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消えゆく花のように

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消えゆく花のように
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●Φ、Υ、Τ (2)

 ――最善手は……。
 クローラ・テレスコピウムの自問に答が出た。
「最善手は、ない!
 彼はそう叫ぶと、ありったけの機晶爆弾のスイッチを入れたのである。
 たちまちジャングルのほうぼうで炎の柱が立った。
 ユマ・ユウヅキも朝霧垂も爆弾の位置は知っている。巻き込まれる可能性は限りなく低い。無論、クローン体たちを爆発に巻き込むことを期待しているわけでもない。
 思考の迷路に囚われていた自分に、クローラは瞬間的に気がついたのだ。
 そもそも、Τcを倒すことが目的だったわけではない。ユマを救うことが目的だ。
 ならばΤcに構っているわけにはいかない。仮に背後からΤcに狙われることになろうとも、目下の目的であるユマの救援に進む決意でクローラは行動に踏み切ったのだった。
 ――ユマへの道を見つける!
 この無謀ともいえる行動は吉と出た。樹林の多くが消し飛んで一気に視界が広がったからだ。
 そればかりではない。クランジが予想外の行動に弱いという点がここで露呈している。
 驚いてΦcは動きを止めた。
 やはり硬直したΥcの力も弱まり、ユマはその下から這い出している。
 なかでもΤcの動揺は極端だった。彼女は文字通り浮き足だったのである。
「どどど、どうしたら……私は、ええと、ええと」
 落ち着かない様子でうろうろと歩き回っている。口元に手をもっていき人差し指を噛んでいた。迷子になった子どもがそうやって、泣くのをこらえているかのように。
「どうしたらいいか教えてやろう」
 声に驚いてΤcは振り返った。
 そこにいたのは戦士だった。
 メイド姿の戦士。
 白いエプロン、ヘッドドレス、長いスカート。
 しかしその凜然たる姿には、嫋やかさよりむしろ、しなやかな強靱さが感じられる。
 朝霧垂だ。
「俺の話を聞くのさ。おまえもな」
 垂はΤcを正面に、そしてΦcを視界の右端に捉えていた。ユマたちとは距離を取っている。理想的な位置取りができたというわけだ。
「さて、ΦにΤだったか? 俺は直接の面識はないが、調べたところによると、おまえたちはお互いに壊しあったみたいだな……それなのに、再びこうして自分以外の欲望のために好き勝手使われて満足か?」
 決して強い口調ではなかった。しかし鋭利な剣で突くような、容赦のない問いかけだった。さもあろう。機晶脳化を発動した上での言葉なのだ。聞こえないふりはできないはずだ。
「わた、私は……私はああああ」
 Τcは両手で頭を覆って震えている。だが、
「本機は、そのような問いに回答する義務を有しない」
 Φcは暗い目を向けてくるだけだ。
「おまえら、本当に今のままで満足しているのか? ファイス、おまえは記憶を復元してみろ。Τ、おまえはもっと自由に行動してみたいと思わないか? ……俺とくれば色々と楽しいことを教えてやるぜ?」
 ふっと垂は頬を緩め、さあ、と右腕を伸ばした。
「来いよ。この手を、つかめ」
「わた……私……わた……」
 Τcの動揺は鎮まりつつあった。彼女は恐る恐る垂に手を伸ばしかけたが、突然、
「!」
 床に落としたプディングのように急激に液状化して崩れてしまった。
 それはもう、溶けるというより、瞬時にして本来の姿に戻ってしまったかのように。
 ――デルタの能力は土と水から『創造』を行う……ってことだったよな。
 垂はしばし、その場に立ち尽くした。
 ――Τ……、おまえを構成していたものが、耐えきれなくなったってことか……。
 少し前までΤcだった存在は、もう土塊でしかない。
 形状も色も失ったただの泥だ。
 いつの間にかΦcは姿を消している。

 待て、とユマを追わんとしたΥcだが、
「……っ!?」
 自分とユマの間に、クローラが立ち塞がったのを見て、牙を剥くような表情になった。それでも、その顔はユマ・ユウヅキの生き写しなのである。
「クロ……」
 しかし、Υcは「クローラ」と言い終えることはできなかった。
 彼女は胸の一部を撃ち抜かれてその場にうずくまっている。
「自爆装置を撃ち抜いただけだ。すぐに手当てすれば死にはしない」
 クローラの手には、ユマが取り落とした短銃が握られていた。
「……撃たれた……私が……?」
 撃たれたことの他にもう一つ、Υcが驚いたことがある。それは、ユマが自分に駆け寄って助け起こしてくれたことだった。
「ユプシロン、と呼びかけるべきなのでしょうか。お願いします、もう一人の『私』……!」
 ユマは己のドッペルゲンガーに呼びかけた。
「私はあなた。私の罪が、あなたの無念となっていることは理解できます。あなたは私を憎んでいるのでしょう。かつて、私が私のことを嫌っていたように……。その憎しみも怨みも私の『過去』です。私は、逃げずに引き受けます……!」
 ユマは血を吐き出すようにして言葉を絞り出す。
「ただ……ただ、あなたが私であるのなら、彼の言葉を聞けるはずです。どうか少しだけでも、耳を傾けて下さい」
 ユマの言葉を彼女の夫が引き継いだ。
「俺もユマも、君を殺すつもりはない。最初からそのつもりで来ている。ユマはもう兵器じゃない。人間だ。君がユマの『過去』であるのなら、進むべき未来はすぐそばにある。……君も人として生きられるんだ」
 だから降伏してくれ、とクローラは訴えた。
 ユマもまた、もう一人の自分に同意を求め沈黙した。
「……あなたたち……それは本気で……?」
 Υcは、信じられない、といった表情でクローラを、次いでユマを見上げた。
 だがやがて眠るように、穏やかな表情に帰し、目を細めたのである。
「…………ユマ・ユウヅキ、私の『未来』、そしてクローラ・テレスコピウム……愛しい人」
 ユマは何が起こるのか悟ったのだろう、肩を震わせ始めた。
「……ありがとう、と言わせて下さい」
 Υcがその姿を崩壊させるまでに、長い時間はかからなかった。
 ほとんど一瞬にして、Υcは泥土に返った。