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鏡の中のダンスパーティ

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鏡の中のダンスパーティ

リアクション

【5】
「踊っていただけますか?」
 明智 珠輝(あけち・たまき)は跪いて相手の手を取り、その手の甲に恭しくキスをする。
「えっ、え、えぇ?」
 鏡の中の自分である女性は、おろおろおどおどと少し挙動不審になりつつも、ぺこりと頭を下げた。長い黒髪が重力に沿ってさらりと揺れた。甘い香りが広がる。
「よろしく、お願いします。……あ、でも、わたし。ダンスなんてしたことがなくて」
「大丈夫です。ダンスに必要なのは相手を想う気持ち。技術の有無は些細なことです」
「あなたに言われるとそうなのかもって気がしてくるから、不思議ですね」
「さあ、お手をどうぞ、姫君」
 にこりと綺麗に微笑んで、珠輝は手を差し伸べる。彼女はその手を取ると、少しはにかんで「よろしくお願いします」と小さく頭を下げた。
 そして二人はダンスに興じる。
 彼女には確かに技術はなかったが、珠輝を想う気持ちは感じられた。相手が自分を想ってくれている、と思うと、俄然やる気が出てくるのが珠輝である。
 相手をリードし、引き立てるようなステップを踏む。優雅に、そして美しく。見るものすべてを釘付け、そして惚れさせてしまうほどのものを。けれど決して相手をおざなりになどはしない。
 踊っているうちに慣れてきたのか、彼女のステップも様になっている。踊りやすい、楽しい。心からそう思った。
「今夜だけでなく、もっと踊っていられたらいいのに。貴女のような可憐な女性となら、永遠にでも踊っていたいものです」
「そんな」
「ふふ、冗談です」
 冗談というと、彼女は途端に寂しそうな顔をした。それがまた可愛い。冗談などでは嫌だと言われたようなものだから。
「貴女を独り占めしたら、世の中の男性に恨まれてしまいますからね。今宵のみで我慢、です」
 妖艶に微笑むと、彼女の顔が赤くなった。やはり、可愛い。
「時間が許す限り、踊っていただけますか?」
「わたしで、いいのなら」
 相手の笑みを見て、不意に思った。
 ここまで自分に可愛いとか愛しいとか感じる自分は、ナルシストなのではないか、と。

「そっか、ボクって女の子っぽい格好したらこんな風になるのかあ」
 水上 光(みなかみ・ひかる)は、呟くように言った。相手は女らしい女性で、鏡の中の光である。
「あなたはどうして男の子の格好をしているの?」
「ボクは……、……」
 男だ、と言いかけて言えなかった。
 いくら男らしくなりたくても、いくら男の子になりたくても、実際の性別は。
「どうしたの?」
 きょとんとした顔で問いかけてくる自分は、どこからどう見ても女の子だった。女の子らしくて、ドレスも似合っていて、お化粧もしていて、女の子であろうとしていて。
「ボクは、男になりたかった」
「だからそんな格好してるの?」
「うん。だからこうしてるんだけど、……これで、よかったのかなって」
「後悔してるの?」
「どうなんだろう。わからない」
「後悔はしちゃだめだよ。後悔することは、今の自分を否定することになっちゃうから」
「…………」
「余計な御世話だったかな」
「ううん。……そうだよね、ボクがボクを否定したらダメだよね」
「今の自分、嫌い?」
「嫌いじゃない。ボクは今のボクが好きだよ。確かに、キミみたいな女の子らしい姿にも未練はあるけどね。時々思ってたんだ、本来の自分はどんなだったんだろうって。だから今日は君に会えてよかった」
「会えてよかったって言ってもらえるなら、パートナーの目を盗んでここに来た甲斐があったわ」
 ふふ、と微笑む彼女の手を取った。
「踊ろうよ、ボクと一緒に」
「ええ」

 高月 芳樹(たかつき・よしき)は、思う。
 もしも自分に違う生活があるなら、それはどんなものなのだろう? と。
 もし、別のパートナーと知り合って仲良くしていたなら、それはどんな感じなんだろう? と。
「だから、僕は知りたい」
 その疑問を、鏡の中の自分である彼にぶつけた。
 彼は「そうだなぁ」と腕を組み、考える素振りを見せる。
「パートナーと仲良くやってるけど」
「仲良く?」
「仲良く」
「……手、繋いだりする?」
「相手が望むなら手くらい繋ぐさ」
「きみの相手は望んでくれるのか」
「たまに甘えてくるときなんかはな。なんだ、パートナーのことで何かあるのか?」
「……なんというか、今一つ踏み出せなくて」
 芳樹の表情を見て、彼は頷いた。理解したらしい。鏡の中の自分は優秀だな、と思う。
「脈なしか?」
「そういうわけじゃないと思うんだがな」
「普段とは違う何かに誘ってみればいい」
「? 例えば?」
「デートとかな」
「二人で居る事ならしょっちゅうだが」
「だからそこで、デートだ。普段の二人きりとは違う二人きりを作って反応を見てみたらどうだ?」
「……なるほど」
 腕を組んでデートのプランを考え始める芳樹に、彼は笑った。
「結果報告待ってるぜ、僕」
「報告ってどうやるんだよ。このパーティは今日限りだろ」
「鏡に話しかけてみればいい。きっと聞こえるさ」
「そんなの、誰かに見られたら完璧変人扱いだろ」
「それもそうだ」
 屈託なく笑う相手を見て、芳樹までなんだかおかしくなった。
 それに、今まで一人で考えていたことを話せて、少し楽になったのだ。自然と笑えた。
「ありがとう」
 だからお礼も自然に言えた。「いえいえ」と相手が優しく笑ってくる。
「で、デートのプランを一緒に考えて欲しいんだけど」
「使えるものは何でも使う精神か」
「当然だろ。それに僕からのアドバイスなんだから使えないわけがない」
 きっぱりと言い切ると、相手がにやりと笑う。
 その直後、会場が光った。
「? なんだ今の光。僕、もしかして笑顔で世界を光らせる能力でも持っていたのか?」
「そんなわけないだろ。……でも、なんだったんだろう」
 光に少しの疑問を感じつつも、それ以上追及はせずにデートプランの試行錯誤に没頭するのだった。

「今の光、何だろう……?」
 久世 沙幸(くぜ・さゆき)は思わず疑問を口にした。
 鏡の中の自分である彼女は、沙幸を抱きしめながら「大丈夫だよ」と声をかける。
「大丈夫かなあ?」
「心配?」
「ちょっとね。何があったのかなあって、気になるよ」
「私のことより気になる?」
「ええ? 何それ」
「えへへ、冗談だよー。でも、気になるなら調べに行く?」
「調べに?」
「うん、私、沙幸に会う前にいろいろ探検してたから。今の光にも心当たりあるんだー」
「そうなの? じゃあ調べよう、気になるもん」
「やっぱり気になるんだぁ〜?」
「うん。ごめんね、気になります」
「正直だから許してあげちゃいます。じゃあ、探しに行こう」
 手を繋ぎ、お互いの指を絡ませて二人は歩く。
 その手の感触に、ふとパートナーのことを思い出した。パートナーとも、よく手を繋いでいる。そのパートナーとは、現在ケンカ中である。
 ダンスパーティのことを隠していることに気づいたパートナーに問い詰められ、沙幸が「関係ないでしょ」と言ってしまったことが原因だった。
 なんであんなことを言ってしまったんだろう、と自己嫌悪しているときに、鏡の中の自分が話しかけてきて愚痴を聞いてもらって、直後に会場を包んだ光。一瞬のことだったけれど、何か妙に不安を感じた。
 ねーさま、いま何してるのかな。
 不意に思う。帰ったら謝って、それから今日あったことを話そう。そう思う。
 通路を歩く足音。二人分しかない足音。
「この部屋が原因だと思うの」
 彼女はそう言って、一つの部屋のドアを開けた。部屋は小さく、やや埃っぽい。
 この部屋にも鏡があるんだなあ、と鏡に触れたとき、
「沙幸、ごめんね」
 声をかけられた。
 ごめんね、って何のことだろう?
 なんだか、急に疲れた気がする。
「謝るけど悪いとは思ってないから」
 そんな声が聞こえた。
 最後に思ったのは、帰る時間が遅くなったらねーさま心配しちゃうかも、そんなことだった。

「ねえ鏡の君。今また光らなかった?」
 ウォーレン・アルベルタ(うぉーれん・あるべるた)は、スルメを噛んでいる鏡の中の自分に問いかけた。
「どうだろ、スルメに夢中で一瞬のことはわかんない」
「どんだけ夢中なんだよスルメ」
「世界で一番愛してるから」
「スルメを?」
「スルメを」
 きっぱりと言い切られたらこれ以上言うのも馬鹿馬鹿しい。自分だってスルメが好きだし。と思っていたら、スルメを差し出された。
「ほら、何か相談したかったんでしょ? これ食べて元気出して相談しなさい」
「ハハ。愛してるスルメをくれるのか」
「ん」
「さんきゅー☆」
 スルメを口に運び、咀嚼しながら会場を見た。何も変わりはない。スルメが美味いのも相変わらずで、周りのみんなが愛しく思えることも相変わらずだ。
 そう。みんな、愛しい。この場に居る全員じゃない。世界中のみんなが愛しい。
 ただ一人を除いて、みんな。
 スルメを飲み込んで、言葉を吐き出した。
「愛してるじゃなくて、『好き』な奴ができたんだ」
 鏡の君は、視線をこっちに向けないままスルメを噛んでいる。
「前からの知り合いでさ。その人に、『好き』って伝えることはできたんだ。それで相手の優しさで友達にもなれた。だけど、友達になれたのに全然話せないんだ」
 視線は感じない。
 口元がさみしくなって、ウォーレンはスルメを取り出して咀嚼した。しばらく噛んでから、言葉を続ける。
「今他の人から猛アタック喰らってて、でもその人が幸せになれるなら俺は……」
「諦めて誰かに任せてそれでいいの?」
 鋭く遮られた。
「好きなんでしょ? 好きなら幸せにしたいよね? わかるわよだって私のことだもの。スルメ好きなのも同じくらい自分だもの。好きならもうちょっと強気に出てもいいと思うけど」
 弱気になっているウォーレンに、鏡の君はそう言って頬を膨らませた。どうやら彼女は好きな相手に対して弱気でいることが許せないらしい。
「私は、相手のこととかよくわからないけど。でも、あなたが好きになる相手だもの、応援する」
 その言葉に思わず笑顔が零れる。
「ありがとう☆ はいあーん」
 頭を撫でて、スルメを食べさせてやった。言われたとおりに口を開いてスルメを噛む鏡の君を見る。
「で、鏡の君。鏡の君の恋話とか聞きたいんだけど、話してくれない?」
「んぐ!?」
「ないの?」
「あるけど……」
 恥ずかしそうに顔を赤くした彼女の頭を撫でながら、恋話が紡がれるのをウォーレンは待つのだった。

「両親は元気ですか?」
「ええ、元気よ。こっちが驚くくらい元気だし、お父さんもお母さんも結婚して何年も経つのに、休日二人で出かけるくらいラブラブなの」
「良いことです」
 比島 真紀(ひしま・まき)は鏡の中の自分の話を静かに聞いていた。
 両親の居ない自分だが、鏡の中の自分の両親は健在のようだった。その話をする時の彼女の顔は幸せそうで、話に嘘偽りがないことがわかる。
「あなたは?」
「はい、自分には両親が居ません。が、養父は居ます。今自分は教導団で兵士として訓練を積み重ねております」
「……そうだったんだ」
「だから、そうじゃない自分の、そうじゃない未来が知りたい」
 その発言を受けて、彼女は真紀を見つめた。透き通った彼女の瞳が真紀をじっと見て、そして優しく微笑んだ。
「私は向こうで蒼空学園に入学しています。パートナーは綺麗な女の人でね、すごくしっかり者なんです。でもたまにドジするの。そこが可愛いの。友達もできた。たくさん……ではないかな」
「友は、多ければいいというものではありません」
「だよね。それでね、お休みの日はそのお友達と遊んだり、パートナーと一緒に出かけたりしてるの。お洋服を見たりしてるよ」
「洋服ですか?」
「うん。あれ可愛いとか、着てみたいとか。似合っちゃったら欲しくなるから、試着は控えたりね」
「それは、楽しそうですね」
「うん、とっても楽しい」
 よかった、と思った。
 楽しそうに自分のことを語る彼女を見て心からそう思う。
 でも、聞いておきたかった。
「もう一つ訊きたいことがあるんです」
「?」
「貴方は今、幸せですか?」
 彼女はやわらかく微笑んだ。

「鏡の中の自分、か……」
 アルフレート・シャリオヴァルト(あるふれーと・しゃりおう゛ぁると)は、鏡の中の自分を目の前にふと呟いた。
 穏やかな目をした女性だ。失くした腕と目が自分とは逆であること以外、外見に相違は見られない。
 お互い片手がないからと、テーブル席に掛けて話でも、と思ったのだが。
 何を話せばいいのか、わからなかった。黙ってしまう。彼女の目がアルフレートを静かに見ていた。
「………………」
「何か、話したいことがあるのでは?」
「え」
 それでもしばらく黙っていると、彼女のほうから話を促される。促されてもアルフレートは考えた。言ってしまっていいのだろうか。他人に話すようなことではない、と誰にも言えなかった、悩み事を。
「……パートナーの、ことなんだが。……その、正直……どう接すればいいのか、わからなくて」
「? と、言うと?」
「ドラゴンは、好きか?」
「いいえ。ドラゴンは小さい時に襲われて以来ちょっと怖くて」
「私もそうだ」
「……もしかして」
 彼女は察したらしい。アルフレートは静かに頷いた。
「パートナーは、ドラゴンなんだ。でも、だからってあのドラゴンとあいつは違う。それくらい、わかっている。別に、あいつを恨んだり憎んだりしているわけではないのに」
「気にしちゃってるんですね? パートナーさんは」
 再び頷く。
「あいつは、何も気にすることはない。……が、こう……距離が遠くて。一つ間を空けて接しているというか……妙によそよそしいんだ。パートナーなのに。……そういうところが、逆に苛々してしまって……いや、もどかしい、のかな……?」
 言いながら自分の気持ちが少しわからなくなって、右手で眉間を押えた。
「もう少し、パートナーと話をしてみたらいかがでしょうか」
 少しの沈黙の後、彼女がそう切り出してくる。
「……話?」
「はい。どんなことでもいいんです。今日の出来事なんかを話してもいいかもしれませんね。思うんです。あなたも少し距離を取ってしまっているんじゃないか、って」
「そんな、距離なんて……」
 とは思ったけれど、必要以上に自分から話しかけなかったり、積極的にならなかったり、相手からしたらこっちもよそよそしい態度を取っていたのかもしれない。そんなことに思い至り、顎に手を当てて考えた。
「本当に、どんなことでもいいんです。話すところから少しずつ、距離を縮めていけばいいんじゃないでしょうか?」
「そう……だな。アドバイスを、ありがとう」
 アルフレートがぎこちなく微笑むと、彼女の左目が優しく笑ったのがわかった。

 自らのことを竜子と名乗った鏡の中の自分は、なかなかにパンチが効いていると吉永 竜司(よしなが・りゅうじ)は思った。
 竜司と同じくらいの背丈。首は太く肩幅も広い。彼女が、リボンとフリルをふんだんにあしらわれたワンピースを着ていなかったら女だと認識できていなかったかもしれない。否、本人から女と名乗られても未だ少し信じられない。
「女にしておくのが勿体ねぇな……」
 思わず呟くと、竜子はショックを受けたらしい。強面とも呼べる顔に悲しみの色を浮かべた。悲しそうに歪んでいく顔を見て、泣いてしまうのではないかと思い竜司は慌てる。
「いや、なんて言うかよォ。最近はナヨナヨしたヤローが多いんだよ。不良にも一般人にもよォ。その点てめえはしっかり芯が通ってそうじゃねぇか。それでよ……」
 なんとかフォローがしたかったが、上手くいかない。
 それでも彼女はにこりと笑った。笑えば少しは可愛い、と竜司は思う。実際には、可愛いというよりも凄味のある顔になったような感じである。
「てめえはよ、向こうで何やってんだ? スケバンか? どっかの学校シメてんのか?」
「あたし、ケンカなんてしません。お友達とお料理したりするほうが楽しいわ」
 スケバンや、シメるという言葉をきっぱりと否定し、自らの好きな物を竜司に語る。竜子の特技はケンカなどではなく、料理や編み物だった。聞けば、今日来ている服も手作りらしい。フリルは精細で、十分売り物になるレベルだ。そのごつい手指から生み出されたものとはとても思えない。
「あとあたし、竜子って言います。てめえなんて言わないで」
 ぷんぷん、と可愛らしく怒ってみせる竜子。しかし周りから見れば、やはり怖い。強面でガタイのいい人物がそんなアクションを取るものだから、余計に怖い。
「お、おう。すまねェ」
 しかし竜司は思うのだ。
「(こいつ、可愛いじゃねぇか……っ)」
 鏡の中の自分がイケメンだから、ここに現れる自分は美女だと思っていた。けれど現れたのは、可愛らしい女性。やや行動に幼さが見えるが、それは無邪気で純粋ゆえなのだろう。それに芯が通っているなら、行動の幼さは些細な問題でしかない。行動が大人びていても、芯のない人間では話にならないからだ。
「なあ、竜子。竜子の話を、もっとオレに聞かせてくれ。竜子のことをオレに教えてくれ」
「教えるようなことなんて、そんな」
「なんだっていい。勉強が嫌いだとか、メシ食うことが大好きだとか、そんなことでいい」
「勉強は嫌いじゃないわ、理科が少し苦手だけど。国語は得意よ。物語って素敵よね、絵本とか憧れる。いつか描いてみたいとも思うの」
「絵本が好きなのか」
「とっても可愛い世界なの。それに教訓みたいなものも詰まっていて、バカにできないものだと思うわ」
 うふふ、と笑いながら竜子は語り、服と同じく少女趣味のトートバックから本を取り出した。絵本だ。
「今日ね、お気に入りの一冊を持ってきたの。読みましょう」
「おゥ」
 そして二人は顔を突き合わせて、絵本を読んだ。
 傍から見ていた彼、彼女ら曰く、姿形の良く似た巨漢(巨女)が絵本を見ている様は、一種異様だったという。