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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第2話/全3話)

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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第2話/全3話)
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●その名はカスパール(2)

 ここで明らかにしておきたい。
 カスパール自室の扉について、これまでの情報(『宋』『元』『清』)を流してきたのはザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)だった。
 彼はグランツ教に入信し、活動熱心な信者として短期間で他の信者からの評価を勝ち得ていた。無論心から帰依したわけではないが、好奇心を持って教団の情報を吸収していったのは本当である。ザカコにはもう、簡単にグランツ教から抜ける気は失せていた。
 そして彼は、カスパールが襲撃を受けたまさにその瞬間(※シナリオガイド参照)にも立ち会っている。地道に礼拝に通っていたおかげだ。
 それだけに、ボディガードとしてカスパールに取り立ててもらうという手段は諦めざるを得なかった。
 姿を消し、ザカコに協力する強盗 ヘル(ごうとう・へる)も舌を巻いたものだ。
「銃弾を空中でとめやがった。あれじゃ、護衛なんぞ不要だろうさ」
 そのようですね、とヘルに応じながら、ザカコはどうも、頭にひっかかる言葉を反芻していた。
 ほかでもない、カスパール自身の言葉だ。襲撃を受けた直後の。

「私はかつて、銃撃を受けたことがありましてね……」

 カスパールはそう言った。これが気になる。
 銃で命を狙われた直後に口にする言葉としては不自然ではないか。
 かつて銃撃を受けたことが、今回のこととどう関係がある?
 わざわざ言い放つ必要が、なぜ?
 ザカコは疑念を払拭できないまま、カスパールの扉の前に立っていた。
 彼女の発言の謎は、一時おいておこう。一番左の穴に金属球を差し込み、しばし待った。
 予想通り、ザカコは扉を開けることができた。
 ヘルは姿を消しているとはいえ、入室せず廊下で外を見張っている。
「どうやら表面からの攻めじゃ崩せない相手みたいだからな……小細工はむしろ逆効果だろうぜ」
 ヘルは万が一を予期し緊張しているが、決定的な瞬間まで動く気はない。怒張した弓につがえられた矢のような気持ちで、ヘルはザカコの帰りを待った。
 すなわち部屋は、ザカコとカスパール、二人きりなのである。
「瞑想……『行』の途中で突然部屋に押し入る無礼をお許し下さい」
「いいえ私は、会いに来る人を拒むことはしません。あの扉を開けられた人であれば」
 いくら信者とはいえまだ日の浅い自分と一対一で会うことを拒まない――やはりカスパールはひとかどの人物だと思いながらザカコは言った。
「本日はお願いがあって参りました」
「ザカコ様、あなたは随分、勉強熱心とうかがっております。他の信者の皆様の評判もよろしいようで……そんなあなたの頼みです、私のできることであれば応じられるよう努力しましょう」
 カスパールの薄笑みは、本心か社交辞令か、判然としないものがある。
「まず、私の信条を明らかにしておきたく思います」
 怖じることなくザカコは言った。
「カスパール様の話された『機会の平等』という理想には共感しています。ですが『そのための破壊』という手段には同意しかねますが」
「それは私の言葉が足りなかったかもしれませんわね」
 カスパールは言った。
「破壊、という表現は確かに過激だったかもしれません。ならば『リセット』という表現はいかがでしょう。私の目的は破壊ではありません。既得権益にしがみつく旧弊を一掃し、新たな見通しの良い地平を切り拓くことなのです。
 多少の産みの苦しみはあるかもしれませんが、それは必要悪、改革には必要なものですわ。世界統一国家神のお力なれば、きっと実現できる理想です」
 あいかわらずカスパールの言葉は、よく切れる剃刀のようで耳に心地良い。彼女が多くの信奉者を集めるのは当然のことのように思えた。
 だが……なぜだろう。ザカコはどうしても、彼女の言葉に全面的に乗るのはためらわれた。
 しかし疑念は口にせず彼は述べた。
「わかりましたカスパール様。それでは改めてお願いを申し上げます。あなたの側近として取り立てて頂きたいのです。及ばずながら、この力をあなたに捧げるつもりです」
「出世を求める、とおっしゃるので?」
「そう考えて頂いて構いません」
「率直な方ですわね……いいでしょう。すぐさまとは言いませんが、あなたの貢献に見合う役割を探しましょう。といっても、私たちに地位らしい地位の差はありませんのよ」
 思った以上に容易に受け入れられたことが不安ではある。しかし、これでまたカスパールに近づけたのは確かだ。
 ザカコは一礼して部屋から出た。

 御空 天泣(みそら・てんきゅう)たちは体験入信と断った上で、信者の案内を受けつつツァンダ支部内を見学していた。このごろ急激に信徒を増やしているグランツ教である。同趣旨で見学を希望している人は少なくなく、天泣も比較的自由に歩くことができた。
 案内役のグランツ教信者は、制服とおぼしき紫と白の服を着た男性だ。
 せいぜい二十歳くらい。朴訥そうな外見で、天泣のパートナームハリーリヤ・スミェールチ(むはりーりや・すみぇーるち)が、
「かみさま(?)とか良く分かんないけど、楽しいことと気持ちいことは好きだよー?」
 と放言気味に言おうがにこやかな態度を崩さなかった。
「あれが、カスパールさんの部屋なんだってね」
 何気なく、本当に何気なくラヴィーナ・スミェールチ(らびーな・すみぇーるち)が言った。
 ラヴィーナはけろりとしている。支部に入るにあたって彼は、深刻そうな顔をし、
「見てよボク、この通り総白髪だろう? ……劣悪な環境で育った上、強化人間として繰り返し人体実験を受けたせいでこのザマだよ」
 と言って案内者の同情を買った上、「お兄さんたちのお手伝いしますー。させて下さいー」と甲斐甲斐しいところを見せたりしていたのだが、それは実のところ彼の常套手段で、案内役をすっかり懐柔してしまって、ぺろりと舌を出して笑っていたりするのだ。
 ところで天泣はといえば、ここに来てからほとんど発言していない。
「……」
 男性恐怖症の彼女は、人の良さそうな案内役の青年であろうとも、まともに口を利くことができないのだ。うつむき加減で、歩くのもラヴィーナとムハリーリヤの後をついていくといった具合だった。
 とはいえ天泣にグランツ教への興味がないわけではない。むしろ大いにあった。
 どうにもこの宗教に感じる怪しさは払拭できないが、その体系は一つの学問に等しいと彼女は考えている。だから否定する気はないし、たとえばカスパールのような指導者に、その考えを聞いてみたいとも思う。
「…………カスパール……彼女の、部屋……?」
 その眼鏡、下部フレームのないレンズ越しに天泣は扉を見た。
 扉には噂に聞く謎の文字盤がかかっていた。
「天泣ちゃんちゃん、気になるー?」
 彼女の意を察したか、ラヴィーナが問うた。
 天泣がかすかに頷くと、ラヴィはムハリーリヤの腰を肘でつついた。
「ん? ラヴィちゃんどしたの? カスパールさん? あの人美人さんだよねぇ」
 ラヴィが何やら小声で言うと、「うん分かった」とムハは同意して、突然、
「ねえお兄さん、私とカスパールさんどっちが綺麗?」
 いきなり案内役の袖を引いたのである。
「ど、どうしたんですかいきなり……?」
 純朴そうな案内役が言葉に詰まるのを見て、ムハはうりうりと彼に身を擦りよせた。
「どっちが綺麗? リーリちゃんだよねぇ〜?」
 などと言いながらよく育った双つの膨らみで、圧倒するように彼を押す。
「いえ、私はそのような判断をできる立場では……」
「立場も台場もかんけーないのっ、リーリちゃんむずかしいことわっかんなーい!」
 たちまちフェロモン全開だ。ムハリーリヤはむせそうになるほど『女』の匂いをさせバストの先端で、つん、と彼を壁際に追いつめた。
「なんなら『これ』、服の中身も確かめてみる−? もちろん下着もとっぱらって……ねぇ? リーリちゃん今すぐでもお兄さんを気持ち良くしたげるよー?」
 駄目押しとばかりにムハリーリヤは、胸元のスカーフを解いて制服の胸元をはだけて見せるのである。白いレースの下着がちらりとのぞいた。
 案内役の男性信者は本当に純朴な性質らしかった。顔から火を噴くような状態になって彼が、壁に背をつけたままヘタヘタと座り込んでしまうと、ラヴィーナは思わず腕組みした。
「たしかに『注意をそらせて』……って頼んだけど、ムハは宗教施設でやめろよそういうこと!」
 しかし彼はくるりと天泣を振り返り、こう告げるのも忘れない。
「……ま、これで今のうちならカスパールの部屋には入れそうだよ。どう天ちゃん? パズル解けそう?」
 天泣は天御柱学院入学以前、知能テストで記録的数値を叩きだしたことがある。ザカコが流した事前情報と照らし合わせて、扉の文字盤の謎は瞬間的に理解していた。
「解は『●、−、−、−』だろうな。2進数に直せば『8』……これは『明』の文字の画数だ」
「もー、そんな解説はいいから、とっとと入ってカスパールという人に会おうよ!」
 ラヴィはけしかけるのだが、天泣は彼にとっては意外すぎることを言った。
「扉の向こうに行くのは気が引ける」
 彼女はパネルに触ることすらしなかった。
「分かる人間ならだれでも開けられる鍵をつけている時点で、入室を拒否してはいないとは推測できる」
「だったら……」
「といっても瞑想という彼等の宗教的行為の妨害をするのは……瞑想……か? 瞑想という単語はどこか東洋……マホロバ的という気がするな。カスパール、彼女は何者なのだろうか?」
「だから会いに行くんじゃないか」
「対象にダイレクトに近づくことが近道とは限らない」
「って早速変なこと言い始めてるし! 天ちゃん大丈夫……?」
 だが天泣のなかで回答はできあがったようだ。
「最近カスパールの周囲で何か起きていないか、それが知りたい……そこのあなた。そう、あなたです」
 天泣はその場から去って、ムハリーリヤによって骨抜きにされた案内役に声をかけた。
「あなたがたの指導者についておしえてほしい」
 カスパールについて詳しく知るという意味では、天泣は成功したとも言えるし失敗したとも言える。
 天泣は先日の、カスパール襲撃事件について知ることができた。そのとき、『かつて、銃撃を受けたことがある』という主旨の発言をカスパールがしていたことも。
「字義通り取るなら、『自分は銃撃のような修羅場をくぐり抜けた経験がある。この程度で怯えると思うな』とアピールしたように思えるが……」
 しかし天泣の意識は、その予測を簡単に受け入れることができないのである。
「銃を向けている相手に言うのなら、その意味でいいだろう。だが、このときカスパールは銃弾を止めるという奇蹟を見せ、無力化した暗殺者に発言したのだ。抵抗できない相手に強さをアピールしてどうなる? それは、噂に聞くカスパールの知性に似つかわしくない……!」
 眉を曇らせた天泣を見て、ムハリーリヤは不思議そうな顔をした。
「天泣ちゃんどうしたのー?」
 だが天泣は答えなかった。
 ある結論に達し、それ以外のことは考えられなくなっていたからだった。
 そのときカスパールは、『襲撃を受けた経験があるから、銃弾を止めることができた』と言いたかったのではないか――その結論に至って、天泣は足を止めたのである。
 今回、カスパールに直接会うのはやめておこう。
 会うとしてももう少し、彼女のことを調べてからにしたい。