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リアクション
■第 5 章
乗客を乗せて、浮遊島壱ノ島行きの船は静かに埠頭を離れた。
見送りの人たちに手を振る人であふれたデッキを、エレノア・グランクルス(えれのあ・ぐらんくるす)がカートを押しながら歩く。上昇する船の揺れもあって慎重に押して歩いているため、その歩みはゆっくりだ。脇についた布袋 佳奈子(ほてい・かなこ)がさりげなくカートの前をふさぐ人を誘導して道を開けさせている。
2人とも、一目で船員と分かる制服を着ていた。古代大和風なエッセンスの入った白を基調としたワンピースと制帽に青とオレンジのアクセントが入って、すっきり爽やかな印象を見る者に与える。
「いらっしゃいませー。お弁当はいりませんか? 壱ノ島弁当、南カナン弁当、双方取り揃えてありますよー。壱ノ島などは、ほら! 容器が島の形になっているんです! ワクワクすると思いませんかー?」
島の絵が印刷された包装紙でくるまれた弁当の1つを手に取って見せながら歩く。
乗船の際、列は長蛇になっていた。そのせいでお昼を食べ損なった者は少なくなく、またもの珍しさも加わって、弁当は飛ぶように売れていく。
売り子のアルバイトの給料は基本給に加え、売上げによってパーセンテージがボーナスとしてつくことになっている。
「ふふっ。この分だといっぱいお給料もらえそう ♪ 観光するなら懐はあったかい方がいいよね! きれいなアクセサリーとかお土産にほしいし。これはもう売り切るつもりでやらなくちゃ!」
盛況なことで佳奈子はますますやる気を燃やす。
「それはいいけど、ほどほどにね。あなた、全力で頑張るから肝心のときにへばったりしないように、ちゃんとセーブして動きなさいよ。まだ出航したばかりなんだし」
「うん。頑張る!」
どう見ても話半分にしか聞いていない、接客に前のめりの佳奈子に、エレノアはふーっとため息をつく。しかしその表情は晴れやかだ。
「まあ、それが佳奈子よね」
そんなエレノアの前に、茶色いボサボサ頭の少年が現れた。少年はカートの商品を横から覗き込んでいる。
「何かお探しの品がありますか」
「えーとね……アイランある?」
(アイランって何だったかしら?)
「佳奈子、アイランはある?」
カートに商品を選んで積んだのは佳奈子だ。エレノアに問われて、佳奈子が振り返った。
「あるよー。ええと、たしかここ」
佳奈子はカートの反対側にかけてあった保冷袋から蓋つきのSサイズカップを取り出して差し出した。
「それ、2つある? さっきレシェフで飲んだら結構おいしくってさ」
「はい、ございますよ!」
にこにこと笑顔で佳奈子が手早く袋に入れるのを待って、少年はお金を差し出す。
「きみ、カナン人じゃないのね」
エレノアからの質問に、少年はニカッと笑った。
「うん。イルミンのイルギス村から来たんだ。浮遊島の商品仕入れにいくとこ」
「へえ。まだ子どもなのに頑張ってるわね」
「子どもじゃないよ! ……そりゃあねえちゃんより下だけどさ、これでも機械工見習いとして働いてるんだぜ。
ねえちゃんたちは島の人?」
機械工見習いで商品仕入れ? と佳奈子とエレノアは思ったが、それを訊き直すより早く少年から問い返されて、訊くタイミングを失ってしまった。
「違うわ。シャンバラよ。これはバイトなの」
「そっか。島の人だったら何か島のこと聞けるかなと思ったんだけど」
そのとき、少年は何かに気づいたような表情をした。視線の先で「ウァール?」と、帽子をかぶった少年がきょろきょろと彼を捜している。
「友達?」
「うん。あ、じゃあねえちゃん。ねえちゃんたちもお仕事頑張って」
じゃあね、と少年はまたもニカッと笑って、帽子の少年の方へ走って行った。
「面白い子ね」
「うん。元気よくて、いい子みたい。浮遊島でも会えるかな?」
顔を見合わせてふふふっと笑う。
「そのためにも、いっぱい稼がないとね」
「うん。がんばろう。
あっ、いらっしゃいませー」
「ねーねーおねーさん、イチゴミルクセーキある? それと、シルフィアにはオレンジジュース。んーと、あとー……マスターは何って言ったっけかなぁ?」
猫耳フードをかぶった少女がやってきて、注文を口にする。
「イチゴミルクセーキとオレンジジュースね! はい、ただいま!」
どんなに忙しくても笑顔を絶やさず、にこにこと愛想を振りまく佳奈子の楽しそうな姿を見れば「じゃあわたしも」と、人が集まるのは当然だろう。
2人の移動販売は、客にも船員たちにも好評を博していた。
「ウァール? どこに消えたのかと思ったわ。捜してたのよ」
「ごめんごめん。ちょっと飲み物買いに行ってたんだ。はい、これ」
彼の姿が見えなくなって心配そうなセツに、ウァールはアイランの入ったカップの片方を手渡した。
「ありがとう。
……あの、こういったのとか、船のお金とか、島へ着いたらきちんと返すわね。わたし、お金ちゃんと持ってるのよ? ただ、島のお金しか持ってなくて……」
もじもじするセツに、ウァールは笑って首を振ってみせる。
「気にしないで。おれもゲンじぃからもらった経費だし。
それより、何? 捜してたって?」
「え? ああ、刀真さんから伝言。船長から許可をとったから、船尾で訓練再開だって」
「分かった」船尾へ向かって駆け出そうとして、セツを振り向く。「セツも来るだろ?」
「ええ」
うなずいて、差し出されたウァールの手をとって一緒に船尾まで走った。
そしてそこで待つ者たちが刀真を囲んでつくった輪に入り、ウァールから預かった荷物を足元に置いて、ナイフの持ち方や立ち方、それの扱い方を教わる彼をほかの者たちに混じって見守る。とまどうウァールに、刀真のほかにも輪からアドバイスを送る者が多くいた。ウァールは屈託なく、さっぱりとして話しやすく、だれともすぐ仲良くなれる気質で、それらに答えるウァールとみんなの距離は早くも大分近くなっているようである。
ウァールはいい人。
アイランを口にしながら、セツ――ツク・ヨ・ミは思う。
そんな彼や、みんなを、自分はだましているのだ……。
(でも今さら、あれは嘘でしたって言えないし……。それに、どうせ島に着いたら、別れる、し……)
別れないと駄目だ。このままではウァールだけでなく、優しくしてくれたみんなも巻き込んでしまうことになる。シャンバラには天津罪(あまつつみ)はないみたいだけれど、島へ到着すれば、遠からず自分が天津罪人であるとばれてしまうだろう。額を隠している島の民はいない……。
額に刻まれた4枚花弁の花びらは重罪人であるしるし。死刑に処されないかわり、それは一生消えない烙印となって、どこへ行っても人々から蔑みを受け、排斥される運命となる。そしてそれは死ぬまで続く。
天津罪とは決して許されることのない、残虐な殺人鬼に与えられる刑罰なのだ。
通常罪人に刻まれるのは黒。ツク・ヨ・ミはその系譜に属する者としてうす紅色で入れられている。しかし扱いは同じだ。壱ノ島へ着いたら、なるべく早いうちにウァールやみんなからは離れて別行動しなくてはならない。
たった1人……。
(そんなの、分かってたことじゃない。1人でも、おじいちゃんの橋を架けるんでしょ?)
キュ、と唇を噛み締めるツク・ヨ・ミは、いつの間にかうなだれてしまっていた。
そうしてじっと足元を見つめていると、ふいにだれかから見つめられている気がして頭を上げる。そこには猫耳のついたフードを目深にかぶった少女が手すりを掴んで立っていた。
顔の下半分しか見えないのに、目が合った気がする。すぐに少女もニッと笑って、セツが気づいたことに気づいたことを知らせる。
「ねーねーマスター。あっち、何かしてるみたいだよ?」
猫耳フードの少女完全魔動人形 ペトラ(ぱーふぇくとえれめんとらべじゃー・ぺとら)は、船の横を流れる雲海の方に向けていた体をねじって、アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)のそでを引っ張った。
「ん?」
同じく雲海を見ていたアルクラントが、ペトラの声にそちらを振り向く。
「あらほんと」
シルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)が彼の脇からひょいと顔を出し、船尾のデッキで行われている剣術講座に気づいた声を発した。
「行ってみましょ、アルくん」
囲っているほとんどがコントラクターで、輪の中心に向かって野次を飛ばしたり、楽しそうな笑い声を上げているのを見て、シルフィアがそでを引っ張る。
「そうだな」
そちらに足を向ける2人の前を、ぴょこぴょこ跳ねるような足取りでペトラがセツの元へ向かった。
「にゃにゃっ。コンニチハ」
「……こんにちは」
セツは少し警戒気味にペトラを見ている。しかしペトラはそんなこと、気にする様子も見せず笑って自己紹介をした。
「きみも浮遊島へ遊びに行くの? あ、船に乗ってるからあたりまえだったねー。
僕ペトラって言うの。よろしくねっ!」
「セツ、です」
「んー。もう雲の上に着いたかなぁ? やっぱり空の上って気持ちいいね!」
直後、ぴゅうっと強い風が吹いて、冷たさに思わず肩をすくめる。
「ちょっと冷たいけどね!」
にゃははっと笑う無邪気なペトラを見て、セツはくすりと笑った。とたん表情がやわらいで、ペトラに対して持っていた警戒が溶ける。ペトラが自分と同じくらいの少女であることもそこには少なからず関係しているだろう。
少し打ち解けた雰囲気になって話す2人を横目で見守りつつ、アルクラントは周囲の顔見知りのコントラクターたちから事の経緯について情報を得る。
「なるほど。不審な影に襲われていたのか」
ペトラに誘われてデッキに設置されたテーブルについたセツをの前に腰かけ、アルクラントはさらにセツから、彼女が島の者で、故郷へ戻ろうとしていることを聞いた。
「なぜ落ちたか覚えているかい?」
アルクラントの質問に、セツは首を振る。
「記憶が……ほとんどなくて……」
嘘をつく罪悪感から声が小さくなってしまった。しかしアルクラントたちにそれと気づいた様子はなく、アルクラントは少し困ったように「うーん」とうなる。
「それは残念。きみが島の人なら、質問しようと思っていたことがあったんだが」
「え? なに? アルくん」
「いや、これから行く先が「壱ノ島」という名前だろう? 壱というからには、ほかにも2、3、4と続く島があるんだろうかと思ってね」
「あ、そういえば、確かに不思議な名前してるわよね。順番どおりに回らなくちゃ、みたいなルールがあったりするのかしら」
質問という言葉に身構えていたセツは、そのたわいのない言葉につい口元を緩ませ、笑みをつくる。
「島は、壱から伍まであります」
「ん? 覚えてるの?」
「あ、あのっ……全部、なくしたわけではないので。ところどころはあるんです。ええと……どうしても戻らなくちゃいけないってこととか」
「アルくん、全部忘れてたら今ごろ大変よ。言葉だってしゃべれないかもしれないじゃない」
シルフィアの言葉に、アルクラントもうなずいた。
「そうか。記憶喪失にもいろいろ程度があるんだな」そして再びセツへと目を向ける。「記憶を失うなんて、大変だったね。でもそうやって部分的にでも思い出せるのなら、きっとそれに引っ張られるようにして、ほかの記憶も戻ってくるよ。必ずね」
その思いやりがまぶしいほどつらくて。セツは見返すことができずにうつむいてしまった。
「…………ありがとう、ございます……」
そうして黙ってしまったセツに、何か感じるものがあったのか、アルクラントはそっと、帽子の上からいたわるように触れた。
「そうそう。それに、行かなくちゃ、っていう思いはとても重要よ。たとえその理由が分からなくてもね。そういう感覚を信じなかったら、ワタシだって今ごろアルくんにも会えていなかったかもしれないし。
この間だって……そのおかげでなーんとなく、するべきことはできたって気がするでしょ?」
シルフィアの言葉にそのときのことを思い出したのか、アルクラントは彼女へ微笑を向ける。
「そうだね」
2人だけの空間がそこにできたことに、ペトラはちょっと複雑な気分になったのか、少し口先をとがらせる。でもそれもほんの一瞬で、すぐとなりのセツへと向き直った。
「あのね! 僕、こう見えて実質2歳なんだよ?」
「え?」
「昔のこと、ぜーんぜん覚えてないし。これって、記憶喪失仲間だね!
あのね、記憶を取り戻すことも大事だけど、これからのことも大事だよ! それに、知らないことがたくさんあるって楽しいよね!
毎日がわくわくなんだよ!」
そのことに、とまどいつつもセツが何か答えようとしたときだった。
「うっはー! 疲れたー!」
ウァールが戻ってきて、セツとシルフィアの間のテーブルにどかっと両手をついた。
「あいつ、全然おれが初心者っていうの、考慮してないよ。みんなも適当なこと言うしさー」
「おつかれさま、ウァール」
くすくす笑って、セツはとりだしたハンカチをウァールの額に浮かんだ汗に押しつける。
「みんなの言葉が適当に聞こえるのは、ウァールがまだまだだからでふよ」
とことこついてきたムラサキツメクサの花妖精リイム・クローバー(りいむ・くろーばー)が後ろから言った。
「僕から見れば、全然なってないでふね。それこそ手のかえしから、足運びまで全部でふ」
ピンク色の長毛に覆われたリイムは、小さくてもふもふしていて愛らしい外見をしているが、こう見えてなかなかの剣の使い手である。その言葉には一定の重さがある。
「ね、リーダー?」
「あー……まぁ、な」
同じく一緒に来た十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)が、ウァールを気遣ってか生返事を返した。
「だが、今日始めたばかりだからな。昨日の今日でいきなり上達を求めるのは無茶だろう。ローマは1日にしてならず、だ。訓練を積めば、それが少しずつ積み重なって立派な剣の使い手に――」
とにかくフォローを入れる宵一だったが、先のウァールの終始もたついた冴えない動きをいろいろ思い返してみるにつれ、表情が暗く沈んでいき、そっと視線が明後日の方向へ飛ぶ。
「……うん、たぶん、なるんじゃない、かな……きっとな」
宵一のその様子から、見ていなかったがアルクラントたちにもウァールの腕前はなんとなく察することができた。
一方リイムは、自分をじーっと見つめるセツの視線に、リイムを見つめる女性特有の波長――触りたい、もふもふしたい、抱っこしたい――を感じとって、ひざによじのぼってそこに落ち着く。そしてセツに頭や背中をなでられながら買ってきたばかりのジュースにストローをさした。
「ウァールには、はっきり言って剣の才能はないでふね。訓練したらそこそこ扱えるようになるかもしれないでふが、それ以上は無理でふ」
「うーん。そうかもなぁ」
才能はないとはっきり言われて怒るかと思いきや、ウァールはあっさり認めて頭を掻く。そしてセツの差し出すアイランを受け取った。
「ウァールは何が得意なんだ?」
「得意? んー……機械いじりかな。小さいころからずっと親父たちと工場で過ごす時間の方が長かったし、手先の器用さでは学校一って言われてたよ」
「じゃあ、こういうのはどうでふか?」
「ん?」
リイムが突然テーブルを紙に、指をペンに見立てて何かを書き始めた。
「こういうのが合うと思うのでふよ」
「ああ……うん。できないことはないかも。さっき、ナイフ買うついでにいろいろ買い込んできてるから。工具も持ってきてるし」
材料足りるかな? と思いつつ、リイムの指を目で追う。
「そこはこれくらいの方がいいんじゃね?」
「25センチはほしいでふね」
「20センチでいいよ。距離はいらない。あー、でも旋盤機がいるな」
「そこは僕がなんとかできると思うでふ。ウァールには設計図を手伝ってほしいでふよ」
「あ、そう? じゃあついでにこんなのできる?」
テーブルの一角を使い、なにやら2人だけに通じる話を始める。ふんふん、とある程度話が固まったところで、リイムがぴょんと床に飛び下りた。
「実際やってみるでふ」
「OK!
あ、セツ。おれ、これからちょっとリイムと船室こもってくるよ」
「ならわた……ぼくも一緒に――」
「いや、一緒にいてもたぶん退屈だろうし。セツはみんなとここにいて」
腰を浮かせたセツを制して、ウァールはリイムとともにデッキを走って行った。
「大丈夫だよ。彼はどこにも行かない。同じ船のなかだ」
ウァールに置いていかれたことで心もとなく感じているのを察して、アルクラントが優しく言う。
「すぐに戻ってくる。それまでここで待っていよう」
「……はい」
そのとき。
セツの言葉と重なって、巨大な、何のものとも思えない、サイレンのような甲高い音が鳴り響いた。
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