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リアクション
【紅と蒼の戦士たち】
半魚人達の襲撃は、主に昼過ぎから夕暮れにかけて行われる。
稀に朝方に襲撃を受けることもあったが、どうやら彼らのなかに夜行性のタイプはいないようで、夜の海の闇の中では視界が効き難いらしく、襲撃が行われたことはなかった。勿論、油断なく夜の警備も行われているが、騎士団たちにとって仕事というのはこの昼過ぎから夕暮れにかけての時間帯のことを指していた。
「アジエスタ!」
かけられた声に驚いたように、目を瞬かせたアジエスタは、正面から突撃してくる半魚人の槍に気付いて慌てて剣を突き出してそれを弾いた。その間で、接近した副官のジョルジェが脇を通り抜けて半魚人の脇腹を払うと、続けざまにファルエストの一撃がとどめを刺した。
「気がそぞろになってるわよ」
「油断しないで、今は集中して」
「すまない」
ファルエストとジョルジェの短い叱責に頭を下げたアジエスタは、次の瞬間には体を低く落として、駆け抜ける勢いのままにするりと剣を滑らせたかと思うと、すり抜けざま一閃で、三体の半魚人を倒すと、残る雑魚をノヴィムとディアルトに任せて剣を治めた。最年長とは言え、ノヴィムの腕は衰えを知らず、ディアルトも目立ちはしないがそつがない。主力を失ったことで、残る半魚人たちも直ぐ撤退を始めたのを見やり、アジエスタが息をついた、その時だ。
「おや、見逃すとは随分優しくなったもんだね?」
のんびりとした声がしたかと思うと、最初に逃げ出した半魚人の上体がずるりと斜めに落ちた。続けて、他の半魚人たちの心臓、頭と矢が射抜いていく。藍色の騎士団団長のビディシエと、団員のコーセイ、そしてリディアだ。先程の矢は、コーセイのそれらしい。すらりとした体躯が、アジエスタに向けて生真面目に頭を下げた。三名しかいないところ、警邏では無さそうだ。どうやら、気配を感じて向かって来たらしい。
「昔は問答無用で殲滅するって張り切ってたのにさ。どうしたの、サボリ?」
「そんなわけないでしょ」
あんたじゃあるまいし、とばかりにぼかり、とリディアが幼馴染の気安さでその頭を殴ったのに、大袈裟に痛がりながらビディシエは「酷いなあ」と溜息をついた。
「ボクはサボってないよ、気分転換。気分転換」
「それをサボリと言うのではないかと思います」
コーセイがあっさりと言うのに、更にビディシエがかくんと頭を下げる。相変わらず、ノリの良い三名だ、とアジエスタは少し笑った。
「しかし、珍しいな。藍色の騎士団長がわざわざこの区画に来るなんて」
彼女等が警邏して回っているのは、紅族の住まう区画の外回りだ。神殿を挟んで丁度反対側にあたる場所に、騎士団長が側近二人を連れてふらりと散歩など、考えにくい。果たして、ビディシエは僅かに目を細めてにっこりと笑った。
「ちょっとね、秘密のお話をしに」
さらりと言ったが、その声の冷たさが真剣さを示している。アジエスタは団員達に目配せすると、ジョルジェとファルエスト、ノヴィム、ディアルトを残して下がらせた。ビディシエもその四名を許容すると、僅かに距離を詰めて声を潜めた。
「相変わらず、キミが非生産的なことを繰り返していると聞いたんでね、一応忠告しておこうかと」
「それはオーレリア様への侮辱か?」
目を鋭くしたアジエスタに、ビディシエの口元が苦く歪む。
「話は最後まで聞いておくれよ。ティーズ様も、オーレリア様も龍を理解しておられない」
息をついたビディシエは剣を地面にカツリ、と立てて目を細めた。
「龍は人間にはまるで関心がない。だから恋人の魂さえ手に入れれば、この街は用済みだ。だから、皆必死こいて龍を繋ぎとめようとしてるわけだけど……考えてもみな。何より望んだ魂だよ、ボクらが考える程度の手で、奪えると思うかい。都市に使ってる力全部つぎ込んでも、守ろうとするに決まってるじゃないか」
その指摘に、ぐっとアジエスタが息を呑んだ。事実生まれ持った能力から「絶命の茜」の異名を持つはずのアジエスタでさえ、いまだに巫女を殺す糸口さえ手に入れていない。
「今の所龍が何の反応も示さないのは、それだけの力を契約に与えているからで、巫女たちの歌が聞いているからで……そして龍が本当にボクらのことをどうでもいいと思ってるからだよ」
「それで、龍を倒すという夢物語に力を貸せと言うのじゃな?」
口を開いたのはノヴィムだ。ビディシエの兄にして蒼族の長ビディリードは、騎士団上位者にはかなりの独立派としても知られている。リディアとコーセイは僅かに眉を寄せたが、ビディシエは肩を竦めた。
「夢物語なんかじゃないさ。ボクは現実味がないことを口に出す趣味はないんでね」
その言葉に、僅かにアジエスタが顔色を変えた。ビディシエは勝算のない勝負には絶対に手を出さない。飄々としていても現実的な男だ。そんな彼が自分に声をかけた意味が、わかったのだ。
「……私に協力しろと言うのか」
「そうだよ」
吐き出された言葉に、ビディシエはにっこりと笑った。
「キミにしか頼めないんだよ。巫女を……助けたいんでしょ?」
その言葉に、はっとジョルジェがアジエスタの顔を見た。軽く強張るその表情が、アジエスタの迷いを言葉以上に語っている。その反応に、ビディシエは満足そうに笑うと、アジエスタの代わりにジョルジェの肩をぽん、と叩いた。
「あんまり長居すると、キミんとこの子達に睨まれるからね。これで退散させてもらうよ」
そうしてあっさりと手を振りながら去っていく姿を、アジエスタたちは複雑な面持ちで見送ったのだった。
それから暫くの後、蒼の塔。
族長のビディリードを含めた、アンリュリーズ、パッセルの出迎えの元、帰還したリディアは、その栗毛のポニーテールを揺らしながら首を傾げた。
「あんな中途半端な勧誘でいいの?」
「いいんだよ」
ビディシエは意味深に笑って、くしゃりと小柄なその頭を撫でた。
「アジエスタは優しい。芽吹く種を撒いておけば、あとは勝手に育ててくれるよ」
その言葉に腰掛けた椅子の上で足をパタパタさせつつ、ふん、と鼻を鳴らしたのは、パッセルだ。
「相変わらず、ビディシエ兄さまは隙間をつっつくのがお上手ですこと」
嫌味の篭った物言いに、ビディシエよりも先にコーセイとリディアはぴりりと反感をパッセルへとぶつけたが、少女はものともせずに口の端を上げた。彼女の身分としてはビディリード、ビディシエの異母妹となるが、生まれも育ちも貧民街であったせいか、立ち振る舞いはやや粗野さがある。が、ビディリードは構わず年の離れた妹の頭を撫でて宥めると、一同を見回して「オーレリアは厄介な女だ。慎重過ぎる位で丁度いい」と息を漏らした。
「龍を倒す方法……それ自体は古から知られている通りだが、それでは龍の死と共にポセイドンも滅びる。それでは意味が無い。我々は最早ペルムの大地へは帰れぬ民だからな」
「それでは……見つかったのね?」
嬉しげな声でするりと腕を絡め、体を寄せたのはビディリードの愛人であるアンリュリーズだ。艶やかな黒の髪が流れ、たおやかな身体から香るものにビディリードも僅かに相好を崩しつつ、頷いた。
「そうだ。龍を倒し、その力を都市そのものの力とする。その方法は……ふふ、滑稽なことに最初から我々の前の前にあったのだ」
その言葉に、皆が首を傾げた中で、それって、と呟いたのはパッセルだ。
「もしかして……この塔のこと、ですか?」
「ああ、そうだ。この塔の楔が、龍を倒すための大きな役目を果たしてくれるだろう」
頷いて、苦笑するようにビディリードは自らが腰掛ける当主の椅子を、小さく叩いた。
「皆、妄言だと口をそろえたが……何のことはない。古き時代から脈々と……その計画は練られていたということだ」
そう言って、ビディリードは「後は」とその視線を神殿がある方角へと向けて目を細めた。
「アジエスタが自ら動くだろう……アトラからの報告が楽しみだな」
呟かれたその後。
ビディリードとビディシエ、パッセルのみが残った室内で、アンリュリーズが不意に息を吐き出した。
「“楔”……ということは、私たちだけが動いても意味が無い、ということね」
「その通りだ。当然、紅の塔の“楔”が必要となる。そのためのアジエスタだ」
ビディリードが頷く。
「“草”から、アジエスタが迷っていると報告が来ている。その内、朗報が届くだろう」
そう言って、アンリュリーズの黒髪を満足げに撫でるビディリードに、パッセルは少々わざとらしい息をついて「それじゃあアトラからの報告って何?」と口を開いた。
「アトラは特別な謡巫女だからね」
その問いに答えたのはビディシエだ。
「本気でボクらに力を貸すつもりなら、アトラに助勢を頼みにいくはずさ」
それには感心無さそうにふうん、と首を傾げたパッセルに、ビディリードは目を細めてその頭を再び撫でた。腹違いの妹だと知ってから、貧民街の出だと言うことも一切頓着しないその手は、何時も優しい。
「我々の大願成就の日は近い……お前にもまだ少し苦労をかけるが、頼むぞ」
囁く声も、部下に向けるのとは違う家族向きの声だ。それが心を安らかにする半面で、その手が触れ、腰を抱くのはアンリュリーズだ。豪胆豪腕を体現する引き締まった体躯に、滑らかな女性の身体は、とても絵になる。二人の密着具合がそのままその関係性なのだと理解していても、パッセルはその二人の背中を軽い舌打ちと共に眺めたのだった。
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