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第3章 コンテスト開催・妻役部門


「リーレンちゃんや。このまま妻のお静役のコンテストに移ってもええんかいの?」
「えっ? あ……」
 審査員に訊かれて、あわててペラペラと手元のメモをめくる。
「えーと……はい。漁師役候補3名は終わりましたから、OKです。
 ではではッ! 引き続き、漁師の奥さんのおセイさんの審査に移りたいと思いまーすっ!
 遠く、海で漁をしているハズの夫の危機にいち早く気づくすごいセンサーの持ち主! 真夜中に海で火をゴンゴン焚いて、夫の無事を祈る剛毅の方です! きっとすばらしい奥さんでお母さんだったことでしょう!
 みんな、こーいう奥さん持ちたいよねッ! リーレンもそうなれるようにがんばる!」
「がんばれよーっ!」
 早くも応援団ができたのか、観衆の中から声があがって、リーレンのウィンクが飛ぶ。
「それでは、ちょうど候補1番・蓮見 朱里さん、ここにいらっしゃることだし。このまま受けてもらっちゃいましょう!」
 パチパチパチ、パチパチパチ。
 リーレンの合図で観客からいっせいに拍手が起きて、今さらながらここがどこかに気づいた朱里の顔がカーっと赤くなった。
「は、蓮見 朱里といいます。アインと一緒に夫婦役ができたらと思って、参加させていただきました。歌も踊りも、得意ではありませんが、意気込みと思い入れだけはあります。
 今は私たちもこうして結ばれてはいるけれど、この絆は決して私たち2人だけで築いたものではなくて、友達や、先輩や、たくさんの人々に助けられてきた結果で…。
 神様であれ、身近な人であれ、私たちはみんな、どこかでつながって、支えあって生きています。そんな思いを舞にこめられたらいいなって思います」
「お嬢ちゃん、1つ質問をいいかの?」
「はい」
「妻のお静は、なぜ浜辺で火を焚いたと思う?」



「妻のお静は、なぜ浜辺で火を焚いたと思う?」
 それは、候補2番・マリア・クラウディエにも問いかけられた。
 シラギと知り合いで、前回奥ゆかしい日本人女性としての自分をアピールしていたマリアは、その心象に訴えるために和服に着替え、コンテストに臨んでいた。とても先ほどアイアンスタンドを振り回してノインを気絶させた女性とは思えない、清楚可憐な姿である。
 祭りや舞についてリサーチ済みで、どんな質問にも答えられる自負で壇上に上がったマリアだったが、そのあまりに想定外の質問に、一瞬言葉を失ってしまった。
(なぜ火を焚いたか? 夢を見たからだわ。胸騒ぎがして起き出した妻は、夫の無事を願って火を焚いたの。でもなぜそんなことを訊くのかしら? これは何かひっかけなの?)
「もちろん、愛する夫を思う気持ちからです」
 とりあえず、ノインのときのようなおバカな質問でなかったことに内心ホッとしつつ答える。
「愛する人に自分の元へ戻ってきてほしいという願いから焚いたんですわ。もちろんその中には、彼の身を案じる気持ちもあったのは間違いありません。そして、どうか無事に戻してくださいと竜神に祈ったんです」
「そうか。ありがとうよ。ワシからの質問は以上じゃ」
「えっ?」
 きっと次々と質問が投げかけられるに違いないと思っていたマリアは、拍子抜けしてしまう。
(……私、何かまずい返答しちゃったかしら?)
 自分の口にした言葉を反すうしてみるが、特に何かミスをしたとは思えなかった。
 では何がいけなかったというのだろう?
 自分の前の朱里が返した言葉を覚えていれば比較にもなったが、イメージトレーニングをしていたため、残念ながら聞いていなかった。
「お嬢ちゃん、ワシからも1つ質問なんじゃが」
 内心あせりつつも笑顔でいたマリアに、机上で肘を立て、指を組んで聞き入っていた真ん中の審査員の老人が、真剣な顔をして言ってきた。
「はい」
 ここぞとばかりにたおやかな女性に見える柔和な笑顔を向けるマリア。
「それは、寄せて上げるブラのおかげかの?」
 マリアの鉄壁の笑顔が、少しゆがんだ。



「……こわっ。怖いわ、なに? このコンテスト。わけ分かんない」
 舞台袖で様子を伺っていたアリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)が、思わず呟きをもらした。
 真面目な質問をされれば返しようもあるが、胸のサイズとか下着の色とか訊かれたら…!
「あの左端と真ん中のジイさんは要注意だね」
 同じく候補者として出番を待っていた伊吹 藤乃(いぶき・ふじの)が言う。
「ま、もしかしたらああいう質問で、あたいたちのとっさの反応を見ようとしてるのかもしれないけどさ。それが舞に何の関係があるっつーんだよ」
 苦々しく目を細める彼女をちらと見て、アリアは考えこんだ。
 浜辺はコンテストを聞きつけた者たちで埋まっている。カメラや写真を撮っている者たちもいて、大半が男性だ。そんな中でスリーサイズを口にする勇気が自分にあるだろうか?
(……臨時巫女さんをさせてくださいってお願いすればよかったかなぁ…)
 リーレンやレティシアたちがそう申し出て、快諾してもらっているのを見たアリアとしては、ちょっと失敗した感を感じずにいられない。
(今からお願いしてもまだ間に合うかなぁ?)
 そう逡巡していたとき。
「候補3番・アリア・セレスティさん!」
「うわっ…! はっ、はいっ!」
 突然名前を呼ばれて、ピッとその場で背を正してしまう。
「気負わず頑張んな。なに、あんな枯れたジジィどもはきつく睨み据えてやりゃ、黙り込んじまうよ」
 緊張しきってギクシャクしながら出ていきかけたアリアの背中をぽんと叩く藤乃。
「はい。ありがとうございます」
 彼女のアドバイスに感謝の会釈をして、アリアはマリアとすれ違うようにして舞台に出て行った。



「そ……蒼空学園のアリア・セレスティです。よろしくお願いしますっ」
 ぺこっ。舞台の中央で、おじぎをした。
 きれいな姿勢を心がけて、手を前で揃えて立つ。
「アリアさん。アリアさんはどーしておセイさん役に応募されたんですか?」
 脇についたリーレンが、マイクを彼女に向ける。
「は、はい。このお話を知ったとき、夫を信じて待つ妻の姿に、幼いころ命を救ってもらった憧れの人の行方を探し続けている自分と重なったんです」
「きゃーん! すてきーっ! あたし、そーういうの大好きっ!」
 うっとりと目を潤ませて、うらやましそうにアリアを見つめるリーレン。
「見つかるといいね! ううん、絶対会えるよ! 絶対、絶対。だって、人の持つ強い思いってすばらしい力なんだから! この夫婦みたいにねっ。だからあとは、それがいつかっていうだけのことなの!」
「ありがとう」
 リーレンが心からそう言ってくれているのが分かって、アリアも笑顔で返した。
「では、自己アピールをどうぞ!」
 頑張って。
 アリアにだけ聞こえる声で囁いて、リーレンは脇に退いていった。
 審査員の4人を含む人々の目が、アリア1人に向かう。
 とたん、全身が震えるような緊張がアリアを包んだ。
(こ、これは緊張するなっていう方が無理!)
「アピールポイントは……ポイントは…。
 え、えーと……戦いはタコさんに負けたりでヘッポコでしたけど、でも、やる時はやります!
 あ、あと……園芸が好きです! 欠かさず蒼空学園の花壇を手入れしたり、木漏れ日と草花の香りの中で、植物の声に耳を傾けるのが大好きです!」
 緊張のあまり、アリアの頭の中が真っ白になっていく。
 痺れた耳で聞こえる自分の声は、水を通したみたいで声の高さもよく分からない。
 自分が何を口にしているのかもよく分からなくなって、視界も何もかもが真っ白になっていって――――――
 気がついたとき、アリアは舞台袖に戻っていて、ぽんと藤乃に肩を叩かれていた。
「…………はっ」
「お疲れさま。なかなかよかったよ」
 入れ違いに舞台に出ていく藤乃が口にしたのは、社交辞令かそれとも本当にそうだったのか。
 アリアには分からなかった。



「候補4番・伊吹 藤乃さんです」
 大入りの人山に気圧された様子もなく、すたすたと舞台中央へ歩いてくる藤乃に、あわててリーレンが紹介をかけた。
「藤乃さんは、えーと……あれ? 洗礼名があるんですか?」
 ということは、宗教が違うってことで。
 神社は一応神道で。
 巫女さんは神道なわけで。
「おじいちゃんズ、こういうのってOK?」
 審査員席の前でしゃがんで、リーレンが訊く。
 審査員4人での協議がしばらく行われ、ほどなくリーレンが藤乃のそばに戻ってきた。
 ちょっと眉根が寄っていて、難しそうな顔をしている。
「藤乃さん、奉納の舞を踊るには巫女さんにならないといけません。巫女さんは竜神様に奉仕する立場ですから、舞を踊る前に神水による禊を受けて、神主さんに祝詞をいただかないといけないそうです。
 たった1日の臨時巫女とはいえ、ここの人たちにとってはとても重要なお祭りの、奉納の舞です。
 ズバリ訊きます。奉仕する神様を変えることにためらいはありませんか?」
「……それは厄介な質問ですね」
 藤乃は、破壊神ジャガンナートを信仰していた。しかもただの信者にあらず、その信仰心はだれにも負けないと自負するほど、崇拝の念は強かった。
 小さな村で奉られる竜神などとは比較にならない。
 藤乃は棄権することを選んだ。



「藤乃さん、じゃったかの?」
 舞台を降りて歩いて行く藤乃を呼び止めたのは、シラギだった。
「何でしょうか?」
「せっかく祭りに参加してくれようとしたのに、残念じゃったの」
「いえ。私の方こそ、巫女舞を軽んじすぎていました。申し訳ありません」
 藤乃の礼儀正しい姿に、シラギは首を振る。
「いやいや。知らぬものは仕方のないことじゃて。ワシらもおまえさんが信仰しとる宗教のことを知らん。何が無礼にあたるかも分からん中で、こういうことを言おうとしておるのじゃから、もしも無礼なら許してほしいんじゃが」
「はい?」
「おまえさん、特技欄に、舞のほかに演奏もできるとあったの。よかったら、そっちをお願いしたいんじゃ」
 シラギの話はこういうことだった。
 村は高齢化が進み、巫女神楽と奉納の舞で演奏する人の数が年々減っていた。もちろん祭りの時期に帰省する若者たちも少なからずいるが、演奏ができる者となるとほとんどいない。特に今年は練習不足から、笛の数が足りていなかった。
「笛の者で、ちと腕にあやしい者がおっての。特に今年は近年にない人入りが予想されておる。そんな中で失敗するのが怖いからやりたくないと、言っておるんじゃ。
 演奏者は巫女ほどくくりが厳しくはないからの。おまえさんの信仰する宗教で問題がなければ、こちらは何も問題はありゃせん。よかったら引き受けてくれんかの?」
 そう言って、シラギは神具の1つ、赤い組紐のついた笛を差し出したのだった。



「ちょっとちょっと…! えーと、狐樹廊さん、待ってください!」
 同じように、砂浜で彼の活躍を見ていたパートナーのリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)のもとへ向かっていた狐樹廊に、巫女装束のレティシアが声をかけた。
 名を呼ばれて、狐樹廊は振り返る。
「手前に何かご用事で?」
「はい。あの、ちょっと…」
 砂浜を駆けてきて、息切れしている彼女の息が整うまで待つ。
 レティシアは大きく深呼吸をしてから背を正した。
「申し訳ありません。わちきはレティシア・ブルーウォーターと言います」
「空京稲荷 狐樹廊と申します。以後よろしゅう頼みます」
 お互い頭を下げあって、おや? と思う。
「どこか、あなたには見覚えが…」
「あ、わちきは蒼空学園ですから。狐樹廊さんも蒼空学園ですよねぇ」
「ああ、なるほど。レティシアさんは、今日は1日巫女ですか? いやぁ、緋袴がよぉ似合うてはりますなぁ」
「あら、ありがとう。狐樹廊さんもすばらしい技を見せてくださって。あのお花、さっそく神社に飾らせていただこうと、巫女さんたちとも話してましたのよ」
「ああ、それはうれしいですねぇ」
 にっこりと笑い合う2人。どうやら波長が合うらしい。
「どうしたの?」
 話し込む狐樹廊に、リカインの方から近づいてきた。
 普段であれば御神楽 環菜に似た容姿を駆使してニセカンナとしての目立つ行動を好む彼女だったが、カンナの訃報を知った今、むしろ騒ぎを起こすのを好まず、装いも地味目である。
「あら、あなた」
「リカインさんですね。こんにちは」
 ニセカンナとして蒼空学園では名の知れた存在だったため、レティシアは驚くことなくあいさつをかわす。
「こんにちは。
 それで、どうしたの?」
「へぇ。手前に何かご用事があるそうなんですが」
「ああいけない。わちきは狐樹廊さんをお呼びにきたのでした」
 すっかり失念していたと、両掌をぱんと打ち合わせる。
「手前をですか?」
「はい。どうぞこちらへ来てくださいな。よかったらリカインさんも、どうぞ」
 2人はレティシアの案内で、舞台の裏へと戻って行った。



「2人とも、こっちこっちー」
 呼ばれて、朱里とアインはそちらに足を向けた。
 2人を呼んだコトノハは波のかからない砂浜にビニールシートを敷いて座っている。
「お疲れさまー。かっこよかったわよ、2人とも」
「ありがとう。夜魅ちゃんはこれから?」
「そう。ちょっと遠いけど、ここからなら舞台全体が見えるから」
 座って座って、とコトノハはシートを叩いた。
 シートの上にはお好み焼きやカキ氷、リンゴ飴など、屋台の食べ物が並べられている。
 まだ祭りの始まる時間ではなかったが、準備を終えた香具師たちが、コンテストを見に集まった者たちをターゲットとして出張販売を始めていたのだった。
 促されるままシートに座って、朱里はすぐそばにあったカキ氷に手を伸ばした。
「発表、これからだっけ?」
「ああ。今審議中だそうだ。
 といっても2人棄権者が出たから、漁師役は2分の1、妻役は3分の1の確率だが」
「意外と少なかったわよね。もっと候補者が現れると思ったんだけど」
「その分、竜神役が激戦になっている。夜魅は大変だな」
 などなど。2人の会話をぼんやり聞きながら、もそもそと口をつける。朱里は、最後のシラギさんからの質問への答えがあれでよかったのか、自分でも判断できず、頭から離れずにいたのだ。

「お静さんは、きっと、怖かったんだと思います。失うことが怖くて……そんなとき、たった1人暗闇にいるのが怖くて。真っ暗な中に自分だけ、とり残されてしまったように感じた。だから火を焚いたんです」

 少なくとも、自分ならそうする。きっと、狂ったように大きく火を焚いただろう。
 その言葉に、シラギは「そうか。ありがとう」とだけ言って、質問は終わってしまった。
 だから正しいかどうかは分からない。そのあとのマリアが言ったことが正しい返答だったように思えるから、なおさらだった。
「朱里?」
 黙々と食べ続ける彼女になんらかを感じて、アインが顔を覗き込んでくる。「大丈夫だから」そう返そうとしたとき。
「あっ、発表するみたいよ」
 コトノハが舞台を指差した。



「候補者の皆さーん、あーんど観客の皆さーん! お待たせしましたぁ! 漁師役、妻役の配役を発表させていただきまーーーーーす!」
 耳にキーーーンとくるハウリングを立てながら、リーレンが言った。
「審査員4名による純粋なる審議のけっかー、漁師役はアイン・ブラウさん、妻役は蓮見 朱里さんにお願いすることとなりました」

「おめでとう!」
 コトノハがぎゅっと2人を同時に抱きしめた。



「お2人は巫女さんが案内しますので、これから神美根神社へ行ってください。なお、祭りで演奏される伊吹 藤乃さん、巫女さんになられるアリア・セレスティさん、余興をしていただく空京稲荷 狐樹廊さんも、打ち合わせがありますので、コンテストが終わりましたら一度神美根神社へお越しください、ということです。よろしくお願いしまーす」
 広げた紙を読みながら、リーレンの業務連絡が続く。

「どうしてよ…!」
 紙コップを握りしめながら、マリアは呟いた。
(私に間違いはひとつもなかったわ。服装も、受け答えも、言葉遣いも完璧だった。なのにどうして…!)
 最初は驚き、呆然としていたが、やがてめらめらと怒りの炎が沸き起こってくる。
 ノインの方はといえば、見るからにほっとしていた。マリアが受かって、ほかの男と親密な踊りをしようものなら断固阻止を決めていたからだ。あいにくとコンテスト中は気を失っていたので邪魔ができなかったが。
「ちょっと、何よそれ! 私が落選したのがそんなにうれしいの?」
 喜びを隠そうともしないノインの態度に、マリアの怒りの矛先が向いた。
「コンテストはそういうものですよ。受かる人がいれば落ちる人もいる。その度に腹を立ててもしょうがないでしょう」
「そんなこと…!」
 分かっている。彼女としては、何が悪かったのかを知りたいのだ。もしかすると、ほんのちょっと何かが足りなくて、リサーチから漏れたのかもしれない。それなら自分の失点ということだ。
「――もういいわ。こうなったら屋台の食べ物、全食制覇してやるんだから!」
 行くわよ、ノイン!
 ザッザッザッと砂を蹴立てて歩いて行くマリアに、はーっと息を吐きつつノインが従おうとしたとき。
「お嬢ちゃんは、もうちっとおまえさんの価値を知るべきじゃないかね?」
 いつからそこにいたのか、シラギが後ろから声をかけてきた。
「1人になる怖さを知らない。それは、おまえさんのせいでもあるが」
 シラギの言葉に、ノインは不敵な笑みを浮かべた。決してマリアには見せない、酷薄な嗤い。
「そんなものは知らなくていいんです、私のマリアは」
 孤独が何であるか、知る者の目だった。知りすぎるほどに。
 遅れてマリアのあとを追うノインを見送りながら、シラギは1人頷いた。