百合園女学院へ

薔薇の学舎

校長室

波羅蜜多実業高等学校へ

【十二の星の華】空賊よ、星と踊れ-ヨサークサイド-1/3

リアクション公開中!

【十二の星の華】空賊よ、星と踊れ-ヨサークサイド-1/3

リアクション


chapter.2 1日目(2)・背は口ほどに…… 


 太陽が昇りきった空の下で、その大きな飛空艇は動く術を持たずにただじっと時間を過ごしていた。
 解散してしまったヨサーク空賊団の頭領、キャプテン・ヨサーク(きゃぷてん・よさーく)は蜜楽酒家近くの船着き場で、そんな自分の船を眺めている。その姿から普段の覇気はあまり感じられないようにも思えた。背中も、心なしか小さく見える。その背中に、元気な声がかかった。
「あー、いたいた、キャプテンのおにーさんだ!」
「おにーさんだー!」
 とてとてと元気良くヨサークの元に駆け寄ってきたのは、タタ・メイリーフ(たた・めいりーふ)チチ・メイリーフ(ちち・めいりーふ)だった。幼い少年の姿をしたこのふたりの精霊は、パッと見では見分けがつかないほど瓜二つだ。そんなタタとチチは、あたかもヨサークを励ますかのように、明るい態度でヨサークに話しかけた。
「おにーさんってキャプテンなんでしょ? キャプテンってなんだかかっこいいねー!」
「いいなー、かっこいいなー、キャプテンっ」
 少女ではなく少年なだけに、邪険に扱うわけにもいかないヨサークは静かに言葉を返す。
「ここは非戦闘区域っつっても、気性の荒いヤツがいっぱいいる。あんまりはしゃぎ回ってっと危ねえぞ」
 優しく諭すヨサークだったが、好奇心旺盛なふたりの精霊はヨサークのそばを離れなかった。
「おにーさんおにーさん、ぼーけんのおはなしきかせてー!」
「きかせてー!」
 タタとチチそれぞれから右腕と左腕を同時に引っ張られ、ヨサークは困りながらも相手をしてあげることにしたようだった。
「これ聞いたら親のとこ帰るんだぞ、いいな?」
 こくこくと頷くタタとチチに向かって、ヨサークはぽつぽつと語り出した。
「ここ一月半くらいは、色んなことがあったな。やけに学生のヤツらと絡んでた気がする。その最初の出来事が、金持ちの校長をさらった空賊との戦いだった。まあそいつは、俺の船の元団員だったヤツだったんだけどな。その後は、ユーフォリアって秘宝を求めて戦艦島って島に行ったんだ。手がかりは見つかったものの、だらしねえ服したメスだの生意気な金髪のメスだのに襲われて大変だった。そいつらとはそれから雲の谷でユーフォリアを巡ってまた戦ったんだけどな。お宝って聞いてたユーフォリアが生身の女だったっつうんで、俺はそんなもんいらねえって思って興味をなくしたんだ。結局それは、だらしねえ服したメスが手に入れたんだけどな」
 これまでのことをかいつまんで話すと、ヨサークはひとつ息を吐いてから小さく呟いた。
「色んなヤツらと、色んなことやったな……」
 目をキラキラさせたままのタタとチチに視線を下ろすと、ヨサークは「もういいだろう、そろそろ帰んな」とふたりに促すが、すっかりふたりは話に夢中になってしまっていた。
「おにーさん、もっときかせてー!」
「ききたいききたーい!」
 駄々をこねられ、すっかり困り顔のヨサーク。とそこに、タタとチチの契約者である五月葉 終夏(さつきば・おりが)がやって来て、ふたりに向かって笑いながら声をかけた。
「タタ、チチ、あんまりヨサークさん困らせちゃ駄目だよー」
「はーい、おねーさん」
「はーい」
 ふたりは終夏の言うことを素直に聞き、ヨサークの腕から離れ彼女のところへと戻る。
「や、ヨサークさん。久しぶりだね」
「あ? 誰だおめえは。何勝手に同級生みてえな雰囲気出してんだこら」
 終夏はしっかり憶えていたのが、どうやら少し絡んだだけの女性のことをヨサークは憶えていないようだった。加えて、男と女での対応の違いは相変わらずだった。
「そ、そっか、ほとんど話してなかったからね、まあ仕方ないかな。うん。ヨサークさんはやっぱりヨサークさんだなあ」
 終夏は冷たい態度を取られながらも、どこか安心していた。風の噂でヨサークが少し変わってしまったと耳にしていた彼女は、女性に冷たく当たる彼を見て、妙な安堵感を覚えていたのだった。
「あはは、馴れ馴れしくてごめんねヨサークさん。良かったら、私にも冒険の話聞かせてくれないかな」
「うっせえ、ごく普通の外見しやがって! さっさとガキ共引き連れてどっか行けノーマルメス! おめえに6文字も使うのもったいねえっつうんだよ! ノーマスで充分だおめえは!」
 どこかの機関車か家庭教師みたいな呼び方をされた終夏だったが、特に気にした様子もなく彼女は「あはは、いつものヨサークさんだね」と楽しそうに笑っていた。
「おにーさん、どうしておんなのひとにつめたいんだろう……?」
 チチがふたりのやり取りを見て疑問を浮かべている横で、タタはこの場にもうひとつの足音が近付いてくるのを聞いた。
「おにーさん、おねーさん、みてみて、きれいなおねーさんがこっちにくるよ!」
 タタが指差すと、その場にいた全員が視線を向けた。やや着崩れた和服をまとった女性が、こちらに向かってくる。
「あたしも、聞いてみたいねえ。あんたの野望が辿ってきた道と、これから辿る道を」
「おめえは……ザクロ」
 扇を小さく扇がせながらそう話しかけたのは、先ほど酒場を出てきた芸者のザクロだった。



「あれ……あの人、確かキャプテンの船に乗っていた気が……」
 蜜楽酒家で捜索を続けていた3人の中で、陽太が見覚えのある人影を見つけた。呼雪とヌウも少し遅れてそれを発見すると、3人はその人物の元へと向かおうとした。その時、人影を挟んだ陽太たちの逆側から、どこかあどけないような声が聞こえた。
「あー、あの時のおじさんだ! 見つけた、やっと見つけたよ!」
 それは、前にヨサーク空賊団船内の厨房ではしゃいでいた山本 夜麻(やまもと・やま)だった。陽太たちがその人物に近付くのと同時に、夜麻も一目散に走り寄る。
「久しぶり、おじさん! 僕のこと憶えてる? 厨房で僕がはしゃいでた時、権利問題の難しさについて教えてくれたよね?」
 人影は夜麻の方を振り向くと、夜麻のことを憶えていたらしく、短く挨拶を返した。
「おお、坊やじゃないか。相変わらず元気そうだな」
 そこに、呼雪も加わって話を繋げる。
「何度か見たことがある……厨房で、ということはヨサークの船のコックだった男か?」
 その男は呼雪とヌウの顔を見ると、「見たことがあるな」というような反応を示してから質問に答えた。
「ああ、そうだが……坊やたちは確か、ちょっと前まであの船であの人と一緒に戦ってた学生さんたちだったか」
 少し淋しそうな表情で漏らした男に、夜麻が身を乗り出して言う。
「ねーねー、キャプテンの船抜けちゃったって本当? そんなに、抜けたくなるほど嫌になっちゃったの? キャプテンのこと信用出来なくなっちゃったの?」
「……」
 途端に黙り込んでしまった男。するとそこに、彼の知り合いと思われる男が両手に酒を持って現れる。
クレッソン、待たせたな……って、なんだ? 人が増えてんな」
 どうやらコックの男はクレッソンという名らしい。そしておそらく酒を持ってきたこの男は、クレッソンとこれから一杯やろうとしていたところだったのだろう。
「ああ……この坊やたちは、あの人の船に乗ってた学生さんたちだ。ほら、一月ちょっと前くらいに何回か乗り込んでたろ? あの子らさ」
「その学生さんたちが、なんでまたこんなとこに?」
 事態がよく飲み込みていない様子の男、そして突然現れた彼に戸惑う生徒たちの両方に、クレッソンは簡単に紹介をした。
「こいつは、俺と一緒にあの人の船に乗ってたオニオ。オペレーター担当だったな。そしてこっちに並んでる坊やたちは、前に依頼だか何だかであの人と一緒にいた学生さんたちだ。どうやら、俺たちが船抜けした理由を聞きたいらしい」
「それで、わざわざここまで来たってわけか」
 オニオは酒をテーブルに置くと、椅子に腰掛けた。
「だんちょがいつもと違う様子で、みんな淋しくなったんじゃないのか? ヌウも、ちょっと淋しい」
 ふたりに自分のありのままの気持ちを晒すヌウ。
「何か、不満とかあったの?」
 夜麻も引き続き理由を聞こうとする。クレッソンとオニオは、少し黙った後、どちらからともなくぽつりと話し出した。
「俺らもさ、最初はここまでするつもりはなかったんだぜ」
「女嫌いだったお頭に共感出来てたのに、最近お頭がやたら女と絡んでるから、ちょっとモヤモヤしてただけなんだ」
「じゃあ、どうして……」
 眉を寄せた陽太の言葉に、ふたりは顔を見合わせた。
「どうして、だろうなあ……?」
「どっかで変にこじれた気もするけど、なんかモヤモヤが膨らんじゃった感じかな……?」
 いまいちはっきりしない態度のふたりを見て、業を煮やした呼雪が強めの口調で言い放った。
「お前たちは、その程度の気持ちでヨサークに命を預けていたのか?」
 バン、と机に手を置く呼雪。その仕草は、普段の冷静な彼からはあまり想像出来ないものだった。
「空賊ってのは確かに、お世辞にも褒められた職業じゃないかもしれない。それに、命の危険にだって当然晒されるのが常だ。だが、それでも彼についていくと決めて船に乗ったんだろう?」
 呼雪は一気にまくし立てると、自身の気持ちを少し落ち着かせてから静かなトーンで告げた。
「ここに来る前に、ヨサークを見かけた。が、その背中は俺が知っているヨサークよりも小さかった気がする。彼も意地を張っているだけで、お前たちのことを心配しているのかもしれないな」
「このままじゃ、だんちょも船もいつか空の海に沈んでしまう。みんながいて、ヨサーク空賊団はヨサーク空賊団だ。だから、空賊団だった人たちが、だんちょと話もしないまま終わりにしちゃダメだ」
 ヌウがたどたどしくも言葉を挟むと、それをフォローするように呼雪が言葉を足した。
「とにかく、一度会って彼の姿を見てほしい。俺よりもずっと長くいたお前たちなら知ってるはずだろう……彼の背中の、本当の広さを」
 夜麻の質問と呼雪やヌウの説得が一通り終わったところで、陽太がふたりの元団員に向かって言葉を搾り出す。
「ヨサークキャプテンは、内心淋しそうでした。きっと、自由な空をあなたたちと共に飛びたいと思っていたはずですよ」
 それと、と陽太は一言付け足した。
「キャプテンが女の人と絡んでてモヤモヤしてたって言ってましたけど……あの芸者さん、実は女装してるだけの男性とかいうオチもあるかもしれませんし」
 冗談半分ともとれるその言葉に、少し場が和む。クレッソンとオニオは酒を口に流し込むと、幾分柔らかくなった表情で彼らに告げた。
「もう少し、俺らふたりは話し合ってみるよ。もうすぐ厨房とオペレータールームで働いてた他のコックやサブオペレーターもここに来るからな。みんなでもっと相談してみて、それから……きっと、あの人に会いにいくと思う」
 その言葉を聞き、生徒たちはここからは彼らの問題、と判断した。けれどそれはもちろん、アプローチを諦めたわけでも彼らを見放したわけでもなかった。自分たちが伝えようとしていたことはきちんと伝わったはず。それは、ふたりの表情を見れば分かることだった。



 酒場内で話に上っていたヨサーク、そしてザクロはまだ、船着き場に終夏らと共にいた。
「これからも何も、俺はこの空の権力者になる、それだけだ」
 素っ気無いながらもザクロにそう答えたヨサークを見て、終夏は不思議に思う。女性には一様に乱暴に当たるはずなのに、この芸者さんに対する受け答えは他のそれより幾分普通の調子なのはなぜだろう、と。目の前で発生しているこの謎について終夏が考えていると、その思考を妨げるかのように素っ頓狂なセリフが飛び込んできた。
「揉みたいぜ、その良い乳!!」
 完全にこの場の空気を無視した発言をしながら、鈴木 周(すずき・しゅう)がヨサークたちの前へとやって来た。
 さて、ここで一体なぜ彼がこんな狂言を発するに至ったのかを、順を追って見ていこう。彼、鈴木周はヨサーク空賊団の分解を聞き、居ても立ってもいられず、この地へとやって来た。過去に同じ戦場で戦ったという共通点があれば、彼にとってそれはもう友達の証なのだ。そして友達が困っているならば、それを黙ってみていることは出来ない。ここまでは何ら問題ない。ごく自然な、情に厚い好青年の行動である。問題なのはここからだった。
 ヨサークを助けようと思った彼だったが、自身のポリシーが空賊になることを拒んだ。しかしヨサークの手助けはしたい。そこで彼は、とりあえずそばに行き何か手伝えることを探そうとした。が、ここで周に電流が走った。
 ヨサークのおっさんは女嫌いにも関わらず、どういうわけか女の子が寄って来る。いわゆるツンデレの達人、ツンモテおっさんだ。ということは、おっさんのそばにいれば自然と俺にも女の子が寄って来るはず。あれ? これ、もしかして名案じゃないか。手助けが増えたおっさんも嬉しいし、女の子が寄って来る俺も嬉しい。むしろこれしかない、と。これ一択だ、と。
 そうして周は、間違った図式のままヨサークのところへ駆けつける。そこで彼が目にしたのは、早速女性に囲まれているヨサークだった。狙いが的中したことを喜んだ周は、そのテンションのままザクロに話しかけてしまった。その結果が、先ほどのあの発言である。
「……」
 妙な沈黙が流れるが、周はそんなことお構い無しにザクロへのアプローチを続けた。
「なぁなぁ、本当に良い乳だよな! 揉んでみたいから俺と仲良くなろうぜ! もしくは仲良くなるために揉みたいぜ、その乳!」
 何がもしくはなのかよく分からないが、彼はこのフレーズがちょっと気に入ったらしい。CMにでも出ているかのように、折を見ては指を立てて「揉みたいぜ、その乳!」と爽やかにキメている。発言内容には爽やかさの欠片もない。
「ふふ、面白い子だねえ。けど、生憎あたしの体に触るには経験不足かね。女のひとりやふたり、イカせられるようになったらまたおいで。そうそう、さっき酒場に、たくさん女の子が働きに来ていたよ」
 口元に手を当てながらザクロは微笑を浮かべ、自身もその酒場へと戻っていった。さらりとかわされてしまった周は、その場にいたもうひとりの女性、終夏へと標的を変えた。
「こうなったら大きさは気にしないぜ! そこの女の子、手応えがないとしても……揉みたいぜ、その乳!」
「おねーさん、このおにーさんなにいってるのー? なんでさっきからぼくのなまえいってるの?」
 皮肉にも名前がチチだったばかりに、チチはその恥ずかしい言葉を半強制的に浴びていた。そして何より、一番の被害者は終夏である。二番手扱いされた上に、貧乳扱いだ。マイペースな終夏といえども、さすがにこれには怒りを感じざるを得なかった。肩を震わせている終夏を見て、タタが言う。
「おねーさん、こういうひとがしょうらいはんざいしゃっていうひとになるの?」
 周の言葉の意味を理解してか、単に終夏の様子を見て言ったのかは分からないが、子供とは無邪気である。しかし周は、何を言われてもへこたれない強靭な心を持っていた。
「乳が揉めるなら、俺はどんな罪でも被るぜ! だからその乳、揉みたいぜ!」
「タタ、チチ、この人と目合わせちゃ駄目だよ。さああっち行こうね」
 何言ってもこの人には通じない。そう判断した終夏はふたりの背中を押し、そそくさとその場を去ろうとする。
「あ」
 ぴたり、と。何かを思い出したように終夏はその足を止め、懐をごそごそと漁りだした。そしてその手に何かを掴むと、終夏は去り際、ヨサークに話しかける。
「ところでヨサークさん、ザクロさんって人にはなんで普通の態度だったの?」
「あぁ? んなことねえだろうが! 適当なこと言ってんじゃねえぞノーマスが! たがや……あちいっ!」
 ヨサークがすべてを言い終える前に、終夏は手に持っていたものを彼の口に放り投げていた。それは、熱々のじゃがバターだった。どうして彼女の懐にそんなものが入っていたかは分からない。もしかしたら彼女は常にじゃがバターを常備しているのかもしれない。だとしたら相当なじゃがバターフリークである。
「背中だけで語られても、それを翻訳出来る人はそんなに多くないよ、ヨサークさん!」
 そんな言葉とじゃがバターを残し、終夏は今度こそふたりを連れてその場を後にした。口の中で必死にじゃがバターを転がし冷まそうとしているヨサークを見て、周は思う。
 やっぱりこのおっさん、モテるよなあ、と。
 どうやら彼はこれを女性からのプレゼントと解釈したらしい。そういえば、と。周は先ほどザクロが言っていたことを思い出す。さっき酒場に、たくさん女の子が働きに来ていたよ。
「ひとまずこれは、あっちに行くしかないな! ザクロってねーさんも俺は諦めないぜ!」
 そして周は、ザクロを追いかけるように蜜楽酒家へと走っていった。

 再びひとりになったヨサーク。そのタイミングを待っていたかのように、荒巻 さけ(あらまき・さけ)がつかつかと彼のそばへ歩いてくる。さけはどこか不機嫌そうな目と言葉で、ヨサークへと話しかけた。
「良かったですわね、ヨサークさん」
 さけの言葉の意味がよく汲み取れないヨサークは、目の前のさけを見下ろして言う。今までに何度も言葉をぶつけ合ってきたふたりにとってもはやこの目線と立ち位置は、お馴染みのものとなっていた。
「……またおめえか、クソボブ。何が良かったんだ、あぁ?」
「だって、今も見てましたけど、あの綺麗なおねーさん相手に普通に話せていましたの。つまりそれは、女性嫌いが治ったということではなくて?」
「おいクソボブ。前々からそうだが、勝手に俺の診断をすんじゃねえ。俺の専属医かこら」
「……どうやら、治っていなかったみたいですわね。なら単純に、あの綺麗なおねーさんに釣られてるだけなんですのね」
「あぁ?」
「あのヨサークさんといえども? えろえろーで、胸がぼぼんっとしてて、色っぽおいおねーさんにはコロッといってしまうんですわね。へー、そうなんですのー。へー」
 さけは冷たい視線を向けながら一方的にヨサークに言い放つと、スタスタと彼の前から消えようとする。
「おい待てクソボブ、何が言いてえんだおめえは。馬鹿にするためだけに来たのか、あぁ?」
 ヨサークの言葉を背中に受け、さけは足を止めた。そしてくるっと振り返ると、素っ気無く返事をした。
「わたくし、クソボブなんて名前じゃありませんから。さけという名前がありますから!」
 それだけを言うとぷい、と顔を背け、足早にさけはヨサークから離れていった。ヨサークは口を開けたまま、さけが視界から消えていくのを見つめていた。

「あれ……さけ、ちゃんとヨサークはんに話聞いてきなはった?」
 ヨサークのいる船着き場の外れの方で、さけのパートナー、信太の森 葛の葉(しのだのもり・くずのは)がこちらに向かってくるさけに声をかける。その様子からして、どうも葛の葉にはさけがヨサークと落ち着いて話をしてきたように思えなかった。
「話……?」
 案の定、目的を忘れていたさけに、葛の葉は苦笑いを浮かべ優しく口にする。
「ヨサークはんの役に立とうと、離れていった団員はんたちの説得をするんでっしゃろ? そのために、居場所を聞きに行ったんと違います?」
「……そうでしたわね。つい」
「つい?」
 心なしかにやけている葛の葉を見て、さけはハッとして少し慌てながら言葉を足した。
「つい、売り言葉を買ってしまいましたわ」
「ふうん、まあとりあえず、酒場で聞いて回りましょ」
 足された言葉は本心か、それを隠すための張り子か。葛の葉はそれ以上触れることはせずに、さけを酒場へと誘った。