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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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「本当にきれいだわ…」
 感嘆のつぶやきを漏らす。華月 魅夜(かづき・みや)もまた、イルルヤンカシュの鳴き声に心を奪われた者の1人だった。
 イルルヤンカシュは話に聞いて想像していたとおりの、真実美しい竜だった。
 真珠色のうろこにエメラルドグリーンの翼、爪は象牙色で、瞳はスミレ色をしている。丸みを帯びた体としなやかな所作は、貴婦人を思わせる。抑揚ある鳴き声もはかなげな余韻を引いて…。
(きっと女性ね)
 木々を抜けて見えるその横顔に、魅夜は語りかけた。
「イルルヤンカシュ。あなたに訊きたいことがあるの。何百年におよぶ眠りと目覚めを繰り返してきたあなたは、移り行く自分以外のものに、何を思うのかしら…」
 こんなちっぽけな人でしかない自分の問いなんかに、答えてもらえるかは分からない。でも答えてほしい。
 人の言葉を解すかどうかも分からないけれど……その温かな体に触れたなら、思いは伝わるかしら…?
 そんな魅夜を狙って、横から巨大な山蛭のようなモンスターが数頭近付いてきていた。
 酸のようなものを吐きかけようとした寸前、間に割り入った水無月 徹(みなづき・とおる)が次々に真っ二つに斬り裂く。ずしゃりと重い音をたてて地に倒れたそれは、自身の酸で崩れていった。
「魅夜、無事ですか?」
 もしやと振り返った先で、魅夜は先までと変わらずイルルヤンカシュを見上げていた。モンスターも、徹が彼女を守ったことも、気付いている様子はない。
「……やれやれ」
 呆れた口調ながらも、彼女を見る徹の口元には笑みが浮かんでいた。
 今魅夜が何を感じているか、分かる気がする。
 徹と出会うまで、魅夜は長らく封印されていた。自ら望んだわけでもない、憶測と邪心に満ちた封印。再び自由を得た彼女は以前と全く違う世界に、少なからず衝撃を受けたに違いない。そのことを思えば、彼女がイルルヤンカシュに共感を抱いてもおかしくなかった。
 だから「イルルヤンカシュを見に行きたい」と言った彼女につきあうことにしたのだ。
 できる限り、彼女の望みをかなえてやりたい。彼女が本当に望むものは彼女以外だれにもどうすることもできず、徹もまた、与えてやることができないから。
 しかし危険となれば話は別だ。
「魅夜」
 徹はやさしく彼女を呼んだ。
 あの様子でははたして周囲が目に入っているか疑問だったが、魅夜はぱちぱちと数度まばたきをして、徹の方を向いた。
「もう少し下がりましょう。ここは危険です」
「あ…」
 言われて初めて自分の立っている位置に気付いた魅夜は、ためらいがちに周囲を見渡す。
「さあ、魅夜」
 差し出された手を、魅夜はおとなしくとった。
「あの辺りがよさそうですね」
 徹が見上げたのは陽太たちがいる位置だ。岩場で少し高所にある上に、イルルヤンカシュをとりまくモンスターが彼らを警戒しつつも攻撃には移らないでいるギリギリの境界線らしい。先からずっと撮影している様子からして、あそこからなら安全に見ていることができるだろう。
(イルルヤンカシュ…)
 魅夜は後ろ髪引かれる思いを感じながらも徹に従い、後退した。
「……うあー。いいなぁ、魅夜さん。あんなカッコイイ人がパートナーなんて」
 そのやりとりを見て、リーレンがほうっとため息をついた。目がキラキラしている。きっとあーんなことやこーんなことをいろいろいろいろ想像しているのだろう。
「あんな人がそばにいたら、きっと毎日すてきで楽しいだろうなぁ」
 ちら、と視線を自分のパートナータケシに流す。タケシは今、なんだかんだ言いながらもと一緒に無防備なアスカをモンスターの攻撃から守っていた。
 アスカはスケッチに夢中で、周囲を一切気にかけていない。おそらく、今一番距離を詰めているのは彼女だろう。それだけにモンスターの攻撃は激しく、鴉たちの負担は増すばかりだ。森のなかということもあって、ホープがエメラルドセイジを用いて攻撃、植物を操り2人をフォローしている。あいにくとタケシはたいして役に立っているふうもなかったが、それでも善戦と称していいくらいには戦っていた。
「アスカー、もういーだろー? 下がろうぜー?」
「これくらいで音を上げないの〜。男の子でしょ〜? さあ、次々〜 ♪ 」
 今いる位置からの角度を書き終えたアスカは、次なるポイントを目指して移動を始める。振り回され、あたふた追いかけるタケシはどう見てもかっこよくない。
 はーーっとため息をついたとき。
「ふーん。リーはああいうのがタイプなんだ」
 がさがさ音をたてながらルーツが後ろから声をかけてきた。
「そっ、そーよ! 何か悪いっ?」
 すわイヤミ攻勢が始まるか。警戒しながら振り返ったリーレンは身構えるが、紙袋をかぶったルーツの姿をあらためて真正面に見て小首を傾げる。
「……下で集合したときから気になってたんだけど。あんた、どうしてそんなのかぶってるの? 話しづらいし、食事だってとりづらいでしょ?」
 ひょい、と下から覗き込む。
 顔にけがを負っているのかと思ったが、そうでもなさそうだ。
「うるさいな。ひとの勝手だろ」
 むっときたが、それはそのとおりだった。さっき自分が似たようなことを口にした手前、ツッコむこともできない。が。
「それと、兄さんにはこのこと絶対に言うなよ」
 という付け足しに、思わずにまっと笑ってしまった。
「えー? どーしよっかなー?」
「……くっ。こいつっ」
「どうかしたのか? ふたりとも。そんな所にかたまって」
 そこへホープが近付いてくる。
「あ、ホープ」
『なんでもないです』
 筆談に切り替えたルーツが、前をふさぐようにホープの顔面にスケッチブックを突き出した。
「そ、そうか?」
 スケッチブックを避けてリーレンと顔を合わせようとするが、ルーツがそれをさせまいと妨害する。
「ああそうだ、リーレン。こんな物をかぶってはいるが、魔鎧くんは少しシャイなだけなんだ。気おくれしないで、仲良くしてやってくれ。魔鎧くん、きみもだ。リーレンは我たちの親しい友人だから、きみも仲良くしてくれるとうれしい」
「分かったわ、ホープ」
 リーレンもうなずいた。そしてこそっとルーツにだけ聞こえる声でささやく。
「言っとくけど、ホープのためなんだからね。あんたたちの間で何があるか知んないけど、それでもしホープが傷付いたりしたらいやだから、協力してあげるんだからっ」
 むっときたが、正体さえ知られなければこの際ルーツは何でもよかった。
「うわあああああっ!」
 突然タケシの悲鳴が起きる。そちらを見ると、ちょうどモンスターの触手攻撃を受けたタケシが跳ね飛ばされ、木に激突するところだった。
「いかん! 行くぞ、2人とも!」
「うん!」
『はい』
「それから、魔鎧くん。もし戦闘が不得手というのであれば、我のそばにいるといい。我といれば大丈夫だ。安心してくれ」
(兄さん……なんて優しいんだ)
 紙袋のなかでじーんときて、うなずきかけた首を振った。
『大丈夫です』
(俺の方こそ兄さんを守るんだ)
 身バレする危険を冒して戦うなんて嫌だけど、こうなってはしかたない。カーズドランスを武器に、無数の枝を触手のようにうねらせる樹のモンスターと対峙する。わざと柄に絡みつかせ、その懐へ飛び込むや突きこんだ。
 カーズドランスは呪われた槍。生体エネルギーを吸い取られたモンスターは一瞬で灰となり、霧散する。
『今のうちに彼の治療を』
「分かった。頼むぞ、魔鎧くん」
 それから5人はモンスターとの戦闘に没頭した。
 アスカはすっかりスケッチに没頭していて、彼女を狙うモンスターの牙がすぐ近くまで迫っても振り返りもしない。
 クケエェーーッ! とハルピュイアが悲鳴のような甲高い声を発し、急降下をかけてきた。反転し、鋭い爪でアスカの頭部を狙う。
「くそッ!」
 鴉はとっさにそれまでふるっていたホークアヴァターラ・ソードを鷹形態へと変え、迎撃に向かわせた。から手になった彼に三方からこん棒を持ったゴブリンがすかさず襲いかかるが、オーダリーアウェイクを発動させた鴉の敵ではない。またたく間に片手で地にたたきつけ、転がったこん棒を踏みつぶし、その威を見せつけた。
「アスカには指1本触れさせねえ」
 前衛に鴉、復帰したタケシ、リーレンと3人いて、さらに3人をすり抜けてくるモンスターもルースが撃退するため、ホープは治療と回復に専念できた。周囲で戦っているほかの者たちに向けても、ホープは浄化の札やリカバリを飛ばして毒や疲労、負傷から回復させる。
 そうして彼らは戦ってはいても特に追い込まれているということもなく、サクサクと、モンスターたちを追い払っていく。
 半分近く追い払ったところで、アキラが叫んだ。
「だーーっ、もお!! これ以上まともに相手してられるかっ!!」
 ぴょんとジャンプしてモンスターの頭上に出たアキラは、そのまま石蹴りの要領でモンスターの頭を踏みつけて、ひょひょいとイルルヤンカシュに接近する。そして最後に大きくジャンプして、その背中に飛び乗った――というか、貼りついた。
「やった! やったぜ! 俺はイルルヤンカシュに――」
 そして次の瞬間、ぶるるっと身震いしたイルルヤンカシュに、ぽーーーーんと放り出される。
「うっひょーーーーーーお!!」
 みごとに弧を描いて飛んだ、その様子があまりにコミカルで面白くて、下で見ていたみんなが思わず手を止めてくすくす笑ったときだった。

 ――避けて!


 セルマの切迫したテレパシーがミリアの頭中を揺さぶった。
 遠くから俯瞰的に見ている彼が言うならば、それは上からだ。
 反射的、振り仰いだミリアの視界を降り注ぐ暗黒の凍気が覆う――――。
「クライオクラズム!
 みんな逃げて!!」
 ミリアは翠を抱き込み、その場からとびずさった。
 ミリアの言葉から恐怖をかぎ取り、わけも分からないまま一斉に全員が散る。彼らの足が地を離れた瞬間、黒い雷撃の雨がモンスターを打ち、地をうがった。
「あなた、だれよ!」
 距離をとった先でクコが牙をむいて吼えた。腕のなかには黒狐の深優がいて、ぶるぶる震えている。
 彼女の視線の先、あの少年が浮かんでいた。
 一緒に崖を下りたあとも、しばらく気を配って常に視界へ入れるようにしていた。クコや霜月が娘の深優を庇いつつモンスターと戦っていたときも、後方で戦わずに距離をとっていたからてっきり戦闘は不得手で、見物に徹するつもりなのだろうと思っていた。そうなら守ってあげなくちゃ、と。
 ――どこが戦闘は不得手か。
 今、少年はその背からほのかに紫がかった水晶の翼を生やし、その小さな体に収まって片鱗も見せていなかったのが不思議なほどの気を放出している。それは到底、人と思えないほど巨大で、ひどく歪んで感じられた。
 少年はクコを見下ろし、彼女の敵意を嗤う。
「ザコたちを蹴散らしてくださってありがとうございます。おかげで楽にここまで近付くことができました」
「イルルヤンカシュをどうする気!?」
「さてねえ」
 少年は視線をイルルヤンカシュへと流す。イルルヤンカシュは先まで同様あわてる素振りは見せず、ゆったりとそこで鳴いている。
 周囲でこれだけの戦いが起きながら、今も無関心を決め込んでいる竜。はたして動物並に愚かなのか、それとも何か思惑があってのことか。少年はずっと見定めかねていた。今もできているとは思えない。ただ、先からかすかに感じられるこれは…。
 ぽっかりと開いた空洞のような闇色の目が、イルルヤンカシュを凝視した。
 その目には、イルルヤンカシュのまとう波動が見えていた。――この波動はたしかに覚えがある。
「……面白いですね。なぜあなたがイナンナの気をまとっているのか」
 自分でも気付かないままに、声に出してつぶやく。
(しかもそれだけではない……複雑に絡み合った、これは……3種の力)

 なぜあなたはそんな姿をしているんです? まるでこの世界の生き物であるかのように。

 それぞれが混ざり合い、微妙なバランスでそこにそうして在るのは、とても奇異に思えた。
(この内に取り込んでしまえば、その謎が分かるでしょうか)
 少年の身を包む空気があきらかに変質した。それまで固唾を飲んで見守っていた全員が、ぞわりと鳥肌立つ思いを実感する。
 ルイが跳んだ。
「あなたが何者かは存じませんが、その邪悪なオーラといい、イルルヤンカシュに害を為そうとしているのは確実! そんな真似は許しません!!」
 静かなる闘気が激しく流動し、ルイの体から吹き上がる。後ろへ引かれたこぶしが竜の形をしたオーラをまとった次の瞬間、大きく開かれたあぎとが少年の腕にかみついたかに見えた。
「……ちィッ」
 少年は身を引いたがわずかに及ばなかった。
 ドラゴンヘッドによって擬態皮膚が一部損傷し、爆発的な速さで一気にそこから変化する。まばたきするよりも早く少年の姿は消えてなくなり、そこにエッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)が現れた。
「エッツェル!?」
 驚くルイはその瞬間完全に無防備となった。
「私はヌギル・コーラス。人の世に存在する最も醜怪にして最も崇高な1災なり」
 宣告とともに突き出された手の先で黒い砂嵐が沸き起こる。取り込まれ、彼の一部と化したギフトクルーエル・ウルティメイタム(くるーえる・うるてぃめいたむ)の能力、古代の力・熾だ。ルイは体術回避を試みたが、とてもかわせる距離ではない。
「消えよ」
「……うおおおおおおおーーーっ!!」
 エッツェルの力が弾けた瞬間に、ルイの姿はその場から消失した。
「いやああああああっ!! おとーーーさーーーーーんっ!!」
「大丈夫です! 反応は消えていません!」
 セラは泣き叫ぶマリオンを揺さぶり、大声で伝えた。彼女の手には受信機が握られている。ここへ来る前、迷子防止用にとルイには発信機がつけられていたのだ。それがまさかこんなふうに役立つとは。
「ルイは生きています! 吹っ飛ばされただけです!」
 しかしそう告げるセラの声も目撃した衝撃的な場面への動揺にうわずり、手はぶるぶる震えていた。
 下の喧騒には興味がない。エッツェルは再びイルルヤンカシュへ向き直ろうとする。
 その瞬間彼の目に飛び込んできたのは、音もなく振り下ろされる刀と霜月の姿だった。
 モンスターを相手にしていたときの刀狐月【空】ではない。機晶生命体ギフトの刀だ。ニルヴァーナの英知によって生み出された刃と対消滅魔力結界の境界で炎のごとき火花が散る。
 互いの力が激しく拮抗したかに思われた一瞬後、エッツェルの混沌の肉体から生えた無数の触手が霜月を捕捉しようと背後を捉えた。
「くっ…!」
 霜月は迫りくる触手を寸前で回避し、宙返りでへと降り立つ。ずきりと痛む肩に指を這わせると、鋭利な刃物で切り裂かれたような傷口があった。
 触手同士が絡み合い、巨大な捕食用触腕となったその爪を伝って、赤いしずくが地へしたたり落ちる。
「邪魔をしないでほしい。きみたちには私を惹きつけるものがない。これは無意味だ」
 腕1本、足のつま先まで人でないモノへと化しながら人の声で言葉を操る姿は、ひどく奇怪に見えた。
 声から感情を感じとることができることすら奇妙に感じる。
「そんなこと、できません!」
 それは彼を肯定することにほかならない。
 これは彼という存在をこの地へいざなってしまった、自分たちの責任。
「イルルヤンカシュはこの地の人々に必要な存在です! それを傷つけさせはしない!」
 霜月は龍の咆哮を上げた。潜在解放。極限まで自身の力を引き上げる。これでもエッツェルには届かないかもしれない。しかしやるしかない。
 櫟を操り、再度距離を詰めようと試みる霜月をエッツェルの触手が待ち受ける。