校長室
【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第3話/全3話)
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●神に見捨てられた世界 リーラ・タイルヒュンは泥のように疲れ果てていたが、それでも余裕がある振りを崩さなかった。 要するに強がりである。しかしそれを、『矜持』と言い換えるのもこの場合は間違いではない。 「言わなかったっけ? 人の娯楽を邪魔する奴は竜に食われて地獄に落ちろってね!」 龍の眷属の侵攻は、まったくもって尽きることがないように思えた。それでもリーラは勢いを落とさない。分身の術を使って敵を惑わせ、ギリギリまで危なくなったら空蝉の術の逃れる、そうして隙を見せた個体を、竜頭型の巨大鎚(破鎚竜「エリュプシオン」)で叩き潰すのである。 「まったく……気力とか根性って言葉は私には全然似合わないと思うんだけどね……」 汗でびっしょりになったキャミソールを指で肌から引き剥がしつつ、リーラは柊真司を見た。 真司も、命懸けだった。 真司はその隣にユマ・ユウヅキがあることを意識しながら舞を行っていた。彼にとって今のところ、もっとも落ち着く状況が『ユマを想うこと』だったから。 ――ユマが傷つかないかぎり、自分がどれほど手傷を負っても気にはならない。 それは、真司の偽らざる気持ちだった。 クローラ・テレスコピウムも限界が近い。 自分を守るだけならできる。だが、誰かを守り続けるというのは、ときとして二人分以上の負担を一人に課すことになる。 「ユマ……俺は……」 彼の軍服はすでに穴だらけだった。鉤爪をもつ『眷属』、矢を放つ『眷属』に手酷くやられたためだ。 それでも彼の心には満足があった。 ユマ・ユウヅキがほとんど怪我をせず、彼の背後で舞いを続けているから。 壮年だった八岐大蛇が、みるみる肌がくすみ髪が枯れ、老人になっていく姿は異様な印象を与えた。 「おのれ……余は……余は」 声すらしわがれていく。赤かった空が、その濃さを減じていくことすら琳鳳明には明らかに判った。 「急激に大蛇が老化しはじめた。これは龍の舞と、精神世界での戦いが成就したものと思うな。なら、このタイミングを逃すわけにはいかないよね……!」 すでにテレパシーでパートナーたちとはタイミングを合わせている。あとは、さっきからずっと呼びかけている相手……すなわち、龍杜那由他の声さえ聞こえれば……! 「こちらも、最高の状態に持って行ってるわ」 声は突然聞こえた。 間違いない。円の脳をとらえたのは、那由他の呼びかけだった。 「シャーロットや耀助のおかげでね。でも急いで、今を逃せば、次はないかもしれない」 「刀真くん、みんな、聞こえる!? 今が最大の好機! 大蛇を倒すために全力で立ち向かって!」 言うなり桐生円は声を張り上げた。 「龍の舞が効果を発揮しているんだ……! それに、精神世界での戦いも……」 「そういうことならミネルバちゃんは遠慮しないのだー!」 ミネルバ・ヴァーリイが先鞭をつけた。円に向けて潜在解放を飛ばしたのである。 「円、おいしいところ、もっていきなさい」 続けてオリヴィア・レベンクロンだ。やはり潜在解放を円に施す。 「よーし」 この瞬間、アクセルギアが発動した。 円の感じる時間は、ひどく緩慢なものになる。まるで時間が止まったかのように。 しかしこれは体感時間が約30倍に引き延ばされたにすぎないのだ。だがこれを活用し、円はゆっくりと狙いをつけて、そして、 「吹っ飛ばしてやるよっ!」 滅技・龍気砲……己の生命力を光の弾に変換し、我が身が砕けるほどに強く放ったのである。激しい光は、耳をつんざくほどの音と共に炸裂した。 光の弾に追撃し、林鳳明は拳で大蛇に挑んでいる。 これまで何度も殴るたび、あるいは蹴りが入るたび、鉄の壁を殴っていたような衝撃がやわらぎ、硬い砂の入ったサンドバッグを殴る程度にまで落ちていった。 「それだけ老いた外見で、この攻撃に耐えているのは正直すごいと思うけど」 拳が割れそうだ。もう手も膝も足も、内出血で青みがかっている。 それでも鳳明は攻撃をやめなかった。 この痛みは、自分だけじゃない。ユマの、真司の、クローラの……あらゆる人の分まで入った痛みだ。挫けるわけにはいかない。 「はぁぁぁぁ……!」 枯渇した肺が破裂寸前になるまで空気を吸い、逆に、溜まったすべての空気を、空になるまで吐き出す。 その呼吸の一瞬に想いを込め、祈りを込め、鳳明はを神速の速さで、七発分の威力をもって大蛇を殴りつけた。 「くはっ……!」 不動の岩のようだった大蛇がこれで揺らぐ。 全身全霊を込めた一撃に、ボロ布のようになった鳳明の身体は地に落ちた。 着地の寸前、彼女は誰かに抱きかかえられている。 「よくやったよ。本当に……」 それは、藤谷天樹だった。 七枷陣の舞いも、今は安定を取り戻していた。 ――過去は過去、あれだけ頑張っているユマを俺は否定できるほど偉いんか!? そう決めたときから、陣の動きにキレが戻ったのである。 ――小僧。また一皮剥けたか。 仲瀬磁楠は決して認めないだろうが、陣が安定を取り戻した途端、彼の舞いも最高の状態へと到達していた。 ――聞こえるか、大蛇に囚われた者たち。 磁楠の精神状態はやがて、加古川みどりをはじめ、大蛇の中にある娘たちへ呼びかけるものとなる。 ――そうやって蛇の泥沼に這い蹲って自己を手放すのが君らが望むことなのか? かつての私の様に、絶望も諦観もするにはまだ早すぎる。 ――目を開けてみろ。君らを案じ救おうと藻掻き続ける者達が多くいるはずだ。 その頃。精神世界。 「どうしましたか……?」 シャーロット・モリアーティは、自分が組み伏せたはずの加古川みどりが、透明な涙を流していることに気づいた。 畳みかけるようにして、磁楠の舞いに小尾田真奈が続く。 放っておいてほしいのかもしれない――真奈は、囚われた少女たちを想って心の涙を流した。 押し付けがましいのかもしれない。 けれど、そうであってもいい。 ――大切なのは、私がどうしたいのか。場違いな想いでも私は……捕らわれた方達を助け出したい リーズ・ディライドも、同じだ。 ――届け……届け……届いて……っ! 念じるほどに、リーズの精神は肉体を越えて、近くて遠い大蛇の心に入っていく。 ――ほら、大丈夫だよ! リーズは呼びかけた。安心して良いんだ……と。 さぁ目を開けようと声をかける。 ――醒めない夢なんて……無いんだからさ! 「下等な生物ども……余を滅ぼさんとする愚をやめよ……やめよ……」 大蛇は片膝をついていた。その髪は蒼白、肌も土色。すでに彼は、みじめな老人でしかない。 このとき、陣が呼びかけた相手は、他でもない、大蛇そのものであった。 ――大蛇のじいさんよ。龍の舞、それ自体はアンタらに捧げるべき鎮静の儀式や……だからこの舞に込められる力はそのままくれたる。 ――でも、この舞に乗せたオレ達の想いは。アンタの中で捕らわれたアルセーネさんや那由他ちゃん達に与えてんだ……要はな? 舞いの途中で言葉を発するものではない。それは集中を乱すとされる。 しかし陣はこのとき、最高潮の集中のなかで、口をつく叫びを止められなかった。 「お前に言ってんじゃねぇ座ってろ…! D U Understand?」 陣の声に反応するかのように、大蛇が、折れそうなほど上半身を屈めるのが判った。 「ローラたちの成功、それに、龍の舞が効いているんだ……!」 通常で戦えば絶対に勝てないであろう強敵、それが倒れる直前にあるという奇蹟、そのことを思いながら、コハク・ソーロッドは加速した。 彼の背には六枚の羽がある。通常の二枚ではない。六枚だ。 「行くよ……!」 握るは日輪の槍……! 彼に並んで、 「美羽さん、あとはお願いしますね」と言ったのはベアトリーチェ・アイブリンガーだった。彼女はその言葉を最後に、全長二メートルはある大剣となり小鳥遊美羽の両手に収まっていた。 「ローラが頑張ってる。舞手のみんなも、命をかけてる……」 なら、自分が全力になれないはずがない! 美羽は目映い光を放つ翼と剣を手に、光の天使となって大蛇の心臓を目指した。 「刀真、決め所ではないか!?」 玉藻前に言われずとも、樹月刀真はそれを理解していた。 「顕現せよ、そして目醒めろ……黒の剣《月夜》!」 刀真は迷わず、漆髪月夜の細い腰を抱いていた。 「うん……刀真、頑張って」 月夜は愛する男性の顔を見た。刀真――彼のためなら、自分の命だって上げられる。 墨を塗り込めたような刀身の片刃剣が刀真の手に渡った。 その名は、『黒の剣』。 同時に、月夜の身体は魂が抜けたようになり、ぐったりと玉藻前の腕に抱かれることになった。 「負けるつもりはない、負けるはずがない……俺の手にこの剣がある限り、負けるわけにはいかないんだよ!」 刀真は走る。 何のために走るのか。 正義のため――それもある。 ツァンダのため、未来のため――もちろんだ。 生きていることの証明のため――そう、それに。 愛する人のため! 剣が何本も突き刺さった。 胸に、心臓に。 それでも、それでも大蛇は倒れなかった。 「ようやく……ようやく復活できたというに……こんなことで……」 這うように進む。その目は何を見ているのか。 もしここで、叫ぶように伝えても、大蛇の耳には届かなかっただろう。もうその聴力は大部分が尽きていたのだ。 けれどもこの閑かな声は、大蛇にも届いていた。 「あなたは最強の存在なのかもしれない」 老人は濁った眼で、言葉の主……リーゼロッテ・リュストゥングを見た。 「でもね、たった1人では限界は見えている」 彼女は言った。 「弱い人間は協力し合い、どこまでも強くなれる。そこを見誤った時点で勝負は決まってたわ」 リーゼロッテは今、少女の姿ではなかった。 鎧となって桐ヶ谷煉に装着されていた。 その煉の前を二人の少女が飛ぶ。 アクセルギアを全開、レックレスレイジで限界以上の力を引き出し、高速機動から剣技にて雑魚を蹴散らした上、ショックウェーブで大蛇への道を一掃するエヴァ・ヴォルテールと、エヴァの突撃に合わせて盾を捨て光条兵器を抜き、二刀流によるソードプレイで護衛の敵をなぎ倒して道を切り開くエリス・クロフォードだ。 「いけ、煉!」 エヴァが声を上げた。 「今です、煉さん!」 機を一にしてエリスが叫んだ。 「ここまで追い込まれるとは思ってもいなかったか?」 白濁が酷く、すでに八岐大蛇は視界が霞んでいたが、それでも、反射的に顔を上げた。 目の前に、光が一条、奔るのが見えたはずだ。 「貴様の敗因は、人間を甘く見たことだ……!」 魔力と念力で身体能力を最大限に強化した跳躍、 そして、剣の一撃、 煉の零之太刀(バーリ・トゥード・アーツ)、その軌跡だった。 八岐大蛇の首は飛び、数十メートル先に落ちた。 その途端、操り人形の糸が切れたように、生き残っていたすべての『眷属』が地面に落ちた。 異形の姿をした『眷属』はひとつの例外もなく、もがくでもなく断末魔を上げるでもなく、安らかに眠るようにして動きを止める。 そして、みるみる小さくなっていった。最後は点のようになったが、じきそれも消えた。 神に見捨てられた世界へと還っていったのだ。 「何度でも復活してきなさい」 リーゼロッテは人の姿に復した。 彼女は煉の身を背中から抱き支え、囁くように言った。 「何度でも封印してあげるわ」