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●スプラッシュヘブン物語(15)
 
 スプラッシュヘブン中央部には特設ステージがあり、そこではしばしばバンドの演奏、映画のキャンペーンショーなどが行われる。
 今日もこの時間帯までは、そういった通常通りのステージングが繰り広げられていたのだが、ここからは少し趣向が違った。
 夕方の暗がりに逆行するようにステージに強い光が差したのだ。
 スポットライト。
 これを浴びながら出てきたのは、グリーンのウィッグにブルーのカラーコンタクトを装着したソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)……いや、『霙音☆サフィ』だ。
 シャナも一緒である。シャナとサフィの服装は、ちょうど対になるデザインだった。
「スプラッシュヘブンにおいでの皆さーん! こんにちはー!」
 シャナが言う。
「私たち……【Русалочка】でーす☆」
 サフィもそう言って跳ねる。
 なおこのステージの模様は、スプラッシュヘブンじゅうのスクリーンに映し出されていた。
 実は【Русалочка】の出演はこのときまで秘中の秘、ゲリラ的演出だったのである。スプラッシュヘブン内にも彼女らのファンは少なくないらしく、ふたりの登場と同時に一気にざわめきが巻き起こった。ステージ目指して駆け出す姿も少なくない。
 ステージには色とりどりの星が、キラキラピカピカと輝いていた。
 なおこの映像を取り仕切っているのはふたりのマネージャーエレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)だ。エレナは現在、最初に佐奈が入った放送設備室に待機して、真剣な表情で操作盤を触っている。
 ユニット【Русалочка】は全世界レベルで名の知れた『バーチャルアイドロイド(アイドル+アンドロイドの造語)』として活動している。現実の存在でありながら限りなく非現実に近い、電脳世界寄りの見せ方をする必要があった。それゆえカメラワークには細心の注意を払う必要があるのだ。
 いまのところエレナの努力は実を結んでいるようだ。
 モニター越しに見るふたりは、CGなのか現実なのか、まるで見分けがつかない。
「こ〜んに〜ちは〜☆海音☆シャナで〜す☆」
「こんにちは〜☆霙音☆サフィだよ〜☆」
 ステージでは、芝居がかった口調とポーズでサフィが話している。
 ここで突然、サフィがなにかに気がついたように言った。
「ねぇ、シャナちゃん、シャナちゃん、その人はだぁれ?☆」
「それはねっ! スペシャルゲストメンバー! じゃーん!」
 シャナの言葉と同時に、ステージ上、赤い髪をした第三の少女にライトが当たった。
 目の色は、片方緑で片方金色のオッドアイ、衣装は、セパレート水着にメイド服を合わせたという野心的なものだった。そんなコスチュームにも、【Русалочка】のトレードマークであるタータンチェックはしっかり織りこまれている。
「今日は新しいお友達を紹介しちゃいま〜す……金音☆ネルちゃんです☆
 サフィのほうも、「やったー☆」なんて言って場を盛り上げている。
 ネルと呼ばれた少女は、なにか言おうとしたが言葉が出てこないようだった。
 冷めた表情をしているが、むしろクールビューティとして評価されそうな雰囲気だ。
 インカムマイクのスイッチを切った状態で、シャナはそっとネルに話しかけた。
「さぁ、カナさん?いきますよっ☆」
 シャナがウインクすると同時に、キーボードの音も高らかに、ポップな音楽が鳴り始めた。1回聞けば誰であっても、すぐ覚えてしまえそうなメロディ。
「では聞いて下さい、新曲『небожитель』を! ネルちゃんもいっしょに踊ってくれますよっ☆」
 カーネいやネルはまったく楽しそうな表情を見せぬまま、見様見真似でシャナとサフィと並んで踊った。それでも、しかも打ち合わせゼロのぶっつけ本番だというのにそれなりについて行けているのは、さすがというべきだろうか。


***********************


 カーネリアンは佐那と別れてからしばらく、ただ真っ直ぐにスタッフ用の更衣室に向かっていたのだが、
「景気はいかがかしら?」
 声をかけられて、足を止めた。
「何か用か」
 はっきりとこう答えている。
 声をかけられたタイミング、場所、その両方から、相手がプロだと推測したのだろう。
 これだけ人がいるスプラッシュヘブン内において、この空間だけはまるで隔絶されたように誰の姿もない。道に迷った客すらいない。ぽっかりと生じた空白のスポットのような場所なのだった。
「カーネリアンだから――ネル、と呼ばせてもらうわ」
「貴様は?」
 そのときカーネリアンの眼前に、彼女が姿をあらわした。
 光学迷彩を切ったのだろう。全身スウェット姿である。マスクを脱ぐと、目にも鮮やかなブロンドが飛び込んできた。
「私はローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)。ネル、こうしてまともに対面するのは初めてになると思うわ」
「そのようだ」
 カーネリアンの立ち位置からはローザの姿が見えるが、たとえば館内の監視カメラからだと、ローザは絶妙に死角の位置にあり、その影すらも映らない。空から空撮しても結果は同じだろう。ファインダーがとらえるのはきっと、ストライプ衣装のカーネリアンだけだ。
「新しいアルバイトに興味はない?」
 と前置きしてローザは言った。
「場所を移す?」
「結構だ」
 オーケー、とローザは薄笑みを浮かべた。
「ここからは、具体的なビジネスの話よ」
 ローザによる現状分析、そしてある程度の主観を混ぜた話だった。
「クランジは今や鏖殺寺院の手を離れ、独自に動きつつある。しかし、人間社会と完全に隔絶することが可能なのかしら? たとえば拠点は? それに、精製された機晶石の調達は? クランジをバックアップしている人間、あるいはそうとは知らずに利用されている人間がいるのではないかと私は見ている」
「自分には見当もつかない話だ」
「それでネル、あなたには、危険度の少ない人間社会の中での情報収集を、極秘裡に学校とかの組織ではなく、個人間の『お友達』の関係として依頼したいの」
 スパイの世界で『お友達』とは『協力者』という意味である。
「公的機関から派遣されてきたのか」
「いいえ。これは完全に、私個人の計画」
「だとしたら、貴様の得る利益はなんだ」
 ローザは口を閉ざしたが、ためらうような時間をとったのち、また話し始めた。
「私はかつて、あなたの『姉妹』の一人と心を通わせた」
「オミクロン……か」
「そう、大黒澪(おぐろ・みお)よ」
「話は聞いている。後追いだが」
 そう、とうなずくローザに、さらにカーネリアンは言った。
「自分はオミクロンとは親しくなかった。生前も、ほとんど話したことがない。ただ、その技量には一目置いていた」
「だったら、わかってくれるかもしれないわね。……もう誰も死なせない、その決意のすえに私が出した結論は、『保護して守るだけの受動的な姿勢では悲劇は繰り返される。協力し、こちらからも能動的に動かなければ』というものだということを」
「報酬の話がまだだが」
 カーネリアンが乗ってきた可能性がある。ローザは慎重に言葉を選んだ。
「報酬は――あなたの持つ能力の部分的な回復」
 カーネリアンの表情が、明らかに変わるのがわかった。ポーカーフェイスは相変わらずだが、目の輝きが、違う。
「おそらく、あなたの表皮は他のクランジとは根本的に違うものなのでしょう。他人の身体的特徴といった情報をデータとして読み取っていたのが、あの黄金の仮面。そして、その仮面を装着することによって、仮面から発せられる特定の電気信号が、あなたの特殊な皮膚の形状を変え、別人の姿にさせる。ちがうかしら?」
「当たっているところもあるがすべてではないな。仮面は、ただのスイッチだ。しかし自分の心の支えだった。だからあれが必要だったというだけのことだ。ゆえにあの仮面は、単なる鉄仮面に金メッキをほどこしただけのものにすぎない」
「それ以外は?」
「想像に任せる」
 それはほとんど、認めているということだろう。
「ただし、あたなはかつての戦いで体の多くの部分を損傷し、皮膚を通常の機晶姫のものに置き換えた。あなたが元々備えていた特殊な表皮を精製するのは、私でも時間がかかるでしょうね……でも」
 ローザマリアは卓越した戦士であるとともに技術研究者でもある。その眼光は、カーネリアンの皮膚を貫き通すように見えた。
「顔の皮膚組織は、まだ生きている。残っている部分を集めれば、あなたは貌(かお)だけでも変えられようになるわ。そしてそれだけであれば、私でも何とかなる」
「どうして……」
 と問いかけたカーネリアンをローザマリアはさえぎっていた。
「イオタと同じで、どこか放っておけないのよ、あなたも。他の誰かになりすますって能力を持つ点も、私と共通しているし。親近感が湧いたというのもあるわ」
 このときカッパが溜息をついた。そんな風に、見えた。
「自分は、『私』というような一人称を使わない。使えないのだ。どうしてもしっくりこない、『演じている』ような気になってしまう。性のない、年齢すら伝わらない、『自分』しか使えない」
「それは……あなたに能力があったころ、あまたの人間に化けてきたせい?」
 カーネリアンはイエスともノーとも言わなかった。
「命を救われ保護されて以来、周囲の者にさんざ言われてきた。『表情がない』『感情がなさそう』『気取っている』『ロボットみたい』……とかな。聞こえていないとでも思っているのか。今日もだ」
 あのカーネリアンがこれほど雄弁になれるとは、この日彼女に会った者であっても、誰一人想像できなかっただろう。
 カーネリアンは続けた。
「好きでそうしていると思っている連中もいるだろうが……違う! これは自分が、沢山の人間を演じ、そうして命を奪ってきた罰だ。奪うたび、自分のなかから感情が剥落していった。もう今では!」
 カーネリアンは拳で壁を殴りつけていた。
「今では、喜怒哀楽のうち『怒り』しか残っていない!」
「違うわ。『哀しみ』も残っている」
 だって、とローザマリアは言った。
「だってあなた今、泣いているもの」
 カーネリアンは一度目を閉じた。
 しばし、呼吸を整えてからまた開いた。
「せっかくの話だが。断る。もう、感情を失いたくない。とうに種火のようになっているがまだ自分にも、喜びや愛の感情は残されている……と思う。枯れても、枯れ果てたわけではないはずだ。これ以上変身を続けたら、それさえなくなるだろう」
「この話はここでおしまい。私はここで、延々と独り言をしゃべっていただけ」
 立ち去ろうとしたローザを、カーネリアンが呼び止めていた。
「教えてくれ。ローザマリア、他の誰かになりすますのが得意だといったな。貴様は……その変貌でなにも失わなかったのか」
「……忘れたわ」
 ローザマリアは足を止めなかった。