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【四州島記 完結編 二】真の災厄

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【四州島記 完結編 二】真の災厄

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第一章  央津

「景継様、掌玄めにございます」
「入れ」

 由比 景継(ゆい・かげつぐ)の股肱の臣である三田村 掌玄(みたむら・しょうげん)は、音もなく室内に入ると、主に向かって深々と一礼した。
 今二人がいるのは、西湘藩主の首府央津(おうつ)に建つ藩公家の居城、白藍城(はくらんじょう)の天守にある大広間である。
 藩主水城 薫流(みずしろ・かおる)を洗脳し、意のままに操る景継にとって、白藍城はもう自分の城のようなモノだ。
 通常であれば、正月に家臣の参賀を受ける時など、年に一、二回、大きな行事の時にしか使われない場所であるが、景継は好んで、この広間を私室にしていた。
 天守に続く階段は一箇所しか無いから、階段と幾つかある窓に結界を張っておけば、警備の手間が省ける。それに、高みから遙か外界を睥睨する事は、景継にとって、この上も無く自尊心を満足させてくれるコトの一つなのだ。


五十鈴宮 円華(いすずのみや・まどか)達の動き、掴みましてござります」
「続けろ」

 景継に対し、どこまでも卑屈な掌玄に対し、景継は、あくまで尊大に掌玄に接する。
 普通ならとても異様に映る光景なのだが、この二人の場合、これがさも当然であるかの様に見えるから不思議である。

「五十鈴宮らは首塚大社にて、東遊舞(とうゆうまい)を奉納するとの事。景継様の読み通りになりましたな」
「それで、例の小僧は来るのか?」

 掌玄の追従には気にも留めずに、景継は訊ねた。
 彼が聞きたいのは、そんな分かりきった事ではない。

猪洞 包(ししどう・つつむ)リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)と共に、先日、この四州島に入国しました。まさか国外にいたとは……。通りで、いくら探しても見つからない訳です」
「要するに、貴様が無能なばかりに、余計な手間と時間が増えた訳だな」
「も、申し訳ございませぬ」

 床板に頭を擦りつけんばかりに平伏する掌玄。

「まあいい――。だがよいか、今度はしくじりは許されぬ。わかっておろうな」
「心得てございます。既に松村傾月(まつむら・けいげつ)に命じて、手の者を送り込む手筈を整えております」
「あの者共か……」

 景継が、渋面を作る。
 彼等はその昔、景継が率いていた金鷲党という武装集団の生き残りなのだが、先日も円華の手の者と戦い、手も足も出なかったという話を聞いている。

(パラミタ人と地球人を契約がすれば能力の飛躍的な向上が望めると、地球の鏖殺寺院から人を招いて契約させたのだが……。結局モノの役に立たなかったな。所詮、カスはカスと言う事か……)

 今しがた掌玄に言ったように、今度は絶対に失敗は許されない。ならば、取るべき方法は一つしかない。

「掌玄、儂も東野に行くぞ。支度せい」
「畏まりました。――では、水城薫流は如何なさいますか?」

 薫流にかかっている洗脳は、決して強力なモノではない。
 洗脳をかけてまだ日が浅い上、薫流の意識が洗脳を拒んでいるためだ。
 毎日景継が術を掛け直していないと、強いショックで解けてしまう可能性がある。

「ならば、あの男、東野で農民一揆の先導に使ったあの男を呼び戻せ」
遊佐 堂円(ゆさ・どうえん)を名乗らせた、あの男ですか?」
「ああ。アヤツは多少術の心得がある。アレに毎日術を補強させれば、すぐには解けまい。――それと、あの男。傾月が連れてきた、あの裏切り者の契約者を警護につけよ。アヤツは、そこそこ腕が立つ」
高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)ですな」
「そうだ」
「では、早速手配致します」

 再び深々と一礼し、そそくさと部屋を出る掌玄。
 その後ろ姿を眺めながら、景継は、無意識に懐の鏡を撫でた。
 その鏡は、『解理(かいり)の鏡』という。
 円華の父、由比 景信(ゆい・かげのぶ)から奪い取った、由比家累代の重宝である。
 円華の持つ五十鈴宮の重宝『産日(むすび)の鏡』と対を成す女王器であり、その内部は、二子島(ふたごじま)や四州島で手に入れた、怨念に満ちた無数の魂で満たされていた。

(儂は既に東野で、万に近い魂を手に入れた。後は、首塚大神さえ手に入れば――) 

 景継は、一人ほくそ笑んだ。



「聞こえますか、御上先生」

 クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)は、無線で御上 真之介(みかみ・しんのすけ)に呼びかけた。
 彼はここの所ずっと、太湖湖畔での監視を続けている。

『こちら御上。何か、動きがあったかい?』
「六黒達には、今のところ特別な動きはありません。相変わらず、西湘との間で小舟の行き来はありますが……。それよりも、一つ気になる動きが」
『どんな?』
「先程夜闇に紛れて、一隻の船が、西湘から東野に渡りました」
『西湘から東野に?』
「はい。六黒達の船にしては船足が早いので、気になってドラゴンで後を追ったのですが、見失ってしまって……」

 【水雷龍ハイドロルクスブレードドラゴン】は、やはり目立つ。
 尾行に気付かけて、物陰などに隠れられてしまえば、 【ノクトビジョン】でも見つけることは出来ない。

「ちなみに、人数は二人。顔まではよく見えませんでしたが、背格好は由比 景継(ゆい・かげつぐ)三田村 掌玄(みたむら・しょうげん)によく似ています」
『景継が、東野に入った可能性があると言う事か……。わかった。貴重な情報を有難う。このまま、監視を続けてくれ』
「了解です」

 無線を切ると、クリスティーは早々に寝床に潜り込む。
 自分の寝ている間は、【魂の賢龍】が監視を引き受けてくれるから安心だ。

(しかし、景継が動いたにしては、六黒軍に動きがないのが気になる……。六黒は、兵を動かす気は無いのだろうか……?)

 そんな事を考えている内に、クリスティーは、深い眠りに落ちていった。




「ご無沙汰しております、悪路殿」
「これはこれは。貴方が自分で来るとは珍しいですね、椋」 

 景継が東野に向かった数日後。
 両ノ面 悪路(りょうのめん・あくろ)久我内 椋(くがうち・りょう)は、央津(おうつ)の料亭で対面した。
 椋が《貴賓への対応》で用意した、城下でも5本の指に入る高級料亭である。
 椋は、駅渡屋がお縄になった空白地帯を埋める形で、西湘に進出。急速にその販路を拡大していた。
 駅渡屋亡き後、西湘が東野遠征軍の武器や糧食を調達する事が出来たのも、全ては椋あったればこそである。
 そして、四州島の犯罪組織を一手にまとめ上げ、多数の手下を抱える三道 六黒(みどう・むくろ)もまた、椋の上得意なのであった。
 もっとも六黒の場合は、支払いはあくまで労働で、というのが西湘とは決定的に違う所だったが。

「今回は、とっておきのネタを仕入れたものですから。一刻も早く、六黒さんにお伝えせねばと」

 椋の元には、取引先や《裏社会》から、様々な情報が集まってくる。
 その情報を売るのも、重要な商売である。

「悪路さ〜ん!そのネタ仕入れるの、アタシも頑張ったのよ!なのにダーリンったら、ちっとも可愛がってくれないんだもの!悪路さんからも、ちょっと言ってやってよ!」
「なんだ、来香。お客様の前でみっともない」

 しなだれかかろうとする夜・来香(いえ・らいしゃん)の手を、にべもなく振り払う掠。

「相変わらず、仲のおよろしい事で」

 目では笑いつつも、扇子で隠れた悪路の口元は、全く笑っていない。
 早く、掠の話を聞きたくて仕方ないのだ。

「もう!ダーリンのいけず!!」

 すっかりむくれた来香が手酌を始めたのを良い事に、膝を進める掠。
 悪路も、その話に耳をそばだてる。

「由比景継が、城を出ました。東野の、首塚大社に向かいました」
「首塚大社?」
「はい。それと薫流様ですが、明らかに様子がおかしいです」
「おかしいと言うと?」
「東野との戦争を継続した事もそうですが、皆口を揃えて、まるで人が変わったようだと……。中には、『前藩主水城 永隆(みずしろ えいりゅう)様の怨霊が取り憑いているのだ』と言い出す者までいる始末で」
「永隆の怨霊……」

 怨霊、という単語に引っかかりを感じる悪路。
 怨霊の使役は、景継の十八番だ。

「ともかく今薫流様には、遊佐 堂円(ゆさ・どうえん)高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)という男が、常に付き従っています」
「遊佐堂円に、高月玄秀ですか……」
「ご存知で?」
「高月玄秀は、元々東野開発調査団の一員だった男で、現在は行方不明になっています。腕の立つ陰陽師です」
「もう一人については?」
「本物の遊佐堂円は既に死んでいますが、広城(こうじょう)城下で、攘夷運動の弁士として活動していたという報告を受けています。それに、大川(おおかわ)の農民一揆を扇動していたという報告も」

 六黒が統一した各犯罪組織が元々持っていた裏の情報網は、悪路の指揮の元再編され、より大規模かつ効率的なモノへと進化していた。

「それともう一つ。源 鉄心(みなもと・てっしん)という男が、東野から和平交渉の使者として参りました」
「和平交渉?」
「とても、上手く行くとは思えませんが……。わざわざご苦労な事です」
「いや。それは、使えるかもしれません。それで、その鉄心は今何処に?」
「西湘藩家老、守部良泰(もりべ・よしやす)様のお屋敷です。鉄心を薫流様に引き合わせるべく、尽力しているようです」
「成る程……」
「お役に立てましたか?」

 何か策を思いついたらしい悪路を見て、椋が嬉しそうに言う。

「ええ、それはもう。それでは、私は急用が出来ましたので、これで」
「おや、もう行かれるのですか?折角、料理をご用意しましたのに。ここの料理は評判が良いのですよ」
「それは、お二人でお楽しみ下さい――では来香。邪魔者は消えますので、ごゆっくり」
「キャッ!これから二人っきりなのね、ダーリン♪」

 ここぞとばかりに椋の首に抱きつく来香。

「そういう事ならば、俺も連れて行ってくれ」

 いきなり隣室の襖がガラリと開く。
 そこには、大小2本を腰に差した侍が立っていた。
 モードレット・ロットドラゴン(もーどれっと・ろっとどらごん)だ。

「これから、六黒の元に戻るのだろう?なら、俺も連れて行け。もう退屈なのは飽々なんだ。六黒の所に行けば、強いヤツと仕合える。違うか?」

 モードレットは、不敵な笑みを悪路に向ける。
 悪路は、そのモードレットの瞳を真っ直ぐに見返すと、フッと笑って言った。

「いいでしょう。『多々益々弁ず』。手駒は、いくらあっても困るモノではありません」

 悪路の扇子が、パチン!と乾いた音を立てた。



「申し訳ございませぬ、鉄心殿!」

 西湘藩家老、守部良泰(もりべ・よしやす)は、源 鉄心(みなもと・てっしん)向かって、地に頭を擦り付けんばかりに平伏した。
 鉄心は今、東野藩正使として、西湘の首府にある良泰の屋敷を訪れていた。
 その任務は、西湘藩と和平を結び、あわよくば同盟にまで漕ぎつける事である。
 これ以上の流血を防ぎ、更に西湘藩における怨霊の出現を食い止めるべく、自ら志願した鉄心だったが、実際彼は、この任務に打ってつけの人材だった。
 
 先の中ヶ原(あたるがはら)での戦いで西湘軍は、突如現れた首塚大神(くびづかのおおかみ)とその眷属達の前に為す術を知らず、多数の兵が川岸に追い詰められた。
 そもそも騎兵を率いて西湘軍の側背を突き、東野軍の勝利を決定的にしたのは、鉄心である。
 しかし、その西湘軍の将兵が首塚大神達に虐殺されていくのを、鉄心は黙って見過ごすことが出来なかった。
 鉄心は部下に西湘軍の救出を命ずると、パートナーのティー・ティー(てぃー・てぃー)スープ・ストーン(すーぷ・すとーん)と共に、首塚大神に立ち向かったのである。

 重傷を追いつつも、西湘軍が撤退する時間を稼いだ鉄心。
 そんな鉄心にすくわれた西湘軍の将兵は、彼に絶大な信頼を寄せていた。
 守部良泰も、そんな武将の一人である。

 守部家は、その血を辿れば藩主に連なる名家であり、良泰は西湘藩における数少ない武人として、先の東野遠征でも一軍を率いて参加していた。
 鉄心のお陰で辛うじて戦場を脱出し、東野軍の捕虜となった良泰。
 彼は、生き残った兵を率いて西湘に帰り着くと、鉄心を薫流と引き合わせるべく、仲介役を買って出たのである。


「薫流様は、お会いにはならぬそうです」

 良泰の顔には、深い苦悩が浮かんでいた。
  
「私が東野藩の正使である事は、お伝え頂けたのですね?」
「それはもちろん。東野公よりの書簡も、お渡し致しました――」

 もちろん、この書簡というのは藩主広城 雄信(こうじょう・たけのぶ)が書いた物ではない。
 雄信が首塚大神(くびづかのおおかみ)と化して戦場で大虐殺を行った事は、東野藩内ではトップシークレットとされており、ごく一部の者以外に知るものはいない。
 公には、首塚大神と雄信とは無関係とされており、広城では《シェイプチェンジ》で雄信に変身したカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)が、影武者を務めている。
 文書は筆頭家老の大倉 重綱(おおくら・しげつな)が、書かせたものだが、文字は雄信の祐筆(ゆうひつ)が書き、花押(かおう)も雄信のモノに非常に似せて書いてあるから、文書が偽物だと分かる可能性はゼロに近い。

「――ですが、『西湘の藩主たる者、外(と)つ国の者と会う事など出来ぬ』と、薫流様には取り付く島もございませぬ」
「そうですか……。では、講和については?少しは、感心を持って頂けましたか?」

 一縷の望みを託して、鉄心は良泰に訊ねた。

「講和については、言下にお断りなされました」
「しかし西湘には、もう戦う力など残っていないはずでは?」

 鉄心は、あくまで冷静に訊ねる。
 西湘軍の主力は、中ヶ原で8割近い死者を出して壊滅しており、残されているのは領内の警備に当たるわずかな兵のみ。常識で考えれば、とても戦争ができる状態ではない。

「仰る通りです。それがしも、『最早我が国には、戦を続ける力は残ってはおりません』と申し上げたのですが、薫流様にはまるで聞く耳を持たず……。それどころか、『講和したければ、これまでの非礼を詫び、我が兄水城 隆明(みずしろ・たかあき)を改めて東野藩の藩主とすると共に、東野軍との戦いで被った人的・物的損害について、然るべき賠償を行うよう』とまで仰っておられまして……」
「そ、それは――」

 明らかに受け入れ不能な要求に、さすがの鉄心も、渋面にならざるを得ない。
 
「東野では怨霊が跋扈し、南濘では魔神が復活。今は、四州の四藩が力を合わせてこの難局に当たらねばならぬ時だと言うのに……。それがしには、薫流様が何を考えておられるのかわかりませぬ……」

 良泰は「打つ手が無い」と言うようにかぶりを振った。

「良泰様。つかぬ事をお伺いしますが……、薫流様には、何か変わった様子はありませんでしたでしょうか?」
「変わった様子……と、おっしゃいますと?」
「良いですか良泰様。これから話す事は他言無用願います。実は――」

 鉄心は良泰ににじり寄ると、一段と声を潜めた。
 鉄心は、東野で起きた農民一揆における集団催眠のような現象や、中ヶ原で広城 雄信(こうじょう・たけのぶ)に首塚大神が憑依した事などを説明し、それらが由比 景継(ゆい・かげつぐ)という人物によって引き起こされた可能性が高い事を、話して聞かせた。

「つまり鉄心殿は、薫流様も何者かに操られたり、憑依されたりしているのではと、思っているのですか?」
「あくまで可能性の問題ですが……。私の知る限り、薫流様は適切な情勢判断の出来る、聡明なお方です。そんな方が、この様な理不尽な要求を突きつけてくるとは、とても思えないのです」
「確かに。そう考えれば、今回の薫流様の態度も、合点が行きます」

 鉄心の話を聞いて、改めて記憶の糸を辿る良泰。

「そう言えば――」
「何か思い出されましたか?」
「――薫流様の口調が、いつもとは変わっておりました」
「変わっていたとは、どの様に?」
「そう。あれはまるで、亡くなった永隆様の様な……。対面していた時には、わざと永隆様の口調を真似ておられるのかと思ったのですが――」
「なるほど……。他には何かありませんでしたか?」
「他には、ですか――……?そうだ!薫流様の側に控えていた小姓ですが、これまで見たことのない顔でした!」
「その男ですが、この中にはいませんでしたか?」

 要注意人物の顔写真を、良泰に見せる鉄心。
 写真をつぶさに見ていた良泰の目が、一人の人物の上で止まった。

「これです!この男です!」
「これは……!?」

 良泰が指さした人物。それは、始め調査団に参加していたものの、途中から不審な行動を取り、そしていつの間にか姿を消した男、高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)であった。

 

 結局、薫流との謁見はおろか入城すら許されなかった鉄心は、そのまま良泰の屋敷に逗留する事になった。

『ねぇ鉄心……』
『ウン?』
『これから、どうするの?』

 夜になり、皆が寝静まった所で、ティー・ティー(てぃー・てぃー)が鉄心に語りかけた。
「語りかける」と言っても、内通者や隠密に聞かれる事を恐れて、《テレパシー》で自分の思念を送っているので、声は出していない。

 
『まずは、どうにかして城内に忍び込み、薫流さんと高月玄秀を見張る。対処方法を考えるにも、まずは二人の様子が分からない事には……』
『忍び込むっていっても……、鉄心も私も隠密活動は専門じゃないよ?御上先生に頼んで、誰か人を送ってもらった方がいいんじゃ――」
『新しく人を呼ぶのは時間がかかる。今は、一分一秒が惜しいんだ』
『でも――』

 更に何かを言いかけたティーだったが、室外に何者かの気配を感じ、床から飛び起きた。
 庭に面した障子に近づく鉄心。
 それを見てティーは、障子を挟んだ鉄心の反対側へと移動した。
 鉄心はティーに目配せすると、スターン!と勢い良く障子を開ける。
 するとそこには、一人の黒ずくめの男がかしこまっていた。

「源鉄心殿でございますね」
「……キミは?」

 見覚えのない男に、鉄心は警戒心も露わに訊ねた。

「私は、両ノ面 悪路(りょうのめん・あくろ)様の下で働いている忍びにございます。主より、文を預かって参りました」
「文……?悪路が、俺に?」
「左様にございます」

 恭しく、鉄心に文を差し出す男。
 鉄心はしばし躊躇った後、文を手に取り、開いた。
 文を読む鉄心の顔が、みるみる険しいモノに変わる。
 鉄心は、手にした文をティーの方に突き出すと、

「悪路に、『分かった』と伝えてくれ」

 と短く言った。

「畏まりました」

 男は素早い動きで、闇夜に姿を消す。 
 
「鉄心、『分かった』って……!こんな事、本当に大丈夫なの!?」

 文を目を通したティーが、心配そうな顔をする。

「それは分からない。でも、ここは悪路の策に乗ってみようと思う。一応、テレパシーで御上先生の判断を仰ぐつもりだけど、先生もきっと俺と同じ判断をする筈だ。今は、一刻を争う状況だし」
「鉄心……」
「そう心配するな。『虎穴に入らずんば虎児を得ず』だ」
「それはそうだけど……」

 悪路からの手紙をじっと見つめるティー。
 彼女はどうしても、不安を拭う事が出来なかった。



「もし、そこのお方」

 急に声をかけられ、エリック・グッドールは、馬の足を止めた。
 見ると、道端に足を押さえた老婆がうずくまっている。

「石を踏みつけて、足をくじいてしまいして……。央津(おうつ)の娘の所まで行きたかったのですが、この足では……。お願いです。央津まで乗せて行っては頂けませんか?」
「しょうがねぇ婆さんだな。いいぜ。ほら、手貸しな」

 エリックはいつになく気前よく、老婆を蔵の前に乗せた。
 四州での任務が終わり、地球に帰れるという開放感が、そうさせたのかもしれない。
 これまで四州で主に物資の横流しや密輸に携わってきたエリックだが、取引相手の九能軍と西湘軍が壊滅状態では、もう彼の出る幕は無い。

 馬は程なくして、央津に着いた。
 先の戦で大敗して、出征した兵士の8割が未帰還になったというだけあって、央津の城下は閑散としている。

「ここまでで大丈夫でございます。有難うございました」
「じゃあな、婆さん。達者でな」

 エリックは老婆に軽く手を振って別れると、それきり彼女の事など忘れて、目的地へと急いだ。
 エリックは、観光客向けに運行している航空便で、空京に帰るつもりだった。
 しかし――。

「チッ。ツイてねぇ」

 エリックは悪態を吐くと、殻になったタバコのケースを握りつぶした。そのまま、腹立ち紛れに放り投げる。
 新藩主水城 薫流(みずしろ・かおる)の方針で、国外向け航空便は全て運行中止となっていた。
 しかも、再開は未定。
 こうなると島外に出る為には、東野か南濘に行かねばならない。

「お困りのようね」

 突然の声にエリックが振り向くと、そこには、タイトスーツに身を包んだ赤毛の女がいた。
 少々タレ目だが、色の白い、中々の美人だ。

「航空便が止まっちまってね。アンタもかい?」
「私は違うわ」

 女は、エリックの隣に立つと、彼にだけ聞こえるように囁いた。
 明らかに、特殊な訓練を受けた会話法だ。

「あなたを迎えに来たのよ、エリック」
「こんな美人をわざわざ迎えによこすとは、連中もよっぽど俺が口を割るのが心配なんだな」
「それだけ、貴方が重要と言う事よ――外に、車が用意してあるわ。それで、太湖まで行きましょう。その後は、太湖越えで広城まで」
「いいぜ。それじゃ、ドライブと洒落込もうか。アンタ、名前は?」
「エリーよ。エリー・クライブ」
「エスコートよろしくな、エリー」

 上機嫌で、エリーの後を付いていくエリック。

「おいおい、随分とまたボロい車だなぁ?」

 【格安の自動車】を前に、悪態を吐くエリック。

「しかも、運転手付きかよ」

 運転席には、見るからに人相の悪い男が座っている。

「こういう車の方が、足がつかないの。知ってるでしょ?それに自分で運転するより、楽でいいでしょ?」
「俺はてっきり、アンタが運転してくれるんだとばっかり思ってたぜ」
「太湖から先は、そうなるわ」
「なら、クルーズを楽しみにするか」

 散々文句を言いながら、後部座席に座るエリック。
 その隣に、滑るようにエリーが座った。
 その途端、車が急発進した。
 西湘の舗装されていない道を、時速100キロ以上で爆走する車。
 エリックは、頭を抱えて、舌を噛まないようにするのが精一杯だ。

「お、オイ!もっとスピードを落とせ!!これじゃあ、太湖に着く前に頭がどうにかなっちまう!」
「頭の心配なんざしなくて結構!このジョリータクシーの行き先は、地獄の一丁目だからなぁ!」
「な、ナニ!?」

 運転席の男が、イカれたジャンキーみたいな声を上げるのに至って、ようやく何かがおかしいと気付いたエリック。
 しかしそれは、余りにも遅すぎた。

「ごめんなさいね、エリック。残念だけど、今回の旅は東野止まりよ」

 耳元でエリーの囁くような声がした途端、猛烈な眠気が、エリックを襲う。

「チッ……ホントに……ツイてねぇ……」

 その言葉を最後に、エリックは深い眠りに落ちていく。
 こうしてローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)フランシス・ドレーク(ふらんしす・どれーく)は、労せずしてエリック・グッドールの身柄を確保したのだった。