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まほろば大奥譚 第二回/全四回

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第四章 覚醒3

 大奥の緑水の間では、葦原 房姫(あしはらの・ふさひめ)が女官達を招いてお茶が振る舞われていた。
 房姫付の女官となったリース・アルフィン(りーす・あるふぃん)が用意したものだ。
「今日も酷い雨ですね。朝の総触れもないそうだし。これじゃあ、お渡りは当分なしでしょうか」
 リースがしょんぼりしていると、花を生けていた房姫がくすりと笑った。
「リースは御花実になりたいのですか」
「えっ、とんでもないです。私は、結ばれるなら好きな人と……」
 言った後で、リースははっと口元を押さえる。
「ごめんなさい、房姫様。私、そんなつもりじゃ」
「いいのです。それは誰しもが願うこと。なにもおかしくはありません」
 房姫はぱちんぱちんと鋏を動かしている。
「そない言わはる姫様の鋏には、なんや迷いがみえますけどなあ」
 同じく房姫付の女官橘 柚子(たちばな・ゆず)木花 開耶(このはな・さくや)は、房姫の話相手兼護衛として座敷に詰めている。
「神子としての力を失ったこと、気にしてやはるさかい。私でよければお力になりますえ」
 神道の巫女として育てられた柚子には、房姫の心中は察するに余りある。
 もし今、自分が巫女としての力を失い、立場を奪われ、ただの女として権力の中枢放り込まれたならばと思うと、彼女は胸が痛んだ。
 房姫は瞳を伏せて、凛とした声で答える。
「私は……自惚れていたのです。神子として育てられ、貞継様の子供のころを知っていて、私のほうが年上でしたし……貞継様が私を選ぶのは当然だと、将軍家の世継ぎを生むのは当たり前なのだと、心の中でそう思っていたのです」
 ぱちんと鋏が鳴る。
「でも、それは私の勝手な思い込み。あの方はあの方で、いろいろなものを背負って、おひとりでずっと考えていたのでしょう」
 房姫はまるで女学生のようにはにかんでいた。
 彼女は己を世間知らずであるといい、自分を恥じているのだと言った。
「男の人はちょっと目を離している間に、あっという間に成長してしまうのですね」
 開耶はそんな房姫を見つめながら、神子として生きることと、大奥の女として生きることと、どちらが大変だろうかとぼんやりと考えていた。
「房姫様あなたは……」
 恋に恋していらはる……、という言葉を開耶は飲み込んだ。
 そのとき、突然廊下が騒がしくなる。
「房姫様、大変です」
 慌ただしくやってきたのは、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)であった。
 彼女は大奥警護の任に就いている。
「お耳をお貸しください……」
 ローザマリアは房姫の側にひざまずき、何やら耳打ちした。
 房姫の瞳が見開かれる。
「……それは本当ですか、ローザマリア」
「なに、なにぃ〜? 二人で内緒話なんてずるいよぉ」
 精霊ネージュ・グラソン・クリスタリア(ねーじゅぐらそん・くりすたりあ)がほっぺたを膨らませているのを、英霊上杉 菊(うえすぎ・きく)が、ネージュをなだめた。
 彼女は大儀院勝菊尼と名乗り、房姫の身の回りの世話や話し相手を務めている。
「およしなさい、ネージュ。ローザマリア殿はお仕事でいらしてるのです。また、瑞穂藩が何かしたのですか」
「いいえ……そうじゃないんだけど」
 ローザマリアが言いにくそうにしていると、房姫が代わりに答えた。
「公方様がいなくなったそうです」
「……え?」
 その場にいた女官達が絶句する。
 ネージュは理解できなかったのか、目をぱちくりしている。
「なんでぇ?そんな大騒ぎすることかな。どこかお散歩にいったんじゃないのぉ?」
「こんな嵐の中を誰がでかけますか」
 勝菊尼は雨戸の外を見遣る。
 風雨で庭の木々が大きくなびいていた。
「それに公方様は公人ですよ。二十四時間、誰かお付きの者がいるはず。居なくなったなどありえないでしょう」
 房姫は簡潔にローザマリアに命じた。
「表と中奥の様子を聞いてきてください。もし何かあれば、すぐに私に知らせて」
「Yes, ma m」
「……?」
 房姫が首をかしげると、ローザマリアは苦笑した。
「すみません、ちょっとした癖で。では、いって参ります」
 彼女は降りしきる雨の中を飛び出していった。