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ナラカの黒き太陽 第一回 誘いの声

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ナラカの黒き太陽 第一回 誘いの声
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リアクション

「そなたは本来、カルマのための知識を蓄えておく魔導書じゃ。なのにその大半が失われて、真っ白なまま……。ウゲン・タシガンが、自分なしには解けぬよう施された鍵が、そなたの奥底にかかったままだからじゃ」
「…………」
 やっぱり、とレモはどこかで思った。
 彼に会うことを、レモは今まで意識的に避けていた。たぶん、本気で願えば、それも叶うことだったが……自分が取り込まれてしまいそうで、怖かったのだ。
「我ならば、それを解放することができる。どうじゃ? そして、それがあれば、カルマを目覚めさせることもできよう」
 共工のアルトの声は、甘美な響きでレモの魂を震わせる。そうだ。それこそが、レモが望んでいたことだった。
 そして、タシガンを守る力を手に入れること……。
「何故、ですか?」
 そこであえて割って入ったのは、祥子だった。
「共工様の、ご慈悲でしょうか」
 あくまで丁重に、微笑んで祥子は尋ねる。情報は欲しいが、無用な刺激はしたくない。
 ただ、その祥子の落ち着いた声に、レモは冷静さを取り戻すことができた。
「違いますよね。……貴方の望みは、なんですか?」
「世界じゃ」
 直裁に共工は答える。
 途端に警戒を露わにしたレモに、共工は扇を口元にあて、愉快そうに笑った。
「……だからこそ、そなたを呼んだ。このままでは、その世界そのものが、消えてしまうからじゃ。なくなってしまっては、望んだところで仕方が無い」
「世界が……消える?」
 鬼院 尋人(きいん・ひろと)が、訝しげにそう繰り返す。
「カルマとレモ、そなたらが使う力の源は知っておろう」
「……ナラカの、太陽です」
 タシガンの、そしてタングートの、またはるか下層に位置する地、ナラカ。
 その地に凝縮されたエネルギーは、『ナラカの黒き太陽』と呼ばれている。ウゲンははるか昔に、そこからパラミタへとそのエネルギーを引き上げ、利用するための装置を作った。それが、カルマとレモの正体だ。
「そう。つまり……ナラカに住む一部の者たちにとっては、これ以上ない、地上の侵略兵器ともなるのじゃ。ナラカより大量のエネルギーを送り込み、そこで、……爆発させる。パラミタも、ザナドゥも巻き込み、巨大な負の力はすべてを飲み込むであろう」
「――――」
 レモは。
 完全に、言葉をなくしていた。
「そなたが記憶を取り戻さなければ、カルマは目覚めぬ。つまり、安全……と思うかもしれぬが。奴らは、カルマを目覚めさせる力を手に入れたらしいとも聞く。それが故に、カルマの近くまでゲートを無理矢理に開き、タシガンに現れたのじゃ」
 それが、ゲートの正体だと、共工は語る。
「我の力で、そのうち一つはタングートへも繋がるように細工はできたが、奴らもそれには気づいていよう。レモ。そなたまで、奴らに渡すわけにはいかなんだ」
「…………」
 レモはまだ、なにも答えることができなかった。想定を越えていた言葉を、まだ受け止め切れていないのだ。
「そなたの力なしに、カルマ一人で目覚めたところで、暴走を招くだけ……といえど、奴らが狙うのはまさにそれじゃ。……レモ、頼む。我にその命、預けてはくれまいか」
「……レモ」
 誰ともなく、視線はレモに集中する。
 青ざめて震えるレモは、まるでかつての、……人間の形をとってすぐのころの、非力な姿のままのようだった。
「――少し、お時間をいただけませんか」
 とりなしたのは、翡翠だった。
「レモ君も、考える時間が必要だと思うのです」
「……まぁ、そうであろうな。客人達、部屋は用意させてある。足りぬこともあろうが、ゆるりと過ごされよ」
 共工はそう言うと、立ち上がる。
「良い答えを、待っておるぞ、レモ」
 そう言い残し、共工は退出していった。
「レモ殿。大丈夫ですか?」
 山南 桂(やまなみ・けい)の言葉に、レモは頷き、しかし。
「ごめん……少し、一人で考えさせて……」
 そう言うと、レモもまた、部屋を出て行ってしまった。



 用意された部屋は、申し分ないものだった。だがその歓待も、本意を知ってしまった以上、素直にくつろぐことは難しかった。
「静、どこに行くんだ?」
 三井 藍(みつい・あお)に尋ねられ、部屋の戸口で三井 静(みつい・せい)は足を止めた。
「レモさんのこと、探そうと、思って……」
「一人でか? ついて行くよ」
 藍もイスから立ち上がる。いくら今のところ襲われることはないといっても、やはり一人で歩かせるなど不安でしかない。
「でも、なんでだ?」
 藍は尋ねた。
「一人で考えたいって、言ってたんだよね。……それって、本当は、一人になりたくない時だから。……僕は、だけど」
 迷惑がられたら、すぐに帰るよ、と静ははにかむ。
 そんな風に、人を慮れるようになったことに、藍は少し驚いた。もともと優しい子ではあったが、優しすぎて臆病が故に、他人にこうして関わろうとはしなかったのに。
 そもそも、静がレモに同行すると言い出したこと自体が、藍にとっては意外だった。すべてにおいて引っ込み思案だった静が、このところ変わり始めていることには気づいている。けれども、なにも悪魔の地にまで来なくてもいいはずだ。
 なにがあっても守るという想いは変わっていない。たとえどこに行こうとも。
 でも、もしも……万が一、『もう必要ない』と思われていたら。そのときは。
 自分はどうしたらいいのだろうと。ふとそう思う時もあるのだ。
 そういう意味では、藍はどこか、カールハインツにシンパシーを抱く立場だったかもしれない。
 珊瑚城の内部は、入り組んだ構造になっている。万が一攻められた時のためなのだろうが、すぐに迷子になってしまいそうだ。
 用心深く進むうちに、二人は外に張り出した露台に、レモの姿を見つけた。
 ぼうっと、窓の外を見上げ、レモは放心している。
「レモさん……?」
 そっと声をかけると、ようやく気づいたのだろう。レモは振り返り、「ああ……」と静と藍にむかって弱々しく笑った。
「えっと……」
 大丈夫、と尋ねることは躊躇われた。そんなはずもないのだから。かといって、気の利いた慰めも思いつかず、静は逡巡する。
「ごめんね、心配かけて」
「う、ううん。その……レモさんは、タングートでなにをして、どうなろうとしてた、の?」
 咄嗟に出てきた言葉は、それだった。もとから、機会があれば、思い切って尋ねてみたかったことだった。
「……都合のいいこと、言うと。カルマを目覚めさせる方法が、知りたかった。それで、正しく安全に、力が使えるようになって……タシガンを、守りたいって、思ってた」
 そう答えて、レモは自嘲する。
「バカだよね。守るなんて。むしろ、兵器になるかもしれないんだから」
「レモさん……」
 そんな顔を、静も藍も、初めて見た。
 自暴自棄な、絶望にレモはいた。
「……こんなに、大好きなのに……」
 タシガンも。パラミタも。そこに住む、たくさんの人たちも。
 その姿を思い出し、レモは最後の堰が切れたように、ぼろぼろと泣き出した。
「…………」
 静は迷い、それでも、一歩を踏み出すと、レモの冷え切った手をとった。
「大丈夫、だよ」
 普段は、何事も悪いほうに考えるタチの静だ。以前なら、ともに絶望に震えていたかもしれない。けれども、今は、目の前で泣く少年を励ましたいと思った。
 自分だって、まだ迷うことばかりで。守られるだけの、そんな存在だけども。
「僕、ね。レモさんが何かを選んで……目指してる姿が、好きなんだよ」
「…………」
 うまく伝わるだろうか。励ましになっているだろうか。
 そう不安になりながら、訥々と静は言葉を続けた。
「それで、手伝えたらって、思ったんだもん。みんな、そうなんじゃ、ないかな……。その……だから、ね。レモさんに、諦めてほしく、ないんだよ」
 ややあって、ようやく。……静の細い指先を、レモが握りかえした。
「……ありがとう。そうだよ、ね。諦めるわけには、いかないよね」
 レモは目元をぬぐい、顔をあげた。
「藍さんも、わざわざ来てくれてありがとう。ごめんね」
「いや……」
 藍は首を振った。
「もう、大丈夫だよ。ショックだったけど……そうだよね、僕が諦めなければ、まだ道はあるんだ。僕は……僕とカルマは、絶対、兵器になんかならないよ。なって、たまるもんか」
 レモは力強く言い切ると、両手を強く握りしめた。その決意を、もうなくすまいとするように。
「僕は、共工に、記憶のロックを外してもらう。だから、ルドルフ様やみんなに伝えて? ……もしもこれが罠で、僕が、正しく僕のまま戻ってくることができなかったら……必ず僕と、カルマを壊してね」
「……わかった。伝えよう」
 藍が深く頷くと、レモはふっきれたように、明るく微笑んだのだった。