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リアクション
■第14章
弐ノ島行きの船は、どの島行きの船より小さかった。
「あの島は何もないからね。せいぜい小型の貨物船が週2回往復するくらいだ。それだって積荷がなければ止まるし。
きみたち地上人が来ているから今回1カ月間だけ臨時船が出ることになったけど、定期便になるかはまだ未定だな」
弐ノ島行きの切符を求めた際、窓口の男はそう言って笑った。
「そうですか」
「でも、なんであんな何もない島へ?」
「え? ……えーと」
質問を返されてウァール・サマーセット(うぁーる・さまーせっと)は言葉に詰まる。
ウァールが行くことを決めたのは、朝一番の貨物便で3人の地上人が弐ノ島へ向かったというのを耳にしたからだ。昨日南カナンからの船で壱ノ島へ渡った地上人は同じホテルに宿泊している。その全員が確認をとれたなかで、1組だけホテルに現れなかった者たちがいた。
とはいえ、友人たちで個人的に連絡をとれた者が数人いたことからトラブルに巻き込まれた疑いはなく、騒ぎにはならなかったが、彼らは男女1名ずつの2人組だったという。
弐ノ島行きの貨物船に乗ったのは男1人に女2人。確証はなかったが、そのうちの1人がセツである可能性は高かった。
しかし、聞くところによるとセツは浮遊島群では指名手配をされているという。はたして言葉にしていいものだろうか……。
(――あ、セツじゃないんだっけ)
彼女の本名はツク・ヨ・ミ(つく・よみ)という。
通報を受けて現れた、壱ノ島の警備を担当しているキンシの隊長から職務質問を受ける際、軽く説明を受けた。ツク・ヨ・ミは伍ノ島にある館から脱走した罪で指名手配されており、額の刺青は重犯罪者の近親者である印なのだと。
彼女は記憶喪失のフリでウァールをだまし、隠れ蓑に利用して、この浮遊島群へ戻ってきたのだ……。
「ん? どうした坊主?」
見るからに暗く、どんより黙り込んでしまったウァールに、窓口の男がいぶかしげな目を向ける。
横から手が伸びて、窓口にお金を出した。
「おじさーん、弐ノ島行きの切符3枚ちょーだい?」
完全魔動人形 ペトラ(ぱーふぇくとえれめんとらべじゃー・ぺとら)だった。
ぶかぶかの猫耳フードを目深にかぶって顔の上半分が隠れた状態の彼女はうさんくさく見えるに違いなかったが、愛嬌のある口元やひとなつっこい声がそれらをカバーしていた。
「お嬢ちゃんも弐ノ島へ行くのかい?」
「うん! なんか、あっちの貼り紙見たんだけど、機晶石掘る工夫(こうふ)さん募集してるんだって。そーゆうのしたことないし、せっかくの旅行だから体験してみるのも面白いかなー? って」
「ああそうか。それで地上人に弐ノ島行きが多いんだな。
ほら、チケットだ。機晶石採掘は重労働らしいが、1日ぐらいならどうってことないだろう。楽しい思い出ができるのを祈ってるよ。おまえもだ、坊主」
「……ありがとう」
チケットを受け取って出口へ向かう2人を、コントラクターたちが待っていた。
「マスター! チケット買ってきたよー。弐ノ島行きー」
にゃはっ☆ とペトラは高く振り上げた手の先でチケットを振る。そしてはずむ足取りでアルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)の元へ駆け寄った。
「お遣いありがとう、ペトラ」
ペトラを褒めたアルクラントは、次に視線を上げてこちらへ歩いてくるウァールを見る。
「やあ、ウァール」
「……ども」
ウァールも彼らを覚えていた。船でセツと一緒のテーブルにいた人たちだ。
そう考えることでまたもやセツを思い出してしまい、ウァール自身知らぬうち、眉がひそまる。アルクラントはそのことに気づきながらも素知らぬフリをして、にこやかに話しかけた。
「きみも弐ノ島へ行くのかい?」
「……うん。
あんたたちは機晶石を掘りに行くんだって?」
それ以上訊かれたくなくて、つくり笑顔で話題を返したウァールだったが。
「そう。自分の手で機晶石を掘り出したり、加工前の原石を見るのも面白いと思ってね。
そういうことを言うってことは、きみは違うんだね。きみは何をしに弐ノ島へ?」
――しまった。藪蛇だった。
今度はそれが完全に表情に出てしまった。
「えーと……」
どう返したものか。必死にあたりさわりのない理由を考えていたときだ。
「あなた」
か細い女性の声で、あきらかにウァールへ向けてと思われる言葉が後ろの方からした。
振り向くと、長い髪を1本の三つ編みにした少女がウァールを見つめている。おそらくは遠巻きにした島民が向ける好奇と畏怖の視線への対処だろう――浮遊島群にギフトはいないため――黒蜘蛛型ギフトのカン陀多 酸塊(かんだた すぐり)を胸に抱き上げた格好で、一雫 悲哀(ひとしずく・ひあい)が近づいてきた。
「やっぱり。あのときの少年ですね」
振り返ったウァールを見て悲哀は確証を持ったようだが、ウァールはいまひとつピンときてない顔つきだ。無理もない。悲哀と会ったのは一瞬で、しかも唯斗に抱えられてのすれ違いだった。
「なんだよ。おまえ、悲哀のこと覚えてないのか? 助けてもらったくせに、失礼だろっ」
あのとき、まったく悲哀や酸塊には関係のないことなのに、追われる彼らの代わりに正体不明の影のような敵を相手にして戦ったのだ。なのにウァールは彼らを覚えてもいなかったことに、酸塊は少し不満声だ。
「酸塊……。
レシェフで、あの不思議な影に追いかけられていたときです」
悲哀が助け船を入れる。
「……あ、あー! あのときのおねえさん!」やっとウァールも思い出した。「大丈夫だった!?」
「ええ。ありがとうございます。あなたもお元気そうでよかったです。あのあとどうなったか、心配していました……私にできたのは、足止めがせいぜいでしたから……」
「そんなことないよ! 助けてくれてありがとう!
あ、おれ、ウァール・サマーセットっていいます!」
「一雫 悲哀です。
ところで、お連れの方は一緒じゃないんですか?」
「それは……」
とたんウァールは言葉に詰まり、先までの元気も失って、うつむいてしまった。そんなウァールの様子に、悲哀も何かあったのだと悟って、周囲のほかの面々へと問いかけるような視線を投げる。
「それは……」
ウァールはもう一度つぶやいたが、そこから先、言葉はどうしても出てこなかった。
「――そうですか……そんなことが……」
弐ノ島行きの船の甲板に設置されたテーブル席で卓を囲み、これまでの事を黙って聞いた悲哀は最後に力なくそう告げた。
ぽつりぽつりウァールが話した内容にはアルクラントたちも知らないことが含まれており、特にセツがあのキンシたちが疑っていたとおりのツク・ヨ・ミという指名手配犯で、記憶喪失でもなく、ウァールを利用してこの地へ戻ってきた、と、どこか突き放すように言うウァールには、軽く眉を上げる。
「なるほど。きみはそれを裏切りと思ったわけだ。まあ、確かに記憶喪失っていうのは嘘だったんだからね。そうと言えないこともないかな。
私も、あの子は何か隠してるような気はしてたんだが……」
しかし見た感じ、それが悪いたくらみのようには見えなかったから、深く追及せずに退いたのだ。おそらくここにいる、セツにかかわった者たちで、アルクラントと同じように感じた者は何人もいるだろう。
これまでさまざまな人物に会い、数々の事件を経て経験を積んできた者の目からすれば、セツは何かわけありに見えていた。しかしそれと見抜く目を、村育ちの14歳の少年ウァールに求めるのは無理かもしれない。
「嘘でだましてひとを利用するのは、裏切りだよ」
ウァールは即答したが、語気は弱い。言葉そのままにとれば深刻に思えるが、それがウァールの本当の気持ちかどうかはまだおおいに疑問符がつく言い切り方だった。だれかの言葉をそのまま口にしているように、彼が本当にそう思っている風には見えない。もちろん、そういう思いも少しはあるだろうが。
「だれかがそう言った? 彼女はきみを裏切ったって」
「……べつに。そういうわけじゃ、ないけど……」
ふいと視線をはずすウァールの反応に、当たらずともかすりぐらいはしたかと見当をつける。
「だけどきみも、彼女がなぜ隠していたか、思い当たる節はあるんだろう?」
「そうよ」
横からシルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)がテーブルに身を乗り出す。
「だって彼女はここでは脱走者として指名手配されてたんでしょ? それなら隠してもしかたないんじゃないかな」
「でもおれ、こっちの人間じゃないし! おれがそんな、犯罪者だって知ったら告げ口するような人間に見えたってことだろ!?
そりゃあ知り合った最初はそう思って用心したかもしれないけど、あれからいくらだって機会はあったはずなんだ!」
「え、えーと……それは……」
まくしたてるウァールに気圧されて、シルフィアはあたふた考える。一方で、スイッチが入ったような剣幕に、アルクラントはそれがウァールのひっかかっている最大の部分なのだと感じた。
「そうだね。そこはたしかにあれだけの経験をともにしてきた仲でみずくさいと思うし、きみも怒って当然の部分だろう。
だけど壱ノ島へ来るまでの南カナンでの道中でもきみたちは襲われていたんだろう? すでに十分巻き込んでたと言えるかもしれないし、何者かは分からない――もちろんそれも嘘だっていう可能性もあるけど――者を相手に、必要以上きみに危険な目にあってほしくなかったんだろうね」
「なんで? おれ、もう巻き込まれてたよ? だけどセツを見捨てるなんて一度も考えなかった! ……そりゃ全然守れてなかったけど……おねえさんみたいに強くないし。
だからなのかな。おれが弱くて、頼りなかったからセツは話せなかった?」
「そんなこと関係ないよ!」
ウァールが思い込んでしまう前にと、シルフィアは力説した。
「彼女は自分の都合にウァールくんを巻き込みたくなかっただけ! ワタシだってそう思うもの! 危険な目にあうと分かっていたら、大切な人はできるだけ巻き込みたくないって! だからアルくんの言うとおり、きっと彼女がウァールくんを危険な目にあわせたくないって気持ちは本当だったと思うよ?」
「…………」
ウァールは肯定することも否定することもできないでいるようだった。
たぶんそれは、彼女がどういう人か、まだ理解しきれていないからだ。しかしそれは、残念ながらウァールが1人でいくら考えてもどうにもならないことだった。
「昨日、少しだけ彼女と話したよ。信頼ってやつはそう簡単に得られるものじゃないって。だから信頼には価値があるんだ。それは、きみにも言えることだと思う。一方通行じゃなく、互いにそう在ろうとしなければ……。
きみは彼女を信頼していたと言えるかい?」
「――だって、セツが認めたんだ、おれをだましていたって」
のどの奥から絞り出すように、ウァールは固い声で告げる。
「おれ、彼女が違うって言ってたら、ちゃんと聞くつもりだった。だけど、セツは認めたんだ」
今も耳に残るあのときの声、表情。セツはウァールをだましたうしろめたさでいっぱいだった。
「ウァール」と彼の名前を呼んだセツの姿を思い出して、ウァールはぎゅっと目をつぶる。ひざの上のこぶしが震えていた。
「そうか。じゃあやっぱり、なぜだましたのかをちゃんと彼女自身から聞かなくちゃね。そのためにきみもこの船に乗っているんだろう?」
「……おれは……よく、分からないんだ。ただ、セツが向かったって聞いたから……。彼女をここへ連れてきたのはおれだし、元の場所へ戻してあげるって約束したし……彼女が裏切ったからって、おれが裏切っていいっていうのはおかしいだろ?
だけど、なんかもうほかの相手みつくろってるみたいだし。おれなんか必要としてないかもだけど」
「あーーもーー!」
最後、自嘲の響きがあるのを聞いて、ペトラがじれったそうに声を上げた。
「そんなこと、どうだっていいんだよ! 深く考えるのなしなし!
ようは、ウァールがまた彼女と会いたいって思うかどうかなんだよ。きみは彼女に会いたいって思わない?」
「それは……」
「僕は会えたらまたお話してみたいなぁ。それに、本当の名前があるんだったらそっちで呼びたいし!」
「…………」
うつむくウァールを見て、 樹月 刀真(きづき・とうま)が立ち上がった。
「来い、ウァール」
「えっ?」
「まだ島へ到着するまで時間がある。昨日の続きだ。稽古をつけてやろう。
ナイフは持っているな?」
「あ、うん」
刀真から背面のナイフに視線を向ける。どんなときも武器は携帯し、すぐ手の届く位置に置いておけというのは昨日教わった基礎だった。ただ、七つ道具やらあれこれを入れているベルトポーチとの関係から腰に吊るすことができず、腰の位置で水平にベルト通しで止めるように改造してある。
「よし。じゃあそれを持ってついて来い」
刀真の剣の稽古は、昨日の復習から始まった。ナイフの握り方から始まって、体のかまえ、足運び、攻撃の位置を順に教えていく。
「戦闘中は常に相手に正面を向けるな。胸部、腹部といった人間の弱点を敵の眼前にさらすことはない。ナイフを持つ手から肩、引き足と、なるべく一直線にしろ」
「だけど刀真はそうしてないだろ?」
「おまえに教えているのは基礎中の基礎だ。俺と同じ動きが教わりたいのなら、最低限俺の剣が10秒捌けるようになってからにしろ。
さあいくぞ。今から1分攻撃するが、全部ナイフを使わずに避けるんだ」
「え? ちょ、それ無理!」
さっそく胸にきた剣をナイフで受けようとしたウァールに叱責が飛ぶ。
「ナイフは握っているだけだ。足を動かせ。軌道を見切って最小の動きで避けろ」
刃が打ち合う音を聞きつけて、やはり昨日のように野次馬たちが2人の周りに集まって、やいのやいのはやしたて始めた。
そのなかにはセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の姿もある。
「いけいけウァール! 刀真なんかぶっとばしちゃえー!」
「……セレン、そういうものじゃないわ、あれは」
脇からセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)がため息まじりに肩をすくめた。しかしセレンフィリティはロクに聞いていないようで、ニコニコ笑って「やれ! キックだ!」とか「そこでターンして背中に肘を入れろ」とか、結構いいかげんな声援を、ほかの者たちと一緒にそれからもウァールに送っている。
「惜しい惜しい。そこで突け! 反撃のチャンスよ! 刀真は避けろって言ったけど、反撃するなとは言ってないわよー!」
「無茶言うなってっ!」
ウァールはセレンフィリティの野次に怒ったような声で叫び返すが、刀真の剣の動きを見続けるのに必死で、とても視線を飛ばす余裕はない。少しでも視線をはずせば、その瞬間噛みついてくる猛毒のヘビでも相手にしているような顔つきだ。
そんなウァールの見るからにあっぷあっぷで滑稽な様子に、目尻に涙まで浮かべ腹を抱えて「あっはっは」と笑うと、ひと息入れるようにため息をつき、ぽつっと言った。
「なんだ、意外と元気そうじゃん、あいつ」
「セレン?」
「昨日、友達に裏切られたってヘコんで戻ってきたときはどうなるかと思ったけど……今朝も引きずってたみたいだし。でもこの船に乗ってるってことは、なんだかんだ言ってあいつ、まだあの子とのことあきらめてないってことよね」
「――そうね」
さっぱりとした笑顔の浮かんだセレンフィリティの横顔を見ながら、セレアナもほほ笑む。
「こうして追っかけてるのは2人の絆が途切れていない、まだ見込みがある証拠。本当に嫌いならこうして追いかけるどころか、嫌いにすらならないはずよ? 嫌なことはさっさと忘れて、べつの楽しいことを考えるはずだから。
一番厄介なのは、感情をこじらせた末に相手のことを未練として残すことよ。そうなったら、心の中に魔物を住まわせることになるわ。その化け物は、ウァールも、相手も、食らい尽くすことになるから……」
話していくにつれ、だんだんと声から明るさが抜け、セレンフィリティの瞳の色が暗くなっていくことにセレアナは鋭く気づいた。
その瞳はウァールと刀真を映しているが、真実見てはいない。何か、どこか。こことは違う別のどこかにある別の何かを見ているような目をして何もない空間をじっと見ている。おそらくは、セレンフィリティにだけ見える何かを見ているのだろう。
セレンフィリティの心が遠く感じられて、セレアナはさりげなく今のセレンフィリティから視線をそらした。
「だれだって、言いたくても言えないことってあるものよ」
そして空をあおぎ、まぶしい太陽から目を庇うように額にあてた手の下で目を細める。
「特に、それを告げることで、自分でないだれかに迷惑をかけたり、傷つけることになるんじゃないかと思えることなら、なおさら」
セレンフィリティが振り返り、自分を見ているのを感じながら、セレアナは続ける。
「それに、本当のことを言えば嫌われるんじゃないか、信じてもらえないんじゃないかっていう恐れ……それは、だれもが持っている感情よ。なにもウァールだけが特別じゃない」
あなただけがそうじゃないように。自分だけだと思ってしまわないで。
それは、自ら孤独を選ぶことだから……。
「セレアナ……?」
セレンフィリティも、セレアナがただそう言っているだけでなく、メッセージを込めていることに気づき始めていた。
「なんて、ね」
茶化すように、セレアナは振り返って小さくつぶやき、声を出さずにくすりと笑う。そしてあまり真剣に聞こえないよう、はぐらかすように少々大げさにため息をついて見せると、腰に手をあてた。
「それにしても、ほんと、ウァールって剣での駆け引きがへたくそね。あれじゃあ先々が思いやられるわ」
「ほんと」
口元に手をあて、セレンフィリティもまた、くすくす笑った。
もちろんウァールのもたついた動きに、そう感じたのはセレンフィリティたちだけではない。
「あんなことしても無駄でふ」
ずっと見守っていたリイム・クローバー(りいむ・くろーばー)がつぶやく。
「ウァールに剣の才能はないでふよ」
「そうね。でもそれは、刀真も分かっているわ」
リイムの独り言のようなつぶやきに、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)が売店で購入してきたアイスティーを飲みながら静かに答える。
「刀真はああやって肉体を酷使させて、ウァールの鬱屈を飛ばしてあげようとしてるのよ。だっていくら考えてたって、ウァールのなかに答えがあることじゃないでしょ? 今のウァールの悩みって」
クルクルとストローで掻き混ぜて、ふわりと浮き上がって紅茶の海を泳ぐ海竜の形に切り抜かれたマジパンを見た。ほかにも星型や魚型をした物が一緒に泳いでいて、どれもパステル調で色付けされて、とてもかわいい。
グラスのなかを覗き込みつつ、月夜は思う。
(でも、そんな刀真も分かってないわね。刀真はウァールがこの船に乗ったのは追われてるツク・ヨ・ミが心配だからって思っているけれど、なんで裏切られてもそんなにも心配しているのか、理由については深く考えてないよね。
それって、ウァール本人も分かってなさそう。2人とも男の子だし。しかたないかな)
月夜は2人のこの別れを肯定的に受け止めていた。
たしかに正体不明の敵に狙われている状態で行方を見失うのは心配だが、目撃情報や状況証拠によれば、彼女は今、コントラクターと行動している可能性が高い。とすれば、よほどでない限り最悪な状況にはならないはずだ。
(きっと、この別離は2人にとっていい方向に働くわ、うん)
自分のした考えにうんうんとうなずき、月夜は先端がスプーンの形をしているストローを使って取り出した海竜をぱくりと食べた。
「あー、ちくしょう! 全然だめだー!」
ウァールは諸手を上げて敗北を受け入れると、ぺたりとその場に尻と両手をつけた。
船が動き出した当初、肌寒いと思っていた風が今は心地いい。風が来る舳先の方に顔を向け、涼んでいるウァールのとなりに刀真が歩を進める。ウァールと違い、刀真は1滴の汗もにじませていない。
「少しは気が晴れたか」
「えっ?」
自分を見る刀真の表情が、声と同じくどことなくやわらかく変化しているのを見て、ウァールは目をしぱたかせる。そして、気づいた。
「もしかして、これってそのため?」
「それもある。
しかしきみを鍛える必要があると思っているのは本当だ。きみも考えたように、狙われている彼女を守るには力がいる。俺たちが彼女を見つけたとき、彼女がまたあの影たちに狙われていたとしたら、きみはどうする? そのとき近くに俺たちがおらず、きみ1人だったら、彼女を守るのはウァール、きみだよ。彼女の手を引いて、ただ逃げるのか? 追い詰められたら彼女を渡すのか?」
自分を見つめるウァールの瞳の強さに、望む返答を見て、刀真は満足げにうなずく。
「そのためにも剣を扱えるようになるのは必要だ。
まあ、覚えて邪魔になるものでもないしな。こうして気分転換にもなる。だろう?」
「……そうだね」
そしてウァールは先までと違う、澄み切った榛(はしばみ)の目を前方へ向けた。
「おれさ、だまされたってセツのことばっかり責めてたけど、ほんとは……」
先を続けるのかと思いきや、何か考え込むようにそれきり黙ってしまったウァールに、刀真は片眉を上げる。
稽古が終わったか、小休止に入ったのを見て、リイムが席を離れてとことことやってきた。
荷物をごそごそやって「はい、これ」というように、小型の銃をウァールの前に差し出す。
「遅くなったけど、ウァールの分でふ。今のウァールなら受け取れるでふね」
それは昨日、壱ノ島行きの船で2人でセツの身を守る携帯武器について考案し、リイムが即席武器工房で作り出した物とまったく同形の閃光銃だった。
「セツちゃんとおそろいでふよ。あっちより飛距離があるようにしたのでひと周り大きいでふけど、ウァールの手にぴったりだと思うでふ」
「うわ。すっげぇ。リイム印のカスタム銃ってやつだな!
ありがとな、リイム」
輝きの戻った目で手のなかのそれをいろいろな角度から見ているウァールの反応を見て、リイムは少し照れの入った、でも誇らしげな顔でうなずく。そして付けることをうながすように、やはり銃専用のホルスターを渡した。
「ウァールさん」
上から覗き込むようにして、悲哀が遠慮がちに声をかける。
「わたし、思ったんです……。相手を信じられないと思うときは、信じたい方を信じればいいんだと思います。それまであなたが信じてきた姿か、新たに見えた姿か。あなたが信じたという、それはまぎれもない真実になります……。
その信じた心から動いた行動は、きっと無駄じゃないと、私は思ってます」
たとえその結果が万人にとって最良とはいかなくても。自分の心に従った結果なら、ウァールは一定の満足を得られるはずだ。
ウァールは立ち上がり、酸塊を抱いていないもう片方の手をとって、まっすぐ悲哀を見て告げた。
「ありがとう、おねえさん」
「それで、きみはどうする?」アルクラントが問う。「きみは弐ノ島行きの船に乗った。彼女を追いかける決意もしている。彼女を見つけたとして、何を話す? 何をする? それは見つかっているのかい?」
「――うん。たぶんね。見つかったと思う」
先までの煩悶とは違う、すっきりとした声と表情でウァールは答えたことにアルクラントは満足そうにうなずくと、船の進む先へ目をやった。
「そうか。ならするべきことは1つだ。あの島で、彼女を見つけよう」
雲海を切って進む舳先の向こう。灰色の雲の切れ間からは、うっすらと下の大地が見えていた。
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