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第5章 カフェ・ホワイトリリィ

 
 ヴァイシャリー湖のほとりに、小さな家が建っている。
 普段はひっそりと静まっている家だが、放課後と休日には喫茶店に様変わりする。休日の今日、店の前には黒板が出され、今日のオススメメニューと、隅っこに白いチョークで、百合の花が描かれていた。
「い、いらっしゃいませー」
 皇甫 伽羅(こうほ・きゃら)が扉を開けると、エプロン姿の稲場 繭(いなば・まゆ)が息をはずませながらも、にっこり笑顔でお出迎えする。
 伽羅が見回すと、カウンター席もテーブル席も八割方埋まっていた。
「カフェ・ホワイトリリィにようこそ、お客様は何名様でいらっしゃいますか?」
「4名ですぅ。タバコは吸いません」
 にこやかに言う伽羅の後ろの人数を確認して、繭の小さな肩がびくっと震える。
 百合園学院生の多くがそうであるように、彼女もまたお嬢様だ。箱入りなのは自覚があったから、社会勉強と男性に馴れるためアルバイトに来たのだが……、多分、馴れるのが目的なら、お客さんは中性的であったり美少年だったりした方が良かったのだろう。
 しかし。伽羅の背後にいる三人、うんちょう タン(うんちょう・たん)皇甫 嵩(こうほ・すう)劉 協(りゅう・きょう)は何れも美少年ではなく、男でもなく漢である。あえて美を付けるなら美髭や美中年といった類だった。……うんちょうの場合、外見が人ですらなかったが。
「どうかしましたかぁ?」
「失礼しました。4名様ですね、かしこまりました。お席へご案内します」
 繭はどきどきを押さえつつ、彼女たちを空席へ案内すべく、先に立って歩く。
 ……案内したかった一等地の湖を臨むテラス席は満席。カウンター席の側を通り抜け、階段で二階へ上がる。
 窓際の、ヴァイシャリー湖がよく見える席に彼女たちを案内し、メニューを机に置き、
「ご注文がお決まりの頃お伺いします」
 ぺこりと頭を下げて一階に戻りに行こうとして、何もないところでつまずき──
「うきゃっ」
「大丈夫?」
 繭の小さな身体を咄嗟に抱き止めたのは、姫野 香苗(ひめの・かなえ)だった。
「あ、ありがとうございます」
「ううん、気にしないでー」
 気にしないで、といいつつ立とうとする繭の身体を抱きしめたまま、余計なところをすりすりさすっている。
 抱き留めた拍子に銀のトレイが男性客の後頭部にクリーンヒットしたが、全く気にしていない。
「もう大丈夫です」
「そっか。気をつけてね〜」
 ひらひら手を振り、今度はお客の伽羅を見付けて、きゅぴーんと目が光る。
「いらっしゃいませ、お姉様ぁ〜」
 彼女は氷入りのグラスを伽羅の前に置き、他三人分はテーブルの中央に置いたまま放置した。細かい装飾の入ったボトルから水を注いで……これも伽羅の分だけ。
「それがしの分は……」
 言いかけたうんちょうに冷たく言い放つ。
「水はセルフサービスだから。あ、注文も勝手に厨房で作って」
 女性客限定の甘々の声も、空京の某メイド喫茶の制服を参考にした自作のメイド制服も、ツンデレメイド妹のキャラ(?)も、全ては素敵なお姉様と出会うための涙ぐましい努力である。
 察した伽羅は、しょぼくれる他三人から注文を聞いて代わりに注文する。
「食後はケーキにしますか〜。それとも香苗にしますか〜? きゃー言っちゃった」
「パフェ特盛りで」
「かしこまりましたぁ〜」
 香苗は一階に降りて、カウンターから厨房へ声を掛ける。
「今日のオススメ二つお願いしま〜す」
「はーい!」
 立ち上る湯気の中、遠鳴 真希(とおなり・まき)が声を張り上げる。左手に鍋、右手に菜箸。他のコンロからも湯気が立ち野菜は煮えはじめ、キッチンタイマーが鳴り、電子レンジがチンと音を立てる。
 今厨房にはたった一人。料理が得意とはいえ、たまにお手伝いに来るくらいの真希には重荷な量だ。
「うう、忙しいなぁ。テルちゃんに手伝って貰った方がいいかも……?」
 真希はフロアに目を向ける。今日初めてお手伝いに参加したパートナーのケテル・マルクト(けてる・まるくと)は、食事が済んだお皿を下げたりテーブルを拭いたり、彼女なりに忙しそうだ。
 けれど。元来注意力散漫なケテルは、テーブルに布巾をかければ飲み残しのグラスの中身をこぼし、背負ったキメラの翼で花瓶を倒し、真希が開店前にせっかく飾り付けた花が床に落ちる始末。
「──テルちゃん、こっち手伝って〜!」
 たっぷり十秒くらい考えて出した結論に、ケテルは笑顔で振り向く。小走りに走ってくるケテル。が。嫌な予感がした。彼女の足元にゆるスターのゆったんがまとわりついている。
 真希の危惧通り、ケテルは、ゆったんに蹴躓く。メイド服のスカートがふわりと広がって、太ももを顕わにし、お尻まで見えかかって。
「ちょっ! テルちゃん! だめーっ!!」
 真希は鍋をがちゃんとコンロに放り投げ、フロアに飛び出した。衆人環視の中、スライディングするようにケテルのスカートの裾を掴む。
 どすん。
 片手で鼻を押さえて起きあがる真希。
 なのに当のケテルはしりもちをついて、ゆったんを顔の前まで拾い上げて“めっ”をしている。
「ふわぁ! ゆったんさん、あぶないですよぉ」
「危ないのはテルちゃんだよー。ほら、手伝って。中なら見えないし。えっと、今日のオススメは、ヴァイシャリー湖直送の魚介のトマトソースパスタだからねー。……お湯くらい沸かせる、よね?」
「ふっふっふー、ケテルにまかせてください。お役にたちますよぉ」
 自信満々に答えるケテルだったが、火術で鍋ごと沸騰させようとして、手伝って貰う前よりぐったりな真希なのだった。

 
「落ち着いたいい雰囲気のお店ですねぇ。観光ガイドに載ればもっと繁盛しますよぉ」
 特盛りパフェをぱくつく皇甫伽羅の言葉に、うんちょうが暖かい烏龍茶を堪能して頷く。
「近頃殺伐とした戦場回りばかりやっておったでござるからな。たまにはこういうのもよかろうかと存ずる」
「……ちとそれがしは場違いなような気もしないではありませぬが」
 ナラカから出てきて日が浅い皇甫嵩は、きょろきょろしている。
 劉協など、湯飲みの中の緑茶をすすりつつ、
「現代の“喫茶店”とはこういうものなんですね。……そもそもあまり外食したことが無いので、比較はできないですが和める雰囲気のお店だと思いますよ」
 お客様の賛辞に、食事を届けに来た女性執事・十六夜 朔夜(いざよい・さくや)が頭を下げる。
「ありがとうございます」
「そういえば、元は教導団員と百合園生さんの交流と親睦の場から発展したんですよねぇここ。いつも百合園さんにはお世話になってますからぁ、こういう場所があるのはありがたい限りですよぉ」
 そう。
 表の黒板に描かれた白百合。その名を冠する<カフェ・ホワイトリリィ>は、百合園女学院生が主催する喫茶店である。元々は、昨年シャンバラ教導団の関帝廟で行われた関帝誕──関羽の誕生日を祝うお祭り──に百合園生が招かれたことを受けて、お返しにシャンバラ教導団の生徒をもてなすために用意されたものだ。
「そういえば、教導団員がそれなりに来ていますね」
 劉協が見回せば、教導団の制服を着たり、見覚えのある顔のある客がちらほらいる。ヒラニプラならともかく、ヴァイシャリーには珍しい。
 伽羅は満足げにパフェのチョコがけ生クリームを頬張りつつ(うんちょうに、「……義姉者、太りますぞ」と言われたが綺麗に無視しつつ)、
「発起人さんにはその節は色々お世話になったんですよぉ。ところで、月商はいくらで……けほんけほん、何でもありません」
「そうですか……私もです」
 朔夜は心なしか、少し寂しそうな目をした。
 彼女はホワイトリリィをやろうと言い出した、一人の百合園生のことを思い出したのだ。
「あのころは限られたお客様しかいらっしゃいませんでしたが、今では沢山の方がお見えになるんですよ」
 客層も様々だ。一つのグラスを額を付き合わせて二つのストローで吸っている中の良さそうなカップル。ワゴンに乗った占いに夢中になる女の子達。カメラ片手に、何が出てくるか分からない“お任せ注文”に挑む登山家……いや奇食家達。フィギュア入りのカプセルが出てくるガチャガチャを回し続けるオタクっぽい男の人たち。
 現在フィギュアは好評で、『百合園合体ロボシリーズ 第参段』まで発売中である。パイルバンカーロボやハンマーロボが当たり、コンプリートすると“発進! 百合園女学院校舎”が当たるのだ。
 ……しばらくして、すっかり一同は食事を平らげる。
「ご馳走さまでござった。……その、おじさんみたいな者がまた来ても差し支えありませぬかな?」
 遠慮がちに尋ねる皇甫嵩。
 朔夜は丁寧ながらもきりりとした執事らしい笑顔で応じる。
「勿論です。今は昼間ですが、夜には一階のステージでピアノやフルートの演奏も行われます。月が映り込むヴァイシャリー湖と共にまた違った雰囲気が味わえますよ。是非またいらしてください。特に教導団の方には良い席をご用意します」
 執事服から立ち上る妖艶な色気は倒錯的でもある。
 実は、というほどのことでもないが──このお店の評判が口コミで広まり客が増えたのは、こうした百合園生目当てのお客さんもいるからだ。もっとも、朔夜目当てのお客は女性が殆どだったけれども。

「──気持ちのいいもてなしでござりましたな。これは観光マップに載せてもらわねば」
「ええ、いい店でしたね義真さん」
 心地よい初夏の木漏れ日の下を歩く帰り道。お腹もいっぱいでなごやかに言葉を交わす彼ら。
 ……だが、伽羅だけは何やら企んでいたとかいないとか。
(いつか団長をお連れするのですぅ!)