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鏡の中のダンスパーティ

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鏡の中のダンスパーティ

リアクション

【7】

 ミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)と鏡の中のミルディアは、飛行船が漂っているのを二人並んでぼんやりと見つめていた。周りに一人で居る人間はほとんど居らず、鏡の中の自分と合流できていることを知る。
 ちらりと、鏡の中の自分を見た。髪の毛を短く刈った男の子。ダンスパーティだというのにジャージ姿。理由は、運動以外しないから、らしい。髪の毛が短いのも、走るときに邪魔だからだそうで。
 スポーツに打ち込めている自分がどこかに存在していたことが、とても嬉しい。
「不思議な空間だよね」
「そっか?」
「だって、こうして自分と話してるなんて不思議。でも外の景色は普段と変わらない。この空間だけが不思議なの。面白いよね」
「言われてみればそんな気がする。でも、普段と変わらないよ」
「さっきの稲光みたいなものとか」
「雷じゃない?」
「でも外、星空だもん」
「まあ、変わってるっちゃ変わってるけど」
「む、なんか納得いかない感じだね。じゃあ、普段と違うイベントしちゃうからねっ。トリック・オア・トリート!」
「え?」
「今日はハロウィンだよ? お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃうんだから」
 無邪気に笑うと、彼はきょとんとした表情になる。しばらく言葉を噛み砕くようにその表情で固まり、ややしてから彼も笑う。
「そういうお前は持ってんのかよ、お菓子。トリックオア……なんだっけ、言われたらどうすんだよ」
「あたしは持ってるもんねー。食べる? 一応美味しいってお墨付きもらってるよ」
「せっかくだけどいいや。下手に食べると太っちゃうからさ」
「そっか、残念」
「でも貰う。お土産にするわ」
 そう言って、彼はミルディアの手からお菓子の袋をさっと取り上げた。「もーらい」と嬉しそうに彼が笑ったから、まあいいかと思う。
「代わりにコレ、やるよ」
 渡されたのは水筒だった。
「なにこれ?」
「俺の得意料理」
「水筒だよ?」
「スポーツドリンクが入ってる」
 それは料理とは言わないよ、という言葉は飲み込んで、ミルディアは微笑む。
「飲んでみてもいい?」
「ドーゾ」
 蓋を開けて、一口飲んだ。薄い味で、甘いようなしょっぱいような、なんとも言えない味がした。あまり美味しくはない。
 でも、スポーツの後にはこういうものが必要なんだろうと思う。
「なんか」
「うん?」
「走りたくなってきた」
 突然彼がそんなことを言うから、笑ってしまった。ダンスパーティなのに、走りたいと言う。けれどその気持ち、わからないでもない。
「会ったのが船の中で残念だよ。学校とかなら走り回ったのに!」
「海だったら泳いだりとか」
「山でも遊べそう」
「室内じゃなぁ」
「ねー」
 その場で屈伸をする彼に倣い、ミルディアも屈伸をする。
「廊下なら走っても怒られないかな」
「怒られると思う」
「だよなぁ」
「でも」
「?」
「怒られたら一緒に謝るから、走っちゃおっか」
 いたずらっぽく微笑んで、ミルディアは走り出した。すぐに彼がついてくる。振り向かなくてもわかった。それがひどく、心地よい。

 なぜか、相手が笑っているように感じた。
「何かおかしいですか?」
 志位 大地(しい・だいち)は覗き込むように相手の顔を見た。相手である鏡の中の自分は、先ほどから顔を少し俯けていた。
「おかし……うん、おかしくなくはないけどね」
「どっちですか」
「さあねえ。まあ、話を続けなさいよ。その片思いの相手が、ええと? どれくらい可愛いんだっけ?」
 今度は彼女から顔を覗き込まれる。彼女はどうやらこの話を楽しんでいるらしい。片思い中の相手への想いを連ねる、大地の話。発言を振り返ってみるが、別に面白いところなんてないと思う。
「ん? もう続けないの? きみが『彼女』に対する愛情はその程度なのかなー?」
 心なしか、彼女、のところを強く言われた気がする。けれど大地は、そこよりも『愛情』という単語が気になってしまう。顔が赤くなるのを感じた。
「おやおやー。単語一つに顔を赤くしちゃうなんて、可愛いところもあるのねー」
 目を細めて彼女が笑う。笑うと猫のような女性だ。
「あの人は、その……とても、可愛い人です。小さくて、華奢で、守ってあげたくなる。そんな人です」
「ほうほう……」
「動きも小動物みたいで、なんか……やっぱり、可愛いんですよね。うん、可愛いんです。ずっと見ていたいというか、可能ならば愛でていたいというか……。けれど、最近なんだかすれ違っているんです」
「うん。じゃあデートしちゃえ」
「はっ?」
「もしかしたらそういう展開の違いを望んでいるのかもよ? ここらでいっちょ甲斐性見せてみたらどうよ?」
「な、ええ……?」
 デート、という言葉が大地の頭をぐるぐると回る。まわってまわってまわる。なんだかわけがわからなくなってきた。
 そんな中、彼女の声が聞こえる。
「知らなくていいことなのか、それとも今知らせておいたほうがいいことなのか。まあデートに誘ってその時知っても面白いかもしれないしねー」
「はい?」
「いやいや、こっちの話。考えてうじうじくよくよしちゃうくらいなら、どーんと行けばいいと思うよ!」
 そのほうが面白いから。そう、彼女の目は言っていたけれど、大地は『どーんと行く』を想像してしまい、顔を赤くして自分の世界に入ってしまったので見ることは叶わなかった。

 そんな、傍から聞いていたらよくわからない相談が一段落した頃、風森 巽(かぜもり・たつみ)は小さく溜息を吐いた。
 おかしい。俺は、恋愛相談に乗ってもらうつもりだったのに。
 相談をしようと時を待っていた。待っているうちに、相手に言われた一言。
「ボク、友達を騙しているんじゃないかなって、最近思うんだ」
 どう考えても相談の切り口です。あれ、俺の相談。……まあいいか、と思ってしまえば後は相手の相談に乗るだけだ。
「話してみてくれませんか? 貴女の心の内を」
「……うん。でも、その前に。ボクは本当のキミと話がしたいから、その作り物の口調はやめてほしい」
「……了解」
 口調を演じていたことはバレていたらしい。再度溜息を吐くと、巽はソファに座って足を組んだ。
「話してみろよ。俺が相談に乗ってやるんだから解決間違いなしだぜ?」
「ボク……こうやって男装してるでしょ? この格好で友達の傍に居るのは騙してるんじゃないかって思うんだ。だから、本当は女だって打ち明けたい。でも、今の関係が壊れるのが怖くて言えないんだ。どうしたら、いいのかな」
「知るか。こっちだって似たようなもんだ」
 相談に乗るというよりも、悩み事を一蹴。
 鏡の中の自分――辰美は、その答えを聞いてむしろ笑った。
「他には?」
「女性としての自分に自信がないんだ」
「そーか」
 呟いてから少し考えると、巽は立ち上がりどこかへ行ってしまった。どうすればいいのかわからず、辰美はただ立ち尽くす。
 五分。十分。十五分。
 変わらず立っていると、巽が戻ってくる。巽は、ロイヤルブルーのショートドレスに身を包んでいた。
「どうだ。似合うか?」
 言うと、その場で一回転。フレアスカートがふんわりと揺れる。柔らかい生地らしく、歩くときも揺れていた。背中には切れ込みがあり、そこから巽の白い肌が覗く。その切れ込みがあることによって、地味な後姿にはならず、少しの妖艶を醸し出していた。
 そして、そのドレスを着た巽は、とても綺麗だと思う。
「似合う。綺麗だよ。ボクなんか、足元にも及ばな――」
「馬鹿。おまえは俺だろ。俺が似合うってことは、おまえだってこういう格好が似合う立派な女の子なんだよ」
 ぴし、と巽が辰美にデコピンをした。額を押える辰美に、巽がウインクして言った。
「折角だから踊ろうぜ。きっちりエスコートしてくれよ、お姫様?」

「あっちでも相談していたのかと思ったらこっちでも相談なのね。相談がブームなのかしら」
 もう一人の一ツ橋 森次(ひとつばし・もりつぐ)は、腕を組んでそう言った。
「ブームというか。相手が自分であるから言えることもあるんじゃないかな」
「で?」
「え」
「わかってるわ。相談したいことがあるんでしょう? 打ち明けたいことがあるんでしょう? ……ああ、きっとこういうことなのね。相手は自分だから、いやがおうでも聞いてしまう」
「……いいかな。相談しても」
「勝手にしなさいよ。私は聞いてるだけだわ」
 つい、とそっぽを向く彼女に微笑みかけて、森次は言葉をつづけた。
「小さい時から、兄と差別されてきた。その兄が死んだ時、親は僕のせいだって言ってさ。そのまま僕のせいにされた」
 喋ると同時に蘇る記憶。知らず知らず、握り締める手に力がこもった。
「忘れられないんだ。あの時の親の言葉が。表情が。眼が。パートナーは、『貴方のせいじゃない』って言ってくれる。でも、忘れられない」
「そりゃ、忘れられなくて当然だわ。親にそんなことを言われて忘れられるほうがどうかしてるわよ」
「そうかな」
「そうでしょ。お兄さんの死が誰のせいかなんてわからないけど、仮にあなたのせいだとしたらあなたにはとっくに天罰が下ってるわよ。今も健康で元気にやっていけてるなら、きっと大丈夫ね」
 目を開いて彼女を見た。天罰。なかなか面白い意見をもらえた。
「……なによ」
「いや。確かにボクは、健康だし五体満足だ、って思って」
「でしょう?」
 なんだか満足そうに胸を張る彼女に微笑んだ。
「ありがとう。少し、楽になった」
「そう言ってもらえるなら何よりだわ」
「キミに悩みは?」
「思い当たらないわね。思いついたら言うわ。すぐに言いたくなるかもしれないし、ずっと言わないかもしれない」
「じゃあ、それまでは紅茶でも飲みながら話をしよう」
 右手を握ったり開いたりしながら、自分が五体満足であることを再確認して森次は笑う。
 喋っただけなのに、本当になぜか心が軽くなった。

 言おうか言うまいか。それが問題だ。
 譲葉 大和(ゆずりは・やまと)は神妙な面持ちで正面に座る少女を見た。背の低い、子供である。年齢は18と言ったが、小学生にしか見えない外見だった。
 そんな少女が自分であるということに驚き、次に、相談をしたくても切り出しづらいというジレンマに襲われている。
「さっきからレディの顔をちらちらと盗み見るようにして。言いたいことがあるなら言いなさいよ! あんたがそんな暗い顔してたらこっちまで悲しくなるじゃない!」
「……悲しく?」
「ちっ、違うわ。気分が暗くなるって言いたいのっ!」
 もしかしたら、話を聞いてくれるのかもしれない。切り出せないでいる自分に、苛立っている彼女を見てそう思った。
「俺は、俺にはとても大切な人が居ます……。その人は、太陽のように暖かくて……彼女さえ居れば、他には何も要らない。そう思えるくらい、大好きで大切な人です」
 話し始めると、彼女は何も言わなくなった。ただじっと、大和の目を見ている。
「でも、彼女に近づきすぎれば彼女を失うことになるんじゃないか、と……心配なんです。ギリシア神話のイカロスは、太陽に近づきすぎて翼を焼かれました。……彼のように、盲目的になった結果、失ってしまうのでは、と。……それが、怖いんです」
 言葉にしているうちに、そうなってしまうんじゃないかと思って怖くなってきた。しかし彼女は何も言わない。ただ、静かに大和を見るだけである。
「本当は、もっと近づきたい――けれど、失うのが怖い。怖いから、近づけない。俺は、どうすればいいんでしょうか?」
「どうって……あんた、そんなことも訊かないとわからないの?」
「え……」
「失うのが怖いからって近づかなければ何も手に入らない。違う?」
「違いません、ね」
「じゃあ、近づけばいいじゃない」
「そんな簡単に」
「簡単なことよ。だってあんたはあたしなんだからできないはずがない」
「……、ありがとうございます」
「お、お礼を言われるようなことしてないわよ!」
「話せて、助言までもらえたら礼を言うほかないでしょう」
「助言? かっ、勘違いしないでよね!! あんたのために言ったんじゃないから助言じゃないわ!」
 顔を真っ赤にして「礼を言うな」「あんたのためじゃない」と言う彼女を見て苦笑する。
「で、でも、あんたがあたしに言われて彼女に話しかけて、それでうまくいったっていうなら……そのときは、お礼されてもいいわよ」
「では、そのときまで待っていてください」
「仕方ないわね」
 ぷいっとそっぽを向いてしまった彼女を見て、小さく微笑んだ。

「髪の毛と、できるなら血液が欲しい」
「等価交換ね」
「ふむ。お前は何を望む?」
「同じものを」
「いいだろう」
 人気のない、ダンスホールの隅の方で。
 イーオン・アルカヌム(いーおん・あるかぬむ)は、鏡の中の自分と交渉を成立させた。自分が欲しいものが、相手の欲しいもの。自分が考えていることとほぼ同じことを相手も考えているのだろうと予測はできた。話が早くて助かる。
 鞄から注射器と針を取り出し、ゴムチューブで相手の細い二の腕を縛り、圧迫させて血管を出す。注射器を刺して血を採った。
 注射の痕に絆創膏を貼り、手際よく使った道具を片づけてから腕を差し出すと、彼女は頷いて自らの鞄から同じように同じ道具を取り出した。そしてやはり同じように血液を採取していく。
 ここまで同じだといっそ面白い、とイーオンは思った。みたところ、違いは性別くらいか。性別の違いによる体格差は生まれているが、自分が成人男性にしては背が高いように彼女も成人女性のわりに背が高い。髪の色が金なのも、目の色が赤なのも、若干目つきが悪いところも自分と同じだ。
「何を見ているのかしら?」
「いや、あまりに違いがないから面白かったのだよ」
「女性の顔を見て面白いなんて言ってると怒られるわよ?」
「知的好奇心がそれで満たされるのなら怒られても構わない」
「不気味なくらい同じ考えね」
「まあ自分であるなら、ある意味当然とも言えるだろう」
「そうね。はい、採血終わり」
「ふむ、まだ時間はあるな」
 時計を見ると、時刻は二十二時半を回っていた。
 別れの時間まで、あと一時間と少し。
「それまで……少し話したりするか」
「いいわよ。何か欲しい情報はある?」
「なら、そちらの世界について」
 椅子に座り紅茶を飲んで、いくつかの受け答えをする。
 ダンスホールから、二十三時を告げる時計の音が聞こえても、二人は微動だにせず話し合っていた。

 桐生 円(きりゅう・まどか)は鏡の中の自分の膝の上に座っていた。鏡の中の自分は、円と違い、物腰柔らかそうな青年である。
 二人は、そんな風に仲良さそうに座っているのとは対照的に、淡々とした調子で会話を進めていた。
「キミはずいぶん小さいね。本当に15歳? 僕と同い年なのかな?」
「馬鹿にしているのかい? 背の大きさなんて大して重要じゃないだろ?」
「まあ、それもそうだね。大きいだけじゃ木偶の坊だ。小さいだけでも子供だけど。
 ところでキミは随分不自由なようだけど、それで楽しいの? 楽しくなさそうに見えるんだけど」
「僕は楽しいよ? みんなの楽しんでいる姿を見て、充分楽しんでいるさ。例えば……ほら、あの子たちを見ていると楽しくならない?」
「小さい子同士がじゃれあっているだけじゃないか」
「それが楽しいんだろう?」
「キミは可笑しなことを言うね。自分が楽しくないのに楽しいだなんて、随分と献身的で偽善的だ」
「そうなるのかい? 鏡の中のボクは、随分と斜めに見てくるね。キミこそ不自由しているように見えるのだけど、その辺はどうなんだい?」
「常識の範囲内で行動していれば不自由はないさ」
「その常識が既に不自由だとボクは言っているのだよ」
「けれど、それは守って然るべきものだ」
「僕が献身的というのは間違いだね。キミこそ社会に献身的だ」
「常識と言えば思い出したんだけど、キミは今停学中じゃないのかい? いいのかな、こんなところに居て」
「ここは学校だったかな? 僕の記憶じゃ、学校ではないはずだけど」
「減らず口だ」
「そうでもないよ」
「そうかな」
「ところで、あれ。随分増えたね」
 円が指さした先には水晶の像が三体あった。
「まだ増えると思う?」
「さあ、どうだろうね。キミはどう思うんだい?」
「もう二十三時だろう? これ以上は増えていかないんじゃないかな」
「まあ、僕には関係ない話だけどね」
「関係はないけど、その発言は少し自分勝手じゃないのかな」
「関係がないなら今の発言でもおかしくはないだろう? キミはやっぱり変わったことを言うね」
「キミと違うだけで、僕は変わってないよ」
「そうかな」
「そうだ」
 膝の上に乗ったまま、円は嗤った。
 どっちがおかしいのか、ではなく、どっちもおかしいんだろう。
 そう思って嗤った。
 時計が二十三時を告げる音を鳴らす。

 鏡の中の自分がうらやましい、と皆川 陽(みなかわ・よう)は心から思う。
 背が高く、大人っぽい雰囲気の男性で、遠くから見ているだけだった陽を見つけると話しかけてきてくれた。そして話してみると、その話上手さに惹かれた。自慢でもなんでもない感じで、彼は自分に関する話を展開していく。陽は、それをただ聞いている。楽しそうに笑う彼の笑顔は、とても自然で、そこにも惹かれた。
 惹かれると同時に、自分と比べてしまって胸が痛んだ。
 自分が駄目すぎて、パートナーや同じ学校の方々、両親に申し訳なくなってきたのだ。
 それでも彼と話しているのは楽しくて、気付けばもう二十三時。あと一時間で、このパーティは終わる。気付いた瞬間に、ふっと寂しくなった。
「もう、こんな時間なんだね……」
「ああ」
 時計を見る彼の横顔を見た。鼻筋はすっと通っていて、力強い光を目に宿していて、同性の自分から見てもカッコよくって。
「きっと、あなたがボクなら周りも楽しいんだろうな」
「?」
「ボクは、駄目なヤツだから。こんなボクじゃ、きっと周りのみんなが困ってるから。きっと、キミみたいな人がボクの代わりに居たほうがいいんだと思う。代わってもらいたいくらい」
「……なんで、そんなことを言うの?」
 声のトーンが、がくんと落ちていた。彼は俯いていて、表情は窺い知れない。
「なんで、そんなことを言うの? そっちに居たくても居られないんだ、僕は」
「え?」
「きみが言うように、きみの代わりにきみの世界を乗っ取ってやりたいよ。でも、本質的なところで僕はきみの世界には存在できない。他の何人かはわかってないみたいだけど……僕はもうわかってるんだ、それが無理なことなんて」
「ちょっと待って。何? キミは一体何の話をしているの?」
「気付いてない? このパーティには、最初から何人か「もう死んでいる人」が居たのに。気付いてない? 広間にあるあの像。わからない? ねえ、あの人は右利きだった? あの人は? 話している相手は自分じゃなかったのに、気付かないものなんだね。僕もそうだ。僕ももう死んでる」
「鏡の中の、ボクが?」
「違う。僕は、鏡の中の君を押しやってここに来た。君の人生を奪おうとして。
 幽霊と人間が入れ変わろうとしている。それだけなら笑い話だ。そんなことできるわけない。結局生きている人間のほうが強いから。
 でも、その生きている人間を、ああやって閉じ込めてしまえる鏡があるんだよ」
 彼が指さしたのは、水晶の像。いつからあったのか。話しに夢中で気付いていなかった。「生気が吸われた結果、ああなっちゃったんだって」
「生気?」
「鏡は人間の生気を吸いたかったんだよ。そのために僕らを利用している」
 いまいち話がわからない陽が疑問符を浮かべる中、鷹村 真一郎(たかむら・しんいちろう)は顎に手を当てて「やっぱり」と呟いた。
「どうしたの? 真一郎さん」
 隣に立っていたルカルカ・ルー(るかるか・るー)が真一郎の顔を覗き込む。
「ルカルカは、どこだ?」
「ここに居るでしょ?」
「お前が取って代わった方の、俺の恋人のルカルカは、どこだ?」
 一言一言、相手によく言い聞かせるように真一郎は言う。
「……いつから気付いていたの?」
「最初から」
「敵わないなあ。あなたが彼氏だなんて羨ましい。わたしも生きているときにこんないい男と恋愛したかったわ」
 わからないほうがどうかしている、と真一郎は思った。利き腕が違う、傷のある場所も違う。それに、真一郎がルカルカにあげたペンダントもしていない。そんなに違う場所があるのに、どうして彼女がルカルカだと思えようか。
「主催者がね。また生を手にしたくて、高原瀬蓮を乗っ取ったの。わたしや、他の何人かももう一度生きたくてこうやって乗っ取った」
「ルカルカは無事なのか?」
「水晶の像になってるけどね。鏡を壊せば元に戻るわ。ただ」
「ただ?」
「この空間が無くなるまでに壊せないと、もう元に戻れる保証はないかな。この空間に、鏡と乗っ取った相手と乗っ取られた相手、全員が居るわけだから。別々になったらダメだそうよ」
「よくわからないが……早く壊さなければならない、ということはわかった」
 時計を見ると、短針は十一と十二の間に、長針は二を指していた。
「主催者のところへは……彼が行くみたいね」
 ルカルカの姿をした、ルカルカでない者の視線の先には、陽でない陽が居た。ダンスホールを出て行くところだった。真一郎は迷わずついて行く。
「行くんだ。罠とかだったらどうする? みーんな、乗っ取る作戦かも」
「俺は軍人だ。軍人が、大切な人も守れないでどうする? 罠でもなんでもいい。ルカルカを助けたいだけだ」
 振り返らずに歩いて行く真一郎の背に、「やっぱり、羨ましいなあ」と呟いて、彼女は水晶のルカルカの前まで行った。
「あなた、ずるい」
 微笑んでいるルカルカに、「だってルカの運命の人だもの。当然でしょ♪」と笑われた気がした。