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【真相に至る深層】第一話 過去からの呼び声

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【真相に至る深層】第一話 過去からの呼び声

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【それは錆付いた鉄の色に似て】



 夕暮れ時ともなれば、都市は幻想的な空気に包まれる。
 朱色の光が海面から差し込まれ、ゆらゆらと揺れて空気を輝かせるのだ。
 朝焼けの眩さもなく、夜の闇は恐しくも、このひと時は、地上を知らない者達の心を慰めた。

「――参った!」

 そんな中、模擬剣を杖代わりにして荒く息をついたのはメイサー・リデルだ。
 巡回から帰ったアジエスタに、これも日課と為った手合わせを申し込んだのだが、足も速く官吏にしては使える方ではあるとは言え、茜色の騎士団でも最強の使い手相手には敵うべくも無い。一目瞭然の事実ながら、肩で息をするメイサーは、諦めた様子も無くにこりとアジエスタへ笑って見せた。
「いつか君にも勝って見せるよ」
 その、真っ直ぐな言葉も表情も好ましく、アジエスタはつい表情を綻ばせた。
 二人が恋人と言う関係を結んでから数年。塞ぎがちだったアジエスタの表情が和らぐことが増えたこともあって、恒例の手合わせの際は何となく人だかりが出来るようになっていた。
「ああしていると、可愛らしい人なんですけどね」
 メイサーが何かをいったり、仕草をしたりするたびに眉根を下げ、少し頬を赤らめる様子に、副官のジョルジェが肩を竦めると、ファルエストも「そうね」と苦笑した。
「微笑ましいですね」
 対して、オゥーニの方はにこやかに二人の様子を眺めながら、何故か溜息を吐き出した。
「でも少し、妬けてしまいます。私の前でもあんな顔、中々見せてくれませんから」
 その声に、通りがけにほんの少し笑う声を零したのは官吏のシヴァルだ。リリアンヌを供に連れ、黒髪をひとつに縛った年配のその男は、官吏の中でも高位に当る。慌てて頭を下げようとした一同を制止て、シヴァルは視線をアジエスタ達へと戻した。
「彼もそうですよ。あんなに嬉しげな顔は滅多に見せません。良い相手を見つけたようだ」
 年長者らしい物言いに、皆が頷いている中でリリアンヌは「そうですわねえ」と不意に甘く声を漏らした。
「これが束の間の時とは言え……幸せそうで何よりですわ」
 その声の響きに違和感を覚えたが、それを誰が言い出すより早く、アジエスタがばっと片膝をついた。その理由を悟って、戦士たちは一斉に膝をつく。
 黄族の長、「毒の貴婦人」オーレリアが、アトリケァルクセスを供に連れて姿を見せたのだ。オーレリアは紅族中でも上位者である一同に舐めるように視線を這わせた後「楽になさい」と声をかけると、平伏するアジエスタの傍に寄って、俯くその後頭部を見下ろした。
「随分と手間取っておるようだの」
 その一声に、アジエスタが身を竦めるのが判った。
「何ぞ、手立ての一つも見つけたかや?まさか四年も時を費やして何も無いはずがなかろう?」
「……申し訳ありません」
 彼女らしからぬ消え入りそうな声に、隣に控えているメイサーは小さく眉を寄せた。アジエスタの性格上、日々の報告を怠る筈がない。成果がないと知りながら、敢えて訊ねているのだ。まるでいたぶっているかのような態度にメイサーの心に憤りが芽吹いたが、流石に若輩の官吏が口答えをして良い相手ではない。
 口を噤んでいると、オーレリアの指がアジエスタの頬を取って上を向かせた。
「「絶命」のアジエスタ。そなたに一任しておる理由を忘れたわけではあるまい。間に合わぬのなら、妾手ずからに、あの娘にどんなことをするか……判らぬそなたではなかろうの?」
 その言葉に、アジエスタがはっきりと顔色を変えた。殆ど恐怖するように青ざめた顔を満足げに見やって、オーレリアはするりと身を引くと、笑みを深めた。
「残す時は後僅か……妾を失望させないでおくれ」
 そういい残し、従者二人を連れて、オーレリアはその場を後にしたのだった。


「オーレリア様はお変わりになられたような気がいたします」
 オーレリアと共に官吏達も去り、アジエスタも部下達と共に去った後、メイサー、オゥーニとシヴァルの三人となったところで、先にそう漏らしたのはメイサーだった。
「どこが、と言うと難しいのですが、アジエスタにあのように……」
「口を慎めメイサー」
 年若い同僚を窘めて、シヴァルは息をついた。
「お考えあっての事だろう。我々はただ忠実に役目を果たせばいい」
 しかし、と言いかけたメイサーに、シヴァルは「それに」と重ねた。
「……仮にそうであれば、普段と変わりなきよう支えるのが我々の役目だ」
 その言葉の端に滲むものを察してか、メイサーが遠ざかると、シヴァルは僅かに息をついた。後輩の手前口には出さなかったが、確かに近年のオーレリアは以前の泰然とした強かさに翳りを帯びたように感じる。 先程アジエスタに向けた言葉もそうだ。普段の彼女はその二つ名に相応しく、心の芯を苛む毒のような物言いをするのが常で、時には恐ろしいほど残酷で、同時に甘く胸に迫る慈悲深さも併せ持つ。それ故に盲信的な信望者を多く持つのだ。あんな風に目に見える刺を振りかざした脅迫のような真似はしない。
 自然深く漏れた溜め息は、シヴァルの心を重くした。気のせいであればいい。だが、古の言い伝えが現実に迫る中、誰しもの中に暗い焦りがあるのは確かだ。
「……誤りは正せば良い、か」
 言うは容易く、成すことはどれほど難しいか。今はただ目を凝らし耳を澄ます他無いか、とシヴァルは再度深く息を吐き出したのだった。




 その深夜のことだ。
 深い色に統一されたオーレリアの寝室を訪ねたのは、覆面の男とアルゥ、ケァルクセス、アトリ、そしてリリアンヌの五名だ。
「ビディシエが、アジエスタに、協力を仄めかしました」
 覆面の男の報告に、オーレリアは「矢張りか」とくすくすと笑みを零した。
「大方、あの子を使って紅の塔を動かすつもりなのであろう……妾たちもそれを考えておるとは、思いも寄らぬだろうの」
「オーレリアさんも、龍を倒すつもりなのですの?」
 オーレリアの従姉妹であるケァルクセスが首を傾げた。龍に強い関心を抱いている彼女は、できればそれは、とでも言いたそうな顔をしていたので、オーレリアは笑みを深めてその頬を撫でた。
「そうではない。龍を倒すなど、夢物語よ」
「では……何故です?」
 長くひとくくりの三つ網を揺らし、首を傾げるようにして訊ねたアトリにオーレリアは目を細めると、地図を引き寄せてするりとその指先で、円を描くように都市の縁をするりと滑らせた。そのままその指先を紅の塔で止めると、口元を笑みに引き上げる。
「ティーズの考え方は甘い。あれでは、また数千年の後に同じことを繰り返すばかり……ならば、巫女の魂を龍に与えず、龍の方もまた魂に手を出せなくさせてやればよい」
 その言葉に、アトリが目を細めると、かけていた眼鏡を押し上げた。
「……龍を封じると仰る?」
「正確に言えば、巫女の魂でもって縛るのだ。龍も己の愛しい魂を、引き裂けはすまい」
 くくく、と喉を鳴らす声色は深く重たい毒を孕んでいるような声だ。背中を逆撫でするような声に、居合わせた一同は寒気を、或いは身を震わせるような恍惚を感じながら頭を下げた。
「巫女を殺すためにも、龍の加護を薄められるだけ薄める必要がある」
 そんな一同に向けて、オーレリアは低く命じた。
「お前たちは、その方法を手に入れて参れ。殺すのはアジエスタの役目故」
 頷いて、ケァルクセスとアルゥ以外のそれぞれが部屋を退出していく間、ふと振り返った覆面の男は、どことも知れぬ場所に視点を当てたオーレリアの紅の瞳が、一瞬不気味な光を湛えているのを見た。
「…………ふふ、龍よ……そなたに、巫女は渡しはせぬ」
 呟く声は普段のオーレリアには無い響きで、ケァルクセスは不思議そうに、そしてアルゥは何か嫌なものが背中を這う感覚に首を傾げたが、オーレリアは答えず、左手に嵌めた指輪に、噛み締めるように歯を当てたのだった。