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【2020年七夕】Precious Life

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【2020年七夕】Precious Life

リアクション


★第十一章 標本 ★


 触れたい。

 ……嘘

 …触れられたい。


 さっきまでの喧騒、祝うグラスの音でさえ、胸の鼓動の前には夢と消える。
 ドアを開ける仕草を遠いもののように見つめた。
 手を伸ばせば届く。
 だから、手を伸ばせない。
 自ら着せた浴衣の蒼に、肌の色がよく映えていた。
 動いて乱れた襟元を直したら、自分の手はその首筋に触れるだろうか。

 触れたい。

 違う。

 ずっと……触れてほしい。

 久途 侘助(くず・わびすけ)は愛しい者の、その背中を見つめた。
 自分より綺麗な背中。
 抱きしめる時、腕をまわすのを躊躇い、そして、それを侘助が恋焦がれる背中だ。
 侘助は小さく息を吐いた。
「どうされたい?」
 愛しき者――ソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)は言った。
「え?」
 不意の声に侘助は震えた。
 甘い感覚が走る。
 背を向けたままのソーマの声には、からかいの韻もなかった。
 ただ、希望を訊いてきただけだ。

 どうされたい?

 そんな問いには、すぐに答えられない。
 あの日の唇の感覚や、身も竦む甘い毒……吸血鬼の誘惑を思い起こすと体の芯が熱くなる。
 彼に喰われてその身と一つになれるなら、自分を捧げても構わなかった。
 でも、自分の生命の力を与えるだけで、喰われるということはない。
 もどかしいような感覚は、自分の理性を狂わせる。
 答えられずにおれば、ソーマが振り返って侘助を見つめた。
 そして、侘助の顎に手を伸ばす。
 空気が動いて侘助は夢から引き戻される。
 侘助はソーマの手を、両手でそっと包もうとした。
「ぁっ!」
 思いを伝えようと口を開きかけた瞬間、ソーマは後ろ手でドアを開け、侘助を部屋に引っ張り込んだ。
 広いジャパニアススイートの部屋は静まり返っている。
 部屋に滑り込んだ自分に驚いたのも束の間、閉められるドア。
 部屋という深い闇の中に堕落ちた二人を止めるものはない。
 衝動のままに、侘助は抱きついた。
 そして、身を離し、侘助はソーマの手を取って、心臓の上、暴いてほしい位置に持っていく。
(俺のことを知ってほしい……)
「ソーマにだったら……何をされても構わない」
 恥ずかしさに震える声は小さく、かすかな囁きとなって届いた。
「俺を…ソーマのものにしてください」
 熱いものが、瞳に、心に、沁みて落ちていく。
「ソーマを…俺にください」
 溢れ出した想いはとまらない。
 見上げる瞳を捕らえ、ソーマは微笑した。

「お前は俺のもの」

 吸血でもなく、命令でも無く。

 自ら堕落ちていくように、贄を誘う……

 自分という宇宙に飲み込まれた月は、永遠にその闇を彷徨う。
 昼間の月に啼いた憐れな少年は、永遠のお伽話の中。
 消えない烙印を捺して捕らえたら、永劫、愛を囁く夜鳴き鳥となろう。

「覚悟はいいか?」
 ソーマは言った。
「今日は……覚悟してる」
 侘助は頷いた。

 お前は俺のもの。

 囁かれる声は媚薬。耳に容易く滑り込む。
 吸血鬼の誘惑などいらない。
 もう惑わされている。

「……ぁ」
 触れてくる唇の先、くすぐるような口付けを交わした後は、大人の交わりが待っている。
 抱き合えば、衣擦れの音が耳に届いた。
 まわされた腕の温かさと強さに酔った。
 不意に唇が離れる。
 喪失感。
 寂しげに視線が彷徨えば、見ゆる愛しい人の愉悦の笑み。
 ソーマは侘助を抱きかかえると、畳の上に二つ並ぶ布団の上に下ろした。
「……ぁ」
 その途端、恥ずかしさが身を一気に駆け上がってゆく。
 身を捩った侘助の体が逃げぬよう、ソーマは両腕を捕らえて布団に押し付けた。
 まるで蝶の標本のように。
「…やっ……やだ、こんなんじゃ」
「俺が聞きたいんだ、お前の声を」
「……ぇ?」
「すぐにわかる」
 そう言って囁いたソーマは、侘助の耳朶を甘く噛んだ。
「ひッ!」
 わざと音を立てて軽く噛む音と、刺激に弱い侘助の瞳から涙が零れる。
「やぁっ!」
「この先はまだまだなんだぜ」
(わかってる……でも…)
「はぁッ……」
 侘助は甘い声を上げた。
 ソーマは歯を立てたまま、首筋を滑り、鎖骨までくすぐる。
 嚥下する喉の動きに、ソーマは楽しげな笑みを浮かべた。
 切れ切れに聞こえる甘い声に誘われて、ソーマは侘助の浴衣を肌蹴させていく。
 夏物の薄い生地の下には、邪魔な襦袢などない。
 直接、侘助に触れられる楽しみがあった。
 そして、ソーマは弱い部分を狙おうと、ゆっくり羽で触るかのように皮膚の薄い部分に触れた。
「だめ……だ…」
「何がだめなんだ?」
 かすかに反応する体を楽しみながら、ゆっくりと撫で上げる。
「体の方は嫌そうじゃないな」
 ソーマは笑った。
 人間の急所というものは、体の内側にあるものである。大抵、急所というものは、愛撫することに向いている。急所であるがゆえに、人はそこを触られると反応を見せるものだ。
 陥落させるのは簡単。
 だが、愛しい者との交わりは、二度と忘れえぬ快楽となるよう、羽根が地に落ちるが如く、ゆっくりと落とすもの。
「快楽に慣れてないところが可愛いな」
「っ……ソーマが、はじめてだから」
 乱れ髪は蝶のように、褥に広がった。
 受け入れるに十分なほど触れて、そして交わろう。

 今宵も、危うい月夜。
 開きかけの花を散らすに満ちた時よ。
 こんな夜は誘い出して、果てるまで踊ろう。

 遠く霞む中で、少年のか細い旋律が闇夜に踊る。
 昔、聞いた、誰かの呼び声のように。

 そして

 甘い歌が、侘助の中で満ちた……