校長室
【蒼フロ2周年記念】ちっぱい教の野望
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凶司が再びオーロラビジョンをハッキングすると、神野 永太(じんの・えいた)の姿が写し出された。 『貧乳の女の子だから好きなのですか? 巨乳の女の子だから嫌いなのですか? その人の人柄など一切加味せず、乳の大きさのみで善悪を判断しているのですか? 戯言も休み休み言いたまえよ君達ィッ!! なにがちっぱい教だッ。 君達の教理は実際にその手で愛する者の乳を愛でたことの無い敗者の考えだ!! 君達はエコだ何だのとそれらしい“おためごかし”を口走りながらも、その実、乳を単なる性欲を満たす萌えとしてしか見ていないのですよッ! 乳の大小のみで好嫌を判断され、乳しか見えていない目を向けられて、女性はどう思うだろうかね! 乳は良いものだな。 確かに良いものだ。 大きな乳は母性を感じさせる温かみが有るし、 小さな乳には厳かな品位が感じられる。 だがな乳とはその人有ってこそのものだろう。 乳が有り人が在るのではない。 人が在り乳が有るのだ。 “乳を見て人を見ず”とはよく言ったものだ。 君達は乳に気を取られ、人を見る事から逃げているのではないか。 乳は何も語りはしないが、 人は君達に語りかけるのだ。 乳しか目に入らぬ者への言葉など、推して知れるがな。 そうか、君達はそれを恐れているのか? 乳ではなく人に向き合った時、己を否定されるのではと、恐れているのか。 何も語らず、ただ君達の妄想の中だけで揺れ続ける乳へ安堵を覚えているのではないか。 だから乳へ逃げているのか。 それも、良いものかもしれない。 だが、それだけで満足なのか? 実際にその手で、乳を愛でてみたいとは思わないのか? 己の指で、柔らかなふくらみが多様に形を変えるその感触を、光景を、楽しんでみたいとは思わないのか? だが、そのためには、乳ではなく、人を見なければいけない。 人に向き合わなければいけない。 人を愛さねばならない。 そしてその時、君達が真に愛するものを見つけた時、乳の大小なんて、その人の前では瑣末な事でしか無いと、気付くことになるでしょう……』 永太の長い長い演説は、ちっぱい教の本部が壊滅した事を知らぬまま、空京各地できょぬー狩りを続けているちっぱい教の同志達に、ちっぱい教が敗れた事を伝えたのだった。 染み入るような内容に、ちっぱい教の同志達は武器を捨て、落日にむせび泣いたという。 ここに半日に渡るちっぱい教によるきょぬー狩り『C−Day』は終わりを告げたのだった。