百合園女学院へ

薔薇の学舎

校長室

波羅蜜多実業高等学校へ

切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

リアクション公開中!

切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に 切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に 切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

リアクション



SCENE 18

 芦原 郁乃(あはら・いくの)ら四人も射的で対決! といっても触手を撃つような過激な屋台ではなく、人形やお菓子の箱をコルク弾の銃で狙うというシンプルな店である。屋台で一通りの食事を終え、デザートがわりの綿アメ手しにつつ和気あいあい、歓談しているところで店の看板が目に入ったのがきっかけだ。
「そろそろ食べるのも休憩にして、ひとつ射的でもやってみませんか」
 提案したのは蒼天の書 マビノギオン(そうてんのしょ・まびのぎおん)、淡い桜色の地に、アジサイが描かれた浴衣がよく似合う。プラチナの髪をかきあげて、
「でも、ただ撃つだけではつまらないですね。競技にしてみたく思います。最下位が他の人にカキ氷をおごり、トップには後日みんなで喫茶店でケーキをおごるというのは?」
「面白いです! やってみたいです!」
 元気に応じるは荀 灌(じゅん・かん)、澄んだ青空のような生地に、ひまわりの図柄があしらわれた浴衣が可愛らしい。あんまり灌が嬉しそうなものだから、秋月 桃花(あきづき・とうか)もつられて笑ってしまう。
「灌ちゃん、いい笑顔ですね」
 と灌の頭をなでつつ提案した。
「倒した標的の数ではなく、重さで優劣をつけてはいかがでしょう?」
 なお、桃花の肌をくるむ楚々とした浴衣は、白に疎らな笹柄という、彼女お気に入りの品だ。
「いいねっ、それだったら一発逆転も狙えるものね!」
 郁乃も大賛成だ。郁乃の浴衣のイメージも空、鮮やかなブルーの生地は、灌に選んであげたものとお揃い、その空を雲と、金魚が泳ぐような美しい柄だった。
「一人ずつ交替で挑戦ってことにしようよ」
 浴衣の袖をまくりながら郁乃は言う。射的にはちょっとばかり自信のある彼女である。優勝はいただきだよ、と宣言した。
「わたしの狙いはずばり大物!! 『上位が狙えるサイズ』をのきなみ倒してみせるんだから!」
 ところが、
「………痛い、痛すぎる、主にふところ的な意味で」
 十五分後、すっかりうなだれる郁乃の姿があった。確かに、彼女の弾は全弾命中した。ところが、当たっただけであってそのすべてがびくともしなかったのだ。屋台の射的ではよくある悲劇だ。
「まあまあ、争いはいつも虚しいものですよ」
 となだめるマビノギオンもまた、収穫ゼロだったりする。
「虚しいとわかってるなら勝負を持ちかけるなぁ〜」
「それとこれとは話は別です」
 どこ吹く風でかき氷を口にするマビノギオンであった。負けても楽しむ心の余裕。
 ところで優勝は、桃花であった。
「まさかあの大きなぬいぐるみが倒れるなんて」
 乳児ほどもあるクマのぬいぐるみを小脇にかかえ、桃花はまだ、自分に起こった奇跡が信じられないといった顔をしている。
「射的って楽しいですね」
 と灌も、入手したマスコット人形を掌で転がしながら笑顔を見せる。
「いえ、でも……」
 灌はふと、思い直したかのように告げた。
「みんなでお祭に来ているからこそ、楽しいのかもしれないです」

 のれんに躍る文字は「タ」「ピ」「オ」「カ」の大きく4文字! まさしくそのもの、タピオカ専門の屋台をひらいているのが雨月 晴人(うづき・はると)だ。雰囲気作りにBGMにも凝ったりして、ちょっとした楽園をつくりあげている。メインはメニューは、もちもちのタピオカに、凍らせたマンゴージュースを砕いて加えた『タピオカクラッシャーズ』なる冷たく甘いデザート、ゴマあんたっぷりの『タピオカパンまん』も好評だ。『香港フォロー』なる中華風味、『シャークせんべい』と名づけたタピオカ乗せクラッカーもよく売れている。『石橋釣り』という謎のメニューの正体はなんだろう?
「さっきお客さんに聞いたんだけど、タピオカを扱っている店は、今夜の祭ではうちだけらしいな。目の付け所がよかったようだぜ、アンジェラ」
 現在絶賛売り子中の相棒アンジェラ・クラウディ(あんじぇら・くらうでぃ)に、晴人は白い歯を見せる。アンジェラはタピオカ大好きなので終始嬉しそうだ。お祭がかもしだす熱気、楽しさ、そういったものに浮かれて血色が良い。
「あたし、タピオカダイスキ! 同じく、タピオカダイスキな人、多くて嬉しい!」
 アンジェラは色っぽい紺の浴衣だ。黄色い帯もよく似合う。
「みんな、タピオカドリンク、飲んでハッピー、なる! フォーホホホホ!」
 と、愉快な声あげて客寄せをしている。話し言葉はあまり得意ではないアンジェラなのだが、表情は言葉以上に雄弁、幸せに満ちた笑みで人々を魅了している。
「よし、次はアンジェラ持参のCDでもかけてみるか」
 晴人が店先のラジカセにセットしたのは、アンジェラがそっと置いていったCDだった。
「こ……これは!」
 晴人は絶句する。色々な意味で。
「この声……まさか、『エレーネの驚愕』をアンジェラが『歌ってみた』バージョン……だと!?」
「それ、あたし、歌ったCD」
 くるりとアンジェラが振り返った。
「気に入ったか?」
「なんていうか、再現力が素晴らしいと思う」
 気に入ったぜ、と晴人は苦笑気味に告げた。
 ――今夜のこの出来事も、過去の記憶がないアンジェラの大切な思い出の一ページになってほしいと願う。

 本心を言えば今夜も、暑いから家でのんびりすごしたかった。そんなことをしながら秋を待ちたかった。
「クーラーの効いた室内で、読みかけの本のつづきをだねぇ……こう、黙々と……聞いてる?」
「せ〜ちゃん、タピオカの屋台があるのだよ。名物『タピオカクラッシャーズ』なるものを食べたいのだよ」
「聞いてないね……」
 だけどなかなかそうはいかない。今夜もまたオフィーリア・ペトレイアス(おふぃーりあ・ぺとれいあす)にひきずられるられるようにして、祭見物にかり出された八神 誠一(やがみ・せいいち)なのである。
「食べたいのだよ〜」
 と、顔を寄せすがりつくように、迫ってくるオフィーリアを拒めようか。仕方なくタピオカ屋台の列に並ぶ。
「最近家計が苦しいから、ちょっとは手加減してもらえると嬉しいんだけどねぇ」
 誠一は溜息した。この数時間だけで、「せ〜ちゃん箸巻きが食べたいのだよ」「せ〜ちゃんかき氷買ってなのだよ」「せ〜ちゃん、射的得意だったよね? あのぬいぐるみ取って欲しいのだよ」……といったオフィーリアのおねだり波状攻撃をひとつもかわすことができず、すっかり散財させられてしまっている。
「今日一日の支出を考えると、暗澹たる気持ちになるよ」
 ぼやく誠一に、何を言っているのだよ、とこともなげにオフィーリアは言う。
「俺様の報酬もせ〜ちゃんの懐に入っているのだから、俺様の娯楽費をせ〜ちゃんが出すのは当然の事なのだよ」
「といっても限度というものがだなあ」
「そこをなんとかするのが会計役の役割なのだよ。恨むなら、こういうシステムを作った人を恨むのだよ」
「これ、名物メニュー、美味しい」
 アンジェラが皿を手渡してくれる。皿は一枚、スプーンは二本。かくて噂の『タピオカクラッシャーズ』を手に、二人は屋外に用意された丸テーブルに向かい合わせで腰を下ろした。
 この日、誠一は決して明るい表情ではなかった。オフィーリアにはおざなりながら笑顔を作って見せるも、彼女の視線が外れるや否、緊張気味の顔立ちになる。しかしそれは、「臨時出費による経済上のダメージ」という表向きの理由のためではない。
(「人が多い場所はやはり苦手だ……誰が敵で、誰が味方かもわからない」)
 すれ違う親子連れ、通り過ぎるカップル、あるいは、近くの席の少女グループ――そのうちのいずれかが、いつ牙を剥き、銃を抜いて襲いかかってくるかわからない。無論、そんなことはない、と頭ではわかっている。されど長年、人の形をした悪鬼の中で過ごしてきて身についた習性はそう簡単に誠一を解放してくれなかった。端的に言えば、ずっと緊張の糸が張りつめた状態にあるのだ。敵味方がはっきりしている戦場よりむしろ、こうした場所のほうがずっと、誠一には恐ろしい。
「……ちゃん、せ〜ちゃん!」
「え? ああ」
「もー! せっかく女の子が『はい、あーん』ってやってるんだから、そういうときは素直に従うものなのだよ!」
「えっ!?」
 いつの間にやら正面、オフィーリアはスプーンで、すくったタピオカをつきだしてくれている。ぷるんとしたゼリー状のタピオカが、夜店の灯りに光沢を放っていた。
「……それは何の罰ゲームだい?」
「またそういうデリカシーのない言い方を!」
 見る間にオフィーリアはむくれた。
「そんなせ〜ちゃんには本当に罰ゲームにしてやるの刑なのだよっ!」
 持っていたプラスチックのスプーンを放り投げるやオフィーリアは、野球のノックよろしくハンマーでこれをフルスイングした! ばきっ、と空中でスプーンは折れ、くるくる回転しながら『燃えないゴミ』と書かれたダストボックスに消えていく。
「あ、ナイスシュート……じゃなくて、それどういう意味?」
 どういう意味か、すぐに誠一は知るハメになった。
「むぐー」
 残ったもう一本のスプーンでタピオカをすくって、オフィーリアは手早くそれを自分の口に入れた。そして、もうひとさじすくうと、
「これで改めて『はい、あーん』なのだよ」
 かくて、誠一は彼女の意図を悟ったのである。
「待て、それを人は『間接キス』と言わないか!?」
「拒否するなら直接の口移しであげてもいいのだよ」
「先生、そんな過激発言は『いいのだよ』なんていうレベルじゃないと思います!」
 だが真剣なオフィーリアの瞳を目にして、誠一も覚悟を決めた。
 オフィーリアの目は少し、潤んでいたのである。誠一が心中、穏やかでないことに彼女も気づいていたのだ。だから、精一杯、楽しんでもらおうとしているのだろう。
「せめて間接でお願いします……」
「結構。なら、はい、あーん」
「あーん……」
 甘い一口となった。