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はじめてのひと

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リアクション


●携帯電話の使い方

 ぼちゃん、と川に携帯電話が沈んだ日は、世界が終わるのではないかとすら咲夜 由宇(さくや・ゆう)は思ったものだ。
(「今、思い返してもあれは悲しい記憶なのですぅ……」)
 下流まで走ってレスキューしたものの、すでに由宇の愛機は臨終状態だった。
 だけど、その悲しみも今日まで。
 なぜって、本日、由宇は携帯電話を新調したのだから!
「安く買えてよかったのですぅ〜」
 携帯ショップを後にしつつ、新たな愛機をすりすりと撫でる。不幸中の幸いは旧機のメモリが生きていたことだろう。アドレス帳はしっかり移行している。
 冷たい風が吹き始める季節だ。帰路を急ぎながら由宇は思う。
(「早速掛けてみたいですけれど、誰がよいでしょう……? せっかくの初めての電話ですし、ちょっと特別な人がよいですよね」)
 アドレス帳を開け、『cinema』のホログラムディスプレイに映し出す。まだ慣れぬゆえ操作はたどたどしいが、いずれスムーズに動かすことができるだろう。
 いくつかの名前を眺めていて、『アレン・フェリクス(あれん・ふぇりくす)』の欄で目が止まった。
(「アレンくんは今何してるのかな?」)
 それを思うと、なんだかそわそわしてきた。
 はじめてのコール、彼にかけてみようかな――そう決めると、今度は心臓がどきどきしてきた。
 その頃、自宅にてアレンは壁掛けの時計を見上げている。
(「由宇のやつ、一人で携帯を買いに行くって言ってたが、大丈夫か? また詐欺にでもあってなきゃいいけど」)
 なんだか帰宅が遅いように思う。彼女のことだ、なにかまたトラブルに巻き込まれている可能性は否定できない。だがアレンはそんな自分を笑い飛ばすように、
「まぁ別にオレは困らないからいいんだけどね……さ、読書読書、と」
 と、独言して読みかけの本に目を戻した。
 ……でもやっぱり、二、三分に一度、時計を見上げていたりする。
 そのとき、アレンの携帯電話が鳴ったのである。

 三コール目で彼が出た。
「ももも、もしもし! アレンくんですか? 私なのです! 由宇なのですぅ!」
 この口調の時点で疑いようがないくらい本人なのだが、アレンはわざと空々しく、
「オレオレ詐欺? 由宇の偽者さんかなぁ?」
 などと茶化す。「本人ですっ、ホンモノですぅ〜」と取り乱す彼女に笑って、
「わかったわかった、ホンモノだね。それでどうした? また変なものでも買わされたかい? ははは、アホだなぁ」
「アホじゃないですぅ! っていうか変なものなんか買ってないですよぅ! 電話です、携帯、新しくしたんですぅ。これは記念コールなんですぅ〜!」
「ああ、そりゃおめでとう。新しい携帯、感度いいな。ちゃんと聞こえてるよ」
「よかったぁ……」
 ほっ、と安堵の声が漏れ聞こえ、そんな由宇を、可愛いと思うアレンだった。
「今から帰りますね。何か買っていくものはありますですか?」
「別にないよ。それより、道に迷って地平線まで行かないで帰ってくるようにね」
「地平……私、そこまで方向音痴じゃないですよぅ〜!」
「ははは、地平線は冗談にしても、そろそろ陽が落ちるから気をつけるんだよ」
「は〜い。もうちょっとだけ待っててくださいねぇ〜」
 電話を切った後、由宇はちょっと幸せな気分になって、黙って携帯電話を眺めていた。
 同じく電話を切った後、アレンは何事もなかったかのように読書を再開する。けれどその口元には、微笑があった。


 *******************

 機種変更、完了。
 朝霧 垂(あさぎり・しづり)が真っ先に電話する相手、それは前から決めてあった。
(「やっぱり特別な相手と話したいよな」)
 新型携帯電話だけに、表示は実にスムーズだ。くるくると登録アドレスを繰って、『騎凛 セイカ(きりん・せいか)』の名前を表示させる。
 さあ電話しよう、としたところで。
「おーおー、熱いね〜、愛しの人に初コールかい?」
 垂の腰にじゃれつくようにして、ライゼ・エンブ(らいぜ・えんぶ)がホログラムディスプレイを覗きこんだ。
「う、うるせぇな! テスト通話だよ、テスト。それに、新しい携帯を買っても、初めてだから特別な事を話す必要ないだろ?」
「へ〜、それはどうかな〜?」
 ニヤニヤしつつライゼは真横に腰を下ろした。ああ言った手前追い払うわけにもいかず、垂はそのままセイカに電話する。
「よぉ、セイカ、久しぶり。最近会えない状態が続いているけど、調子はどうだ?」
 セイカと話ながら、そっと垂はライゼの様子をうかがった。……じっとこっちを見ている。
「今度コンロンへの部隊の指揮をする事になったんだってな? 俺はヤボ用で一緒に行く事は出来ないけど、見知らぬ存在を発見したからってむやみやたらと突っ込むなよ?」
 話していると、自然に笑みがこぼれた。本当は心配なのだが、セイカを元気づけるべく声を明るくして、
「セイカの周りには、頼れる生徒……いや、仲間達が居るんだからさ、彼らと相談して最善の手を考えてから行動するんだ。戦うだけが戦争じゃないからな……」
 携帯電話を握る手に力が籠もってきた。電話ゆえ顔は見えないものの、すぐそばにセイカがいるようなつもりで話すのだ。
 行って力になりたい――だが叶わない。そのもどかしさと、それだけに愛しさが昂ぶり、垂は胸の痛みを感じながら続ける。
「絶対に無茶はしないで、コンロンの教導団に協力的な人たちと協力して頑張ってくれよな。俺も用事が済んだら後発隊として援軍に向かうつもりだしな」
 携帯電話の感度は高く、セイカの息づかいまで伝わってくる。いつしか垂は、セイカと二人きりの空間にいた。
「んじゃな、お互い健康に気をつけて生活しような」
 と言って話を締めくくる頃には、垂はライゼの存在を完全に忘れてしまっている。
「好きだぜ、セイカ……ん〜、違うな……『愛してるぜ』」
 垂の耳を撫でたのは、電話を通したセイカからのキス、求められ、照れながら垂もキスを返した。
 電話を切って、はっと我に返る。
 振り返ると、ライゼが身悶えしていた。
「何が『新しい携帯を買っても、初めてだから特別な事を話す必要ないだろ?』だよ。思いっきり愛情たっぷりなラヴラヴ電話をしてるじゃないかー」
 聞いているだけで赤面しちまうくらいだ、というライゼの言葉に嘘はなさそうである。
「う、うるせぇな!……仕方ないだろ、普通に心配だから注意するつもりだったんだけどさ」
 携帯電話を折り畳むと、垂は顔をそむけるのである。
「久しぶりにセイカの声を聞いたからかもしれないけどさ、なんか……だんだん……気持ちが抑えられなくなっちまってよ……」
 はじめこそ威勢が良かったものの、だんだん声は小さくなっていき、最後は、すぐ隣にいるライゼにも聞き取れないくらいゴニョゴニョした呟きになってしまう。
「はいはい。垂がそんな状態になるのって騎凛先生を相手にした時だけだよね」
 ぽん、とライゼは優しく、垂の背を叩くのである。
「心配しなさんな。きっと騎凛先生は大丈夫さ。次は手助けができればいいな!」


 *******************

 さて現在、蒼灯鴉はまだ師王アスカを捜索中だったりする。
「今ツァンダだ。アスカ、おまえは包囲されている。諦めて出てこい」
「違うよ。全然違うよ。もっと頭捻ろうよぉ〜」
「なんだって……!」
「電話越しでも鴉が苛々してるのが丸分かりね〜ぷぷっ」
「……てめえ……今笑っただろ!」


 *******************

 寒い外から帰宅して、着替えるのももどかしく、久世 沙幸(くぜ・さゆき)はベッドに腰掛けるやいそいそと、『cinema』の使い勝手を確かめていた。
「うわー、すごいなー、こんなところまで動くんだ。へー……あ、テレビも映ったよ」
 かちゃかちゃと操作しているものの、思った通りには動かすことができないようだ。
「あー、いろんな機能があって、どうやって使えばいいかよく分からないよー……」
 などと言っていると、着替えを終えた藍玉 美海(あいだま・みうみ)が、沙幸の横に座った。美海は沙幸につきあって、今日の機種変更に同行していたのである。
「沙幸さんは相変わらず新し物好きですわね。別にわたくしは通話さえ出来れば、あとの機能などどうでもいいですわ」
「ねーさまそんなことじゃもったいないよ−。せっかくいろいろできるんだからー」
「でも、使えなければ意味がないんじゃありません?」
「うーん、本当はマニュアルを読めばいいんだろうけど……」
 沙幸は『cinema』の箱をポンと出し、中から、ちょっとした辞典みたいな冊子を取り出す。
「ケータイのマニュアルってどうしてこんなに分厚いのー!!!」
 そう、これが取扱説明書なのだ。
「とはいえ、下手にいじって壊しちゃうのもいやだし……」
 と不平を述べていると、
「貸してご覧なさいな」
 ひょいとその手から、美海は『cinema』を奪ったのである。
「使い方がわからないなら、適当に弄っていればそのうち使い方がわかりますわよ」
 そして、おもむろに色々な操作を試みる。様々な画面が高速で回転し、現れては消えていく。
「ねーさま! そんなに適当に弄ったら壊れちゃうんだもん」
「それで壊れたら売り物になりませんし、大丈夫ですわ」
「いや、うん。確かにねーさまのいうとおりなんだけど……」
 美海の手が止まった。
「ほら、短縮ダイアルの通話機能が出てきましたわよ」
「ありがとうねーさま。それじゃ早速通話してみるねー」
 携帯を返してもらって、笑顔で沙幸はこれを操作する。
「なんだか、はじめての通話って緊張しちゃうよね」
 といってコールした相手は……すぐそば。
「……あら、わたくしのケータイに電話ですか?」
 咳払いして美海は、自身の携帯電話を手にした。
「もしもし……沙幸さんですわね……」
「はい、ねーさま。通話音質とかどうかな?」
「良好だとは思いますけども……同じ部屋にいるわけですから、電話の声よりも直接聞こえてくる声の方が大きいですわよ」
「……言われてみればそうだったね」
「それに……、せっかくこんなに近くにいるのですから、もっと素敵なことをした方が良いのではありません?」
「えっ?」
 と問い返した沙幸はもう、美海によってベッドに押し倒されている。
「ね、ねーさま、電話、電話〜」
「電話? ああ、はいはい」
 美海は白い手を伸ばして、沙幸の携帯の『録音』アイコンにタッチした。
「せっかくの高音質ですもの、沙幸さんの可愛い声、いっぱい残しましょうね……」
 首筋に噛むようなキスをし、あいたほうの手を胸元に差し入れる。
「あんっ、そういう意味じゃないだもん……ねーさまっ、へ、変な事しちゃだめ〜」
「ふふ……変なこと、ってこういうことかしら?」
 執拗に美海は、沙幸を愛撫しはじめていた。
 『cinema』の画面上に、『録音中』の表示が点灯している。
 いつしか沙幸の言葉は途切れ、あとはただ、甘い声へと変わるのみだった。